 | この項目では、1981年に任天堂が発売したゲームについて説明しています。 |
『ドンキーコング』(DONKEY KONG) は、1981年7月[注釈 1]に任天堂が発売した業務用ビデオゲームである。
本作は任天堂の看板キャラクターであるマリオが初めて登場した作品であり[4][5]、同社を代表するゲーム製作者である宮本茂のビデオゲームのゲームデザイナーとしてのデビュー作である[6][7]。本作は約85,000台を出荷する大ヒット作となり、ビデオゲーム市場における任天堂の成功の礎となった作品である[8]。
本作は1982年にゲーム&ウオッチ版、1983年にファミリーコンピュータ版が発売されたことでも知られている。続編に『ドンキーコングJR.』や『ドンキーコング3』、『スーパードンキーコング』シリーズがある。
ステージ構成は、スタートが25mで、順に50m・75m・100mとなり、これらの4つの面を順番にクリアすると再び25mから始まる4面ループ制[注釈 2]。25m・75mは画面上のレディのいる場所、50mは一番上のベルトコンベアーに到達するとクリア、100mは鉄骨の全てのビスを抜くとクリア。樽や敵、ドンキーコングに触れたり、落下するとミスとなる。また、各ステージには制限時間が設けられており、時間内にステージをクリアしないと強制ミスになる。クリアすると、その時点での残り時間がそのまま得点に加算され、一定以上の得点になるとリトライ数が1増える。
25m〜100mを1周としており、この周回数が上がるにつれ敵の攻撃が激しくなるが、制限時間のスコアも増えるため高得点を狙いやすくなる。ただしステージの難易度が最も高いのは5周目となり、それ以降は難易度がループする。ただしバグのためレベル22に突入するとわずか8秒ほどで強制ミス[注釈 3]になってしまいクリア不能となる(事実上の最高到達点)[注釈 4]。
制限時間は一定時間ごとに100ずつ減るのだが、周回を追うごとに減るペースが速くなるため、スタート時の制限時間スコアが多いからといって実際の制限時間が長いとは限らない。例えば最初の周回は開始時5000点・減少は2秒弱ペースだが、2周目になると開始時6,000点・減少は約1.5秒ペース。同じように3周目は開始時7,000点・減少は1秒強ペース、4周目以降は開始時8,000点・減少は1秒ペース(25mのみ約1.5秒ペースの減少)。バグの発生するレベル22は、開始から400点減った時点で強制ミス[9]。レベル22まで到達した場合に出せる総合得点は60万点台[注釈 5]。
日本でのアーケード版の基板は大まかに発売初期の前期バージョン(通称「TRYバージョン」)と、バグを修正した後期バージョン(通称「GETバージョン」)に分けられる。主な違いは、ステージ開始時のメッセージが異なる(前期バージョンでは「HOW HIGH CAN YOU TRY?」、後期バージョンは「HOW HIGH CAN YOU GET?」)。
後期バージョンは25mのワープの裏技が困難になったことなどである。しかし、後期バージョンでもワープできることがわかったため、最後期版では画面端の方向にジャンプした時に反転する範囲を広くすることで絶対にワープできないようにした[要出典]。
アメリカではNES発売前の1982年に、任天堂以外のハードであるインテレビジョン・コレコビジョン(本体と同梱)・Atari 2600向けの移植作が、任天堂のライセンスを受けてリリースされた。
サウンドはアーケード版とファミコン版で若干異なっており、ファミコン版発売以後のリメイク版のサウンドは多くがファミコン版に準拠している。また、アーケード版ではジャンプ音が微妙に長い物が存在する。
主人公(マリオ)がタルをつぶすときに使うハンマーは、ファミコンソフト『レッキングクルー』で壁壊しに使われているほか、以降のマリオシリーズにおいて武器として使用されることがある。また、『スーパーマリオRPG』および『マリオ&ルイージRPG』でのマリオの武器と『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズでも攻撃アイテムとして登場する。
リフト面でのリフトや敵キャラクターのファイヤー、ピョンピョン飛んで落ちていくジャッキなども、役割を変えてスーパーマリオブラザーズシリーズでも使われている。
名前の左側は日本のアーケード版 インストラクションカードより、括弧内は英語版インストラクションカードより。右側は現在の名前。
- プレイヤー (Jumpman) /マリオ
- 主人公。ドンキーコングにさらわれた恋人のレディを救い出すのが本作の目的。
- アーケード版の発表当時は主人公の正式名称がなく、名前が固定するまではジャンプマンや救助マン[10]などとよばれていたが、続編『ドンキーコングJR.』でマリオと名づけられた。後にこの名前が本作のファミコン版などにも反映された。「Jumpman」という名前は、岩谷徹が考案したキャラクター「Walkman」や「PAC-MAN」をヒントにして付けられた[11]。
