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フィンガー5

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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フィンガー5
別名
  • オールブラザーズ
  • ベイビー・ブラザーズ
出身地日本の旗日本沖縄県具志川市(現:うるま市
ジャンル
活動期間
レーベル
旧メンバー

フィンガー5(フィンガーファイブ、Finger 5)は、日本の男女混合歌謡アイドルグループ。主に1970年代に活動した。沖縄県出身の男性4人と女性1人の5人兄妹が踊りながら歌い、四男の変声期前のハイトーンボイスでメインボーカルを担当し、彼らの歌唱力やルックスなどが人気を博してミリオンセラーとなった。

バンドを自称するも、全盛期は演奏する場がほとんどなかった。解散後も音楽活動やテレビ出演などを時折している。

略歴

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生い立ち

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米国占領下の沖縄で、父親が経営する米兵相手のAサインバーでアメリカのロックやポップスに親しみ[3][4]、当時小学生の長男・一夫、次男・光男、三男・正男が「オールブラザーズ」としてバンド活動を始める。は「フィンガー5の音楽的ベースはモータウン系のソウルファンクもやったけど、日本では早過ぎた。コンサートではモンキーズカーペンターズジャクソン5トム・ジョーンズなど洋楽のカバーを歌ってダンスするバンド」などと述べている[4]晃は「自分と妙子は後から無理やり参加させられた」と述べている[要出典]。英語の歌詞は聞こえた音をカタカナでメモし、キーボードは紙に書いた鍵盤で練習した。

父のバーはのちに他の経営者の手に渡るが、21世紀初頭まで存在[要出典]した写真がテレビや書籍で紹介されている。

オールブラザーズからベイビー・ブラザーズ、そしてフィンガー5へ

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オールブラザーズは沖縄のテレビ番組のコンテストで優勝し、テレビ局のプロデューサーに薦められて1969年に東京都東村山市に移住する[3]。上京した一家は「歩くのが早い、しゃべるのも早い、お札の色が緑(米ドル)でない」ことに驚いた。母が自ら車を運転し、日本中の在日米軍基地を回って慰問コンサートを行いながらデビューの機会を待った。

1970年にバンド名をベイビー・ブラザーズに変えて、南沙織より1年早くメジャーデビューするも売れずに苦しい時代を過ごし、転校した学校で「売れない歌手」と悪口も言われた[3]。妙子はそれまで着たことがない琉球王朝時代の服を着せられ、晃はその時期に出した曲にタイトルさえもう覚えていないものがあるという。

不遇の末に沖縄に戻る準備をしていた頃、子供に向けて子供の歌手をデビューさせる企画を描く担当者が彼らの存在を知り、「少し出来るだけのガキだろう」と思いながらたまたまデモテープを聴いた音楽関係者が「これは本物だ」と驚いて彼らを説得し、1972年に再デビューする[3]。売れなくて沖縄に帰ろうとしたら、キャロルスカウトした逸話でも知られるミッキー・カーチスから声がかかりレコード会社を移籍[4]。米国で当時大ヒットしていた同じ5人兄弟で結成されたジャクソン5を意識し、母親が「フィンガー5」と名付けた。キャロルとは担当ディレクターが同じで、コンサートも一緒にやったりし、大人と子供でもあり、可愛がってもらったという[4]。中でも矢沢永吉個性は強烈で、当時6の晃に楽屋でウリ型のベースを持って「晃、これでひともうけして、俺はビッグになるから」と言ったという[4]

黄金時代

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初めてのテレビ出演は子供の視聴が多い土曜の夕方に放映され、放映直後はテレビ局に問い合わせの電話が殺到した。沖縄返還の翌1973年世志凡太がプロデュースし、漫画家水島新司レコードジャケットのイラストを手掛けた「個人授業」を発売すると、145万枚ともされるミリオンセラーとなり大ブレーク[4]。その後「恋のダイヤル6700」165万枚、「学園天国」105万枚などをリリース、いずれもミリオンセラーとなった[4]。テレビ・映画にも多く出演した。楽曲のテーマは学校における恋愛で一貫していた。

幼稚園ヒーローになり[5]小西良太郎は「歌謡曲幼年化の波が来た」と評した[5]

5人の中でも特に、年少の晃と妙子に注目が集まった。デビュー当時は11歳と10歳で、あどけない姿でステージをこなす姿が人気となった。晃が「目立ちたいから」とトレードマークとしたトンボ形のサングラスが大流行した[4]。サングラスはラジオ番組布施明がしているのをマネたもので[4]、晃は「歌手の小道具のはしりですかね」と述べている[4]

自らの意思で活動を始めたこともあり、一夫がマネージャーを兼任し、仕事の交渉やスケジュール管理もこなした[6]

