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|  tvkの現社屋、横浜メディア・ビジネスセンター(通称YokohamaMBC)。tvkは1階 - 4階を使用(1FのヨコハマNEWSハーバーはtvkが運営)。tvkサービスやミューコムなど関連会社は5階に入居。 | |
| 種類 | 株式会社 | 
|---|---|
| 略称 | tvk(ティーブイケイ) | 
| 本社所在地 |  日本 〒231-8001 神奈川県横浜市中区太田町2丁目23番地 北緯35度26分50.1秒東経139度38分19.7秒 / 北緯35.447250度 東経139.638806度 /35.447250; 139.638806座標:北緯35度26分50.1秒東経139度38分19.7秒 / 北緯35.447250度 東経139.638806度 /35.447250; 139.638806 | 
| 設立 | 1971年4月20日 | 
| 業種 | 情報・通信業 | 
| 法人番号 | 8020001030879  | 
| 事業内容 | 放送法に基づくテレビジョン放送業務 | 
| 代表者 | 代表取締役社長熊谷典和 | 
| 資本金 | 36億円 | 
| 発行済株式総数 | 720万株 | 
| 売上高 | 64億5818万3739円(2023年3月期)[1] | 
| 営業利益 | 10億1169万4836円(2023年3月期)[1] | 
| 経常利益 | 9億2220万3070円(2023年3月期)[1] | 
| 純利益 | 5億8653万2106円(2023年3月期)[1] | 
| 純資産 | 74億8236万7341円(2023年3月期)[1] | 
| 総資産 | 221億5540万7321円(2023年3月期)[1] | 
| 従業員数 | 97人(2024年3月) | 
| 決算期 | 3月 | 
| 主要株主 | |
| 外部リンク | www | 
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| テレビ神奈川 | |
|---|---|
| 英名 | Television KANAGAWA, Inc. | 
| 放送対象地域 | 神奈川県 | 
| ニュース系列 | - | 
| 番組供給系列 | 全国独立放送協議会(独立協[2]) | 
| 略称 | tvk | 
| 愛称 | tvk | 
| 呼出符号 | JOKM-DTV | 
| 呼出名称 | テレビかながわデジタルテレビジョン | 
| 開局日 | 1972年4月1日 | 
| 本社 | 〒231-8001 神奈川県横浜市中区太田町2丁目23番地 横浜メディア・ビジネスセンター内 | 
| 演奏所 | 本社と同じ | 
| リモコンキーID | 3 | 
| デジタル親局 | 横浜 18ch | 
| アナログ親局 | 横浜 42ch | 
| ガイドチャンネル | 42ch | 
| 主なデジタル中継局 | 平塚 (SFN) 18ch 小田原 31ch | 
| 主なアナログ中継局 | 横浜みなと 48ch 平塚 31ch 小田原 46ch ほか | 
| 公式サイト | https://www.tvk-yokohama.com/ | 
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株式会社テレビ神奈川(テレビかながわ、英:Television KANAGAWA, Inc.)は、神奈川県を放送対象地域としてテレビジョン放送を行っている特定地上基幹放送事業者である。
略称及び愛称はtvk(ティーブイケイ)。コールサインはJOKM-DTV。
1972年4月1日に、関東地方における3番目[注 2] の独立放送局として開局した。
2004年5月10日の横浜メディアビジネスセンター内にできた現社屋への移転までは、テレビ神奈川の略称から取った「TVKテレビ」という愛称を主に使用していた。移転後は、小文字化され、「テレビ」を抜いた「tvk」が愛称として主に使用されている。なお、移転日から使用されているロゴマークは、イメージカラーの空とハイビジョンの画面比16:9、tvkの文字を模してデザイン化したものである。