- コング (Donkey Kong) /ドンキーコング[12]
- 敵役。タルを投げてプレイヤーを妨害する巨体のゴリラ。元々は主人公にペットとして飼われていたが、主人公をからかうために彼の恋人をさらい、工事中のビルへ逃げ込んだ[13]。
- 宮本茂によれば、オリジナル版のエンディングを作った際に「マリオとドンキーは敵同士ではないため、ドンキーを殺したりするのではなく、プレイヤーが知恵を使ってイタズラ者の気を失わせる」というテーマで制作したとされる[14]。
- レディ(lady) /ポリーン
- プレイヤーの恋人。ドンキーコングにさらわれ、50m以降の各ステージにバッグ、帽子、傘を落としていく。
- 当初は日本版・欧米版ともに「レディ」と一般名詞で呼ばれており、日本では1983年発売のファミコン版以降もそのままレディの名が引き続き使用された。その後、アメリカのアニメ番組『サタデー・スーパーケード』(英語版)で彼女にポリーンという個人名が与えられ、この名前が1986年発売の欧米のNES版以降にも正式反映された[15]。上記の経緯から、本作の日本版と欧米版でヒロインの名称が異なる期間が存在した。日本においてポリーンの名前が正式に使用されるのは1994年のゲームボーイ版『ドンキーコング』以降である(詳細はポリーン#レディとポリーンを参照)。
- タル[16]
- 25mでドンキーコングが転がす。樽は茶色をした通常の樽と青色でドクロのマークの入った火薬樽の2種類が存在し、1投目は必ず火薬樽を投げ、以降、8個目ごとに火薬樽を転がすか投げる。主人公がジャンプで飛び越すと100点、2個いっぺんに飛び越すと300点、3個では800点獲得する。
- ステージ1の茶色をした通常の樽は、坂道になった足場に沿って下の階まで下りてくる。しかし、全ての樽が必ずマリオのスタート地点(最下層の一番左端)まで転がり落ちるわけではない。マリオの居る位置を通過した後は、一段下の坂道に落ちた後、マリオのスタート地点には向かわずに逆方向に向かってわずかに坂道を上り、画面外へと消える。
- ひのこ
- 25m - 75mに出現する。25mは火薬樽がOIL缶と衝突するごとに、50mは中央の焼却炉から最大5体、75mは定位置に2体出現する。ジャンプで通り越すこともできるが、ランダムに動くためリスクが高い。主人公がハンマーを取ると色が青く変化する。
- セメント[16]
- 50mのベルトコンベア上で流れる。プレイヤーのジャンプは慣性の法則を無視するため、プレイヤー側から見てベルトコンベアの進行方向にあるセメントをジャンプで飛び越すことはできない。進行方向が一定時間(8秒程度)で反転する下段のベルトコンベアはその点に注意する必要がある。
- なお、2周目以降でベルトコンベアの速度がアップするのはクレイジーコングを始めとするコピー版のみの仕様であり、オリジナル版では1周目の速度から速くなることはない。ファミリーコンピュータ版のOriginal Editionの挙動はアーケード版とは異なっている。
- ジャッキ[12]
- 75mで出現する。コングの左側から出現して、右へぴょんぴょんはねながら右側で落下する。レベル5以降では出現開始位置の微妙な見極めがクリアの成否を分ける。
- おじゃま虫[12]
- 100mに最大5体出現する。ひのこと同じ理由でジャンプで飛び越すのはリスクを伴う。
- ビス[16]
- 100mに8本存在する。ビスの上を通過することでビスが外れ、そこに穴が開く。ビスが外れた箇所をおじゃま虫は通過できず、またプレイヤーもジャンプで越えないと下に落ちてミスとなる。
1983年7月15日、ファミリーコンピュータのローンチタイトルのひとつとして続編『ドンキーコングJR.』や『ポパイ』と共に発売[35]。
25mなどの高さの表示は無くなっており、スタート時のデモ(ドンキーコングがレディを担いで25mの最上部に上り、平らな床を振動で斜めにさせるという内容)やステージクリア時のドンキーコングがレディを担いで上がるデモが省略され、最終面クリア時のBGMも2種類から1種類に削減されている。また、容量の問題から、アーケード版のベルトコンベアー面 (50m) が削除され3面構成となっており、1面(アーケード版の25m)で放り投げられる火薬樽が普通の樽と同じグラフィックになり、挙動も1段ずつひっかかりながら真下に落ちるか毎回同じジグザグに落ちる2種類のみとなっている。
一方、それまでのアーケードゲームの家庭版は絵が違ったりステージが1つしか遊べなかったりしたが、このゲームは機能縮小こそあれどアーケード版と見まごうほどの移植度の高さが特徴であり、当時としては画期的であった[36]。シンプルなステージの繰り返しだったそれまでのゲームに対し、キャラクター性とストーリー性を持たせた点でも優れた作品であることがわかる。
