「芬 」はこの項目へ転送 されています。中国・夏王朝の王については「槐 (夏) 」をご覧ください。
フィンランド共和国 Suomen tasavalta (フィンランド語) Republiken Finland (スウェーデン語) 国の標語:なし 国歌 :Maamme (フィンランド語) Vårt Land (スウェーデン語) 我等の地 ^a b “UNdata ”. 国連. 2021年10月11日閲覧。 ^a b c d e IMF Data and Statistics 2021年10月15日閲覧([1] ) ^ 1999年 以前はマルッカ を使用。^ 「フィンランドのユーロ硬貨 」も参照。 フィンランド共和国 (フィンランドきょうわこく、フィンランド語 :Suomen tasavalta 、スウェーデン語 :Republiken Finland )、通称フィンランド は、北ヨーロッパ に位置する共和制 国家 。首都 はヘルシンキ 。バルト海 東岸に位置する国の一つであり、国境は、北はノルウェー 、西はスウェーデン 、東はロシア と接する。南はフィンランド湾 を挟みエストニア と相対している。
国体 の変化が激しい歴史を持つ国家であり、王制 から共和制 へ変換された国々の一国として知られている。ロシア帝国 が第二次ロシア・スウェーデン戦争 後にフィンランドを併合してフィンランド大公国 にした1809年まで、スウェーデン王国 に属していた。のちにロシア帝国がロシア革命 で崩壊して1917年に独立 した。独立後、フィンランドでは4つの戦争が行われた。1918年のフィンランド内戦 、ロシア革命で成立したソビエト連邦 と冬戦争 (1939年 - 1940年)、第二次世界大戦 (独ソ戦 )に伴うソ連と継続戦争 (1941年 - 1944年)、ソ連と講和後のナチス・ドイツ とラップランド戦争 (1944年 - 1945年)である。それぞれの戦争において、共和国の軍隊は、軍の最高司令官であるマンネルヘイム 元帥 によって率いられた。冬戦争と継続戦争により幾らかの土地をソ連に奪われるも、ソ連に併合されたバルト三国 と異なり独立を維持した。
首都ヘルシンキは露仏同盟 以来、ロシア帝国の主要都市であるサンクトペテルブルク 方面へ西側諸国 が投資や往来をするための前線基地となってきた。フィンランドで成長しているもう一つの重要な都市エリアは、ヘルシンキの北約180 kmにあるタンペレ である。同じく直近の旧領ヴィボルグ はサイマー運河 の出口であったが、現在はロシア領で、ノルド・ストリーム の経由地となっている。ロシアと欧州諸国の間にある地政学 的な重要性から、度々勢力争いの舞台や戦場 になってきた。
外交 ・安全保障 やエネルギー 政策を巡り東西の綱引きが行われている。西側の技術によるオルキルオト原子力発電所 とソ連の技術で建設されたロヴィーサ原子力発電所 の両方を運用する唯一の国であり、オンカロ処分場 が2020年 に開設されれば世界初の使用済み核燃料 の最終処分場となる。情報産業 も政治 と関係しており、公職経歴者が民間企業の幹部になる例として、エスコ・アホ は首相 経験者でノキア 取締役を務めている。
人口 や経済規模は小さいが一人当たりGDP などを見ると、豊かで自由な民主主義 国として知られている。フィンランドは2014年のOECD レビューにおいて「世界でもっとも競争力が高く、かつ市民が生活に満足している国のひとつである」と報告された[ 1] 。フィンランドは収入、雇用 と所得、住居、ワークライフバランス 、保健状態、教育と技能、社会的結びつき、市民契約、環境の質、個人の安全、主観的幸福の各評価において、全ての点でOECD加盟国平均を上回っている[ 1] 。
同国は1995年、欧州連合(EU)加盟国 となった。2024年の積極的平和指数 で欧州連合で第1位にランクされた[ 2] 。
2022年、ロシアによるウクライナ侵攻 を受けて北大西洋条約機構 (NATO)への加盟申請を行い[ 3] 、2023年、トルコが承認したことでNATO全加盟国の承認が完了し[ 4] 、同年4月4日にNATOに加盟した[ 5] [ 6] 。
フィンランドは「フィン人 の国」の意味で、スオミはフィン人の自称 である。「スオミ」の語源 については多くの説が提唱されており定説はないが、同じウラル系 の「サーミ 」や「サーミッド 」(サモエード )と同源とする見方がある。「フィン」についてはタキトゥス 『ゲルマニア 』にある「北方に住む貧しいフェンニ人」が最古の現存する記述である。「スオミ」については古くはフィンランド南西端、バルト海沿岸にある都市トゥルク を中心とする限られた地域を指す単語であったのが、のちに国土全体を指す単語に変容し、そこに住んでいたスオミ族の名がフィンランド語の名称になった。トゥルク周辺は現在では「本来のスオミ(Varsinais-Suomi )」と呼ばれている。「スオミ」は、フィンランド語で「湖沼 ・沼地 」を表す単語「スオ」(suo)に由来すると言われる[ 7] 。