放送上、局名告知ですら「テレビかながわ」の社名が使われることなく、基本的に「TVKテレビ」あるいは「tvk」で一貫している。
以後記事では、山下町時代は「TVK」あるいは「TVKテレビ」、現社屋移転後は「tvk」と表記する。
企業・団体は当時の名称。出典:[3][4][5][6][7]
| 資本金 | 1株 | 発行済株式総数 | 株主数 | 
|---|---|---|---|
| 36億円 | 500円 | 7,200,000株 | 144 | 
| 株主 | 株式数 | 比率 | 
|---|---|---|
| 神奈川新聞社 | 690,000株 | 09.58% | 
| 神奈川県 | 683,650株 | 09.49% | 
| 横浜市 | 600,000株 | 08.33% | 
| 横浜銀行 | 330,000株 | 04.58% | 
| 中日新聞社 | 280,000株 | 03.88% | 
| 学校法人岩崎学園 | 250,000株 | 03.47% | 
| ミツウロコグループホールディングス | 220,000株 | 03.06% | 
| アイネット | 200,000株 | 02.78% | 
| 横浜信用金庫 | 180,000株 | 02.50% | 
| 神奈川県信用農業協同組合連合会 | 160,000株 | 02.22% | 
| 川崎市 | 150,000株 | 02.08% | 
| 古河電工 | 120,000株 | 01.67% | 
| 共栄社 | 100,000株 | 01.39% | 
| テレビ朝日ホールディングス | 100,000株 | 01.39% | 
| 川本工業株式会社 | 100,000株 | 01.39% | 
| 横浜倉庫 | 100,000株 | 01.39% | 
| 株式会社横浜DeNAベイスターズ | 100,000株 | 01.39% | 
| 読売新聞東京本社 | 90,000株 | 01.25% | 
| アール・エフ・ラジオ日本 | 82,500株 | 01.15% | 
| 全国共済農業協同組合連合会 | 80,000株 | 01.11% | 
| 東京電力ホールディングス | 80,000株 | 01.11% | 
| 東芝インフラシステムズ | 80,000株 | 01.11% | 
| 日新 | 72,000株 | 01.00% | 
| 上野グループホールディングス | 70,000株 | 00.97% | 
| フジ・メディア・ホールディングス | 70,000株 | 00.97% | 
| 資本金 | 1株 | 発行済株式総数 | 株主数 | 
|---|---|---|---|
| 36億4497万円 | 500円 | 7,200,000株 | 149 | 
| 株主 | 株式数 | 比率 | 
|---|---|---|
| 神奈川新聞社 | 930,000株 | 12.92% | 
| 神奈川県 | 683,650株 | 9.50% | 
| 横浜市 | 600,000株 | 08.33% | 
| 横浜銀行 | 300,000株 | 04.17% | 
| 中日新聞社 | 280,000株 | 03.89% | 
| 共栄社 | 200,000株 | 02.78% | 
| アイネット | 200,000株 | 02.78% | 
| 神奈川県信用農業協同組合連合会 | 160,000株 | 03.89% | 
| 横浜信用金庫 | 160,000株 | 02.22% | 
| 川崎市 | 150,000株 | 02.08% | 
| 学校法人岩崎学園 | 130,000株 | 01.80% | 
| 古河電気工業 | 120,000株 | 01.67% | 
| テレビ朝日 | 100,000株 | 01.39% | 
| 川本工業 | 100,000株 | 01.39% | 
| 横浜ベイスターズ | 100,000株 | 01.39% | 
