「デナリ」("Denali")という言葉は、先住民アサバスカン(英語版)(Athabaskan)の言葉で、「偉大なもの」を意味し、マッキンリー山自体を指す。マッキンリー山は、1897年地方検事ウィリアム・A・ディッキー(William A. Dickey)により、オハイオ州出身のウィリアム・マッキンリー(William McKinley)大統領に因んで名付けられたのだが、マッキンリーはこの地域と関係がなかった。
チャールズ・シェルダン(英語版)(Charles Sheldon)は、地域固有種のドール・シープ(英語版)に興味を持ち、人間の闖入がその種を脅かしているのではないかと懸念するようになった。1907年から1908年にかけての滞在の後、彼はアラスカ州民と議会に対し、ドール・シープのための禁猟地を創設するよう請願した。(彼の滞在記録は、「デナリの大自然」(The Wilderness of Denali)、ISBN 1-56833-152-5)として彼の死後出版された。1917年2月26日、公園は、マッキンリー山国立公園(Mount McKinley National Park)として設立された。皮肉なことに、マッキンリー山の一部だけしか、設立時の公園には含まれていなかった(頂上すら含まれていなかった)。1976年、公園は生物圏保護区に指定された[1]。1978年12月1日、ジミー・カーターにより、デナリ国立公園とは別にデナリ国定公園(Denali National Monument)が布告された。
マッキンリー山とデナリ国立公園
マッキンリー国立公園の名は最初から地元の批判にさらされてきた。そして、1980年12月2日、アラスカ国家利益土地保護法(Alaska National Interest Lands Conservation Act)により、デナリ国定公園が組み入れられ、デナリ国立公園として設立された。この時点で、アラスカ州地名委員会(Alaska Board of Geographic Names)は、アメリカ地名委員会が「マッキンリー」のままとしたにもかかわらず、山の名を「デナリ」に戻した。アラスカ州の人は「デナリ」を用いる傾向があり、公園と山との区別は文脈に頼っている。公園の大きさは、24,500 km²(6,000,000エーカー)を超えており、そのうち19,120 km²(4,724,735.16 エーカー)は連邦政府が所有している。デナリ国立保護区は、543 km²(1,334,200 エーカー)で、そのうち5,278 km²(1,304,132 エーカー)は連邦政府が所有している。1980年12月2日、8,687 km²(2,146,580 エーカー)のデナリ自然保護地区(Denali Wilderness)が、公園内に設立された。
公園の管理官は、人間と公園の動物の交流を制限することによって、「野生動物を野生のままに保つ」("keep the wildlife wild")ため不断の努力を払っている。動物に餌をやることは厳しく禁じられている。なぜなら動物の食性に悪影響を与えるかもしれないからである。来園者は安全な距離をとって動物を観察するよう奨励される。クマが多く住んでいるにもかかわらず、バックパッカーや来園者に対し予防方法とクマ対策食料保管容器(英語版)(BRFC)について教育する公園管理官の努力のおかげで、危険な遭遇の数は大幅に減少している。公園のある地域は、例外的な野生動物の行動によりしばしば閉鎖される。例えば、オオカミやクマの巣があったり、最近人が野生動物によって殺された場所などである。こうした禁止地域はその時々で変わり得る。公園の職員と観光客の共同の配慮によって、デナリ国立公園は野生動物観察の第1の目的地となっている。