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ラテンアメリカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避イベロアメリカ」あるいは「イスパノアメリカ」とは異なります。
面積20,111,457 km2
人口656,098,097 (2021)
人口密度31/km2

ラテンアメリカ西:Latinoamérica, América Latina,:América Latina,:Latin America,:Amérique latine)は、アングロアメリカに対する概念で、アメリカ大陸北半球中緯度から南半球にかけて存在する独立国及び非独立地域を指す総称である[1]。Latin Americaを略してLATAMとも称される。

ここでの「ラテン」という接頭語は「イベリア(系)の」という意味であり、これらの地を支配していた旧宗主国が、ほぼスペインポルトガルであったことに由来している。多くの地域がスペイン語ポルトガル語フランス語などのラテン系言語を公用語として用いており、社会文化もそれに沿ったものであったことから名付けられた。

図にあるようにラテンアメリカは北アメリカ大陸メキシコをふくみ、南アメリカ大陸ガイアナスリナムをふくまない。また中南米と呼称される場合もあるが、これは図に合う正確な表現ではない[2]

語源

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ラテンアメリカの名称は1856年ヌエバ・グラナダ共和国(現在のコロンビア)の首都ボゴタで生まれた文人ホセ・マリア・トーレス=カイセードによって初めて用いられた[3][4]

1836年メキシコからテキサスが独立し、さらに1848年米墨戦争によってアメリカ合衆国に敗れ、メキシコは国土の半分を失った。1856年にはニカラグアの国内政治の混乱に乗じてアメリカ人侵略者ウィリアム・ウォーカーがニカラグアの大統領となるなど、アメリカ合衆国の膨張の前に、アメリカ大陸スペイン語圏の諸国は、存続の危機にさらされていた[4]パリに在住していたイスパノアメリカ人たちはこうした事態に祖国がアメリカ合衆国に吸収されるという危惧を抱き始め、アングロサクソン列強の脅威に抵抗すべく運動を始めた。

当時、彼らは自分たちの国家群の呼称としてアメリカ・エスパニョーラを用いることが多かったが[4]、文明の中心であったフランスと一体であることを示す名称としてラサ・ラティノアメリカーナアメリカ・ラティーナ・サホーナ・エ・インディヘナといった呼称が論説などで用いられるようになり、カイセードが1856年9月26日、旅行先のヴェネツィアで書いた詩『二つのアメリカ』においてアメリカ・ラティーナという言葉が初めて用いられた[5]。この言葉は次第に新聞や雑誌、公文書へと浸透していき、フランス語においても1861年ごろよりラメリク・ラティーヌ(L'Amérique latine)の呼称が確認出来るようになる。英語のラテンアメリカの名称がスペイン語、フランス語のどちらから移入されたのかは定かではないが、この新しい名称の浸透はナポレオン3世によって積極的に行われ、次第にラテンアメリカという名称が世界に広がっていった。

しかし、フランス主導によるこうした帝国主義的拡大にスペインの知識人たちは大いに憤慨し、イスパノアメリカの名称を主張し続け、今日に至ってもスペインは公式の文書ではラテンアメリカの名称を拒否している[6]

定義

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今日、単にラテンアメリカと称した場合は「メキシコ以南の北米大陸カリブ海地域全域、南アメリカ大陸全域の3地域とその周辺の島々」を指す[7](広義のラテンアメリカ)。

1960年頃まではラテン文化の伝統を引き継ぐ20の国[注釈 1]に限ってラテンアメリカと呼称されてきた。1962年以降、旧イギリス領から12、旧オランダ領から1の新しい独立国が興り、国際連合などでラテンアメリカ地域に含んだ形で言及されるようになり、ラテンアメリカの定義は曖昧さを孕むことになった[6]。近年ではこうした新興独立国の立場を考慮し、カリブ海地域と呼称し、「ラテンアメリカとカリブ海」などと表現する傾向が強まっている[7]。この場合のラテンアメリカという呼称は「ラテン的文化を保有する国と地域」を指すことになる(狭義のラテンアメリカ)。