| 横浜倉庫 | 100,000株 | 01.39% | 
|  | 
1969年9月5日に神奈川県にUHF波のチャンネルプランが割り当てられ[28]、1970年時点で内山岩太郎・清水末雄らの「テレビ神奈川」をはじめ遠山景久らの「ラジオ関東」・小林與三次らの「神奈川読売テレビ」・広岡知男らの「神奈川朝日放送」・田中香苗らの「神奈川毎日放送」・赤坂武らの「神奈川テレビ放送」等12社から開局申請があり[29]、その後「テレビ神奈川」として一本化させ[30]、1970年11月27日に予備免許を取得[31]。1971年4月15日に設立総会を実施し[32]、20日に設立[8]。

開局当初はテレビ局経験のある社員が少なかったため、新人社員は日本テレビやNETテレビからの出向者より指導を受けたという[33]。1972年2月5日に試験電波を発射し、3月5日午前11時からテストパターンを放送開始し、鶴見親局から初めて電波が発射された[9]。その後3月31日まで本社演奏所設備と鶴見親局の試験、中継局の試験を兼ねた「サービス放送」を開始。サービス放送初日の主な放送番組は、12時から『忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ』の第1話、12時30分から「ドキュメンタリー 日本の美〜日光東照宮」、13時から映画『辺境の追跡』(Escape to Burma)、14時15分から19時までテストパターン、19時から『河童の三平 妖怪大作戦』の第1話、19時30分から「ドキュメンタリー あすをひらく〜ロボットただ今開発中」、20時から映画『夜霧よ今夜も有難う』を放送し、21時30分に終了した[9]。以降、上記の番組に加えて3月15日と16日には「神奈川県ア・テスト解答速報」、3月31日には「大洋VS南海オープン戦中継」を放送した。
1972年4月1日午前9時からテストパターンを放送、同日午前9時30分開局・本放送開始。午前9時30分から午前10時55分まで開局記念・放送第1号番組「はばたけTVK」を本社演奏所第1スタジオから生放送(出演者:津田文吾(第7代神奈川県知事)、飛鳥田一雄(第18代横浜市長)、河野謙三、尾崎一雄、高木東六、桐島洋子、柳原良平。他に、ミスTVKや横浜市電の運転士、横浜港に寄港する外国船の船長も出演した)。開局当日のキャッチコピーは「本日・放送スタート!TVKをキャッチしよう!! パパはやく,ママが出ているTVK」である[34]。開局当日に整備された親局は鶴見局42ch、中継局は小田原局46ch・平塚局31ch・久里浜局47ch。1972年5月1日に開局した中継局は南足柄局45ch。開局時の平日番組編成は、午前中に教育番組、正午にワイドショー『暮らしのワイド リビング・ポート』、午後と夜はテレビ映画。平日の放送開始時間は朝の9時30分、放送終了時間は夜の23時40分[35]。
テレビ神奈川における最長寿番組は「JAグループ神奈川」提供の『緑への歩み』だった(2008年3月終了)。開局翌日の1972年4月2日スタートである。
神奈川県が経営権を握っていた頃は、平日9:35 - 11:00、金曜夕方に神奈川県教育委員会制作の教育放送(学校放送)が組まれていた。津田文吾元県知事が同局の社長・会長を務めた事がある。もともとは神奈川県を筆頭に、横浜市、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞、中日新聞(5紙が同じ持株数を堅持)、ラジオ関東(現・アール・エフ・ラジオ日本)などが主要株主であった。
1972年5月3日「第20回 横浜みなと祭り国際仮装行列〜マーチ・イン・ヨコハマ」からTVK独占カラー生中継放送を開始。放送時間は生放送が午前11時10分 - 午後0時30分で中継録画放送が午後6時から午後7時25分だった。番組のゲストは小山明子、橘家円蔵、立川談志、下重暁子、花村えいじ、三遊亭栄橋、解説は六川英一[注 5]、司会は石倉輝夫。
