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フィン人(スオミ人)Suomalaiset ミカエル・アグリコラ • パーヴォ・ヌルミ • マルッティ・アハティサーリ アルトゥーリ・ヴィルタネン • ターヤ・トゥルネン • Eppu Nuotio (650万人 ) 居住地域 フィンランド およそ5,400,000人[ 1] そのほかの重要な人口中心地: アメリカ合衆国 700,000人[ 2] スウェーデン 470,000人 カナダ 326,500人 ブラジル 90,000人(Ingrian Finns 含む) オーストラリア 20,988人(2006年) ドイツ 16,000人(2002年) ノルウェー 15,000人 - 60,000人(Forest Finns およびKvens を含む) [ 3] [ 4] イギリス 11,228人 エストニア 11,000人 フランス 6,000人(2005年) スペイン 5,000人(2001年) スイス 2,656人(2002年) オランダ 2,087人(2006年) デンマーク 2,084人(2002年) UAE 900人(2010年) セルビア 22人(2011年) 言語 主にフィンランド語 またエストニア語 ・カレリア語 ・ヴェプス語 ・ヴォロ語 その他ウラル語族 宗教 ルーテル教会 フィンランド正教会 とカトリック 、フィンランド・ネオペイガニズム など少数派。
フィン人 /スオミ人 (フィンランド語 : suomalaiset)は、北ヨーロッパ に居住する民族 の一つ。居住域は「フィンランド」と呼ばれ、現在のこの地域 にはフィンランド共和国 がある。フィンランド国民 (フィンランド人 )を構成する主要な民族 である。
フィン人は主にフィンランド語 を話す。この言語はヨーロッパの他の民族の言語がインド・ヨーロッパ語族 に属するのに対して、ウラル語族 である。周辺のウラル語族の言語とはエストニア湾を挟んで南にエストニア語 、北でサーミ語 と隣接するが、バルト・フィン諸語 に属すエストニア語 とは通訳なしで通じることもあるのに比べて、サーミ語とは全くと言っていいほど言葉が通じない。
フィン人は、身体的形質こそエストニア人 、サーミ人 同様に金髪碧眼が多いスカンジナビア人種 のコーカソイド に属しているが、言語的にはルーツが明らかに異なる。
遺伝学 的には母系のミトコンドリアDNA はヨーロッパの民族にみられるハプログループH 、U、J、Tが多いが、古いヨーロッパの民族のミトコンドリアDNAを多く保有しているとされる。一方、父系とされるY染色体ハプログループ は北アジアのウラル人種を含む北部モンゴロイド に広範にみられる系統のハプログループN (Y染色体) が中頻度であり、このハプログループN系統は東アジア 北部で生まれ、シベリア を経由しヨーロッパまで分布を広げていったとされる(N系列 は遼河文明 人からも発見される[ 5] )。フィン人のY染色体ハプログループの割合はN1a1 (61%),I (29%),R1a (5%) ,R1b (3.5%)である[ 6] 。
フィン人およびエストニア人の祖先は約5000年前に現在のエストニアあたりに到着したと主張されている[ 7] 。フィン・ウゴル系民族 に特徴的な櫛目文土器 が紀元前4000年頃からバルト海沿岸に現れることともおおむね整合的である。一方、最近のいくつかの言語学的推定によれば、おそらくフィン・ウゴル語派 がかなり後の初期青銅器時代 (紀元前約1800年頃)の間においてバルト海 周辺へとたどり着いたことを示唆している[ 8] [ 9] 。
紀元前3000年 ごろから定住し、古代ローマ の歴史家 タキトゥス の記録に登場するため、2000年以上前には歴史に登場したと思われる。タキトゥスの記述した「フェンニ」がフィン人の語源になったことは間違いないが、フェンニが古代フィン人のことを指していたかどうかは詳らかではない。もし違うのなら、「フェンニ」の誤用が現在の名称のもとになったということになる。
彼らの起源はイングリア が有力で、民族叙事詩「カレワラ 」に詳しい。冷涼の土地に定着したのに関してフィンランド人の間では「『ウラル語族』のなかの愚かな人々がうっかり定住するところを間違えたのがわれわれフィンランド人だ(それに対し賢かったのはハンガリー人 (マジャル人 ))」と自嘲気味に語られることがある。
フィン人は人口が少なく、古代には自然崇拝 に基づいた、スオミ人 、ハミ人、カレリア人 などの三部族に分かれての生活を送ってきた。しかし、その三部族の部族内でさえバラバラで、そのため統一国家樹立を実現する前に、ノルマン人 のスウェーデン人 による北方十字軍 の征服を受け、キリスト教化 しヨーロッパ世界 に組み込まれた。スウェーデンによる支配は長く続き、宗教や文化などで強い影響を受けている。その後19世紀にはスラブ人 のロシア帝国 の支配を受けると、ようやく民族主義 が高まり、帝政ロシア崩壊直後の1918年 にはフィンランド共和国 を樹立した。しかし第二次世界大戦 の直前には、ロシアの版図を引き継いだソビエト連邦 の侵攻を受けた。絶望的な戦力差にもかかわらず、冬戦争 ・継続戦争 での善戦もあって領土の一部を割譲しつつも独立を維持したが、ナチス・ドイツ と提携していたこともあって戦後は敗戦国の地位に甘んじることになった。国際連合 の常任理事国 となったソ連から賠償金を請求されたほか、かろうじて非共産圏にとどまったものの、後世にフィンランド化 と揶揄されるほどの親ソ政策・対ソ宥和外交を余儀なくされることになる。
^ Statistics Finland - Preliminary population statistics at the end of January 2012 ^ Ancestry 2000 By Angela Brittingham and G. Patricia de la Cruz ^ St.meld. nr. 15 (2000-2001年) "http://odin.dep.no/krd/norsk/dok/regpubl/stmeld/016001-040003/hov005-bn.html Om nasjonale minoriteter i Norge ^ Saressalo, L. (1996), Kveenit. Tutkimus erään pohjoisnorjalaisen vähemmistön identiteetistä. Suomalaisen Kirjallisuuden Seuran Toimituksia, 638. Helsinki. ^ Yinqiu Cui, Hongjie Li, Chao Ning, Ye Zhang, Lu Chen, Xin Zhao, Erika Hagelberg and Hui Zhou (2013)"Y Chromosome analysis of prehistoric human populations in the West Liao River Valley, Northeast China. " BMC 13:216 ^ (N3=312/536), Lappalainen, T; Koivumäki, S; Salmela, E; Huoponen, K; Sistonen, P; Savontaus, M. L.; Lahermo, P (2006). "Regional differences among the Finns: A Y-chromosomal perspective". Gene 376 (2): 207–15. doi:10.1016/j.gene.2006.03.004.PMID 16644145 . edit ^ Virpi Laitinena et al. (2002),Y-Chromosomal Diversity Suggests that Baltic Males Share Common Finno-Ugric-Speaking Forefathers , Human Heredity, pages 68-78,[1] ^ Petri Kallio 2006: Suomalais-ugrilaisen kantakielen absoluuttisesta kronologiasta. —Virittäjä 2006. (With English summary). ^ Häkkinen, Jaakko 2009: Kantauralin ajoitus ja paikannus: perustelut puntarissa. –Suomalais-Ugrilaisen Seuran Aikakauskirja 92.http://www.sgr.fi/susa/92/hakkinen.pdf