大人気によるハードスケジュールのために晃が過労で入院すると、病床の写真が週刊誌に掲載され[いつ?][要出典]、医師は関係者に「あなたたちは、この子を殺すつもりか」と告げた。晃が変声期で「声変わり」を防ぐため、関係者らが女性ホルモンの注射を強く勧めたが本人は断った[7]

その後

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1975年に長男の一夫がマネージャーに専念するために脱退し、代わりに甥で長女の息子の具志堅実が加入する。ハードスケジュールは限界に達し、休養も兼ねて1975年から1976年に米国に留学する。これまで芸能活動で得た収入は、渡航費用で全て使い切った。芸能活動に一切口を出さなかった父の「芸能界で稼いだ金など、あぶく銭だ」とする考えも反映されていた。

帰国後は、長く日本を留守にしていたこと、メインボーカルの晃が変声期で従来のようなハイトーンが出せなくなったこと、彼らのやりたい音楽とファンのニーズが乖離[要出典]してヒットに結びつかないことなどから人気が急落した。後の晃の述懐によると、どうすれば売れるかは分かっていたがそれは自分たちがやりたくないことであり、割り切って自分たちのやりたいことをやろうとしたら売れなくなったという。

末期は晃に代わり妙子をメインボーカルに据えたり、バンドとしてメンバー自らの演奏を前面に出すなどを試みるも人気は回復せず、1978年に実質的に解散した。その後メンバーの一部は、ザ・フィンガーズ[注釈 2][注釈 3]など、いくつかのバンドを結成し活動するが、大きくブレイクすることはなかった。

1992年に、元フィンガー5の晃と正男と新メンバー3人によるソウルバンド「フィンガー5スペシャル」(フィンガー5・スペシャル・ソウル・バンド)が結成された[8]

2003年の「The 30th Anniversary!!」で、兄弟5人でフィンガー5を再結成し、全国から大勢のファンが集まった。

なお、1990年代初頭に市東亮子が、彼らをモデルにした「超ド級無敵アイドル戦隊 バトルフィンガーファイブ」という漫画作品を『ボニータ』に連載した。

メンバー

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全員、沖縄県具志川市(現:うるま市)出身の兄弟。6人兄弟姉妹であり、5人とも最年長の姉がいる。

  • 玉元 一夫(たまもと かずお、 (1955-04-08)1955年4月8日(70歳) - B型 ) 長男。リードギター担当。コーラス。
  • 玉元 光男(たまもと みつお、 (1957-02-03)1957年2月3日(68歳) -  O型) 次男。ドラムス担当。コーラス。
    • 芸能活動休止後美容師の免許を取得する。東京都田無市(現:西東京市)の理髪店で修行時は、顔を見た客が首をひねるなど市内では話題となった。その後はアメリカで活躍するが次第に美容師の業務が多忙となり、近年はテレビ出演を控えている。5人が揃う企画で光男だけ欠席したこともあった。
  • 玉元 正男(たまもと まさお、 (1959-02-02)1959年2月2日(66歳) - O型) 三男。ベース担当。ボーカル。
    • 都内の建設会社大工として勤める。その後沖縄料理店を経営[9]する一方で、琉球音楽サークル「魔法使いま〜ちゃんとちっちゃな悪魔たちの集い」を結成し、活動している。
    • アイドル時代からの友人である元ずうとるび江藤博利とは現在も親交がある。
  • 玉元 晃(たまもと あきら、 (1961-05-09)1961年5月9日(64歳) -  O型) 四男。ギター担当。メインボーカル。
    • 正男と同じ建築会社で、大工の後は営業職に転属した。退職後はT.AKIRAとして、江木俊夫あいざき進也狩人高道とともに結成したs4として現在もライブ活動などの音楽活動を続ける。
  • 玉元 妙子(たまもと たえこ、 (1962-06-07)1962年6月7日(63歳) -  A型) 次女。キーボード担当。ボーカル。
    • 日出高等学校を卒業し、会社勤めの後20歳で結婚、1人娘がいる。その後芸能活動は行なっていない[10]

基本は上記5人で、末期に下記2人がメンバーとなる。

  • 具志堅 実(ぐしけん みのる、 (1967-01-23)1967年1月23日(58歳) -  O型)上記兄弟の甥っ子。1975年6月発売のシングル『ぼくらのパパは空手の先生』から加入。このシングルのジャケット写真には写っていないが、レコーディングには参加している。テレビでの歌披露や雑誌の取材等では一時期長男を含めた6人体制での露出となっていた。1975年11月発売のシングル『帰ってくるよ』から、マネージャーに専念した長男と正式に交代。1978年2月発売のシングル『やきもちボーイ』まで在籍した。
    • メンバーの中で最も大柄で、光男の代わりにテレビ出演することが多い。
  • 安 広司(やす ひろし、 (1960-04-29)1960年4月29日(65歳) -  O型)上記兄弟のいとこ。1978年6月発売のラストシングル『悩ませないで』のみ参加。

