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ヤンマーホールディングス株式会社Yanmar Holdings Co., Ltd. YANMAR FLYING-Y BUILDING(大阪市北区茶屋町)
種類 株式会社 市場情報 非上場 略称 ヤンマー、ヤンマーHD、YHD 本社所在地 日本 〒 530-8311大阪市 北区 茶屋町 1番32号 (YANMAR FLYING-Y BUILDING)設立 2013年 (平成25年)4月1日 ※1業種 機械 法人番号 7120001176440 事業内容 グループ会社の管理・経営支援 代表者 代表取締役 社長 兼CEO 山岡健人 代表取締役兼COO 山本哲也 資本金 9000万円(HD本体) 63億円(ヤンマー) 売上高 連結:1兆222億8,300万円 (2023年度3月期)[ 1] 営業利益 連結:481億1,000万円 (2023年度3月期)[ 1] 経常利益 連結:618億3,000万円 (2023年度3月期)[ 1] 純利益 連結:419億9,200万円 (2023年度3月期)[ 1] 純資産 連結:3,273億2,000万円 (2023年度3月期)[ 1] 総資産 連結:9,563億7,000万円 (2023年度3月期)[ 1] 従業員数 連結:20,958人 (2023年3月31日現在)[ 2] 決算期 3月31日 主要子会社 下記参照 関係する人物 山岡孫吉 (創業者)山岡淳男 (孫吉の息子、先代社長)奥山清行 (元社外取締役)外部リンク https://www.yanmar.com/jp/ 特記事項:※1:持株会社は株式移転で2013年に新設された。事業会社のヤンマー株式会社(設立時は山岡発動機工作所)の設立は、1912年 (明治 45年)3月。 テンプレートを表示
建替工事前のヤンマー本社(現・ヤンマーホールディングス本社)ビル ヤンマー東京ビル建替後のYANMAR TOKYO (東京都 中央区 八重洲 ) ヤンマー (英称:YANMAR)は、日本の発動機 (エンジン 。汎用 、産業 用を含む)ならびに農機 、建機 、小型船舶 の製造・販売を行う大手企業グループ、およびそのブランド である。本社所在地は大阪府 大阪市 北区 茶屋町 。
2013年 4月1日 よりヤンマーホールディングス株式会社 (Yanmar Holdings Co., Ltd. )を中心とした持株会社 制に移行。なお、日本の大手農業機械メーカーでは最初に持株会社制に移行したメーカーでもある。本項ではこれについても記述する。
2019年 現在のコーポレート・スローガン は「A SUSTAINABLE FUTURE -テクノロジーで、新しい豊かさへ。- 」(2016年 制定)。
2022年 創業110周年。
創業者の山岡孫吉 により、1907年 (明治 40年)、天満堀川 に架かっていた寺町橋の東詰、大阪府 大阪市 北区 綿屋町14番地(現・末広町 )の長屋で、山岡瓦斯商会を開業。当初は工場用ガスエンジン の転売・改造を取り扱うブローカー であった。第一次世界大戦 後、1920年からは農業用に適する石油発動機 の自社製造に着手し、メーカー としての道を本格的に歩み始める。
商標 「ヤンマー」(のち社名ともなる)は、当初、豊作のシンボルであるトンボ 印で新聞広告を行っていた[ 注 1] が、すでに静岡県 の醤油 機械メーカーが商標権を取得していたため、代案として大型のトンボ、オニヤンマ にちなんで命名されたものである[ 3] 。創業者の姓の「山岡」に発音が近かったのも決め手となった[ 4] [ 5] 。
1933年 (昭和 8年)12月23日 には、石油発動機よりも経済的だが技術的ハードルの高かった、小型高速ディーゼルエンジン の自社開発に成功(「HB型」ディーゼルエンジン)[ 注 2] 。以降は中・高速型のディーゼルエンジンとこれを利用した工業製品 の生産で業績を伸長してきた。そのためか、同社が開発し製造したディーゼルエンジンは全般的に信頼性および耐久性が非常に高い事で知られており、創業当初から「ものづくり 精神」という概念を21世紀 の今日まで頑なに守り続けている。
業界における大手メーカーではあるが、競合するクボタ や井関農機 (以下ヰセキ)と異なり、2024年 (令和 6年)時点でも非上場 である。
マスコット キャラクター は、ヤン坊とマー坊で、1959年 (昭和34年)より同社イメージ・CMソング「ヤン坊・マー坊の歌」や、かつて日中 の夕方 や夜 に放送 されていた天気予報番組「ヤン坊マー坊天気予報 」(冠番組 )のタイトルにも冠している[ 注 3] 。キャラクターデザインは繰り返し更新され、2024年に8度目のリニューアルが公開された[ 6] 。