関東圏の独立放送局では初となるマスター設備(主調整室)の更新と三ツ池送信所(親局)の送信機更新を1983年から1984年に掛けて行い、音声多重放送のステレオ放送への対応をいち早く実現した。ステレオ放送番組第1号は「SPOPS」(1984年10月 - )であり、第2号番組は「かながわの景勝50選」である[注 6]。1985年4月2日にはステレオ放送を正式に開始。2重音声(2か国語、多重)はそれから遅れて、1988年8月に開始した。
前述のステレオ放送が正式に開始されると、同放送番組が増え、テレビ番組初の試みである「環境ビデオ」(BGV) の放送番組「サラダ・ボウル」(制作:TVK、制作協力:日本電子工学院(現・日本工学院専門学校)、PLAY BILL、日商岩井(現・双日))や「ブレイン・パッケージ」(制作:TVK、制作協力:日本電子専門学校 他)がスタートした。同番組は、海外の風光明媚な空撮ビデオ映像に最新のアーティストの音楽を流したり、完全オリジナルによるインストゥルメンタル曲を流す28分間の番組だった。また「サラダ・ボウル」は、1986年年頭の朝日新聞のテレビを考える連載のトップバッターとして全国に紹介された。
1987年、横浜が舞台だったテレビドラマ『あぶない刑事』(セントラル・アーツ制作、日本テレビ系)の第22話「動揺」において、スタジオ調整室のシーンで撮影協力をしている(撮影協力のクレジットは「テレビ神奈川」ではなく「TVKテレビ」)。
内田康夫の小説「横浜殺人事件」(浅見光彦シリーズ)のヒロインである横浜テレビの藤本紅子のモデルは、坂本紅子(現・コンテンツ局制作部専任部長)である。映画通で知られ「おしゃべりトマト」「TVグラフィック42番街」などの映画コーナー、「HAMA大国」の司会等を経て、2011年まで放送されていた「1230アッと!!ハマランチョ」のプロデューサーを担当していた。
『ファンキートマト』『おしゃべりトマト』『ミュージックトマト』などのいわゆる「トマトもの」では、MCのことをDJ(ディスクジョッキー)ならぬVJ(ビデオジョッキー)と称していた。これは、プロモーションビデオを大量に流す構成を踏まえ、DJをテレビらしい呼び名に置き換えた結果である。この名残で、現在でもtvkの放送中の番組での最長寿番組である「ビルボードTOP40」での中村真理はVJと呼ばれている。
TVKは1980年代から1990年代初頭にかけ、この項で述べられている番組購入に加え、好景気と横浜そごう(現・そごう横浜店)など大スポンサーの存在が後ろ盾となっていた。特に横浜そごうとTVKの関係は緊密で、「キャプテンロコスタジオ」(4F)「みなとみらい21スタジオ」(地下1階)という2つのサテライトスタジオを設け、「カフェシティヨコハマ」や、かねてからあった夕方のミューコム制作の生番組に威力を発揮した。しかし、バブル崩壊後にそごうが経営不振に陥ると、それらの番組は打ち切りとなり、ついにはスタジオ閉鎖、屋上のメインの情報カメラ移設[注 7] 、横浜そごうのTVK持株売却と、TVKとそごうとの関係は急速に悪化していった。それだけでなく、後述される「Ch-Yokohama」→「Ch-Y」→「横浜ベイサイドテレビ」の判断ミス、さらに神奈川県の財政危機(広報番組予算が7億円から数千万単位まで縮小された)により売り上げが30億円近くも減少(売上最高期の1/4近く、90億円→60億円)したことが経営を大きく揺さぶる。この煽りを受け自社制作率は急速(70%→40%)に減り、2002年には売り上げでTOKYO MXに、2003年には自社制作率でもテレビ埼玉に抜かれる「非常事態」となった。
この非常事態を見て「県が県域メディアを経営する時代は終わった」という岡崎洋知事の意向により、2001年に株式売却が行われ、筆頭株主が神奈川県から神奈川新聞社に移ることとなった。当初は新聞社とテレビ局の違いもあって両社の連携はしっくりいかなかったが[注 8]、その後、第三者割当増資(県内市町村などが応じる)、新社屋(横浜メディア・ビジネスセンター)[注 9] 建設・移転、「ヨコハマ開放区」のVI導入(電通との本格タッグ開始)、独立放送局初の地上デジタル放送開始(2004年12月1日)、独立放送局には珍しいインデックス社との提携による携帯公式サイトオープン(全キャリア対応)など、積極的な戦略に出ることになる。これにより、2005年度は3期連続増収、新社屋移転後初の黒字決算を達成、売り上げではTOKYO MXを再び抜いた[注 10]。また大幅に減少した自社制作率も40%台に回復した[36]。