正式名称は、フィンランド語 ではSuomen tasavalta (スオメン・タサヴァルタ)、通称Suomi [ˈsuo̯mi] (音声ファイル ) (スオミ )。形容詞はSuomalainen(スオマライネン)。スウェーデン語 ではRepubliken Finland (レプブリケン・フィンランド)、通称Finland [ˈfɪ̌nland] (音声ファイル ) (フィンランド )。形容詞はfinsk(フィンスク)( 各音声 )。公用語 はフィンランド語とスウェーデン語。
日本語 の表記はフィンランド共和国 、通称フィンランド 。漢字による当て字 では芬蘭 (古くは芬蘭土 とも)と表記し、芬 と略す。
英語 表記は国名が「Finland」、国民が「Finn(s)」、形容詞は「Finnish」。
通常は先史時代( -1155年 )、スウェーデン時代(1155年 -1809年 )、ロシアによる大公国(フィンランド大公国 )時代(1809年 -1917年 )、独立後の現代(フィンランド王国 時代を含む、1917年 - )の4つの区分に分かれる。
現在のフィンランドの土地には、旧石器時代 から人が居住した。南には農業や航海を生業とするフィン人 が居住し、のちにトナカイ の放牧 狩猟をするサーミ人 が、北方で生活を営む。400年代にノース人 のスヴェーア人 がフィンランド沿岸へ移住を開始し、居住域を拡大していった。
1155年 にはスウェーデン王エリク9世 が北方十字軍 の名のもとフィンランドを征服し、同時にキリスト教 (カトリック )を広めた。1323年までにはスウェーデンによる支配が完了し、正教会 のノブゴロド公国 との間で国境線が画定したことで、名実ともにスウェーデン領になった。16世紀の宗教改革 でスウェーデンのグスタフ1世 がルター派 を受け入れたため、フィンランドもルター派が広まることになった。カトリックの承認を得ずに司教 となったアグリコラ が聖書翻訳 を進めたことで、フィンランドは新教国 としての性格を決定的にした。
1662年 のフィンランド1581年 にはフィンランドの独立が模索された結果、ヨハン3世 が「フィンランドおよびカレリア 大公 」(のちにフィンランド大公 となった)"となり、スウェーデン王国が宗主国 となる形でフィンランド公国 建国が宣言された。しかしこれは、フィンランドに植民したスウェーデン人 が中心で長くは続かなかった。この時代のフィンランドはスウェーデン=フィンランド と呼称されており、スウェーデンによる大国時代 を形成していた。
1700年 から始まった大北方戦争 の結果の1721年 のニスタット条約 で、フィンランドの一部(カレリア )がロシア帝国 に割譲された。ナポレオン戦争 の最中にスウェーデンが敗北すると、1809年 にアレクサンドル1世 はフィンランド大公国 を建国し、フィンランド大公を兼任することになった。その後、スウェーデンは戦勝国となったが、フィンランドはスウェーデンに戻らず、ロシアに留め置かれた。
19世紀のナショナリズム の高まりはフィンランドにも波及し、『カレワラ 』の編纂など独自の歴史研究がなされた。その一方でロシア帝国によるロシア語 の強制などでフィンランド人の不満は高まった。
1899年 、ニコライ2世 が署名した二月詔書には、高揚するロシア・ナショナリズムに配慮してフィンランドの自治権廃止宣言 (フィンランド語版 、英語版 ) が含まれていることがフィンランド人に発覚したため、フィンランドで暴動が発生している。1904年 6月17日 にはフィンランド民族主義者オイゲン・シャウマン (フィンランド語版 、英語版 ) によるロシア総督ニコライ・ボブリコフ 暗殺の惨事に至り、ついに1905年 には「自治権廃止」は撤回された。
1917年のフィンランド上元老院 。最初の議長であるペール・スヴィンヒュー (写真中央)が首相の座に就いた。 第一次世界大戦 末期の1917年 にはロシア革命 の混乱に乗じてフィンランド領邦議会は独立 を宣言した[ 8] 。1918年 に共産 化し、オットー・クーシネン らを首班としたフィンランド社会主義労働者共和国 が成立した。その後、敗戦国となったドイツ軍 など外国の介入もあり、フィンランド南部で優勢だった赤軍 は白軍のマンネルヘイム により鎮圧され、1919年 には憲法を構成するフィンランド政体法が制定された(フィンランド内戦 )。
独立後のフィンランドの政情や国際情勢は不安定で、1921年 にスウェーデンとオーランド諸島 の領土問題で争ったが、国際連盟 の事務次官であった新渡戸稲造 による「新渡戸裁定」で解決をみた。1932年 にはソビエト連邦 との間に不可侵条約を締結したが、1939年 にソビエト連邦は同条約の破棄を通告[ 9] 。その直後から1940年 の間、侵攻するソビエト連邦との間で冬戦争 が行われ、国土(38万2,801km²)の10分の1を失った[ 10] 。喪失した地域はおもに人口と産業密度の高い南東部で、ヴィープリ州 には最も要となる港湾があった。ペツァモ州 にはニッケル 鉱床と国内唯一の不凍港 と北極海 への出入り口があった。これらが失われたうえ、サイマー運河 も両断された。
カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム (フィンランドの将官 、大統領 )第二次世界大戦 (継続戦争 )ではソ連と対抗するためにナチス・ドイツ やイタリア王国 などのファシズムの枢軸国 側について戦い、ナチス・ドイツ軍と共にフィンランド軍はソ連に侵攻し一時は冬戦争前の領土を回復した。その後、ソ連軍の反攻によって押し戻され、1944年 にソ連と休戦 し、休戦の条件として国内駐留ドイツ軍 を駆逐するために戦った(ラップランド戦争 )。日本や独伊と同様に敗戦国になりカレリア地峡 やラドガ・カレリア 等の領土を失ったがバルト三国 のようにソ連へ併合されたり、ソ連に占領された東ヨーロッパ 諸国(東側諸国 )のように完全な衛星国 化や社会主義 化をされたりすることなく、冷戦 終結を経て現在に至っている。
戦後はソ連の影響下に置かれ、ソ連の意向により西側陣営のアメリカによるマーシャル・プラン を受けられず、北大西洋条約機構 (NATO) にも欧州諸共同体 (EC) にも加盟しなかった。自由民主政体を維持し資本主義 経済圏に属するかたわら、外交・国防の面では共産圏 に近かったが、ワルシャワ条約機構 に加盟しなかった(ノルディックバランス 、フィンランド化 )。この微妙な中立政策の舵取りが成功し、軍事防衛に費用をあてるよりも国民皆保険、平等や格差・貧困の解消、高い教育レベル等を実現し、世界で最も成功した福祉国家かつ平和を実現した。しかし、ソビエト連邦の崩壊 後には西側陣営 に接近し、1994年 に欧州連合 (EU) 加盟へ合意(実際の加盟は1995年)。2000年 に欧州共通通貨ユーロ を、北欧諸国で初めて自国通貨として導入した。
2010年代にクリミア・東部ウクライナ紛争 などでロシアの脅威が高まったため、西側への接近を加速させた。2017年には、スウェーデンとともにイギリス 主導でNATOや国際連合 に協力する合同派遣軍への参加を決めた[ 11] 。2021年12月に、ロシアが米国とNATOに対してNATO拡大を阻止する条約の提案を行ったため、フィンランド(およびスウェーデン)ではNATOに加入できなくなる懸念が高まった[ 12] 。サウリ・ニーニスト 大統領は2022年1月1日の演説で、NATOへの加盟申請を含む「選択の自由がある」と語った[ 13] 。ロシアのウクライナ侵攻を受け、2022年5月には数十年に及ぶ軍事的中立方針を転換し、スウェーデンとともにNATOへ加盟申請した。2023年4月4日にNATOに正式加盟した[ 5] [ 14] [ 15] [ 16] 。
フィンランド国会議事堂 の階段国家元首 である大統領 の任期は6年で、3選は禁止されている。議会制民主主義 国家であり、議会が国権の最高機関である。
議会 は一院制 でエドゥスクンタ (Eduskunta)と呼ばれる[ 17] 。200議席を15の選挙区に分け、比例代表制 選挙で選出され、政党助成金 制度が存在する[ 18] 。任期は4年だが、途中で解散される場合もある。
内政面は先進的な北欧型福祉国家 の印象が強いが、戦後は敗戦国の地位にもあって賠償金などの支払もあり国政面での労働者の権利拡充は後回しされ、労働なきコーポラティズム として日本に近い社会であった。その後は急速に福祉国家建設へと邁進し北欧型の社会に近づく。
世界で政治家による汚職が最も少ない国の一つとも評価されている[ 19] 。2021年 の民間活動団体「トランスペアレンシー・インターナショナル 」による政治の腐敗認識指数 調査では1位(世界で最も汚職が少ない)だったが[ 20] 、2022年 には2位となっている[ 21] 。
フィンランドは半大統領制に近い議院内閣制 の政治制度を採用している[ 22] 。かつては1919年フィンランド政体法によって成立した半大統領制 体制であり、半大統領制と呼ばれる体制を世界で最初に採用した国家であった[ 23] 。しかし、2000年のフィンランド基本法 制定及び2012年の改正によって議会の権限が強化されると、大統領の権限は議会と内閣へ段階的に移行し、又は議会の協賛を必要とする事項が増えるなどして、大統領の権限は大幅に制限された[ 22] 。首相の指名は議会の役割となって任命権は形式化され、内閣のその他の大臣の指名も首相による指名を形式的に任命するのみとなった(フィンランド基本法61条)[ 24] 。政策決定は内閣の提案に基づかなければならず、内閣の提案なしに大統領が自発的に政策決定を行うことはできなくなった(フィンランド基本法58条)[ 25] 。外交と安全保障に関する分野は、国家元首である大統領が担うとされているが、その政策も内閣と共同して決定されることが基本となっている。議会解散権が首相の提案によらなければ行えないことが定められ(フィンランド基本法26条)[ 26] 、法案の拒否権に関しても議会再可決によって大統領の署名なしに法案を成立させられた(フィンランド基本法77条)[ 26] 。
主要な政党として以下がある。
