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フレッド・リン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フレッド・リン
Fred Lynn
2007年
基本情報
国籍アメリカ合衆国の旗アメリカ合衆国
出身地イリノイ州シカゴ
生年月日 (1952-02-03)1952年2月3日(73歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション外野手中堅手
プロ入り1973年 MLBドラフト2巡目
初出場1974年9月5日
最終出場1990年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チームアメリカ合衆国の旗アメリカ合衆国
この表について
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

プロジェクト:野球選手  テンプレート

フレデリック・マイケル・リンFrederic Michael Lynn,1952年2月3日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の元プロ野球選手外野手)。左投左打。

経歴

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プロ入り前

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1970年MLBドラフト3巡目(全体60位)でニューヨーク・ヤンキースから指名を受けるが、契約せずに南カリフォルニア大学へ進学した。1972年には第1回日米大学野球選手権に出場している。第3戦で同選手権のMVPとなる山口高志から本塁打を放っており、敢闘賞を受賞した[1]

プロ入りとレッドソックス時代

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1973年MLBドラフト2巡目(全体41位)でボストン・レッドソックスから指名され、プロ入り。1974年9月5日ミルウォーキー・ブルワーズ戦でメジャーデビュー。9月15日の同カードでメジャー初安打を本塁打で飾るなど、打率.419・2本塁打を記録。

1975年は開幕メジャー入りを果たし、6月18日デトロイト・タイガース戦で3本塁打・1三塁打・1単打の計5安打を放ち10打点、リーグ記録の16塁打。前半戦で打率.342・16本塁打・71打点を記録し、オールスターゲームに初選出される。最終的にリーグ2位の打率.331・21本塁打・105打点、いずれもリーグトップの47二塁打・103得点・長打率.566・OPS.967の大活躍で、同じくルーキーでチームメイトのジム・ライスと共に「Gold Dust Twins」と呼ばれ、チームの地区優勝の原動力となる。ワールドシリーズ3連覇中のオークランド・アスレティックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.364を記録し、チームは3連勝で8年ぶりのリーグ優勝。シンシナティ・レッズとのワールドシリーズでは第6戦で先制の3点本塁打を放つなど活躍を見せるが、チームは3勝4敗で敗退し57年ぶりのワールドチャンピオンはならなかった。オフに史上初めてMVPルーキー・オブ・ザ・イヤーを同時受賞し(後に2001年イチローが2人目となる)、ゴールドグラブ賞も獲得した。1976年は打率.314を記録するが、本塁打は10と前年から半減した。1977年は故障で出遅れ、復帰後も調子が上がらず打率.260に終わる。1978年は前半戦で打率.331を記録。後半で調子を落としたが打率.298・22本塁打の成績。チームは一時ヤンキースに最大14ゲーム差を付けたが9月に逆転され、シーズン最終戦で同率に並んだもののワンゲームプレイオフで敗れて地区優勝を逃した。1979年は前半戦だけでそれまでの自己最多を位更新する24本塁打・75打点を記録するなど好調で、最終的にいずれもキャリアハイの打率.333・39本塁打・122打点・177安打・出塁率.423・長打率.637・OPS1.059を記録し、首位打者のタイトルを獲得。MVPの投票でも4位に入った。1980年5月13日ミネソタ・ツインズ戦でサイクル安打を達成するが、8月28日を最後に故障で離脱し、12本塁打・61打点に留まった。

エンゼルス時代

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少年時代を過ごした西海岸でのプレーを望んでいたリンは、1981年1月23日ジョー・ルディフランク・タナナジム・ドーシー英語版とのトレードで、スティーブ・レンコ英語版と共にカリフォルニア・エンゼルスへ移籍した。

1981年は50日間に及ぶストライキでシーズンが中断され、再開後は打率.131・0本塁打と極度の不振に陥り、打率.219・5本塁打とキャリアワーストの成績に終わった。1982年は打率.299・21本塁打・86打点と復活し、チームの3年ぶりの地区優勝に貢献。ブルワーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.611・1本塁打の大活躍。チームは2連勝後に3連敗を喫し後一歩でリーグ優勝を逃したが、活躍が評価されて史上初めて敗退チームからシリーズMVPに選出された。1983年は9年連続でオールスターに選出され、3回に史上初(現在でも唯一)の満塁本塁打を放ち、オールスターMVPを受賞。9月8日を最後に離脱するが、22本塁打を記録した。1984年オフにFAとなった。