2004年4月、横浜市中区太田町に横浜メディア・ビジネスセンター(神奈川新聞社と同居)が完成。5月10日、開局以来32年使われてきた中区山下町の社屋から移転した。社屋移転を契機として、局の愛称が長年使われた「TVKテレビ」から「tvk」[注 11] に変更され、またコーポレート・スローガンとして「ヨコハマ開放区」が導入された。なお、旧社屋跡地には記念碑が建立されている。
tvkは、開局時から「音楽に強い局」という評価がある。これは、初期の社員に「洋楽のラジ関」と呼ばれていたラジオ関東からの移籍組がいたこと、後に音楽番組を強化したテレビ東京に先駆け「シングル・ジャンルの番組なら小さな局でも営業面で有利」と読んでいたこと、プロモーションビデオを放送するための経費が当時安かった(あくまでプロモーション目的であったことから、レコード会社などから無償提供もしくは極めて安価で提供されるケースがほとんどであった)こと、それに「横浜らしいカッコよさ」の反映などが挙げられる[37]。
黎明期はCMや番組がなかなか埋まらず、プロモーションフィルムが格好のコンテンツ[注 12]となり、昼間から夕方の時間帯を中心に歌謡曲なども含む邦楽や洋楽など(ジャンルは様々)のプロモーションフィルムが大量に放映された[注 13]。その後、プロモーションフィルム(ビデオ)をメインに放送する番組も放送された。この流れから生まれた番組としては、ラジオ関東からの移籍組が中心となって1970年代に制作・放送された「ヤング・インパルス」、そしてその流れをくんで1980年代に制作・放送された「ファイティング80's」(金曜日21時台)があげられる[注 14]。
これらの番組については、キー局には出演しないようなアーティストが多数出演し、公開収録によって演奏を行った。一例としては、基本的にテレビ出演をしない浜田省吾[注 15]、松任谷由実(当時は、荒井由実)[注 16]や、はちみつぱい、外道、PANTA&HAL、ARBといったマニアックなバンドが出演しており、山下達郎もシュガー・ベイブの一員として「ヤング・インパルス」にゲスト出演[注 17] したことがある。特に山下はその後も一切テレビ出演をしていないため、テレビカメラに残された山下の映像としても貴重な媒体となっている。
「ファイティング80's」は宇崎竜童が司会を担当し、佐野元春、子供ばんどのうじきつよしや、ザ・モッズ等もレギュラー出演していた。番組の終盤に、司会の宇崎竜童のダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドや、レギュラー出演者のバンドのライブ演奏が1曲放送されたり、数ヶ月に1回位、それぞれのバンド自体が番組出演していた時期もあった。公開収録であったこの番組は、番組スポンサーでもあった蒲田の日本工学院専門学校の3号館ホールで収録されていたが、サザンオールスターズが番組収録の日に、「ザ・ベストテン」(TBS)にランクインしており、収録場所である日本工学院専門学校のホールから生中継を行ったことがある。
さらに、80年代から90年代初頭にかけて放送された洋楽電話リクエスト番組「ファンキートマト」(当初金曜日放送→のちに月曜日のほぼ同時間帯へ移動)[注 18]は、植田芳暁や南佳孝、シャーリー富岡のVJで知られ、中村真理(出演初期には、最新の映画情報コーナー担当など、後に、アメリカの「ビルボード」誌の最新ヒットチャートの紹介なども行った)らも出演。時折、ゲストとしてプロモーションで来日した海外の映画や音楽関連のアーティスト等の出演もあり、音楽系のゲストは演奏や歌を唄う事もあった。他にもプロモーションでの邦楽系のゲスト出演者もあり(主にデビューしたての歌謡曲系以外での歌手やグループ)、デビュー当時の米米CLUB等も出演。レギュラー出演者としては、元東京JAPのドラマーでFMのDJとして人気が出た赤坂泰彦も番組末期に登場していた。