ラテンアメリカの定義においては「広義のラテンアメリカ」と「狭義のラテンアメリカ」とを、文脈で判断し理解することが必要となっている。

日本においては「広義のラテンアメリカ」を総称して中南米と表すことが一般化している[7]。この言葉はラテン性を巡る諸問題を回避できる点で便利な言葉ではあるが、忠実に外国語に訳した場合に「セントラル・アンド・サウスアメリカ」となってしまい、メキシコやカリブ海地域が含まれないという別の問題を持っていると中川文雄は指摘している[7]。稀に(ラ)と表記されることもある。

カナダケベック州ラテン系言語であるフランス語が第一言語であるが、他のラテンアメリカ諸国と地理的・経済的に大きく離れていることもあって、同地をラテンアメリカに含めることは少ない。

構成

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ラテンアメリカは33の独立国およびいくつかの非独立地域で構成される。本一覧の国名表記は『ラテン・アメリカを知る事典』の各国便覧に倣う[8]

独立国

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国・地域名首都体制独立年旧宗主国・領有国公用語
コスタリカの旗コスタリカサンホセ共和制1821年スペインの旗スペインスペイン語
メキシコの旗メキシコメキシコシティ共和制1821年スペインの旗スペインスペイン語
ベリーズの旗ベリーズベルモパン立憲君主制1981年イギリスの旗イギリス英語
グアテマラの旗グアテマラグアテマラシティ共和制1821年スペインの旗スペインスペイン語
ホンジュラスの旗ホンジュラステグシガルパ共和制1821年スペインの旗スペインスペイン語
エルサルバドルの旗エルサルバドルサンサルバドル共和制1821年スペインの旗スペインスペイン語
ニカラグアの旗ニカラグアマナグア共和制1821年スペインの旗スペインスペイン語
パナマの旗パナマパナマシティ共和制1903年スペインの旗スペインスペイン語
バハマの旗バハマナッソー立憲君主制1973年イギリスの旗イギリス英語
 キューバハバナ共和制1902年スペインの旗スペインスペイン語
ハイチの旗ハイチポルトープランス共和制1804年/フランスの旗フランス/フランス語ハイチ語
ドミニカ共和国の旗ドミニカ共和国サントドミンゴ共和制1844年スペインの旗スペインスペイン語
ジャマイカの旗ジャマイカキングストン立憲君主制1962年イギリスの旗イギリス英語
セントクリストファー・ネイビスの旗セントクリストファー・ネイビスバセテール立憲君主制1983年イギリスの旗イギリス英語
アンティグア・バーブーダの旗アンティグア・バーブーダセントジョンズ立憲君主制1981年イギリスの旗イギリス英語
ドミニカ国の旗ドミニカ国ロゾー共和制1978年イギリスの旗イギリス英語
セントルシアの旗セントルシアカストリーズ立憲君主制1979年イギリスの旗イギリス英語
セントビンセント・グレナディーンの旗セントビンセント・グレナディーンキングスタウン立憲君主制1979年イギリスの旗イギリス英語
バルバドスの旗バルバドスブリッジタウン共和制1966年イギリスの旗イギリス英語
グレナダの旗グレナダセントジョージズ立憲君主制1974年イギリスの旗イギリス英語
トリニダード・トバゴの旗トリニダード・トバゴポートオブスペイン共和制1962年イギリスの旗イギリス英語
ベネズエラの旗ベネズエラカラカス共和制1811年スペインの旗スペインスペイン語
ガイアナの旗ガイアナジョージタウン共和制1966年イギリスの旗イギリス英語
スリナムの旗スリナムパラマリボ共和制1975年/オランダの旗オランダ/オランダ語
 コロンビアボゴタ共和制1810年スペインの旗スペインスペイン語
エクアドルの旗エクアドルキト共和制1822年スペインの旗スペインスペイン語
ペルーの旗ペルーリマ共和制1821年スペインの旗スペインスペイン語ケチュア語アイマラ語
ボリビアの旗ボリビアスクレ /ラパス共和制1825年スペインの旗スペインスペイン語ケチュア語アイマラ語グアラニー語など多数
ブラジルの旗ブラジルブラジリア共和制1822年/ポルトガルの旗ポルトガル/ポルトガル語
パラグアイの旗パラグアイアスンシオン共和制1811年スペインの旗スペインスペイン語グアラニー語
 チリサンティアゴ・デ・チレ共和制1810年スペインの旗スペインスペイン語
ウルグアイの旗ウルグアイモンテビデオ共和制1825年スペインの旗スペインスペイン語
アルゼンチンの旗アルゼンチンブエノスアイレス共和制1816年スペインの旗スペインスペイン語