フィンランドが外交使節を派遣している諸国の一覧図 第二次世界大戦 後、フィンランドは厳しい地政学 的環境下で独自の道を歩んだ。1944年の対ソ連戦争 (継続戦争 )終結後、ソ連 との和平条約 により領土 の一部を割譲 し、軍備制限を強いられたが、資本主義 体制を維持し、共産化 やワルシャワ条約機構 への加盟 を回避した。この政策は、ソ連への外交 的配慮を伴う中立 として機能し、国内ではソビエト批判をタブー視 する空気が支配的だった。海外ではこの状態を「フィンランド化 」と呼び、強大国への過度な譲歩を意味する否定的用語として用いられた。例えば、ドイツやアメリカのメディアで、フィンランドの主権制限を象徴する言葉として広まった。しかし、フィンランド自身はこの用語を外交的現実主義として捉え、否定的ニュアンスを否定している。日本での言及例として、1983年6月3日の参議院選挙街頭演説で中曽根康弘首相が「日本は何もしないでいるとフィンランドのようにソ連のお情けをこうような国になってしまう」「うっかり手を出したらひどい目にあうという状態にしておかないと平和は守れない」と述べ、日本がソ連の影響下に陥るリスクを警告した。この発言は、駐日フィンランド大使館から外交的な注意喚起を受け、国際問題となった。中曽根の発言は、当時の日米安保強化 の文脈で用いられたが、フィンランドの自主性を過小評価する誤解を生んだ側面がある。
実際、フィンランドはこの立場を逆手に取り、冷戦下で積極外交を展開した。1975年の全欧安全保障協力会議 (CSCE、後のOSCE)のヘルシンキ 開催を主導し、東西対話の橋渡し役となった。これにより、東西貿易の窓口として経済的に栄え、1980年代には国民一人当たりGDPが世界トップクラスに達し、高福祉国家として「北欧 の奇跡」と称された。ただし、「世界一の生活水準」という表現は相対的で、OECDデータではスウェーデンやノルウェーと同等レベルだった[ 28] [ 29] 。
フィンランドの国是は、北欧理事会 を中心とする「北欧主義」と、国連 を通じた国際秩序構築である。北欧主義は、スウェーデン、デンマーク などとの地域協力で、環境保護 や社会保障 分野で顕著。国連では、1955年の加盟以来、平和維持活動 (PKO)に積極的に参加し、2023年現在で約260人を派遣している。冷戦終結後、1991年のソ連崩壊 を機に外交転換を加速。1992年にロシアと基本条約を結び、1995年に欧州連合 加盟。EUを軸にバルト海地域の協力強化を図った。軍事面では中立を保ち、NATO非加盟を堅持したが、1994年にNATOの平和のためのパートナーシップ(PfP)に参加し、協力関係を築いた[ 28] [ 30] 。
ロシアの脅威増大、特に2014年のクリミア併合と2022年のウクライナ侵攻が転機となった。侵攻前、フィンランドはNATO加盟申請権を留保していたが、世論調査で支持率が急上昇(侵攻前20%台から60%超)。2022年4月20日、議会でNATO加盟審議を開始し、与野党多数が支持を表明。同年5月15日、スウェーデンと共同で正式申請。加盟プロセスではトルコの反対が障壁となったが、2023年3月30日、トルコ議会が承認し、全30加盟国が合意。4月4日、NATO本部で国旗掲揚式が行われ、正式加盟。これにより、NATOの防衛線がロシア国境1300kmに拡大し、地政学的影響は大きい。フィンランドは加盟後、米国との防衛協力協定(DCA)を発効させ、軍事力強化を進めている。兵力は約1万9250人、有事動員28万人規模で、2024年国防予算は62億ユーロ[ 28] [ 31] [ 32] [ 33] 。
情報セキュリティ面では、ロシアの情報工作を念頭に先進的な対策を講じている。2014年の学習指導要領改定で、学校教育に情報の真偽を批判的に考える内容を導入。初等教育からフェイクニュースの見分け方を教え、批判的思考を養うプログラムが実施されている。2017年、ヘルシンキに欧州ハイブリッド脅威対策センター(Hybrid CoE)を設置。NATO・EUの協力のもと、サイバー攻撃やプロパガンダ対策を研究・研修し、参加国は当初の9カ国から倍増以上。これらの取り組みは、ウクライナ侵攻後の情報戦で効果を発揮し、フィンランドのレジリエンス(回復力)を高めている[ 34] [ 35] [ 36] [ 37] 。
これらの政策は、フィンランドの歴史的経験に基づき、柔軟性と現実主義を体現している。2025年現在、OSCE議長国予定など、多国間主義を継続中[ 28] 。
欧州委員会 が2018年に実施した調査によると、フィンランドは欧州連合 (EU )加盟国の中で最も親日 的な国である[ 27] 。
フィンランド人の84%が日本に好意的な印象を持っており、これはEU諸国の中で最も高い割合である[ 27] 。
在フィンランド日本国大使館 駐日フィンランド大使館 フィンランド軍のレオパルト2 戦車 常備軍 - 1万6,500人 最大可能動員数 - 3万4,700人陸軍 - 2万7,300人海軍 - 3,000人空軍 - 4,400人 軍事費 -GDP の1.4パーセント 3軍のほかに国境警備隊 (3,000人)があり、内務省 の指揮下にあるが、有事の際には軍隊に統合される。
6 - 12か月の徴兵制 を実施している(対象は18歳以上の男子。女子は志願制、例外として宗教法人エホバの証人 の信者は良心的兵役拒否 の下で免除されている)。100人あたりの小型武器 の所有率は、2007年 においてアメリカ軍 、イエメン軍 に次いで世界第3位である。