姉妹番組でもある邦楽情報番組「ミュージックトマトJAPAN」はシャーリーの弟のマイケル富岡の出世番組となった。全国区になり得るタレント、アーティストの青田買いを行い、いち早く世に送り出す役割を果たし、音楽業界や芸能プロダクションから高い評価を得た。
洋楽ではMTVのテイストを取り入れ200分間、途中に入るCMを除きノンストップで洋楽の新着ビデオクリップや視聴者からのリクエストによるビデオクリップをただひたすら放送する番組「SONY MUSIC TV」が存在していた。番組はソニーの1社提供で、東阪の独立放送局を中心に、途中からはテレビ東京系であるテレビ愛知でもネットされた。
「SONY MUSIC TV」終了後、この番組のテイストを受け継ぐ番組はTVKローカルで火曜夕方に「シャッフル55」(ミュートマworld→16ers TV枠)として移り、MUSIC TVが放送されていた時間帯には引き続きソニー提供で、演出や選曲コンセプトを明確にした「SONY MUSIC DISC」「SONY MUSIC ACCESS」と続いた(番組枠は60分と更に縮小し、TVKローカルとなる)。その後はソニーがTOKYO MXに出資した影響もあり、ソニー枠の音楽番組は制作されていない。
このようにロックミュージックへ特化された編成方針もあって、他の独立放送局や、NHK[注 19]、テレビ東京[注 20]では一定数放送されている演歌・歌謡曲関連の番組は、tvkでは殆どと言っていいほど存在しない。例として、『モトちゃんの歌は魂だ!』(千葉テレビ制作)は5いっしょ3ちゃんねる参加局で、tvkのみ放送実績がない[注 21]。また、鎌倉市を活動拠点とする、よかにせどん(本田修一)や、アンジェリカの演歌番組も地元tvkではなく、千葉テレビ・テレビ埼玉で放送していた。
tvk以外の5いっしょ3ちゃんねる各局には、自社制作の視聴者参加型カラオケコンテスト番組が存在しており、各局のカラオケコンテスト番組は、既に終了している番組も含め一様に1980年代(とちぎテレビは1999年の開局当初)から続く長寿番組となっているが[注 22]、2023年現在、tvk制作では存在しない[注 23]。
キー局の系列には属さない独自編成のテレビ局である。しかし、1989年の昭和天皇崩御の際、崩御当日および翌日に限り、テレビ神奈川を含む関東地区の独立放送局は、オブザーバー加盟しているNNS(日本テレビ系列)の放送を同時ネットした[注 24]。なおその後も日本テレビとの関係は続いており、2008年度北京オリンピックの一部中継においてはtvk、千葉テレビ、テレビ埼玉の3社は日本テレビ制作の番組をネット受けした。
1980年代の後半から1990年代前半には、全編英語放送の30分間の国内ニュース「the world today」が平日の23時台に放映された。この番組はJCTVとの共同制作で、JCTVでは19時からの38分間の番組であった。
横浜そごうとのタイアップが行われていた1980年代中期 - 1990年代中期にかけては、横浜そごうが入居する「新都市センタービル」内に「キャプテンロコスタジオ」「みなとみらい21スタジオ」という2つのサテライトスタジオを持ち、ここから正午の帯枠「カフェシティ・ヨコハマ」や夕方の音楽情報番組「ミュージックトマト」が生放送されていたほか、2022年現在は大さん橋近くに設置されている情報カメラも、最初は横浜そごう屋上に設置されていた(その後はベイブリッジ横に移設後、現在の位置へと設置場所は変更されている)。
現在は再放送番組や購入番組が幅を効かせる20時台であるが、1980年代後半 - 1990年代中期にかけては生放送の情報番組が編成されていた。ナイター中継終了後にOAされていた「YOKOHAMAベイサイドスタジオ」(後に木曜夜にOAになった「ヒューマンTV・ベイサイドスタジオ」)、金曜夜に放送の「TVグラフィック42番街」(後の「たてながHAMA大国ナイト」「HAMA大国ナイト」「北原照久のTin Toy Box」)の2番組が存在していた。
1980年頃 - 1990年まで毎週金曜22時から山谷親平と細川隆一郎、飯島清らによる政治討論番組「直言苦言」が放送されていた(京都放送、群馬テレビ、びわ湖放送にもネット)。