2016年 (平成 28年)3月1日、マリン 事業で国内一強のヤマハ発動機 に対抗するため、トヨタ自動車 とプレジャーボート 分野において業務提携することを基本合意したと発表する[ 7] [ 8] 。
旧大和銀行 (現りそな銀行 )の主要取引先企業によって結成された大輪会 の会員企業である[ 9] 。
建て替え前のヤンマー東京支社 1912年 (明治 45年)3月 - 大阪府大阪市北区北野西之町(現・茶屋町 )にて山岡発動機工作所 として創業。1921年 (大正 10年) - 「ヤンマー」の商標誕生。1931年 (昭和 6年) -株式会社山岡発動機工作所 設立。1936年 (昭和11年) -山岡内燃機株式会社 設立。これと同時に尼崎 工場を建設。1937年 (昭和12年) - 国産初の農業用乗用型トラクターを製造・発売[ 10] 。1940年 (昭和15年) - 山岡内燃機が山岡発動機工作所を合併する。1942年 (昭和17年) - 長浜工場を建設。1947年 (昭和22年) - 小型漁船 をディーゼル化。1952年 (昭和27年) - 社名をヤンマーディーゼル株式会社 に変更する。1955年 (昭和30年) -ドイツ 発明協会から「ディーゼル金賞牌」を受賞。1957年 (昭和32年) -西ドイツ から「ドイツ大功労十字章」を授与。ブラジル に現地法人を設立。また、自社開発の農機用半水冷 265 cc単気筒 OHV ディーゼルエンジン「ヤンマーエース T65型」を搭載したキャブオーバー トラックの試作車 「ヤンマーKT型トラック」を発表[ 11] 。1958年 (昭和33年)10月 - 「KT型トラック」をベースに市販化した軽トラック の初代「ポニー(KT3/KTS型)」を発表・発売。量産型の軽自動車 としては史上初のディーゼルエンジン搭載市販車となるが、エンジンの出力(実用回転数 )があまりにも低すぎるため短命に終わり、後述する2代目「ポニー」へ発展することとなる。総生産台数は330台。1960年 (昭和35年)10月 - 初代「ポニー」の全面改良型となる強制空冷 V型2気筒 358 ccのOHVディーゼルエンジン「2A2型」を搭載した2代目「ポニー(KYT型)」を発表・発売[ 12] 。こちらもエンジンの出力が依然として低すぎるため結局短命に終わり、1962年(昭和37年)5月に販売を終了。総生産台数は650台。1961年 (昭和36年) - ヤンマー農機株式会社を設立。農業機械 の生産を開始。同年、「藤井製作所(岡山)」「協和農機(高知)」「竹下鉄工(福岡)」の3社(後の「セイレイ工業株式会社」)と業務提携。1962年 (昭和37年) -ロータリーエンジン の試作・試運転に成功。シンガポール にサービス拠点を設立。創始者の山岡孫吉が逝去。山岡康人が社長に就任する。1963年 (昭和38年) - 山岡康人が急逝。山岡淳男が3代目社長に就任。1966年 (昭和41年) -タイ にサービス拠点を設立。小型建設機械の生産を開始。1967年 (昭和42年) -マレーシア に現地法人を設立。1968年 (昭和43年) - エンジン業界としては初のデミング賞 を受賞。1972年 (昭和47年) - ヤンマー造船株式会社とヤンマー産業株式会社を設立。インドネシア に現地法人を設立。またヤンマー農機が米国ジョンディア と業務提携。1976年 (昭和51年) -オランダ にサービス拠点を設立。1977年 (昭和52年) - 尼崎工場が国内初の日本海事協会より量産機器工場認定に指定される。1978年 (昭和53年) - タイに現地法人を設立。尼崎工場が「アメリカ船級協会」「ロイド船級協会」から生産機種認定工場の指定を受ける。1981年 (昭和56年) -アメリカ に現地法人を設立。1982年 (昭和57年) -ガスタービン の製造を開始。1983年 (昭和58年) - 世界最小の空冷 ディーゼルエンジン「L型」を開発。1987年 (昭和62年) - 世界初のディーゼル船外機 を開発。1988年 (昭和63年) - ガスエンジンヒートポンプ の生産を開始。「ヤンマーマリンファーム」を設立。1989年 (平成 元年) - オランダおよびシンガポールに現地法人を設立。フランス でアンマン社と合弁会社を設立。1990年 (平成2年) -生ゴミ 処理 ・水処理 装置等を開発し、環境分野へ本格参入。1991年 (平成3年) - ヤンマー農機が石川島芝浦機械株式会社(現・IHIアグリテック )と業務提携。1992年 (平成4年) - ディーゼルエンジンの生産が1000万台を突破。各生産事業所にてISO 9001 の認証を受ける。