冷戦時代には、ソ連製のMiG-21 戦闘機 やAKライフル 、T-54/55 およびT-72 戦車と中立国のスウェーデン製サーブ 35 ドラケン 戦闘機などを有していた。冷戦終結後は西側からの調達が主となり、アメリカ製F-18 戦闘機、ドイツ製レオパルト2 戦車を装備している。
ラップランド 南東部の風景 ヨーロッパ北東部に位置し、北欧ないし北東欧と呼ばれる。北側はノルウェー、西側はスウェーデンと国境を接する。西はボスニア湾 、南西はバルト海 、南はフィンランド湾 に面する。ボスニア湾の対岸はスウェーデン、フィンランド湾の対岸はエストニア である。東から南東にかけてはロシア と陸上で国境を接する。北西部がスカンディナヴィア半島 に含まれるとする場合があるが、厳密な規定はない[ 40] 。
国土の大半は平坦な地形で、氷河 に削られて形成された湖 が無数に点在する。植生はタイガ と地衣類 が多い。森林は粘菌 が多様に生息する。
首都のヘルシンキは国の最南部に位置し、フィンランド湾に面する。国土の大半が寒冷な気候であることから、ヘルシンキをはじめとする規模の大きな都市はその多くが国の南部に偏在している。
フィンランドにある大きめの湖は以下の通り。
フィンランドは緯度 の影響を最も受ける地域である。同国は北緯 60度から70度の間に位置する為、北欧エリアにおいて冬期が最も長いことでも知られている。
ヘルシンキ の繁華街タンペレ の航空写真ポルヴォー の旧市街フィンランドは、19の県 (maakunta 、マークンタ)に分かれる。2009年までは県の上位行政区画として州が存在し、6つの州 (lääni 、レーニ)に区分されていたが、2010年1月1日に廃止された[ 41] 。2010年まで東ウーシマー県 が存在し、県の数は20であったが2011年 1月1日に東ウーシマー県とウーシマー県 とが合併して新たなウーシマー県が発足したため、東ウーシマー県は消滅し、県の数は19となった[ 42] 。
OECDは、フィンランドは世界で最も地方分権 が進んでいる国の一つだと評している[ 43] 。
国内最大企業Nokia の本社ビル 人口が日本の北海道 とほぼ同じ、GDPの規模がその倍であるフィンランドは、1980年代以降、農業 と林業 中心の経済体制から、携帯電話の生産量が世界1位になるなどのハイテク 産業を基幹とする工業 先進国へと著しい変化を遂げることに成功した。特に、150年前からある老舗企業のノキア (NOKIA)やLinux が有名である。高い教育水準なども影響した結果、ヨーロッパ内でも有数の経済大国となった。世界経済フォーラム (WEF)が毎年発表する国際経済競争力の順位では、2001年から2004年までと4年連続首位となった(2002年はいったん2位と発表されたが、その後の再評価で1位に修正された)。現在では付加価値ベースで71.2パーセントをサービス業 が占めている[ 44] 。フィンランドは2014年のOECDによるレビューにおいて「世界でもっとも競争力が高く、かつ市民が生活に満足している国のひとつである」と報告された[ 1] 。フィンランドはOECD BetteLife Indexの多軸評価において、全ての点でOECD平均を上回っている[ 1] 。
ナショナル・フラッグ・キャリア はフィンランド航空 だが、政府は既に株式の半数以上を売却している。
労・使・国の3者協議によるネオ・コーポラティズム を採用する[ 45] 。年間労働時間は平均で1,672時間[ 44] 。タイムバンキング (英語版 ) 制度があり、多忙な時期に残業して、閑散期に余計に休める制度が存在する。1994年に16.6パーセントまで上昇した失業率は不況からの脱却とともに年々改善を続け、2012年には7.7パーセントまで下がった[ 44] 。
労働年齢層の就業率は男性70.6パーセント、女性68.2パーセント(2012年)と[ 44] 、女性の労働力化が進んでおり、特に法律家・医師は女性が半数を占めている。企業で高い地位を占める女性も増えているが、男性に比べるとまだ少ない。女性は男性に比べ正社員として雇用されにくい傾向があり、若い世代の女性で契約期間つき雇用が多い(20代女性の4割が派遣社員)。
女性の労働力化によってGDPや購買力が増加する一方で、ロシア人 やバルト三国 から流入する女性労働者も増えており、特に売春 などの性産業 に従事する者が多い。2008年時点ではフィンランド国内に8,000人もの売春婦が存在しているとする見方もある[ 46] 。
VRグループ の鉄道路線図フィンランドの人口ピラミッド 特徴として男女同権思想がある。生産性の低い土地に生活して、農業時代から女性も男性と同様に働き発言権を持っていた。フィンランドで普通選挙 が導入されたとき、ヨーロッパ初の女性参政権 が付属していた。2015年現在も女性の社会進出は世界最高レベルで、労働市場における女性比率は40パーセントで[ 47] 、アファーマティヴ・アクション制 やクオータ制 などのフェミニズム プログラムなしで達成している。
フィンランドの国会議員は定数の3分の1以上にあたる76人の女性議員がいる(2015年現在)。兵役 は男子のみの義務で女子は志願制である。