ディスコグラフィ

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シングル

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  • ベイビー・ブラザーズ名義。
#発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲レーベル規格品番
11970年
6月20日
A面私の恋人さん玉元正男玉元一夫キング
レコード
BS-1226
B面自由な世界
21970年
10月20日
A面ジングルベル音羽たかしJ.Pierpont玉元一夫BS-1271
B面赤はなのトナカイ新田宣夫J.Marks
31970年
11月20日
A面白い天使橋本淳高田弘BS-1286
B面僕たちの秘密谷山浩子高田弘
  • フィンガー5名義。
#発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲レーベル規格品番最高位
11972年
8月25日
A面キディ・キディ・ラブ玉元正男玉元一夫山崎泉キング
レコード
BS-1588
B面悲しみの再会
21973年
8月25日
A面個人授業阿久悠都倉俊一フィリップス
レコード

(日本
フォノグラム)
FS-17571
B面恋の研究玉元一夫山崎泉
31973年
12月5日
A面恋のダイヤル6700井上忠夫FS-17761
B面初めてのクラス会
41974年
3月5日
A面学園天国FS-17852
B面フィンガー5のテーマ玉元正男玉元一夫三枝伸
51974年
6月25日
A面恋のアメリカン・フットボール阿久悠都倉俊一FS-17944
B面おませなデート
61974年
9月10日
A面恋の大予言[注釈 4]井上忠夫馬飼野俊一FS-180241
B面上級生井上忠夫
71974年
12月25日
A面華麗なうわさ[注釈 5]都倉俊一FS-18156
B面悲しみの十字路
81975年
2月5日
A面名犬ラッシー山上路夫山下毅雄ボブ佐久間FS-181845
B面帰ろうラッシー
91975年
3月5日
A面バンプ天国[注釈 6]阿久悠井上忠夫馬飼野俊一FS-182313
B面フィンガー5スペシャル立木寝損三枝伸
101975年
6月21日
A面ぼくらのパパは空手の先生阿久悠三枝伸深町純ポリドール
レコード
DR-195519
B面銀の十字架立木寝損三枝伸
111975年
11月21日
A面帰ってくるよフィンガー・ファミリージーン・ペイジ英語版DR-199545
B面ハイウェー・パトロール103
121976年
2月21日
A面ジェット・マシーン三枝伸DR-303036
B面魔神バロン
131976年
6月1日
A面飛べ!すてきなベイビー及川恒平惣領泰則DR-600865
B面僕だけのプリンセス
141976年
9月21日
A面101人ガールフレンド阿久悠都倉俊一DR-604165
B面くたばれジャイアンツ
151976年
12月21日
A面モンローウォークのお嬢さんDR-606886
B面バブルガム リリィ
161977年
5月1日
A面恋のラッキー・ストライク竜真知子井上忠夫あかのたちおDR-609785
B面ディスコ・レディとファースト・キッス
171977年
7月21日
A面スーパーカーブギ小泉まさみ佐孝康夫DR-6126
B面ママとパパのロックンロール
181977年
11月1日
A面ぼくは眠れない荒木一郎小田健二郎DR-6155
B面いい娘じゃないから君が好き酒井チエケン田村
191978年
2月1日
A面やきもちボーイ小泉まさみDR-6178
B面クレイジーラブ杉山政美小田健二郎
201978年
6月21日
A面悩ませないで橋本淳馬飼野康二DR-6223
B面恋人よ
その他のシングル
  • フィンガー5とクリスマス・パーティー1973年12月1日/FS-1781) ※ジャケットイラスト:水島新司 ※オリコン最高位94位
  • フィンガー5とクリスマス・パーティー1974年11月10日/FS-3050)
  • 学園天国2001年9月5日/UMCK-5533)
    • 1.学園天国、2.窓辺のデイト、3.恋のハートビート、4.学園天国(カラオケ)