1993年 (平成5年) - ディーゼルエンジン用「ユニットインジェクター 」が全国発明表彰 受賞。上海 に駐在事務所を開設。1995年 (平成7年) -滋賀県 東浅井郡 びわ町 (現・長浜市 )にびわ工場を建設。イタリア のカジバ 社と合弁会社を設立。1997年 (平成9年) - 関連各工場で「ISO 14001」を取得。1998年 (平成10年) - 山岡淳男が勲二等瑞宝章 を受章。これに伴い山岡健人が4代目社長に就任し、淳男は会長に就任。中国江蘇省 無錫市 に「洋馬農機(中国)有限公司」を設立。1999年 (平成11年) -クールコンテナ 運用が環境大臣賞を受賞。7つの販売会社体制に移行する。2000年 (平成12年) - 滋賀県坂田郡 米原町 (現・米原市 )に中央研究所を開所。マイクロガスコージェネ およびミラーサイクル ガスコージェネが平成11年度省エネ大賞 を受賞。ヤンマーエネルギーシステム製造株式会社を設立。2002年 (平成14年) - 創業90周年を迎え、社名をヤンマー株式会社 に変更する。それに伴いヤンマーマリンインターナショナル、ヤンマー舶用システム株式会社およびヤンマー物流サービス株式会社を設立。2003年 (平成15年) - ヤンマーエネルギーシステム株式会社を設立。中国に洋馬発動機(上海)有限公司、山東時風洋馬発動機有限公司をそれぞれ設立。2004年 (平成16年) - 国内にヤンマー建機株式会社およびヤンマー建機販売株式会社を、タイにヤンマー農機タイランドをそれぞれ設立。2005年 (平成17年) -シンボルマーク (ブランドロゴマーク )を刷新。韓国 にヤンマー農機韓国株式会社を設立。2006年 (平成18年) - 立形汎用エンジンが生産累計500万台を達成。インド に駐在員事務所を開設。東近江木質バイオマス 発電共同研究における試験を開始。北米 でのトラクター 販売会社C.U.T. Supply Company LLCを設立。2007年 (平成19年) -1933年 (昭和8年)に製造および販売された同社初の汎用小型水冷横型ディーゼルエンジン(発動機)「HB型」が機械遺産 (8号)に認定。ヤンマー農機社長に阿部修司が就任。北米における農機事業会社YANMAR AGRICULTURAL MACHINERY AMERICA CORPを設立。これに伴い現地にて小型汎用トラクターの生産を開始。北米の関連会社を再編成する。2008年 (平成20年) - ヤンマー農機販売株式会社およびヤンマーグリーンシステム株式会社を設立。また、マレーシアのサバ州 にYanmar Kota kinabalu R&Dを開設。2009年 (平成21年)2月21日 - 子会社のヤンマー農機を吸収合併。これに伴いヤンマー農機は解散[ 13] 。2010年 (平成22年)4月 - コーポレート・スローガンとして「Solutioneering together 」を制定。2011年 (平成23年)2012年 (平成24年)2013年(平成25年)2月21日 - 滋賀県長浜市 三和町 に体験型テーマパーク 「ヤンマーミュージアム 」を開設。 4月1日 -株式移転 により純粋持株会社「ヤンマーホールディングス株式会社 」を新設し、持株会社制へ移行、その下に産業用エンジン・農業機械・建設機械・エネルギーシステムなどを主な事業内容とする事業会社を配置[ 17] [ 18] 。これに伴い工業デザイナーの奥山清行 が同日付で社外取締役に就任[ 19] 。農業機械製造子会社であるヤンマー農機製造が、セイレイ工業株式会社を合併。 7月8日 - 大手オフィス系PCソフトメーカーのソリマチ と業務提携[ 20] 。7月25日 - 奥山清行のデザインによる農業用トラクターのコンセプトモデル「YT01」を公開[ 21] [ 22] 。また、これと同時に佐藤可士和 のデザインによる新シンボルマーク(ブランドロゴマーク)を発表[ 23] 。12月 - 汎用空冷単気筒ガソリンエンジン「GA」シリーズ が製造終了。事実上、ガソリンエンジンの自社開発・製造から完全撤退することとなった。 2013年7月26日に制定された佐藤可士和のデザインによるヤンマーの新シンボルマーク 2014年 (平成26年)1月1日 - ヤンマー農機販売およびホクトヤンマーの農業機械事業を、新会社・ヤンマーアグリジャパン株式会社に移管。2月20日 - 大阪市の長居陸上競技場 及び長居第2陸上競技場 の命名権 を取得。同年3月1日より前者は「ヤンマースタジアム長居」、後者は「ヤンマーフィールド長居」の呼称を使用する[ 24] 。ただし、FIFA(国際サッカー連盟 )主催サッカー国際試合では命名権行使が禁止されているため、国際試合開催時は正式名称に戻される。