非独立地域

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国・地域名首都宗主国・領有国公用語人口面積(km2
アンギラの旗アンギラバレーイギリスの旗イギリスの海外領土英語7004154230000000000♠15,4237001910000000000000♠91
ケイマン諸島の旗ケイマン諸島ジョージタウンイギリスの旗イギリスの海外領土英語7004525600000000000♠52,5607002264000000000000♠264
タークス・カイコス諸島の旗タークス・カイコス諸島コックバーンタウンイギリスの旗イギリスの海外領土英語7004463350000000000♠46,3357002948000000000000♠948
イギリス領ヴァージン諸島の旗イギリス領ヴァージン諸島ロードタウンイギリスの旗イギリスの海外領土英語7004311480000000000♠31,1487002151000000000000♠151
バミューダ諸島の旗バミューダ諸島ハミルトンイギリスの旗イギリスの海外領土英語ポルトガル語7004690800000000000♠69,0807001540000000000000♠54
フォークランド諸島の旗フォークランド諸島スタンリーイギリスの旗イギリスの海外領土[注釈 2]英語7003314000000000000♠3,1407004121730000000000♠12,173
モントセラトの旗モントセラトプリマス(臨時首都ブレイズイギリスの旗イギリスの海外領土英語7003516400000000000♠5,1647002102000000000000♠102
サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島の旗サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島グリトビケンイギリスの旗イギリスの海外領土英語7001300000000000000♠307003390300000000000♠3,903
フランス領ギアナの旗フランス領ギアナカイエンヌフランスの旗フランス海外県フランス語7005236250000000000♠236,2507004835340000000000♠83,534
グアドループの旗グアドループバステールフランスの旗フランス海外県フランス語7005405500000000000♠405,5007003162800000000000♠1,628
マルティニークの旗マルティニークフォール・ド・フランスフランスの旗フランス海外県フランス語7005403795000000000♠403,7957003112800000000000♠1,128
サン・マルタン島の旗サン・マルタン島マリゴフランスの旗フランス海外準県フランス語7004309590000000000♠30,9597001544000000000000♠54.4
サン・バルテルミー島の旗サン・バルテルミー島グスタビアフランスの旗フランス海外準県フランス語7003733200000000000♠7,3327001210000000000000♠21
アルバの旗アルバオラニエスタッドオランダの旗オランダ王国構成国オランダ語パピアメント語7005107635000000000♠107,6357002180000000000000♠180
キュラソー島の旗キュラソー島ウィレムスタッドオランダの旗オランダ王国構成国オランダ語パピアメント語7005142180000000000♠142,1807002444000000000000♠444
シント・マールテン島の旗シント・マールテン島フィリップスブルフオランダの旗オランダ王国構成国オランダ語7004374290000000000♠37,4297001340000000000000♠34
ボネール島の旗ボネール島クラレンダイクオランダの旗オランダ特別自治体オランダ語パピアメント語7004165410000000000♠16,5417002294000000000000♠294
シント・ユースタティウス島の旗シント・ユースタティウス島オラニエスタッドオランダの旗オランダ特別自治体オランダ語英語7003379100000000000♠3,7917001210000000000000♠21
サバ島の旗サバ島ボトムオランダの旗オランダ特別自治体オランダ語英語7003197100000000000♠1,9717001130000000000000♠13
プエルトリコの旗プエルトリコサンフアンアメリカ合衆国の旗アメリカ合衆国自治連邦区スペイン語英語7006399890500000000♠3,998,9057004137900000000000♠13,790
アメリカ領ヴァージン諸島の旗アメリカ領ヴァージン諸島シャーロット・アマリーアメリカ合衆国の旗アメリカ合衆国保護領英語7005109574000000000♠109,5747003191000000000000♠1,910
ナヴァッサ島の旗ナヴァッサ島ルル・タウンアメリカ合衆国の旗アメリカ合衆国領有小離島無人5000000000000000000♠07000520000000000000♠5.2

歴史

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ラテンアメリカ史においての一般的な時代区分は先コロンブス時代植民地時代独立国家の時代の3つに大別される[9]