『どうぶつの森』[37]『どうぶつの森+』『どうぶつの森e+』のファミコン家具としてプレイ可能。2004年2月14日に「ファミコンミニ」のラインナップとしてゲームボーイアドバンスに移植されたほか、バーチャルコンソールとして2006年12月2日にWiiで、2012年10月17日にニンテンドー3DSで、2013年7月15日にWii Uでそれぞれ配信開始された。ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ、Nintendo Switch Online加入者向けのソフト『ファミリーコンピュータ Nintendo Classics』にも収録されている。
日本国外のNESでは、『Donkey Kong Classics』として、本作と『ドンキーコングJR.』を1本のソフトにカップリングしたものが発売されている。
Donkey Kong Original Edition
[編集]Donkey Kong Original Edition(ドンキーコング オリジナル・エディション)は、2010年に欧州で発売されたスーパーマリオ25周年仕様のWiiにプリインストールされた特別版のバーチャルコンソール(日本版では代わりに『スーパーマリオブラザーズ25周年バージョン』がプリインストールされている)。
ファミコン版をベースに、アーケード版にあるベルトコンベアー面(最上段のドンキーコングは移動しない)やステージクリア時にドンキーコングがレディを担いで上がるデモ(ただしデモ中はマリオなどが表示されない)といったファミコン版で削除されていた要素が一部復活している[38]。タイトルクレジットの年号は「1981」から「1983-2010」に変更されている。
日本では2012年7月28日から9月2日まで「クラブニンテンドー 夏のダウンロード版スタートキャンペーン」の特典としてニンテンドー3DS向けに配信されていた[39]。また欧州・豪州では、2014年9月よりニンテンドー3DS版がニンテンドーeショップにて販売を開始している。
アーケード版で「レベル22で残りタイムが400になる現象」を前述したが、ファミコン版(通常版、オリジナルエディションの両方)でもレベル133で同様の現象が起こる。
『ドンキーコング』は、1980年に任天堂から発売された業務用ビデオゲーム『レーダースコープ』の基板の在庫処分を目的として開発が始められたものである[6][8]。『レーダースコープ』は池上通信機との共同開発によるギャラクシアンタイプのシューティングゲームで[5]、表示キャラ数を増やすことを目的に高速なICやメモリを採用した高性能な基板を使用していることが特徴であった[5][6]。しかし、それが災いして販売価格が高価となり[5][6]、また、日本内外を問わず販売されて稼働したものについても売上が全く伸びなかったとされている[5]。結局『レーダースコープ』は販売不振に終わり、任天堂は大量に在庫を抱える事態となってしまった[5][6]。
『ドンキーコング』の開発にあたっては任天堂側では横井軍平を中心とするチームが立ち上げられた[5]。任天堂は1981年4月1日に池上通信機と開発委託契約を締結し[40]、ゲーム案を説明する数枚の資料が池上通信機に送付された[8]。そのゲーム案の内容は宮本茂の発案による『ポパイ』のキャラクターを使用した「ポパイのビアダル攻撃ゲーム」というものであった[8]。
宮本茂によるスケッチに書かれたゲーム内容はポパイが鉄骨で構成された工事現場を樽を避けながらハシゴを伝って登り、最上階にさらわれたオリーブを救助するというものであった[8]。しかし、最上階に位置する敵役は『ポパイ』に登場するプルートではなく、当初からゴリラが描かれていた[8]。最終的には『ポパイ』の権利交渉がまとまらなかったことを理由に、宮本はマリオやドンキーといったオリジナルのキャラクターをデザインした[41][42]。
なお、宮本のデザインしたマリオは、その当時のハードウェア上の制約を根拠に作成されたものとなっている[42]。その一例として、少ないドット数で顔を表現するために、帽子を被らせて鼻の大きい髭面の風貌となったこと[42]。また、テレビ画面でもわかりやすくするため[13]、少ないアニメ枚数で体の動きを表現するために[42]、マリオにオーバーオールを着せたことが挙げられる[13][42]。これらの特徴が由来となって、マリオが大工の設定となった[13][42]。なお、現在ではマリオは赤いシャツに青いオーバーオールというファッションが一般的だが、この当時は青いシャツに赤いオーバーオールという、逆の配色だった。