4月1日 -身体障害者 や社会的弱者 と呼ばれる方々の雇用・採用を目的とする新会社・ヤンマーシンビオシス株式会社を設立。 12月 - 本社を、新築した「ヤンマー・フライング−Y・ビルディング」に移転[ 25] 。 2016年(平成28年) 2017年 (平成29年)12月 - 東京八重洲のヤンマービル建て替えに伴い、2022年 (令和4年)夏頃までの予定で東京支社を秋葉原UDX へ移転[ 26] 。2018年(平成30年)3月1日 - ヤンマーの傘下にあるヤンマー建機およびヤンマーエネルギーシステムを、現物配当により持株会社であるヤンマーHDの100%子会社として移管。これに伴いヤンマー株式会社コンパクトエクイップメント事業本部、同エネルギーシステム事業本部を各事業会社に移管。 4月2日 - 会社新設分割により、ヤンマー株式会社のアグリ事業本部を、持株会社であるヤンマーHDの100%子会社として、新会社ヤンマーアグリ株式会社を設立。 2019年(令和 元年)9月5日 - 同社のマスコットキャラクター「ヤン坊マー坊」の意匠を誕生60周年の節目に刷新[ 27] 。 2020年 (令和2年)4月1日 - ヤンマーを3社に分割する組織再編が行われた(後述)[ 28] 。2021年 (令和3年)3月1日 - 農業関連事業中核会社のヤンマーアグリと、農業機械製造子会社のヤンマー農機製造の2社を統合。 3月31日 - 100%子会社であるヤンマークレジットサービスの株式の60%を、三井住友ファイナンス&リース に譲渡することに基本合意し、株式譲渡契約を締結。株式の譲渡は2021年7月1日[ 29] 。 2022年 (令和4年)2023年 (令和5年)乗用自脱式コンバイン 「カルテット CA315」(3条刈。2012年現在絶版)ヤンマートラクターの原型 「YM-2000」 (1975年 -1977年 頃のモデル) トラクター 「エコトラジャスティ EG222」(2017年現在絶版) トラクター「YT5113A」 (画像は日本国外向けロボットトラクター仕様モデル) 主にディーゼルエンジン を得意とする[ 注 4] 企業で、汎用を含む産業用・農業機械用・小型漁船用等のエンジンを製作している。最近では農業機械向けのディーゼルエンジンとして機械式ガバナ の代わりに電子制御式ガバナを採用し、ボタンひとつで2つのエンジン特性を選択する事が可能で、高効率・省燃費で且つ環境性・低エミッション 性に優れる「エコディーゼル」シリーズが有名。
1996年 (平成8年)に「エコディーゼル」が同社のトラクター 「RS」シリーズ[ 注 5] 、「AF」シリーズ[ 注 6] [ 注 7] [ 注 8] 、「US」シリーズ[ 注 9] の一部に先行搭載された[ 注 10] 。「エコディーゼル」は後に同社の一部のコンバイン [ 注 11] や乗用型10条植田植機「GP10」[ 注 12] にも搭載された。
農業 コンセプトトラクター YT01 (ショーモデル) ヰセキ同様、新機種開発時に農業機械としてはかなり革新的な技術を導入する事が多く[ 注 13] 、同社で初めて乗用型トラクターを開発したのは先述の通り 1937年頃と、国内大手の農業機械メーカーとしては非常に早かった。 トラクター 、コンバイン 、田植機 [ 注 14] などの農業機械は連結子会社のヤンマー農機が販売していたが2009年2月21日以降よりヤンマーが販売する事となった。クボタや前述のヰセキと並び、大手農業機械 メーカーのトップブランドの一つである。2018年現在IHIアグリテック および米国ジョンディア [ 注 15] と業務提携中である[ 注 16] [ 注 17] 。なお農業機械の製造に関しては、ヤンマーグループの構成企業の1つであるヤンマーアグリ 株式会社が主に行っている。なお、農業機械の生産高はクボタに次いで2024年 (令和6年)現在、日本第2位となっている。 農業機械のみならず、カントリーエレベーター など穀物 の貯蔵と管理の省力・自動化設備、苗の育成や果実 選別の自動化設備、バイオマスエネルギー ボイラー 、堆肥 生産装置などの周辺事業も展開している。 農薬散布向けなどの産業用無人ヘリコプター については、ヤマハ発動機 との提携により、同社の無人ヘリコプター「RMAX 」シリーズのOEM供給を受け、ヤンマー「AYH-3」として販売している。2015年 1月からはOEM供給機種が同社の新型モデル「FAZER 」シリーズとなり、ヤンマーとしての機種名も「YF390」となった。子会社のヤンマーヘリ&アグリ株式会社は、製品の販売のほか、無人ヘリコプターを用いて農薬散布・種籾直播などの作業を農業者から受託する事業も展開している。 建設 建設機械 の分野では、小型油圧ショベル や小型ホイルローダー などを得意とする。