2002年にはTVK開局30周年記念番組として「ライブ帝国」を放送し、過去のtvkでの音楽番組からのライブ映像の放送もあり、同時期に「ライブ帝国」のビデオソフトも発売された。
2010年から2013年にかけて、戦国時代にスポットを当てた「戦国鍋TV 〜なんとなく歴史が学べる映像〜」や「戦国★男士」「TV・局中法度!」といった“戦国バラエティ三部作”と称する教養バラエティ番組をtvkが幹事となり、テレビ埼玉・千葉テレビ放送・サンテレビジョンの4局共同で制作。同局の深夜番組では大ヒットとなり、日本各地の地方局にも番組販売を行うなどのシリーズに発展した。
2020年、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大防止と、改正・新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づく緊急事態宣言の発令により休校になった県内の小中学校児童生徒を対象とした『テレビホームルーム かながわの子どもたちへ』[38] と『テレビでLet's study』[39] を神奈川県内の小中学校や養護学校、教育委員会の協力を仰ぎながら4月〜5月29日まで土日を除きサブチャンネルを中心に断続編成を行った。
同年10月からは独立局では初となる民放公式配信サービスのTVerに参加。同月から自社製作番組[注 27]の配信を開始した。なお、これらの番組は日本テレビが運営している無料動画配信サービス「日テレ無料TADA!」に該当番組を供給しており、TVerでは更にその供給を受ける形で配信されている。この経緯から、TVerでは日本テレビ系列の番組として扱われている[47][48][49][50]。
24時間放送は行っておらず、概ね5時台から翌2時台中盤までの放送である。また早朝放送開始前の30分間は「朝の周波数カード」というフィラーの音楽とお天気カメラ、またはカラーバーの試験電波が放送されている[51]。
※テレビ神奈川・2010年3月25日付公式発表
上記の通り、音楽番組に力をいれており、『saku saku』が20年にわたって放送され人気を博した。前身の『saku saku morning call』時代にはユースケ・サンタマリアやPUFFYが司会をしていたことでも知られる。最終回まではパペット人形であるポンモップとNANAE(7!!)(2015年3月まではトミタ栞、2012年3月までは三原勇希、2008年度末までは中村優、2005年度末までは木村カエラ、2002年度末まではあかぎあい)の2人をメインパーソナリティーとしている。このような番組スタイルは、増田ジゴロウとあかぎの時期に番組スタッフ一同との掛け合いトーク中心という独自スタイルを確立。この形が受け、各地でネット放送も開始。番組グッズも各地で販売された。メジャーな歌手・声優もゲストとして登場し、tvkの看板番組に成長した。現在は同様のフォーマットを踏襲した番組として『関内デビル』が放送されている。
また、1983年10月4日にスタートした長寿番組『billboard TOP40』も未だ健在である。2012年6月26日付で同一司会者及び同一形態による最も長寿な音楽番組(放送開始から28年8ヶ月9日)としてギネス世界記録に認定され、2023年10月の放送で40周年となる。
スポーツ中継にも特に力を入れており、プロ野球・横浜DeNAベイスターズの主催試合、関東大学ラグビーや社会人ラグビー(→トップリーグ)、日本ハンドボールリーグ、さらにはプロレスを積極的に放送している。1980年代後半にはバレーボール日本リーグ(現在のVリーグ)ダイエーオレンジアタッカーズの昼の試合中継をサンテレビから番組購入し、当日夜に放送していた。過去には東京六大学野球、東都大学野球や神奈川大学野球の中継やダイジェスト番組を放送をしていたこともある。珍しいところでは、やまゆり杯小田急旗争奪神奈川県家庭婦人バレーボール(ママさんバレー)大会中継もある。