池上通信機側では、プログラムの開発を担当する駒野目裕久、飯沼実、西田充裕、村田泰裕の手によって「ポパイのビアダル攻撃ゲーム」に対する検討が行われた[8]。宮本のゲーム案の問題点の洗い出しと並行して、彼らの発案による全く別のゲーム案の検討も行われたものの、最終的に宮本のゲーム案を使用することを決定[8]。宮本と打ち合わせを行って仕様書を作成し、開発に着手した[8]。
駒野目によれば、この宮本と池上通信機の開発スタッフの打ち合わせの中で、宮本のゲーム案に対するいくつかの大きな変更が加えられたとしている[8]。その一例として「ジャンプ」のアイデアがある[8]。当初主人公が落ちてくる樽を回避する手段は、ステージに設置された退避用の梯子を登ることだった[8][注釈 6]。この仕様に対しては、常に逃げ回るゲームでヤキモキするという意見や[8]、難易度への懸念も存在していた[42]。この不満を解消するために、樽をジャンプで回避するアイデアが出され、ゲーム中に盛り込まれることになった[8][42]。1981年当時、ジャンプを仕様として盛り込んだゲームは数少なかったという理由から、この仕様はこのゲームの一番の売りとして位置付けられることとなった[8]。この他にも、レバー1本とボタン1つで操作する操作系[注釈 7]や、面の構成についてもこの打ち合わせの中で決定されたという[8]。
製作期間に関しては、2016年の宮本茂へのインタビューによると、当時の任天堂のゲームの開発期間が約3か月だったのに対して、『ドンキーコング』は4か月から5か月程度掛かったと証言している[43]。一方、駒野目が執筆した「ドンキーコング奮闘記」によると、1981年4月6日に数枚の説明資料とともに任天堂から開発依頼を受け、そこから約3か月間の期間をかけて開発を行ったと記している[8][注釈 8]。
駒野目によると、仕様書の作成が約10日間と短期間だったこともあり、開発に着手した後もゲームをより面白くするために仕様の追加・変更が重ねられた[8]。宮本からもゲームを改良するための様々な提案[注釈 9]が送られてきたという[8]。その作業は出荷間際の1981年7月まで続き、その度重なる仕様変更により生じるプログラムのバグには頭を悩ませたと記している[8]。
宮本も池上通信機のスタッフ4人もビデオゲームの開発に携わるのは初めての経験であった[8]。駒野目は本作をビデオゲームの専門家以外のものが集まって知恵を出しあったゲームとして総括している[8]。
効果音は田中宏和が担当。このうちマリオが歩く時の音は、基板についているコンデンサーの充放電を利用して、歩くタイミングによって音が変わるように調整していた[44]。
『ドンキーコング』の「ドンキー(donkey)」は一般的な「ロバ」という意味ではなく、「とんま、まぬけ」といった意味であるが、英語でその意味で使われることはほとんどない。また、「コング(kong)」は当時の日本では『キングコング』の影響で「大型のゴリラ」を指す単語として誤解され広まっていたが、元々は同作における造語であり、本来の英語にこのような単語は存在しない。
名付け親は当時任天堂の広報部に勤めていた本郷好尾。「とんま」という言葉を和英辞典で調べていたら「Donkey」とあり、(「ゴリラ」を意味する単語と思われていた)「Kong」と組み合わせて「語呂がいい」ということで提案したところそのまま正式に採用された。それ以外の案では、宮本茂はゴリラに頭巾をかぶせ「鞍馬コング」にしようと提案したなどといったエピソードもある[45]。またそれ以外に『ファニーコング(Funny Kong)』『ステューピッドコング(Stupid Kong)』『クレイジーコング(Crazy Kong)(海賊版のタイトルになった。詳細は後述)』が候補として挙げられていたが、このうち『ドンキーコング』を正式名称に選んだのは、当時の任天堂本社の貿易部輸出部長だとされる[46]。また、マリオのネーミングは、米国任天堂が借りていた倉庫のオーナー、マリオ・セガールの顔が『ドンキーコング』の主人公にそっくりだったことに由来する[47][48]。
アーケード版『ドンキーコング』のプログラミングを委託された池上通信機は、1983年7月20日、著作権侵害を理由に任天堂に対する賠償請求を東京地方裁判所に申し立てた。池上通信機に無断での、任天堂による『ドンキーコング』基板の複製に対する契約不履行が、著作権侵害の理由であった[49]。
この訴えに先立ち、同年6月27日に任天堂はゲームデザイン本体は任天堂社員によるものであることと、契約履行後の池上通信機の請求権不在を理由に任天堂も東京地方裁判所に訴えを起こしていた[49]。
この裁判は判決が下されないまま、両者の和解で決着した。
任天堂に引き渡されたROMデータの中には池上通信機の社名・電話番号などが隠されている。ソースリストは任天堂に渡されていなかった[注釈 10]ため、続編の『ドンキーコングJR.』を開発する際には任天堂自身で逆アセンブルなどの解析を行うはめになった。