発電 溶接 機 - 他社に多くのディーゼルエンジンを供給している。自社製品及びグループ企業であるヤンマー建機の発電溶接機にも自社開発エンジンを搭載している数少ないメーカーである。マリン ・海洋 航海カヌー 「ホクレア」の伴走船カマ・ヘレに搭載された6LP-DTP型ディーゼルエンジン 漁船 、プレジャーボート 、商船 の主機関[ 注 18] 及び補機(発電機、ポンプ )の原動機用ディーゼル機関、圧縮機 まで、文字通り小型から大型まで幅広く生産、販売しており、練習船海王丸 の主機関にも、Z280-ST形が採用されている。また、舟艇体 そのものも製作・販売している[ 注 19] ほか、2006年 (平成18年)11月には初のプレミアムブランドとなるアズール を立ち上げた。周辺事業では、養殖 関連、浮桟橋 、ビーチクリーナー(砂浜 清掃車)などの生産・販売も行っている。 その他 近年は、産業用の自家発電 用発動発電機や小型〜中型の除雪機 の生産・販売[ 注 20] を行っている。 かつてヤンマーはロータリーエンジンのチェーンソー や船外機 を開発し、その開発直後に販売した事がある[ 注 21] 。 かつては鉄道 輸送 用クールコンテナ のリース 並びにレンタル を行っていたが、長期リース中のものを除き、2009年 (平成21年)にクールコンテナ事業から撤退している。 スマートアシスト 「製品一台ごとに異なる稼働状態」の情報を把握し、顧客と共有するアフターサービス体制をとっており、これをスマートアシスト (Smart Assist) と称している[ 34] 。 YANMAR FLYING-Y BUILDING設計 は日建設計 、施工 は竹中工務店 。2014年 9月竣工。最上階まで達する大きな壁面緑化は緑に覆われた「大地」を、風を受ける帆 をイメージした全体の外観は「海」を表現する[ 35] 。筒状のアルミ ルーバー材に人工土壌を不織布 で包んだ新開発の植栽ユニットにより、建築外装材と壁面緑化の一体化と内部からも楽しめる壁面緑化が施されている。その技術面が評価され、第36回大阪都市景観建築賞 奨励賞を受賞[ 36] 。1階から4階までは商業施設となっており、ユニクロ の国内3店目となるグローバル旗艦店「UNIQLO OSAKA」が2014年10月31日に開店した[ 37] 。 第39回 2019年度 第38回 2018年度 第37回 2017年度 第36回 2016年度 第35回 2015年度 個人宅は未掲載 -30~34回 -35~39回 -40~44回
YANMAR TOKYO 東京にあるヤンマー東京ビルを建て替え、2022年9月竣工、2023年1月13日グランドオープン[ 38] [ 30] 。クリエイティブディレクターである佐藤可士和 のプロデュースで、「HANASAKA」をコンセプトに、ヤンマーらしさの象徴である「HANASAKA」を発信する拠点としての役割を果たす。地下1階レベルでJR東京駅 、東京ミッドタウン八重洲 、ヤエチカ と直結する。3階より上のオフィスフロアは、ヤンマーグループ、ヤエチカの運営会社である八重洲地下街 等の企業オフィスが入り、1階にはサステナブルな「お米」と「農業」の未来について考えるきっかけを提供する体験型コンテンツ「ヤンマー米ギャラリー」、2階には楽しみながらお米や食の魅力を体感できる複合店舗「YANMAR MARCHÉ TOKYO(ヤンマーマルシェトーキョー)」、地下1階にはイベントスペース「HANASAKA SQUARE」が設けられる。 吉幾三 -1970年代 にロータリーエンジンを搭載したモーターボート のCMに出演。CMソングも吉が歌った(当時の芸名は山岡英二)。フランキー堺 -1976年 (昭和51年)~1980年 (昭和55年)にコンバイン(のちの後述する「カルテット」シリーズ)のCMに出演。伴淳三郎 - 前述のフランキー堺とコンバインのCMで共演した。浅茅陽子 -1977年 (昭和52年)〜1979年 (昭和54年)に田植機「伊吹」、および「いちばん苗」シリーズのCMに出演。小林旭 - 1977年〜1982年 (昭和57年)にトラクター「YMシリーズ」およびその後継の「フォルテ」シリーズのCMに出演。自身の歌うCMソング『赤いトラクター 』がヒットし、大きなイメージアップの原動力となった。また小林は同社の農機具のCM以外にもほぼ同年代に同社の建設機械および船舶のCMにも出演していた。ちなみに小林が1977年当時、同社のトラクターのCMに出演している時、ライバルのクボタ のトラクターのCMには橋幸夫 が、ヰセキ のトラクターのCMには加山雄三 がそれぞれ起用されていた。