アルバム

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レコード
  1. 個人授業/FINGER 5 FIRST ALBUM(1973年12月5日
    「個人授業」とそのB面曲「恋の研究」の他、ジャクソン5マイケル・ジャクソンらの英語曲の日本語カヴァーソングを収録。
  2. 学園天国/FINGER 5 SECOND(1974年4月10日
  3. フィンガー5オリジナル わたしの恋人さん(1974年5月25日
    旧ベイビー・ブラザーズ名義の楽曲を中心に収録。フィンガー5名義のアルバムとしては唯一、キングレコードからの発売となった。仲宗根美樹がゲスト出演している。
  4. 恋の大予言/フィンガー5 サード・アルバム(1974年10月25日
  5. 華麗なうわさ/アルバムNo.4(1975年2月5日
  6. ジェット・マシーン ニュー"フィンガー5"から愛をこめて(1976年3月21日
  7. フィンガー5 NOW!!(1977年12月21日
CD
  1. シングル・コレクション(1991年12月5日
  2. バトル・フィンガー・ファイブ~リターンズ(1992年12月21日
  3. NEW BEST(1993年5月26日
  4. 恋の大予言/フィンガー5 サード・アルバム(1994年6月25日) ※2001年7月25日再発
  5. 個人授業/FINGER 5 FIRST ALBUM(1994年11月2日) ※2001年7月25日再発
  6. 学園天国/FINGER 5 SECOND(1994年11月2日) ※2001年7月25日再発
  7. 華麗なうわさ/アルバムNo.4(1994年11月2日) ※2001年7月25日再発
  8. スペシャル1800(1996年11月21日
  9. フィンガー王国1999年4月21日
  10. フィンガー天国(1999年4月21日)
  11. COMPLETE COLLECTION(2001年7月25日
  12. 学園天国・Re Mix天国!!(2001年8月22日
  13. スーパー・バリュー(2001年12月19日
  14. フィンガー5コンプリートCDBOX2003年2月8日) ※2007年8月25日再発
  15. ゴールデン☆ベスト フィンガー52003年11月26日
  16. CD&DVD THE BEST フィンガー5 [CD+DVD](2005年7月6日
  17. フィンガー5 ベスト10(2005年12月9日
  18. 歌が唄いたい!! ベストヒット&カラオケ(2006年8月30日
  19. Best & Nonstop Finger5(2012年7月25日

テレビ

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当時の出演番組

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現在からふりかえる過去の特集

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映画

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※『ハロー!...』は「東宝チャンピオンまつり」内で、『...大冒険』は「東映まんがまつり」内で、それぞれ上映された。同じ年に東映と東宝の「まつり」に登場したのは前例が無い。なお、この回の「東映まんがまつり」は、正式名が「フィンガー5と遊ぼう!東映まんがまつり」であるとのこと。

CM

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脚注

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[脚注の使い方]

注釈

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  1. ^旧ベイビー・ブラザーズからの続投。
  2. ^1960年代のバンド、ザ・フィンガーズとは無関係。
  3. ^モデルとなったジャクソン5も、1975年ジャクソンズに改名している。
  4. ^元は「上級生」がA面だったが、ボーカル晃の変声期と重なり、A面とB面が差し替えられた。
  5. ^A面曲では初めて妙子がメインボーカルを務めた楽曲。
  6. ^ジャケットには水島新司によるバンプを踊っている晃と妙子のイラストが掲載。

出典

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  1. ^Eremenko, Alexey. Finger 5 | Biography & History -オールミュージック. 2021年6月27日閲覧。
  2. ^Finger5 / Best&Nonstop Finger5 [2CD+DVD]”. CDJournal. 株式会社シーディージャーナル. 2021年6月27日閲覧。
  3. ^abcd“「フィンガー5」晃さんに聞いた「天国も地獄も味わったけど、後悔はありません」”.日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ. 5 May 2022. 2022年5月5日閲覧.
  4. ^abcdefghij北村泰介 (2021年7月15日). “あの伝説バンドは小6の僕に「ビッグになる」と予告していた フィンガー5・晃が秘話明かす”. デイリースポーツ (神戸新聞社). オリジナルの2021年7月17日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210717044052/https://www.daily.co.jp/gossip/subculture/2021/07/15/0014504542.shtml 2025年3月6日閲覧。 
  5. ^ab小西良太郎「歌は世につれ世は歌につれ 歌謡特集(2) 『不況の中の'74年歌謡曲やぶにらみ考』」『スタア』1975年1月号、平凡出版、227–231頁。 
  6. ^『驚きももの木20世紀』で高田文夫が証言。[出典無効]
  7. ^『売れなきゃよかった…金曜日の告白SP!大壮絶人生』より。[出典無効]
  8. ^「フィンガー5」再結成 新メンバー3人加え13年ぶりに読売新聞、1992年4月22日東京夕刊、芸能面。
  9. ^NHK BS2日めくりタイムトラベル 昭和48年』より[出典無効]
  10. ^二田一比古 (2023年2月6日). “あの人は今こうしている 70年代を彩った元「フィンガー5」妙子さん 音楽とは無縁の生活、再婚した年下夫と平穏に暮らす”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 日刊ゲンダイ. 2023年3月1日閲覧。

外部リンク

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