オリオールズ時代

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1984年12月11日ボルチモア・オリオールズと契約した。

1985年は23本塁打・68打点を記録するがキャリアワーストの100三振。1986年は前半戦で打率.316を記録するが、後半戦で失速し打率.287・23本塁打・67打点。1987年は4年連続の23本塁打を記録。20本以上で同じ本塁打数が4年続いたのは1961年 -1964年ケン・ボイヤー以来で、現在でもこの2例のみ。

タイガース時代

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1988年8月31日クリス・ホイルス英語版後日発表選手のマイナー選手2名を含む3選手とのトレードで、地区優勝を争っていたタイガースへ移籍した。ポストシーズンの出場資格を得るには、同日中にチームに合流(滞在先へ移動)しなくてはならず、すぐに遠征先のアナハイムから飛行機に乗ってタイガースの遠征先シカゴに向かったが、飛行機が遅れて到着は9月1日の午前0時を過ぎていた。このため出場資格を失うが、メジャーリーグ選手会が「選手が合流しようと努力しているのに、資格を奪うのはやりすぎ」と訴え、当時のピーター・ユベロスコミッショナーが出場を許可したが、チームは9月に入って失速し、地区優勝を逃した[2]9月25日の古巣オリオールズ戦では9回に代打逆転満塁本塁打を放った。1989年9月4日カンザスシティ・ロイヤルズ戦でブレット・セイバーヘイゲンから通算300本塁打を記録するが、打率.241・11本塁打に終わる。オフにFAとなった。

パドレス時代

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1989年12月6日サンディエゴ・パドレスと契約した。

初のナショナルリーグでのキャリアとなった1990年は開幕戦で本塁打を放つが、その後は控えに回ることが多くなり、同年限りで現役引退。

故障がちなこともあり、1978年以外は150試合以上に出場したシーズンは一度もなかった。通算306本塁打は、中堅手としてはウィリー・メイズケン・グリフィー・ジュニアミッキー・マントルデューク・スナイダーデイル・マーフィージョー・ディマジオジム・エドモンズに次ぐ記録である。

MLBオールスターゲームでの通算本塁打は4本で、スタン・ミュージアル(6本)に次ぐ歴代単独2位。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1974BOS1551435182223010000162160.419.490.6981.188
19751456055281031754772129910510566621039011.331.401.566.967
19761325665077615932810237651490104821679.314.367.467.835
1977129564497811292951822276235851236314.260.327.447.774
1978150627541751613332226682364675111509.298.380.492.872
19791476225311161774213933812222058244799.333.423.6371.059
19801104784156712532312199611200558303910.301.383.480.862
1981CAL763022562856815813112143843427.219.322.316.639
198213854547289141381212448678575843729.299.374.517.891
1983117500437561192032221174220655102837.272.352.483.835
1984142600517841402842324579222277829714.271.366.474.840
1985BAL124508448591181212320168730653611007.263.339.449.787
1986112456397671141312319867220453125920.287.371.499.869
198711143839649100240231936037023961728.253.320.487.807
1988873343013776131181453722142810667.252.312.482.794
DET27989092010742190002501162.222.265.467.732
'88計1144323914696141251875622163311829.246.302.478.780
19891174063534485111111314611054711715.241.328.371.699
1990SD902231961847316702320132221441.240.315.357.672
MLB:17年1969792369251063196038843306335211117254258685777301116149.283.360.484.845
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

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表彰

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記録

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背番号

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  • 19(1974年 - 1980年、1982年 - 1988年途中)
  • 8(1981年、1990年)
  • 9(1988年途中 - 1989年)

代表歴

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脚注

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[脚注の使い方]
  1. ^第1回 日米大学野球選手権(2018年9月26日閲覧)
  2. ^福島良一『大リーグ物語』講談社〈講談社現代新書〉、1991年3月、107頁。ISBN 4061490435 

関連項目

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外部リンク

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業績
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
チャルマーズ賞
リーグ表彰
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代

※1957年のみ、両リーグ合同で選出。メイズはナショナルリーグ所属選手。

1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
球団
歴代本拠地
文化
永久欠番
レッドソックス球団殿堂
ワールドシリーズ優勝(09回)
ワールドシリーズ敗退(04回)
リーグ優勝(14回)
できごと
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