菊地陽子 -1983年 (昭和58年)頃、田植機「すこやか」シリーズおよびコンバイン「カルテット」シリーズのCMに出演。石田えり - 1989年〜1990年 (平成2年)にトラクター「スーパーフォルテ&USシリーズ 友情を大切にしようね」篇のCMに出演。1980年代 末期〜1990年代 初頭に象徴される農業機械のCMらしくないライトな感覚のCMが印象的だった。中島啓江 -1990年代 中期に乗用田植機「高速ニューすこやか」シリーズのCMに出演。森島寛晃 -1998年 (平成10年)にトラクター「エコトラ」のCMに出演。舞の海秀平 -1999年 (平成11年)〜2001年 (平成13年)に丸ハンドル(FDS:Fulltime Drive System)コンバイン「GCシリーズ」のCMに出演。その後スモールクラスのトラクター「Ke(ケー)シリーズ」のCMにも出演した。香川真司 - 2011年にCMに出演。緒形拳 ヤンマー尼崎工場 2020年4月1日付で、事業会社の「ヤンマー株式会社」を部門ごとに3社に分割している[ 28] 。
ヤンマーパワーテクノロジー株式会社 - エンジン部門。旧・ヤンマー株式会社。 ヤンマーグローバルCS株式会社 - ヤンマーグループの部品・アフターサービス統括部門[ 40] 。 ヤンマーグローバルエキスパート株式会社 - ヤンマーグループのコーポレート(人事、総務、経理、IT、調達機能等)部門。 株式会社神崎高級工機製作所 ヤンマーアグリ 株式会社ヤンマーヘリ&アグリ株式会社 ヤンマーグリーンシステム株式会社 ヤンマー建機株式会社(旧・竹下鉄工株式会社) ヤンマー舶用システム株式会社 ヤンマーキャステクノ株式会社 ヤンマーエンジニアリング株式会社 ヤンマーエネルギーシステム 株式会社ヤンマーアグリジャパン株式会社(旧・ヤンマー農機販売株式会社およびホクトヤンマー株式会社) ヤンマーシンビオシス株式会社 ヤンマー沖縄株式会社(主に沖縄県 を地盤とする) ヤンマーマルシェ株式会社 - 食ソリューションビジネス、リビング事業、直営レストラン(「ヤンマーマルシェ長居」「YANMAR MARCHÉ TOKYO」「海苔弁 八重八 by YANMAR MARCHÉ」「Premium Marché OSAKA」「Premium Marché BIWAKO」の運営 ヤンマーコーポレーション株式会社 - ヤンマーサンセットマリーナ(滋賀県守山市)などの運営。セレッソ大阪の運営会社「株式会社セレッソ大阪」の主要株主。旧・セイレイ興産株式会社(2024年7月商号変更)。滋賀観光株式会社 - 琵琶湖カントリー倶楽部(滋賀県栗東市)を運営。2010年にセイレイ興産に吸収合併。 ヤンマー保険サービス株式会社 - 2023年4月にセイレイ興産(現・ヤンマーコーポレーション)の保険代理店事業を分割し設立。 兵庫県 の食品メーカーであるイトメン が1962年頃にインスタントラーメン 商品に「ヤンマーラーメン」「やんまラーメン」「ヤンマーのざるそば」「ヤンマーの焼そば」等の名称を付けて発売を開始した[ 注 22] 。イトメンは販売に先立って1961年に麺類を対象として「ヤンマー」の商標 登録を出願した。これに対してヤンマー(当時はヤンマーディーゼル)はイトメンの商標出願後、特許庁 に異議を申し立てたが特許庁側は理由がないとして却下、1964年にイトメンによる「ヤンマー」の商標が登録された。このため、ヤンマーは消費者が混同して営業上の利益を害されるおそれがあることを理由に、「ヤンマー」の語の表示差し止めの仮処分 を求め、1965年に神戸地方裁判所 姫路支部に提訴した。神戸地裁姫路支部は1968年2月、ヤンマー側の名称が広く認識されている事実と商標の類似は認めたが、業態として競争関係になく、消費者が混同するおそれはないとしてヤンマー側の訴えを退けた。ヤンマーはこれを不服として大阪高等裁判所 に控訴したが、ここでも同様の判断が示され、1972年2月にヤンマーの敗訴が確定した。なお、イトメンはその後「ヤンマー」の名称の使用を取りやめている。
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2005年(平成17年)2月と2006年(平成18年)2月から同社のびわ工場で勤務していた派遣労働者 の男性2人が、1年の派遣契約を超えた状態で派遣労働が続いたことから、2008年(平成20年)2月にこの旨を滋賀労働局 に申告し、同労働局は同社に対し是正勧告を実施した。しかしこれを受け同社は、これら2人の派遣労働者を、同年9月から5ヵ月間の期限付きでの直接雇用に切り替え、翌2009年(平成21年)2月に契約が終了したとして解雇した。これについて、この2人の派遣労働者は、解雇は違法だとして、同年3月12日 に、正社員としての地位確認を求める訴えを大阪地裁 に起こし、2009年現在係争中[ 41] 。
