ナントの勅令 (ナントのちょくれい 仏:Édit de Nantes/英:Edict of Nantes)は1598年に当時のフランス国王アンリ四世によって公布された勅令[ 1] 。16世紀後半のフランスで8度にわたる激しい宗教戦争を行ってきたカトリック とプロテスタント の対立を解消するため、プロテスタント側に一定の礼拝の自由を認めた[ 2] 。
ルイ十四世 の治世になるとしだいに有名無実化して1685年に全面廃棄、これによって多数のプロテスタントが国外へ亡命した[ 1] 。日本では伝統的に「勅令」の名が当てられてきたが、現在では一般に「ナントの王令 」と呼ばれる[ 3] 。
「ナントの勅令(王令)」原本。フランス歴史博物館所蔵。 16世紀初頭からヨーロッパ全土を揺るがしていた宗教改革 (Reformation)は1550年代頃からフランス王国内でも影響を持ち始め、とくに名家だったコリニー家 はそれを主導する拠点のひとつだった[ 4] 。しかし国王フランソワ二世 (在位 1559-1560)のもとで、プロテスタントは「ユグノー Huguenots」と蔑称され、きびしく弾圧されてゆく[ 5] 。
これに反発して信仰の自由を求めるプロテスタント側とカトリック側の対立は武力衝突に発展し、36年間にわたって各地で内戦状態となった(ユグノー戦争 )[ 4] 。とくに凄惨な事件は1572年の聖バルテルミの虐殺 で、ここではわずか1週間のうちに約10万人のプロテスタント信者が殺害、多くが投獄されている[ 6] [ 2] 。
これにひとつの終止符を打ったのがナントの勅令(王令)で、1598年4月30日にアンリ4世 (在位1589-1610)によって公布され、翌1599年2月25日にパリの議会によって登録された[ 7] [ 6] 。
アンリ4世(ナヴァールのアンリ)は早くからプロテスタントの立場をとり、自らユグノー戦争を戦う闘将として知られていた。そのため伝統的にカトリックの大国であったフランス王国では王位継承権を剥奪され、ローマ教皇 からも破門を受けていた[ 2] 。しかし先王たるアンリ三世が内戦状態のなか暗殺され、フランス社会の混乱を見たスペインがフランス侵攻の野心を深めると、王国を統一するためとしてみずからカトリックへ改宗を宣言[ 4] 。そしてカトリックとプロテスタント双方に譲歩を求める形でナントの勅令(王令)を公布した[ 5] [ 1] 。
この王令ではまず何よりも暴力の連鎖に歯止めをかけることが目指され、その第一条・第二条では「相手側の行為についてはすべての記憶を消し去り、忘れ去るままにすること」「過去の行為をもって相手を侮辱・攻撃する臣民は厳しく処罰する」などとうたっている[ 7] [ 5] 。
この王令によって、プロテスタント側はそれまで剥奪されていた土地を取り戻し、また居住地域での信仰実践や、大学への入学・公職への就任も認められた[ 6] 。またカトリックと同様の財政的支援も受けられることになった[ 4] 。
これによって戦闘の大部分はいったん終了したが、カトリック側は散発的にプロテスタントの抑圧運動を展開しつづけたほか、プロテスタントによる公的な場所で礼拝はパリや宮廷所在地では認められず[ 2] 、完全な信仰の自由ではなかったことからプロテスタント側にも不満を蓄積する結果となった[ 1] 。
1624年にリシュリュー枢機卿 が宰相になるとプロテスタントは影響力を失い、公職への就任も禁止された。かれらの環境は以後さらに悪化してゆき、1685年にナント勅令(王令)は正式に撤回される[ 6] 。
しかしその後、一般民衆の間ではより寛容な態度が広まり、1787年には寛容王令(Edit de Tolerance)が公布されて、非カトリック教徒が迫害されることなく信仰を実践する権利が与えられた[ 2] 。
^a b c d Christin, Olivier.La paix de religion. L'autonomisation de la raison politique au XVIe siècle. Paris: Seuil, 1997. ^a b c d e Garrisson, Janine.L'Edit de Nantes et sa revocation. Histoire d'une intolerance. Paris: Seuil, 1985. ^ 和田光司「十六世紀フランスにおける寛容に関する諸概念について」(上)(中)(下)(『聖学院大学論叢』 17(3)127-134,18(1)103-110,21(2)125-139/2005年3,10月,2009年3月) ^a b c d Grandjean, Michel; Bernard Roussel, eds.Coexister dans l'intolérance. L'édit de Nantes (1598). Geneva, Switzerland: Labor et Fides, 1998. ^a b c Gordon, Melton, J. “Edict of Nantes.”Encyclopedia of Protestantism , by J. Gordon Melton, 2nd ed., Facts On File, 2016. ^a b c d Joxe, Pierre.L'édit de Nantes. Une histoire pour aujourd'hui. Paris: Hachette Littératures, 1998. ^a b Willaime, Jean-Paul. “NANTES, EDICT OF.”Encyclopedia of Protestantism , ed. by Hans J. Hillerbrand, 1st ed., Routledge, 2003. ジョルジュ・リヴェ(二宮宏之・関根素子訳)『宗教戦争」(白水社〈文庫クセジュ〉、1968) ニコラ・ル・ルー(久保田剛史訳)『フランスの宗教戦争』(白水社〈文庫クセジュ〉、2023) 阿河雄二郎「ナント王令廃止と海港都市のプロテスタント」(同『近世フランス王権と周辺世界 : 王国と帝国のあいだ』 刀水書房、2021) 森川甫『フランス・プロテスタント 苦難と栄光の歩み』(聖恵授産所、1999) 和田光司「16・17世紀フランスの宗派共存」『歴史学研究』810(2006) 和田光司「ナント王令:史料と内容(上)(下)」『聖学院大学総合研究所紀要』33(2005), 37(2007) 和田光司「現代フランス・プロテスタントと「寛容」言説――ナント王令四〇〇周年を中心に」(深澤克己・高山博編『信仰と他者―寛容と不寛容のヨーロッパ宗教社会史』東京大学出版会、2006) 和田光司「十六世紀フランスにおける寛容に関する諸概念について」(上)(中)(下)(『聖学院大学論叢』 17(3)127-134,18(1)103-110,21(2)125-139/2005年3,10月,2009年3月) 渡辺一夫「或る王侯の話 アンリ四世」(『フランス・ルネサンス断章』岩波新書) Christin, Olivier.La paix de religion. L'autonomisation de la raison politique au XVIe siècle. Paris: Seuil, 1997. Garrisson, Janine.L'Edit de Nantes et sa revocation. Histoire d'une intolerance. Paris: Seuil, 1985. Grandjean, Michel; Bernard Roussel, eds.Coexister dans l'intolérance. L'édit de Nantes (1598). Geneva, Switzerland: Labor et Fides, 1998. Joxe, Pierre.L'édit de Nantes. Une histoire pour aujourd'hui. Paris: Hachette Littératures, 1998.