先コロンブス時代

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1492年イタリアの探検家クリストファー・コロンブスがカリブ海地域に到達した時点を起点として、それ以前を総称したのが先コロンブス時代で、数千年に渡る長い期間を通じて北アメリカ大陸メソアメリカ地域と、南アメリカ大陸アンデス地域を中心として様々な文化が開花していた。これらはまとめて古代文明と称されるが、3世紀から9世紀に至る最も華麗な文化が開花した時代を古典期としてその前後を先古典期後古典期と、あるいはそれ以上に細分化することもある[10]

植民地時代

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1492年以降の植民地時代は、スペインポルトガルの両国による絶対王権によって統治された約300年間を指す。ラテンアメリカ地域の領有権の正当性は教皇によって与えられたものであったが、これを無視したオランダイギリスフランスデンマークスウェーデンなどのヨーロッパ諸国はカリブ海域の多くの島々や大陸の一部を占領・支配した。

独立国家の時代

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→「イスパノアメリカ独立戦争」を参照

19世紀初頭から現在に至る期間は独立国家の時代とされる。ナポレオン戦争でナポレオンが敗北して以降の1814年9月1日から1815年6月9日まで開催されたウィーン会議では1792年より以前の状態に戻すことと勢力均衡が原則とされた[11]。ウィーン会議以降の国際秩序をウィーン体制と呼び、1848年革命に崩壊するまでの時代を指す[12]

ナポレオン戦争に勝利したオーストリア、ロシア、プロイセンの復古勢力は革命の再発を防ぐために、1815年にキリスト教的友愛による平和を提唱する神聖同盟を締結、さらに1818年にイギリスと敗戦国フランスを加えた五国同盟を締結してウィーン体制を確立した[12]

スペインではナポレオン軍の敗北によりジョゼフ・ボナパルトは追放され、スペイン・ブルボン復古王政フェルナンド7世が復位した。これに対して自由主義者リエゴが1820年にスペイン立憲革命を起こし、イタリアでもカルボナリ党がスペインを模倣してナポリ・ピエモンテで蜂起したが、革命の波及を恐れた五国同盟によって両者は鎮圧された[12]。他方で、1810年代から1820年代を通じてラテンアメリカ諸国が相次いでスペイン帝国からの独立を果たし、スペインは中南米植民地を失っていった。

1823年12月アメリカ合衆国モンロー大統領は、独立したラテンアメリカ諸国に対して神聖同盟諸国が干渉すること、および西半球におけるヨーロッパの植民地拡大へ反対すると表明した[13]。さらに、1824年ペルー、1825年ボリビア(アルト・ペルー)が独立した。

また、1821年にはオスマン帝国からの独立を目指してギリシャ独立戦争が始まっている。露土戦争で連合軍に敗北したオスマン帝国は1832年ギリシャ独立を認め、列強はバイエルン王子オットーをギリシャ王オソン1世とするギリシャ王国を樹立した。

1830年フランス7月革命に対抗してロシア、オーストリア、プロイセンが1832年10月に旧秩序維持を再確認したが、革命干渉を忌避したイギリスとフランスは真摯協商を結んだことでウィーン体制は分裂し、さらに各国での1848年革命によってウィーン体制は崩壊した[12]

20世紀

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1929年世界恐慌によって寡頭支配勢力の弱体化が起こり、ラテンアメリカ諸国は新しい政治・経済秩序を模索し始めた。民主化の波に飲み込まれ、それまで無視されてきた大衆と呼ばれる人々が政治に大きな影響を与え始めるようになっていった。

ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体

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2011年11月24日、中南米各国で学生による「教育のための行進」が行われた。この行進はチリ大学生連合とコロンビアの全国学生拡大会議が呼びかけたもので、ウルグアイ、アルゼンチン、ブラジル、エルサルバドル、パラグアイなどでもデモや集会が行われた[14]。直後の12月2日、植民地を除く全33ヶ国により、従前のラ米・カリブ首脳会議を発展させた「ラテンアメリカ・カリブ諸国共同体」が結成された。

他地域との関係

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日本との関係

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日本の海外直接投資総額の比率は1995年時点で12.6%となっている[15]。また、日本の総貿易額におけるラテンアメリカの比重は1997年時点で4.7%となっている[15]。内容は主としてラテンアメリカ諸国の天然資源を輸入し、日本から製造業製品を輸出するというものが多い。

