Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


コンテンツにスキップ
Wikipedia
検索

バーバロ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。このテンプレートの使い方
出典検索?"バーバロ" – ニュース ·書籍 ·スカラー ·CiNii ·J-STAGE ·NDL ·dlib.jp ·ジャパンサーチ ·TWL
(2015年8月)
バーバロ
フェアヒル調教場へ向かうバーバロ(真ん中)
ケンタッキーダービーの1週間後
品種サラブレッド
性別
毛色黒鹿毛
生誕2003年4月29日
死没2007年1月29日
ダイナフォーマー
ラヴィルルージュ
生国アメリカ合衆国の旗アメリカ合衆国
生産者Mr. & Mrs. M. Roy Jackson
馬主Lael Stables
調教師Michael R. Matz
競走成績
生涯成績7戦6勝
獲得賞金2,302,000ドル
テンプレートを表示

バーバロ(あるいはバルバロ、英語表記:Barbaro)はアメリカ競走馬。父のダイナフォーマージャージーダービーを勝っている。

戦績

[編集]

2005年10月のデラウェアパークの未勝利戦でデビュー勝ち、GIIIローレルフューチュリティーを制し重賞初制覇。年明けの1月1日にコールダーで行われたGIIIトロピカルパークダービーも制して3連勝を飾る。ここでケンタッキーダービーに使うために試しにダートを、と使ったガルフストリームパークのGIIIホーリーブルステークスも勝利し、さらにはフロリダダービーも制し初GI制覇[1]。そしてクラシック第一弾のケンタッキーダービーへ向かう。20頭立てのレースで終始先頭集団を追走し、4コーナーで先頭に立つとアソールトに次ぐ6 1/2馬身差で勝利、無敗でのケンタッキーダービー制覇となった[2]。生産者のMr. & Mrs. M. Roy Jacksonは、同日に行われた英2000ギニーでも生産馬のジョージワシントン (George Washington) で勝っている。

続く5月20日プリークネスステークスでは、アファームド以来28年ぶりの三冠はもちろん、シアトルスルー以来29年ぶり二頭目の無敗の三冠馬誕生に向け、連勝が大いに期待されて11万8402人が競馬場に詰めかけた。しかし、レースではゲートを壊して発馬、再スタート後すぐに騎手が異変を感じて競走中止、右後脚の球節の上の砲骨顆部及び、球節の下の第一趾骨を粉砕骨折するという最悪の結果に終わった。これにより、バーバロは競走能力を喪失し、このレースが生涯最後のレースとなった。

競走成績

[編集]
出走日競馬場競走名距離着順騎手着差1着(2着)馬
2005.10.04デラウェアパーク未勝利8f1着J.カラバロ8 1/2身(Jade's Revenge)
2005.11.19ローレルローレルフューチュリティ芝8.5f1着J.カラバロ8馬身(Diabolical)
2006.01.01コールダートロピカルパークダービーG3芝9f1着E.プラード1 1/2馬身(Wise River)
2006.02.04ガルフストリームパークホーリーブルSG3D9f1着E.プラード3/4馬身(Great Point)
2006.04.01ガルフストリームパークフロリダダービーG1D9f1着E.プラード1/2馬身(Sharp Humor)
2006.05.06チャーチルダウンズケンタッキーダービーG1D10f1着E.プラード6 1/2馬身(Bluegrass Cat)
2006.05.20ピムリコプリークネスSG1D9.5f中止E.プラード競走中止Bernardini
  • 競走名のSはステークスを示す。

闘病生活

[編集]

通常ならば予後不良と診断され、直ちに安楽死の措置が採られてもおかしくない故障だったが、馬主の意向により生存へ向けた手術が行われた。ペンシルベニア大学で行われた5時間に及ぶ手術は成功したものの、競走能力は喪失、助かる見込みは50%といわれていた[3]。7月には右後脚をかばって体重がかかっていた左後脚に蹄葉炎を発症[4]、極めて予断を許さない状況になっていたが、その後は驚異的な回復を見せ、8月中旬には外で元気に歩く姿も見せ[5]、いずれは退院できるというまでに回復していた。しかし、再び左後脚に加え両前脚に蹄葉炎を発症、左後脚の蹄葉炎が結果的に致命傷となり延命を断念、2007年1月29日に安楽死の処置がとられた[6][7]

その後バーバロの名を冠したレースがピムリコデラウェアパークにてそれぞれ行われるようになった[8][9]

血統表

[編集]
バーバロ血統ロベルト系 / Nashua 4×5=9.38%)(血統表の出典)

ダイナフォーマー
Dynaformer
1985 黒鹿毛
父の父
Roberto
1969 鹿毛
Hail To ReasonTurn-To
Nothirdchance
BramaleaNashua
Rarelea
父の母
Andover Way
1978 黒鹿毛
His MajestyRibot
Flower Bowl
On The TrailOlympia
Golden Trail

ラヴィルルージュ
La Ville Rouge
Carson CityMr. ProspectorRaise a Native
Gold Digger
Blushing PromiseBlushing Groom
Summertime Promise
母の母
La Reine Rouge
King's BishopRound Table
Spearfish
Silver BetsyNearctic
Silver Abbey


出典

[編集]
  1. ^フロリダダービー、バルバロ無傷の5連勝”. netkeiba.com (2006年4月2日). 2023年6月22日閲覧。
  2. ^McNamara, Ed (2006年5月6日). “Unbeaten Barbaro runs away with Kentucky Derby” (英語). ESPN.com. 2023年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月22日閲覧。
  3. ^"After Successful Surgery, Barbaro's Chances Remain 'Coin Toss'"Archived 2006-06-16 at theWayback Machine..The Blood-Horse, May 23, 2006.
  4. ^バーバロが蹄葉炎を発症”. netkeiba.com (2006年7月14日). 2023年6月22日閲覧。
  5. ^Barbaro goes out to grazeArchived March 9, 2007, at theWayback Machine. August 15, 2006
  6. ^Barbaro euthanized after months-long fight for survival” (英語). ESPN.com (2007年1月29日). 2018年4月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月22日閲覧。
  7. ^ケンタッキーダービー馬バーバロが安楽死”. netkeiba.com (2007年1月30日). 2023年6月22日閲覧。
  8. ^Barbaro Stakes to Debut at Pimlico in May 2007 After Maryland Jockey Club Renames Sir Barton StakesArchived September 28, 2007, at theWayback Machine. December 20, 2006
  9. ^Xchanger finds winning formula in Barbaro S. – NTRAArchived October 30, 2007, at theWayback Machine.

外部リンク

[編集]
国立図書館
その他
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=バーバロ&oldid=98829213」から取得
カテゴリ:
隠しカテゴリ:

[8]ページ先頭

©2009-2026 Movatter.jp