なお、本事件後、池上通信機はセガと契約しゲーム開発を続行することとなる。その中のひとつに、本作に類似した『ティップタップ』(1983年、英名:『Congo Bongo』)があり、クオータービューを採用して立体感を出すなど、ある意味では本作の正統な進化形と捉えることができ、画面構成や面数の表示方法などで池上通信機テイストが継承されている。
1982年、米大手映画会社のユニバーサル映画(当時はMCA傘下)が、『ドンキーコング』は当時同社が版権を保有していたとされる映画『キングコング』(1976年)のキャラクター著作権を侵害しているとして損害賠償を求める訴訟を起こした。
これに対し任天堂の米国法人であるNintendo of America(NOA)は逆に「ユニバーサル映画が同訴訟を提起したことは『ドンキーコング』の名誉を毀損した」として反訴(カウンタークレーム)を起こし真っ向から対決。そして裁判の過程において任天堂側の弁護士ジョン・カービィは、元々ユニバーサル映画はオリジナルの『キング・コング』(1933年版)に関する版権をRKO社から取得せずにリメイク版の『キングコング』(1976年版)を制作していたこと、またリメイク版の公開当時前記の理由でRKO側から起訴され裁判が行われた際、ユニバーサル側が「(オリジナル版は)パブリックドメインである」と証言し勝訴していたことを指摘し、「そもそもユニバーサル映画は『キングコング』に関する版権など保有していない」ということでユニバーサル映画側の訴えは却下されてしまう。
最終的に上記の事情に加え「『ドンキーコング』と『キングコング』は全くの別物である」という任天堂の主張が認められた結果、1986年に任天堂はユニバーサル映画から約160万ドルの損害賠償を勝ち取った。
この裁判ではハワード・リンカーン率いるNOA法務部の活躍が光り、以後米国のゲーム業界における任天堂およびNOAの発言力を高めることにつながっている[50]。新・電子立国のインタビュー当時、マイクロソフトの法律部門が任天堂の同部門にコピー対策について相談に来ていたという[50]。
- ファミコン・ミュージック(1986年5月25日)
- G.M.O.レコードより発売されたアルバム内の一作品として収録されている。
- ファミコン 20TH アニバーサリー オリジナル・サウンド・トラックス VOL.1
- 2004年1月7日、サイトロン・デジタルコンテンツより発売されたCD内の一作品として収録されている。
- アーケード版
- エグゼクティブ・プロデューサー:山内溥
- プロデューサー:横井軍平(任天堂)
- ディレクター:宮本茂(任天堂)
- ゲーム・デザイナー:宮本茂(任天堂)
- プログラマー:駒野目裕久(池上通信機)、飯沼実(池上通信機)、西田充裕(池上通信機)、村田泰裕(池上通信機)
- グラフィック・デザイナー:宮本茂(任天堂)
- サウンド・コンポーザー:兼岡行男(任天堂)
- サウンド・プログラマー:兼岡行男(任天堂)、田中宏和(任天堂)
- サウンド・エフェクト:田中宏和(任天堂)
- ファミリーコンピュータ版
- エグゼクティブ・プロデューサー:山内溥
- プロデューサー:上村雅之
- プログラマー:中郷俊彦
- サウンド:兼岡行男、田中宏和
- アーケード版
1998年に刊行されたゲーメストムック『ザ・ベストゲーム2』では、「マリオのキャラクター性もあるが、しっかりした目的を持たせた上にしっかりしたアクションをさせるゲームはそれまでなかっただけ大ヒットすることとなる」と紹介されている[59]。
- ファミリーコンピュータ版
ゲーム誌「ファミリーコンピュータMagazine」1991年5月10日号特別付録の「ファミコンロムカセット オールカタログ」では、「任天堂初期の名作」、「キャラクタもののアクションゲームの元祖」、「このゲームは全3面で構成されている。現在で考えるといかにも貧弱だが当時では画期的なシステムだった」と紹介されている[20]。
ドンキーコング |
| ジャンル | アクションゲーム |
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| 対応機種 | ゲーム&ウオッチ |
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| 開発元 | 任天堂 |
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| 発売元 | 任天堂 |
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| 人数 | 1人 |
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| メディア | 内蔵ゲーム |
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| 発売日 | 198206031982年6月3日