人的視点からは、第二次世界大戦以前1893年グアテマラへの移民をはじめとして、榎本武揚の提唱により1897年メキシコへ渡り、アカコヤグアに入植した「榎本移民」[16]をきっかけにラテンアメリカへの組織的移住が始まり[17]、その後、ブラジルペルーアルゼンチンボリビアパラグアイ[18][19][20]ウルグアイ[18][19][20]チリへの移民も盛んに行われた。第二次世界大戦後には、1956年ボリビアと移住協定を締結し、1959年パラグアイと移住協定を締結し、1963年にアルゼンチンと移住協定を締結し、1963年にブラジルと移住・植民協定を締結するなどラテンアメリカに移民を送り出した。その為、世界に散らばる日系人のうち、3分の2はラテンアメリカに集中している[21]。1959年にパラグアイと締結された日本の国策による移住協定は、1989年に効力が無期限延長に改定され、85,000人の日本人が受け入れ可能となっている[22]

文化的視点からは、アジア以外で初めて平等条約を締結したメキシコ修好通商条約100周年であった1988年を皮切りに、1997年チリ修好通商条約100周年、メキシコ移民100周年、1998年アルゼンチン修好通商条約100周年、1999年ペルー移民100周年など各国の記念行事が相次ぎ、それを契機に要人や文化人の相互訪問が活発となった[15]

ラテンアメリカに対する政府開発援助(ODA)は全体の10%程度で推移し、特に国民所得の低い中米諸国や、日系移民の多いブラジルペルーボリビアパラグアイなどへの資金協力や技術協力が目立つ。また、エルサルバドルハイチペルーなどへの政治目的を持った援助や、環境問題改善や麻薬対策といった地球的問題への取り組みも近年では増えてきている[15]

統計

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国連『世界人口年鑑』(1996)によるラテンアメリカの人口推移。

地域1950年1960年1970年1980年1985年1990年1995年1996年
南アメリカ11,200万人14,700万人19,100万人24,000万人26,700万人29,300万人31,700万人32,200万人
中央アメリカ3,700万人4,900万人6,700万人9,000万人10,000万人11,200万人12,300万人12,600万人
カリブ海地域1,700万人2,000万人2,500万人2,900万人3,100万人3,400万人3,600万人3,600万人
合計16,600万人21,700万人28,400万人35,900万人39,800万人43,800万人47,700万人48,400万人

社会

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→詳細は「ラテンアメリカの社会」を参照

人類学者ミッシェル・D・オリアンは、ラテンアメリカの社会を文化的生活面での共通項に着目し、インディオ社会メスティーソ社会アフロ・アメリカ社会ヨーロッパ的アメリカ社会移民社会の5つの社会に分類している[23]

これらは国あるいは地域によって独自性が認められつつもいくつかの点で共通した社会を形成しており、お互いに干渉しあいながら今日の複雑なラテンアメリカ社会を構成している。

植民地時代以来、ラテンアメリカは、ほとんどのヨーロッパ諸国だけでなく、日本を含む多くのアフリカ人やアジア人からも、世界中からの移民の中心であり、民族的に日本はラテンアメリカとより関連しています. ヨーロッパやアメリカよりも。 人種の混合は、ラテンアメリカ地域の建設において非常に重要であったため、この地域には大きな民族グループはなく、多くのラテンアメリカ人は主にヨーロッパ人または先住民 (ラテンアメリカインディアン) に由来します。 世界最大の日系人口を抱えるペルーとブラジルは、事実上の「日本の兄弟」と言えます。

人種

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→詳細は「ラテンアメリカ人」を参照

宗教

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ラテンアメリカの宗教構成

宗教全人口キリスト教イスラム教先住民宗教ユダヤ教ヒンドゥー教仏教新宗教聖霊崇拝無神論
 1900年6,500万人6,200万人5万人220万人2万人10万人0.5万人020万人40万人
 2000年51,900万人48,100万人150万人120万人100万人70万人60万人50万人1,200万人1,870万人
増減率(%)+698.5+675.8+2,900-45.5+5400+600+11,900--+5,900+4,575

ラテンアメリカにおけるキリスト教諸派構成

宗教カトリックプロテスタント英国国教会東方正教会独立教会少数派福音派ペンテコステ二重信仰者
 1900年5,900万人90万人70万人70万人3万人0.3万人70万人1万人30万人
 2000年46,100万人4,600万人100万人50万人3,900万人600万人4,030万人1,100万人8,000万人
増減率(%)+681.4+5011.1-42.9-28.6+129,900+199,900+5,657.1+109,900+2,6566.7

(出典:Franz Damen,Bolivia/Belgica、2006「世界とラテンアメリカの宗教概観」(原稔. "ラテンアメリカの宗教変遷グロバリゼーションによる 40 年間の宗教勢力変化." 東洋哲学研究所紀要 22 (2006): 59-80.))