俗説としてフィンランド人は「恥ずかしがりや」であり、サウナ など集団で集まりやすい場を大切にし、顔を合わせずに会話のできる電話や携帯電話の普及が早かったと言われる[ 48] 。ヨーロッパで「フィンランド人は無口で、話すときは独特の抑揚のない言語で不機嫌そうにしゃべる」ステレオタイプの印象が元になった[ 48] 。
民族比率は、フィン人 が91.7パーセント、スウェーデン人 (スウェーデン系フィンランド人 )が5.5パーセント、サーミ人 が0.1パーセント、ロマ人 が0.1パーセント。2022年の統計によると、外国人は32万3,686人(5.8パーセント)[ 49] 、1/4がロシア人 とエストニア 人である。21世紀に入り難民などを積極的に受け入れはじめ、ソマリア人 、アルバニア人 、イラク人 、クルド人 などがその中心となっており、ほとんどがヘルシンキ都市圏に在住している。近年は難民受け入れに対する反感が強く「真のフィンランド人 」など移民受け入れに反対する排外主義政党の躍進をもたらしている。
使用されている言語 はフィンランド語 が93.4パーセント、スウェーデン語 が5.9パーセントで、この2言語が公用語 である。1919年 に制定された。サーミ人 はサーミ語 を使用し、1970年代 にその地位は向上した。1999年 の基本法制定により、準公用語と明記された。同時にロマ人 その他の少数民族 に対する配慮も加えられている。ロシア語 を母語とするロシアからのいわゆる帰還者は最近増加しつつある。スウェーデン語 は既にフィンランドに根を下ろしており、少数派とはいえ、企業 や産業界で影響力を持ち、政府にも主要政党を持っているため、公用語問題は歴史的な問題であった。これに対しロシア語は1世紀にわたり支配社会の上層部にのみ影響を与えただけで、国民に浸透することはなかった。
フィンランド福音ルター派教会 のトゥルク大聖堂宗教は、フィンランド福音ルター派教会 が66.6パーセント、フィンランド正教会 が1.1パーセント、ほかの宗教(ローマ・カトリック教会 、ユダヤ教 、イスラム教 )1.7%、無宗教30.6%パーセントである[ 50] 。フィンランド福音ルター派教会 とフィンランド正教会 は国教 として扱われ、政府が国民から直接税 の形で集めた教会税 によって資金的援助を受けている。近年は国民の信仰心の低下や政教分離 の意見の高まりなどから、教会の支援は世論から支持を受けなくなる傾向にあり、それに伴い「教会税」も毎年減少傾向にある。
婚姻する際には夫婦別姓 、夫婦同姓、相手の姓の付加(後置)を選択することができる[ 51] 。1930年 の婚姻法では妻が夫の姓に改姓することが義務づけられていたが、1986年 に改正された[ 51] 。2017年より同性婚 も可能となった[ 52] 。
2023年の出生率 は1.26であった[ 53] 。この少子化傾向について、Population Research Instituteの研究者は「われわれは、欧州における新しい日本 である(We’re the new Japan of Europe)」と形容している[ 54] 。
アールト大学 学校教育ではフィンランド語、スウェーデン語が必修だが、オーランド諸島 はフィンランド語は必修でなく、英語 やその他の言語の教育が行われている。本土のスウェーデン系国民は幼いころからテレビ などを通じて自然にフィンランド語を習得することが多いが、フィンランド系国民の多くは7年生(中学校の初年度)から学校でスウェーデン語の学習を始める。現在ではスウェーデン語より英語に重点がおかれており、小学3年生程度から英語の授業が始まる。小学校高学年、中学校でもその他の外国語を選択科目として履修できる。外国語科目のカリキュラムなどは自治体や学校により異なることがある。国民の外国語に対する関心も全般に高いため、4 - 5か国語を使いこなすフィンランド人も多い。
大学 は全て国立で無料であり[ 55] 、受験戦争 はフランスや日本ほど厳しくはない。しかし教育における「フィンランドメソッド 」が注目を集めている。生徒は競争による相対評価ではなく、達成度によって評価されるといわれている。ただし、これは学力の違いを無視した平等教育ではない。実際には高校入学は中学の成績に基づいて振り分けが行われている[ 56] 。中学校の教育に特筆されるのは3分の1の(成績の低い)生徒が特別学級に振り分けられるか、補習授業を受けていることである。学力による差別化および低学力の生徒に対する個別の教育により落ちこぼれを学校ぐるみで防ぐ制度がフィンランドの教育の特徴である[ 57] 。
ユネスコ の定義による高等教育機関(大学およびその他全ての高等教育機関・課程)の進学率は世界第2位の87パーセントである(2004年度)。2004年度に行われたOECD(経済協力開発機構 )のPISA (学習到達度調査)では世界一である。OECDの調査は多くの問題点が指摘されている。PISAは(1)読解力(2)数学リテラシー(3)科学リテラシーの3分野のみを57か国で調査したものである。