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| 売上本数 | 約800万台(世界、国内では約120万台)[60] |
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| テンプレートを表示 |
アーケード版の25mをアレンジした上下二画面の構成で、上部にあるクレーンに飛び移り、ドンキーコングの足場にかかったフックを外していく(4つ外すとドンキーコングが落下する)という内容。その後、マリオはステージ下部から再スタートとなる。初めて十字ボタンを採用したゲームとしても知られる[61]。箇体は2画面、このプラットフォームでは主人公の名前が「救助マン(海外版はMARIO)」と説明書に記載されている[60]。
1997年9月発売のゲームボーイ用ソフト『ゲームボーイギャラリー2』や、2006年7月にはクラブニンテンドーの景品『GAME & WATCH COLLECTION』(ニンテンドーDS用ソフト)に収録された。
『クレイジーコング』(クレージーコング、英:Crazy Kong, Krazy Kong)は、ファルコン[注釈 11]が製造・販売を行ったことで知られる『ドンキーコング』のコピー品である[69][注釈 12]。
本作の基板は、日本物産の『クレイジー・クライマー』の基板にメモリ拡張などを行って『ドンキーコング』を動作させたものとなっており、後に独自設計の基板に切り替わった[70][注釈 13]。『クレイジー・クライマー』の音声ROMについてはそのまま搭載され、ゲームの効果音として流用された[70][注釈 14]。
また、『クレイジーコング』にはバリエーションとして『クレイジーコングPARTII』が存在している[72]。前作と比べてゲーム内容に大きな変化は無いが、ステージやデモシーンが一部改造されたほか、アトラクトデモでコングが檻から脱出する演出が追加されている[72][注釈 15]。
オリジナルの『ドンキーコング』の基板と違い、ハーネスの配線が複雑ではなかったので、汎用筐体で稼動させるには非常に好都合だったらしく、特に駄菓子屋や場末のゲームセンターでは重宝されていた(ただし、玩具店には任天堂レジャーシステムによるリースで純正品が設置されていることがほとんどだった)。基板は純正基板と同じく配線が複雑なコネクタータイプの忠実な物も存在していた。
また、純然たるデッドコピー品といえる「コピー基板のコピー基板」も数多く存在し、『クレイジーコング』の場合はタイトルもそのままでファルコンの社名を消してコピーしたものが出回った。さらに『モンキードンキー』『ビッグコング』などさまざまなコピー品があるが、どれも『ドンキーコング』ではなく『クレイジーコング』のコピーである。
任天堂は『ドンキーコング』について1981年7月の発表以来、セガ・エンタープライゼスやタイトーなど数社に基板販売の形で製造許諾を与えていたが、同年9月には株式会社キョウエイに対しても条件付きで製造許諾を与えた[69]。ほどなくして、キョウエイの営業権はその時点で設立済みであった株式会社ファルコンに譲渡され、同社は『クレイジーコング』の製造を開始した[69][注釈 16]。なお、『クレイジーコング』という題名については、任天堂は契約の中で承認していた[73]。
この製造許諾は、1981年9月から1982年1月末までの期間で有効となっており、任天堂は許諾を示す、基板に貼付するための英語のシールをファルコンに提供した[74]。ファルコンは基板1枚につき1万円の許諾料を任天堂に支払った[74]。また、許諾には製造台数の制限や日本国外への輸出を禁じるなどの条件が含まれていた[73]。しかし、ファルコンは許諾台数の数倍という数の基板を製造および販売し、さらに日本だけでなく、国外へも第三者を通じて大量に輸出した[73][注釈 17]。
『クレイジーコング』は米国でも大量に流通していたため、ニンテンドー・オブ・アメリカ(NOA)は1981年末から米国における製造販売元や本作を稼働させているオペレータに対して警告および法的措置を進め[75]、仮処分決定を得て本作の基板および筐体が押収される事態へと発展した[75][76]。
その後、任天堂および任天堂レジャーシステムは1982年6月1日にファルコンに対しても、不正競争防止法に基づき、『クレイジーコング』の製造および販売を差し止めるための仮処分申請を京都地方裁判所に行い、同年7月5日に仮処分の決定を得た[73]。同年10月13日には損害賠償請求および不正競争行為の差し止め請求の本訴を行った[69]。これについては、1985年3月にファルコンが任天堂に損害を与えたことを認めた上で裁判上の和解が行われている[66]。