文化

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→詳細は「ラテンアメリカの文化英語版」を参照
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文学

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→詳細は「ラテンアメリカ文学」を参照
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音楽

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→詳細は「ラテン音楽」を参照
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美術

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→詳細は「ラテンアメリカの美術英語版」を参照
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映画

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→詳細は「ラテンアメリカの映画英語版」を参照
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脚注

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[脚注の使い方]

注釈

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  1. ^ブラジルハイチ及びスペイン語圏の18の国を指す。ただし、プエルトリコはその文化的背景からラテンアメリカに準ずるものとして扱う場合があった。
  2. ^アルゼンチンと係争中

出典

[編集]
  1. ^田中1997、p.1
  2. ^大貫1987、p.473
  3. ^田中1997、p.21
  4. ^abc田中1997、p.25
  5. ^田中1997、p.26
  6. ^ab田中1997、p.27
  7. ^abcd田中1997、p.28
  8. ^大貫1987、pp.550-555
  9. ^田中1997、p.48
  10. ^田中1997、p.49
  11. ^ドイツ史 2,p.221.
  12. ^abcd百瀬宏「ウィーン体制」「五国同盟」,石井摩耶子「アンタント・コルディアル」(真摯協商)、岡崎勝世「神聖同盟」、日本大百科全書(ニッポニカ)小学館。
  13. ^モンロー主義」世界大百科事典
  14. ^公教育守れ 中南米一斉デモ チリ、コロンビアの学生呼びかけ 数万人規模しんぶん赤旗2011年11月26日
  15. ^abcd大貫1987、p.504
  16. ^“(世界発2018)メキシコの村、息づく日本 榎本武揚が提唱、121年前に入植”. 朝日新聞. (2018年2月13日). オリジナルの2021年8月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210823021050/https://www.asahi.com/articles/DA3S13356994.html?iref=pc_photo_gallery_bottom 
  17. ^“日本と中南米(エピソード集)~遠くて近いアミーゴの国々~”. 外務省. オリジナルの2021年2月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210224182949/https://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/kiroku/s_hashi/arc_96/nanbei/episode.html 
  18. ^ab“安倍首相、ウルグアイとパラグアイを訪問”. MBS. (2018年12月3日). オリジナルの2018年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181203163916/https://www.mbs.jp/news/zenkokunews/20181203/3539503.shtml {{cite news}}:|archive-date=|archive-url=の日付が異なります。(もしかして:2018年12月3日) (説明)
  19. ^ab“安倍首相、ウルグアイとパラグアイを訪問”. BSN. (2018年12月3日). オリジナルの2018年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181203164041/https://www.ohbsn.com/news/detail/jnnzenkoku20181203_3539503.php {{cite news}}:|archive-date=|archive-url=の日付が異なります。(もしかして:2018年12月3日) (説明)
  20. ^ab“安倍首相、ウルグアイとパラグアイを訪問”. TBS. (2018年12月3日). オリジナルの2018年12月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181203164350/https://news.myjcom.jp/video/story/3539503.html {{cite news}}:|archive-date=|archive-url=の日付が異なります。(もしかして:2018年12月3日) (説明)
  21. ^“Uruguay entra al radar de Japón”. エル・パイス英語版. (2018年2月25日). オリジナルの2018年2月25日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180225094255/https://www.elpais.com.uy/que-pasa/uruguay-entra-radar-japon.html 
  22. ^パラグアイ共和国(Republic of Paraguay) 基礎データ外務省、2020年11月25日。2021年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  23. ^大貫1987、p.482

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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※オランダ・フランス領のうち、海外領土に含まれていない地域は、行政区分上、本国領土の一部に属している地域である。
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