フィンランドの学校は週休2日制である。教師はその専門性が一層重んじられ、修士の学位取得が基本である。(日本に置き換えればさしづめ教師全員が専修免許状を有している状況である。修士が標準とされる職業は日本と比べて多い。日本と異なり、学士と修士は大学で、リセンシアーテ(修士と博士の中間学位)と博士は大学院で取得する仕組みから、修士レベルの学業がよりスタンダードなものである。)授業時間も日本よりかなり少なく「総合的な学習」に相当する時間は日本より多い。近年日本で批判されている「ゆとり教育 」に類似するが、家庭学習を重視して宿題が比較的多く、成績別教育で成績下位者の支援態勢が特に手厚いなど、相違点が多い。制度的に教育内容や教授方法について教育行政の指示が少なく、分権化が進んでいること、義務教育にも留年 制度があること、小学校から大学まで多くの学校で学費が無料であることなどの違いがある。
1943年の法により、小中学校および後期中等教育学校・職業学校(日本の高等学校 普通科と専門学科に近似)における給食は完全に無料である[ 58] 。
フィンランド人の平均寿命 は、2015年では平均で80.77歳(男性77.82歳、女性83.86歳)であった[ 59] 。およそ市民307人あたり1人の医師がいる[ 60] 。 公営の保健センター が整備され、総合診療医 (GP)によるプライマリケア が提供される[ 61] 。
GDPあたり保健支出は9.6パーセント[ 50] 。医療費のおよそ18.9パーセントは自己負担であり、76.6パーセントは租税負担となる。近年の『ランセット 』誌の研究によれば、フィンランドは193か国の中で死産率が最も低く、イギリス・フランス・ニュージーランドよりも低い[ 62] [ 63] 。
課題として、ほかのOECD諸国同様に人口の高齢化 があり[ 64] 、65歳以上が人口の23.5パーセントを占めている(2024年)[ 50] 。GDPに占める保健・介護費用も伸び続けており、2000年代は約6パーセント台であったが、2060年には13パーセントに達すると推測されている[ 65] 。医療費 の約55パーセントは65歳以上人口が占めており、認知症 患者も増え続けている[ 65] 。
妊娠 4か月以前に医者か地方自治体の妊婦向けクリニックで診療を受けたことがあり、かつ妊娠154日以上のすべての妊婦には妊婦パック が配られている。
OECD各国の老人(65歳以上)1人あたりの生産年齢(20 - 64歳)人口[ 66] 北欧モデル の高福祉高負担国 であり、GDPに占める税収比は43.9パーセントと上位国のひとつである(2014年)[ 67] 。
OECDの人生満足度(Life Satisfaction)では第6位、国連世界幸福度報告 では世界1位(2018年から2020年)、世界幸福地図 では第6位、The Earth Institute (英語版 ) による国民総幸福量 (GNH)では世界2位(2012年[ 68] )であると報告された。
フィンランドにはNPO が約7 - 8万存在し、国民の5人に4人がNPOに参加している[ 69] 。他の北欧諸国と同様、世界で最も参加率の高い国のひとつである[ 69] 。
移民受け入れスウェーデンと異なり、ノルウェーやデンマーク と同様に、安易な移民受け入れに反対する政党「真のフィンランド人 」が、エドゥスクンタ (国会)で第二党政党の連立与党として政権に影響力を持っている[ 70] 。
2025年の世界平和指数で世界10位[ 71] 。
ヨーロッパ で比較的に治安が良い国とされるが、夏季 や冬季 の観光シーズンは、首都ヘルシンキなどの都市部で置き引き やスリ など窃盗が多い。
テロ 事件は、2017年8月のトゥルク市内でナイフ を用いた無差別襲撃事件が発生し、2名が死亡、8名が負傷した[ 72] 。
他者の人権の受け入れ、汚職の少なさ、情報の自由な流れ、良好なビジネス環境、高いレベルの人的資本、資源の公平な配分、十分に機能する政府、および近隣諸国との良好な関係によって決まる2024年の「積極的平和指数 」で世界第1位、「他者の権利の受容」で世界第1位、「資源の公平な配分」で世界第1位、「十分に機能する政府」で世界第1位である[ 2] 。
国境なき記者団 (RWB) の年次報道自由 指数は、フィンランドを2010年から2016年までの6年連続で「最も報道の自由が高い国 」として挙げている。2017年に首相のユハ・シピラ による「シピラゲート 」事件を受けて3位へ落位している[ 73] 。
フィンランド人の図書館 利用率は世界有数であり、月に1回以上は図書館に行き、月に20冊以上の本やDVDを無料で借りている[ 74] 。サウナ は約200万あるとされ、フィンランド国民全員が入っても余裕がある[ 75] 。フィンランド人にとってサウナは神聖な場所であり、「教会のように振る舞う」格言がある[ 75] 。2020年 にフィンランドのサウナ文化がユネスコ の無形文化遺産 に登録された。
カレリアンピーラッカ (karjalanpiirakka ) は伝統的なフィンランド料理である。具には米を用い、外側の薄皮はライムギ 生地でできている。バターをつけたり、ゆで卵 とバターを混ぜたもの(エッグバター、munavoi )をつけたりして食す。ソーセージ は国民食 とされ、これによって女性の社会進出を後押しした[ 76] 。アルコール は国営企業 による専売制である[ 77] 。キシリトール はフィンランドの大学の発見である[ 78] 。