任天堂以外のメーカーからも、ドンキーコングの雰囲気を再現したようなゲームがいくつか出ていた。アーケード版が出た当時はテレビゲームの能力が乏しかったため、玩具メーカーは電子ゲームで再現することに力を入れていた。
- キングマン(トミー)
- 電子ゲーム。さらわれた女性を助けるという設定や、キングマンが放つコウモリをジャンプでかわす点が酷似。開発バージョンではコウモリではなく樽だった。
- モンスターパニック(エポック社)
- 電子ゲーム。道中、ミイラ男が転がす爆弾をジャンプでよけるフィーチャーが存在する。
- モンスターマンション(エポック社)
- カセットビジョン用ソフト。1982年10月7日発売。さらわれた女性を助ける設定など、ドンキーコングを意識した作りになっている。
1994年6月14日に発売された、本作を基にした大幅なリメイク作品。プロローグを除いてはほぼ新作と言っていいほど内容が大幅に追加されている。ここではアーケード版のリメイクに相当するプロローグ部分のみ解説する。
ゲーム開始時にプレイする「ステージ0」がアーケード版のステージを再現したリメイクになっており、FC版で削除されたベルトコンベアー面や帽子のアイテムが復活。ただし、ゲームボーイの画面の関係からオリジナルと比べてやや短縮しているほか、ゲームボーイ版独自の操作が多数追加されている。
アーケード版の100mに相当するステージをクリアして以降は、旧作とは全く異なるゲームボーイ版独自の展開(本編)となり、アクションパズルの要素が強くなる。
- ^米国著作権局のデータベース上では1981年7月9日を『ドンキーコング』の出版日としている[1]。その一方で、『ゲームマシン』紙の1981年7月15日号、1981年8月1日号に掲載された記事によると、任天堂レジャーシステムは1981年7月9日に東京と大阪で『ドンキーコング』と『スカイスキッパー』を発表および展示する新製品発表会を開催しており[2][3]、加えて『ゲームマシン』1981年8月1日号の記事では『ドンキーコング』の発売時期を1981年7月中旬と記載している[3]。
- ^ただしこれは日本版の仕様であり、米国版だと多少異なる。ここでは、便宜的にタル面を25m、ベルトコンベアー面を50m、ジャッキ面を75m、ビス外し面を100mと表記することにし実際に表示する高さと異なる場合は括弧書で実際に表示する高さを並記する。
- 1周目 - 25m、100m(表示上は50m)の2面
- 2周目 - 25m、75m(表示上は50m)、100m(表示上は75m)の3面(ファミコン版の面構成と同じ)
- 3周目 - 日本版と同じ面構成
- 4周目 - 25m、50m、25m(表示上は75m)、75m(表示上は100m)、100m(表示上は125m)の5面構成
- 5周目以降 - 25m、50m、25m(表示上は75m)、75m(表示上は100m)、25m(表示上は125m)、100m(表示上は150m)の6面構成
- 25mの樽は日本版だとマリオが梯子を登り切る直前なら梯子を伝ってこないが、米国版ではおかまいなしに梯子を伝ってくるため日本版よりも難しい。
- セガが米国版の基板を保有しており、一部の直営店で稼動させているため、日本国内でも米国版を遊ぶことは可能。
- ^原因は制限時間の数値が桁あふれするため。これは続編『ドンキーコングJR.』でも発生する。
- ^25m〜75mはクリアできるが、100mは途中ミス後の再スタート時にビスが直って初めからのやり直しになるため約8秒でのクリアができない。また、25〜75mもクリアには25mでワープのバグ技が必要で、後期に作られた日本版や米国版ではワープができないためクリア不可能。
- ^米国版では25mステージが多いため得点効率よくレベル22まで行けば100万点以上も可能だが、その場合はスコア表示の左端にレディの顔が現れるバグがある。2018年3月現在の最高記録は Robbie Lakeman の1,247,700点となっている(詳細はen:Donkey Kong high score competition を参照)。
- ^宮本は当初は「あみだくじの中を避けていくゲーム」だったと述べている[42]。
- ^ナムコの『パックマン』のようにレバー1本のみの操作方法も検討されていた[8][42]。
- ^また、ドンキーコング開発終了後の1981年8月には面クリアバグの報告を受け、修正作業を行ったと記している[8]。
- ^「ドンキーコング奮闘記」では印象に残ったアイデアとして最終面のクリア方法に関する提案が一例として挙げられている[8]。
- ^『ファミコンとその時代』(上村雅之 他2名著 NTT出版)103ページには「社内にはコイン式ビデオゲーム版ドンキーコングのプログラムソースコードは存在していた。」とあるが、平成2年に大阪地裁で判決が下った「ドンキーコングJR.事件」では、「ソースコード・フローチャートは引き渡していない」ことが書かれており、「ソースコードは存在していた」は事実誤認である。
