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フルクサス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フルクサスFluxus)は、1960年代から1970代にかけて発生した、芸術家、作曲家、デザイナー、詩人らによる前衛芸術運動(アート・ムーブメント英語版)である。リトアニア出身のデザイナーで建築家でもあったジョージ・マチューナスが提唱したと言われ、1960年代を代表する芸術運動としてネオダダと並び称された。

フルクサスとはラテン語で「流れる、変化する、下剤をかける」という意味を持つ。日本人では、靉嘔斉藤陽子久保田成子塩見允枝子などの美術家 、武満徹一柳慧小杉武久刀根康尚ヨシ・ワダなどの音楽家、音楽家で詩人の秋山邦晴らがフルクサスに参加した。オノ・ヨーコも、フルクサス・イベント参加者として参加した。

歴史

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フルクサスマニフェスト(1963年、ジョージ・マチューナス作)

フルクサスの始まりは、1962年9月に西ドイツヴィースバーデン市立美術館で開催された「フルクサス国際現代音楽祭」(全4回)とされている[1]。このコンサートはマチューナスによって企画され、アリソン・ノウルズ英語版ヴォルフ・フォステル英語版エメット・ウィリアムズ英語版ディック・ヒギンズ英語版ナム・ジュン・パイクベン・パターソン英語版らが出演した[2][3][4]

「フルクサス国際現代音楽祭」は評判を呼び、翌1963年にかけて、デンマークイギリスフランス・ドイツ・オランダの各都市を巡回した。そして各国の現代美術家たちの一部を刺激し、巻き込んでいった。

巡回中の1963年2月、マチューナスはフルクサスを「反芸術主義による芸術共同体」としてまとめあげようとマニフェストを書き上げたが、社会的・政治的領域までに踏み込んだ過激なアジテーション文に賛同する者はほとんどいなかった。ディック・ヒギンズは1991年のインタビューで、「フランスやドイツのダダイストのように分裂するのだけは避けよう」「イデオロギー的な線引きを厳密にし過ぎないにしよう」と参加者間で話し合って決めた結果だったと明かしている。

  • 特徴
  • 多国籍のグループである[注釈 1]
  • メンバーと非メンバーの区別があいまいである
  • 美術音楽舞踏など広い芸術ジャンルにまたがる
  • グループとしてのはっきりした主義主張を持たない

フルクサスは自分達の「イベント」を「ハプニング」と区別していた。「イベント」は、スコアに基づき、特定の行為を明確に行うもので、日常的な物を芸術の舞台に持ち込み、その垣根を壊し、日常に芸術的な物を持ち込ませるという反芸術的な意図を持っていた。

マチューナスは全てのコンサートが終了した後、ニューヨークキャナル・ストリートに居を構え、猛烈な勢いとあふれんばかりの情熱でフルクサスを芸術グループとして組織していった。彼はメンバーの名簿の作成、コンサートの企画・運営、新聞の発行、メンバーの作品の販売[注釈 2]などを次々と行なった。世界をいくつかの区分に分け、それぞれの区分に統括責任者を置き、自らはニューヨーク本部のチェアマンとして君臨した。1960年代後半には建築家としての腕前を生かし、「ロフトを改造し、内装を整え、芸術家に廉価で売る」という事業「フルックス・ハウジング・コーポレイティヴ」を行い、ソーホーを芸術家の街にするきっかけを作った。

初期のフルクサスは、創始者であるマチューナスと賛同者である芸術家たちという二つの軸を持っていた。マチューナスは「芸術共同体」を夢想し、芸術家が創作活動に没頭できて自由に作品を発表できる土壌を整えたが、芸術家はインフラにただ乗りする形で参加したので、結局フルクサスは「芸術共同体」としての道を歩まなかった。マチューナスは自分の夢を果たせぬまま1978年に病没する。彼は晩年「フルクサスは結成後数年すると、グループの名前というよりも一つの生き方、物事のやり方を指すようになってしまった」と回想していた。

マチューナスの死後、フルクサスに興味を持つ研究者やグッズコレクターが現れ、その需要に応える形で世界中で公演を続けている。

フルクサスとその周辺のアーティスト

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世界各国

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日本

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関連項目

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脚注

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注釈

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  1. ^参加者の国籍はドイツ、アメリカ、日本、韓国など10ヶ国近くに及んだ。
  2. ^「フルックス・キット」など様々な形態を採用した。

出典

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  1. ^http://www.add-info.com > HOME > art
  2. ^Nam June Paik. 1993.Nam June Paik: eine Data Base. La Biennale di Venezia. XLV Esposizione lnternazionale D'Arte, June 13 – October 10, 1993.Klaus Bußmann() andFlorian Matzner(), eds. Venice and Berlin:Biennale di Venezia and Edition Cantz.
  3. ^Hanhardt, John and Ken Hakuta. 2012.Nam June Paik: Global Visionary. London and Washington, D.C.: D. Giles, Ltd., in association with the Smithsonian American Art Museum.
  4. ^Fundacio Joan Miro. 1979.Vostell. Environments Pintura Happenings Dibuixos Video de 1958 a 1978. Barcelona: Fundacio Joan Miro.


外部リンク

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