フィンランドの民族叙事詩 『カレワラ 』の1849年版(新カレワラ) 小説家のミカ・ワルタリ 19世紀にエリアス・リョンロート が編纂した民族叙事詩 『カレワラ 』がある。
マリスカ(Mariska) Mariskaはフィンランドを代表するヒップホップ 音楽家であるフィンランド人の音楽界での活躍は目ざましく、人口に比しても世界的な音楽家を数多く輩出している。ジャン・シベリウス に代表されるクラシック音楽 や、ジャズ 、ポップ 、ロック やヘヴィメタル などのポピュラー音楽 が普及しており、特にヘヴィメタルは国民的な音楽として今も支持されている[ 79] 。少数民族サーミ人 による民族音楽 ヨイク もある。
1895年 に映画技術が発明されると、1896年 にフィンランドで初めて映画が上映された。
フィンランドの建築は800年以上の歴史があり[ 80] 、アール・ヌーヴォー 、北欧古典主義 (英語版 ) 、機能主義 などの形式に大きく貢献している。
名物やゆかりの行事などを競技化したさまざまな大会を「世界選手権」として催し、各国から参加者が訪れる大会もある。
フィンランド国内に、ユネスコ の世界遺産 リストに登録された文化遺産 が6件、自然遺産 が1件存在する。
ティーム・セラニはNHL のレギュラーシーズンでのフィンランド人史上最高のゴールスコアラーである。 アイスホッケー アイスホッケー はフィンランドで最も人気のあるスポーツ である[ 81] 。アイスホッケーフィンランド代表 は1995年、2011年、2019年、2022年の4回世界選手権 を制しており、IIHFランキング でも最高の1位を獲得している。2006年トリノオリンピック で、歴史的に因縁のあるスウェーデン代表 と初の北欧決勝対決となり、第1ピリオドは1-0でリードしながら2-3で惜しくも惜敗したが、エースのサク・コイブらの活躍で銀メダルを得た。2022年 北京オリンピック は決勝でロシアオリンピック委員会代表 に勝利して金メダルを得た。
サッカー サッカー も人気があり、1990年 にプロサッカーリーグのヴェイッカウスリーガ (芬 :Veikkausliiga )が創設された。フィンランドサッカー協会 (SPL) が構成するサッカーフィンランド代表 は、FIFAワールドカップ に出場していないが、UEFA EURO 2020 に初出場した。著名なサッカー選手 は、アヤックス で活躍したUEFAチャンピオンズリーグ 得点王のヤリ・リトマネン 、リヴァプール で長年活躍したサミ・ヒーピア 、ノリッジ・シティ で活躍したテーム・プッキ などが知られている。
ウィンタースポーツ アイスホッケー 用に設計されたタンペレ のノキアアリーナ ウィンタースポーツ も盛んで、特にスキー は冬季オリンピック などで多くの選手が活躍し、ジャンプ競技 でマッティ・ニッカネン やヤンネ・アホネン などを輩出している。ノルディック複合 でハンヌ・マンニネン やサンパ・ラユネン が著名である。クロスカントリースキー やスキーオリエンテーリング も盛んで、近年フィギュアスケート で世界トップレベルの女子選手を輩出している。
モータースポーツ モータースポーツ で名手を多数輩出している。
F1 でケケ・ロズベルグ 、ミカ・ハッキネン 、キミ・ライコネン が世界王者となっている。フィンランドは有力な国内フォーミュラカー レースが存在しないが、他の北欧諸国に比べて有力ドライバーが多い。
ラリーも盛んで、WRC (世界ラリー選手権 )でマルク・アレン 、ティモ・サロネン 、ハンヌ・ミッコラ 、アリ・バタネン 、ユハ・カンクネン 、トミ・マキネン 、マーカス・グロンホルム 、カッレ・ロバンペラ と、世界王者を最も多く輩出している。2017年からWRCに復帰したTOYOTA GAZOO Racing はフィンランドを拠点として競技車両を開発し、トミ・マキネンからヤリ=マティ・ラトバラ へ監督が引き継がれている。
二輪のオフロード系は、1990年から2000年代にエンデューロ世界選手権 で、史上最多8回タイトルを獲得したユハ・サルミネン、7回王者のカリ・ティアイネン、5回王者のミカ・アホラ などを輩出し、ISDE (国際6日間エンデューロ)でワールドトロフィーを8回得た。
日本 国内のレースに縁のあるドライバーは、SUPER GT と全日本ラリー選手権 で優勝したヘイキ・コバライネン 、日本人 の元レースクイーン を妻とするミカ・サロ がいる。
その他の競技 1920年アントワープ五輪 でのパーヴォ・ヌルミ 北欧諸国と同様にオリエンテーリング が盛んな強豪国である。代表的な選手は、2010年 にミンナ・カウッピ がフィンランド年間最優秀スポーツ選手 (英語版 ) に選ばれている。優れたフィンランド人選手に対して固有な呼称「フライング・フィン 」がある。これは、陸上競技 の長距離種目で活躍したハンネス・コーレマイネン やパーヴォ・ヌルミ を称して以来、モータースポーツを中心に様々なスポーツ選手に用いる。
オリンピック は1952年 に首都ヘルシンキでヘルシンキオリンピック を開催した。
順位は『最も偉大なフィンランド人 』による。
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