- ^ファルコンは1981年8月に設立され、1984年5月に倒産した東京の企業で[65]、ショウエイの出身者が設立した企業である[66]。同社の他の作品としては『リバーパトロール』のキャラ変えコピーである『シルバーランド』[67]や『トップローラー』が存在する[68]。1984年の『ゲームマシン』に掲載された英文記事によると、経営破綻時点のファルコンの子会社および関連会社として、Falcon International(米国テキサス州の企業)、キョウエイ、Eagles、Kagayaの名前が挙げられている[65]。
- ^『クレイジーコング』の開発についての詳細は判明していない。その一方で、1990年3月に大阪地裁で判決が言い渡された『ドンキーコング・ジュニア』無断複製事件について、『ドンキーコング・ジュニア』のコピー品の開発にあたっては、基板の生産自体は別会社に委託した一方で、ソフトの解析・改変、基板設計などの工程はファルコン自身が行ったと供述しており、裁判所もこれを否定していない[40]。
- ^1996年から1997年にかけて『bit』に掲載された連載「アーケードゲームのテクノロジ」によると本作で使用された基板には『ドンキーコング』の半分程度のスプライト表示能力しか存在せず[71]、『ドンキーコング』の開発者である駒野目は基板の能力の差から本作を原作に比べてかなり見劣りするものとして見ていたと述べている[8]。
- ^『クレイジー・クライマー』でゴリラが攻撃するときの「ホヤッ」という音声が、マリオがジャンプするときの効果音として流用されているなど[70]。
- ^このデモについて、『ドンキーコング』開発者の駒野目はゲームの背景を分かりやすくするものとして評価している[8]。この評価には『ドンキーコング』の開発において演出面に工数を割くことができなかったという事情があり、ショーで展示されていた『クレイジーコング』を見た関係者は「やられた」という感想を抱いたと記している[8]。
- ^1990年3月に大阪地裁で判決が言い渡された『ドンキーコング・ジュニア』無断複製事件の判決文では、キョウエイは1982年4月頃にファルコンから分離独立したもの、およびキョウエイはファルコンの販売部門が独立したものと2人の被告人がそれぞれ供述したことが触れられている[40]。このキョウエイと任天堂から『クレイジーコング』の製造許諾を得たキョウエイとの関係は判明していない。
- ^1984年の『ゲームマシン』の記事にはファルコンは『クレイジーコング』の販売によって月商約3億円を記録したこともあったと記載されている[65]。
- コンピュータゲーム
- ドンキーコング64 - 条件を満たすとゲーム中でアーケード版『ドンキーコング』がプレイ可能になる。
- テトリスDS - 一部にこのゲーム画面、音楽が使われている。
- スーパーマリオRPG - 「ドソキーユング」という瓜二つのキャラクターが登場し、ドンキーコングを題材にしたマップが登場する。
- 大乱闘スマッシュブラザーズX - 75mのステージを基にした「75m」というステージが当時の原画のままで対戦ステージとして使える。名作トライアルにも体験版が収録されている(スタートは75mから)。
- 大乱闘スマッシュブラザーズ for Wii U - 上記の前作に引き続き、「75m」が登場。前作と違い、8人乱闘でも使用可能。
- 桃太郎活劇 - ドンキーコングを基にした、樽が坂から転がり落ちてくるのを避けて進むステージがある。
- メタルギア ゴーストバベル - ミッションの一部に『ドンキーコング』を基にした、ジグザグ坂から転がり落ちてくる樽(跳ねながら転がるものもある)を避けて進むステージがある(BGMもパロディめいた曲となっている)。
- ニンテンドーDSiメトロノーム - ミニゲームとして、『ドンキーコング』を基にした『DONKEY METRONOME』が収録されている。
- ドンキーコング リターンズ - ステージの背景の一部として25mのステージが登場する。
- Nintendo Land - 本作の鉄骨をモチーフとしたコースにトロッコを走らせる「ドンキーコングのクラッシュコース」というアトラクションがある。
- スーパーマリオ オデッセイ - 『ドンキーコング』を基にしたステージが登場する。
- テレビ番組
- 映画
- ピクセル - 2015年公開のアメリカ映画。地球外生命体に向けて送った地球のメッセージを宣戦布告と誤認した異星人が地球に飛来し攻撃を行う。その際、地球側がメッセージに同梱したコンピューターゲーム(『パックマン』、『ギャラガ』など)のキャラクターを模した兵器を駆使する。それらのゲームのひとつに『ドンキーコング』が含まれている。
- その他
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