2008年(平成20年)3月 期までの2年間に亘り約3億円の申告漏れ があったことを、2009年(平成21年)9月 に大阪国税局 の税務調査で指摘されたことが判明した。このうち約2億円については、仮装や隠蔽(海外子会社 との業務委託 契約の委託費として計上したが、実体が無いとされた)など意図的な所得隠しと認定され、約1億数千万円を追徴 課税された[ 42] 。また、同社は2012年(平成24年)2月にも、海外子会社への農業機械の販売を巡り、「実質的な資金援助に乗当たる」と判断され、同国税局から2010年3月期までの3年間で約1億2,000万円の所得隠しを指摘され[ 43] 、このほか、2015年(平成27年)8月にも、大阪国税局の税務調査を受け、2014年3月期までの3年間で、製造工場の設備修繕費を巡り、約1億円の所得隠しを指摘された。なお、ヤンマーホールディングスによると、経理ミスなどの申告漏れ総額は約19億円で同社は重加算税を含む追徴税額約8億円を全額納付した。関係者によると、同社は、滋賀県内の製造工場の設備の修理用部品を修繕費として計上したが、同国税局は「貯蔵品として資産に計上すべきで、費用には当たらない」と認定し意図的に経費を水増しして所得を圧縮していたと判断したとみられる[ 44] 。
2007年(平成19年)2月から2010年(平成22年)1月 にかけて販売したコンバイン約1,347台に、石綿 (労働安全衛生法 により使用が禁止されている)を使用した部品が含まれていたとして、大阪労働局 が2010年5月6日 に回収を指示した[ 45] 。
過去には1958年 (昭和33年)に最高出力4.6psの農機用単気筒 249ccディーゼルエンジンを搭載したキャブオーバー 型軽トラック の試作車「KT型」を発表し、更に2年後の1960年 (昭和35年)には、空冷 V型2気筒358ccのディーゼルエンジン「2A2形」を搭載したキャブオーバー型軽トラック「ポニー(KTY型)」[ 12] を開発して市販に至ったが、低排気量ディーゼルエンジンの宿命で最高出力が9ps/3600rpmと、同排気量のガソリンエンジンを搭載したライバル車とは比べようもないほど低く、販売台数が振るわず僅か2年足らずで撤退している[ 注 23] 。
2014年3月31日まで放送されていた「ヤン坊マー坊天気予報」以外のスポットCM は流されていない。このため、全国ネットでの提供番組は上記の「ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメント 」とスペシャル番組のみとなっている。ただし、2012年に関しては創業100周年にあたり、一部の地域ではスポットCMを流しており、2017年時点でも時折流している。 ^ 1950年代以前、石油発動機や焼玉発動機 などの小型内燃機関は、脱穀機 駆動などの農業 用動力として用いられることが多かった。 ^ ただしその構造上の最重要パーツとなる燃料噴射ポンプとノズルについてはヤンマーのオリジナルでなく、ドイツのデッケル社のシステムの技術導入・国産化によるものであることが、同時代の農林省技師である小林正一郎らの著書(小林正一郎・鈴木徳蔵『農工用小型発動機』1936年)中で指摘されている(坂上茂樹「発動機製造”超ヂーゼル機関”について(2)」『LEMA』No.513 日本陸用内燃機関協会 p51-p56)。 ^ ヤンマーの無人精米機 を古くから設置している所にも「ヤン坊マー坊精米所」という名称が付けられている。 ^ 特に産業用や農業機械用のディーゼルエンジンとしては非常に高い技術力を持つ。 ^ 最低地上高 を標準機よりある程度高くとった稲作 農家向けの小型トラクターとして、シバウラ(当時。のちにIHIシバウラを経て、現・IHIアグリテック )との業務提携直後に同社と共同開発した機種。シバウラ側の技術が随所に盛り込まれていた。2001年 (平成13年)に製造および販売終了。^ 同社のトラクターの基幹シリーズで、2011年現在は絶版。後継は2002年 (平成14年)に販売が開始された「EF」シリーズおよび2006年 (平成18年)に販売が開始された「EG」シリーズ。2011年6月現在、既存の「EF」シリーズ(「EF100」シリーズおよび「EF800」シリーズ)も併売されているが、将来的には「EG」シリーズに統一される見込み。 ^ ただし「EG300(標準スピード・26馬力〜34馬力)/300J(ハイスピード・26馬力〜34馬力)」シリーズ(2011年(平成23年)6月現在)以上の上位シリーズからエコディーゼルが標準で搭載される。 ^ なお「EG200(20馬力〜30馬力)」シリーズおよび「EF100(16馬力〜22馬力)」シリーズといった下位シリーズには「エコトラジャスティ」のブランド名が付くものの、こちらはエコディーゼルは非搭載(2011年6月現在)。 ^ 2001年発売の「US300(24馬力~34馬力)」シリーズ以降からは「エコディーゼル」が標準で搭載。2012年現在全て絶版。 ^ 2012年現在「エコディーゼル」が搭載されたトラクターには、冠名として一部の中型以下のホイールトラクター、および一部のフルクローラ トラクターには「エコトラ」のブランド名が付き、一部の大型のホイールトラクターには「エコトラプレミアム」のブランド名が付く。 ^ 当初のブランド名は「エココンバイン」シリーズだったが後に「アスリート」シリーズに改名。2012年 (平成24年)現在では「アスリートプロ」シリーズ以上の上位シリーズから「エコディーゼル」が搭載される。なお「アスリートジャスティ」シリーズ以下の下位シリーズには「エコディーゼル」が搭載されない。 ^ 1999年 (平成11年)発売。「エコディーゼル」は基本的に直噴式燃焼室を用いたディーゼルエンジンが採用されるが、例外として田植機用に限り、唯一過流室式燃焼室を用いたディーゼルエンジンが採用されていた。2005年 (平成17年)に製造および販売終了。のちに10条はヰセキからのOEMとなり、2014年4月に販売終了。ただし、2024年現在でもエコディーゼルではないが、5条/6条/7条/8条の各モデルに自社製のディーゼルエンジン搭載乗用型田植機がラインアップに存在する。^ 例として、前述の「エコディーゼル」の他に丸ハンドル (コンバイン用に限り一部航空機 風のハンドルも存在する)を用いたクローラ機構「FDS(Fulltime Drive System)」(2012年現在一部のコンバイン、フルクローラー式トラクター、フルクローラー式乗用管理機に採用)や、静油圧 +遊星歯車機構 による電子制御油圧機械式無段変速機 (I-HMT、2012年現在一部の乗用田植機、大型トラクター)など。 ^ 1993年 (平成5年)に乗用型の田植機(乗用6条植)で世界初の小型空冷 単気筒 ディーゼルエンジンを搭載した。^ ヤンマー農機は1972年 (昭和47年)に米国ジョンディア と業務提携を結んでおり、2011年現在も米国ジョンディア社の大型トラクター(ただし日本国内専売機種の「JD1520(ヤンマー「エコトラUS PRO US501」OEM 機種)」と「JD1620(ヤンマー「エコトラUS PRO US601」OEM機種)」は除く。この2機種に限り日本国内で製造されている)および自走式大型フォーレージハーベスタ(汎用コンバインの一種)等の農業機械の輸入販売を行っている。 ^ かつてはシバウラ自身も自社開発のオリジナルのトラクターや管理機 などを製造、販売していたが1991年 (平成3年)に前述のとおり業務提携し、その後シバウラブランドは段階的に農業機械の分野から撤退する。 ^ 2018年現在、IHIアグリテックはヤンマーのトラクターの委託製造を一部担当している(主に20馬力以上40馬力以下の小型トラクターが中心)。 ^ 船外機 、船内外機 、船内機 、電気推進システム の全てを生産・販売している。^ 最近ではヤマハ発動機 とフィッシングボート「FZ30」(2006年 (平成18年)4月発売)を、スズキマリン と23フィート型センターコンソーラーフィッシングボート「トップランJ・EF23B」(2008年 (平成20年)5月発売)を、それぞれ共同開発している。 ^ ヤンマーらしく、一部の小型の除雪機に小型の空冷・単気筒ディーゼルエンジンを搭載している。ただし、中型の除雪機はエンジンを除き、すべて和同産業(WADOブランド)製のOEM機種となる。 ^ 1970年代 初頭に開発、そして販売してみたものの、当時購入したユーザーからは「振動は少ないものの、2サイクルエンジン のチェーンソーよりトルク が細く、粘り強さに欠ける」という意見が多かったため、短期間で販売が打ち切られた。その後、このロータリーエンジンはヤマハ の試作型 オートバイ 「RZ201」に搭載されたが、ちょうど第1次オイルショック と重なり、製品化に至らなかった。^ こちらもトンボの種類である「ヤンマ」が由来。 ^ 両者共に駆動形式は既存のスバル・サンバー 同様、リアエンジン・リアドライブ(RR)を用いており、2009年現在、日本の自動車史においてディーゼルエンジンを搭載して市販されたまったく類をみない軽自動車 だった。 ウィキメディア・コモンズには、
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