横浜DeNAベイスターズ戦の中継は大洋(後に横浜大洋)時代は「YOKOHAMAベイサイドナイター」、1993年に横浜ベイスターズとなってからは「ベイスターズナイター」として横浜スタジアムや平塚球場でのホームゲームを中継している。当初は18時のニュースの後18時15分からの中継開始であったが、一時、18時45分 - 19時からとなり、現在はメインチャンネルでは18時15分[注 28] から21時30分[注 29] の放送となっている。また以前はビジターゲーム(阪神戦、まれに三重テレビナイター中継時に中日戦も)もU局ネットで(ヤクルト戦は自社制作で)中継していたが、近年はサンテレビや朝日放送テレビで阪神vsDeNA戦を中継している場合にネットする程度で、それ以外はほぼなくなった。その他、ロッテオリオンズが川崎球場を本拠地としていた時代には大洋戦と重ならない場合に中継があったほかにサンテレビ制作の阪神、ダイエー戦やテレビ埼玉制作の西武、日本ハムのホームゲームもネットしていた。
全国高等学校野球選手権神奈川大会は、横浜スタジアムにおける開会式、準々決勝~閉会式と保土ヶ谷球場における全試合を基本的に試合開始から終了まで中継する。また、夜のワイドニュースを縮小してダイジェストである『高校野球ニュース』を放送するなど力を注いでいる。ただし、多くのスタッフやアナウンサーを大会会場へ派遣するなどの関係から他の3局ともども日中帯のワイド番組を休止したりその他の番組であっても時間移動や放送休止を余儀なくされる。
サッカーJリーグの横浜F・マリノス主催試合は、前身である旧日本サッカーリーグ日産自動車サッカー部時代から続いているが、中央競馬や横浜DeNAベイスターズ戦の中継に押され、2009年から2016年までは中継を行っていなかった。再開した2017年以降は1年に1試合程度[注 30] の放送となっている。日産時代は、日曜昼間のゲームを当日夜に「日産サッカーダイジェスト」と銘打った番組でダイジェストでオンエア。ときには当時の監督だった加茂周自らが解説者として番組に出演し、当日の試合を事細かく解説することもあった。2009年にスカパー!のJリーグ中継で川崎フロンターレホームゲーム中継の制作に携わった(ただし実況は自社のアナウンサーではなくフリーのアナウンサーが担当している)。尚、前記両チームの応援番組はレギュラー放送されている。Jリーグ発足当初は、主にマリノス、フリューゲルスの横浜勢と、鹿島アントラーズFCの主管試合を中心に集中的に放送していた[注 31]。
プロレスは日本テレビの「全日本プロレス中継」をネットしていた時期もあり、番組終了後は「プロレスリング・ノア中継」に移行。2005年7月から半年間、「大日大戦(大日本プロレス中継)」を地上波初放送。その他、旗揚げ間もなかったジャパン女子プロレスを放送していたこともある。現在は千葉テレビの「全日本プロレス マザー」をネットしている他、WWEのダイジェスト番組「This Week in WWE」を日本で最初に放送開始。この縁で近年、WWEの選手が両国国技館大会等のプロモーションで来日した際は、昼番組『ありがとッ!』に出演することが恒例になっている。
現在まで続く平日昼の帯ワイドは『TVグラフィックおしゃべりトマト』が端緒である。この番組には、現役大学生もMC陣の一人として参加することもあり、現在フリーアナウンサーの福原直英も一時金曜などの曜日担当MCをしていた時期がある。『おしゃトマ』終了後は『たてながHAMA大国』→『HAMA大国』と続き、社屋移転後は『とっておき自遊食感ハマランチョ』→『1230アッと!!ハマランチョ』→『ありがとッ!』→『猫のひたいほどワイド』と、タイトルや内容は変わりつつも、この「枠」自体は現在まで維持されているが、2016年3月で『ありがとッ!』の終了と同時に『おしゃトマ』から続いていた金曜の放送が廃止になり、『猫のひたいほどワイド』では月曜から木曜のみの放送になった。なお、2016年4月から金曜が廃止になる代わりに、生ワイド番組枠としては同年4月9日から土曜20時枠へ移動し、『サタミン8』として再出発することになったが、2017年3月25日で終了し、同年4月から実質的な後継番組として、収録番組の『猫ひたプラス』に移行したため、生ワイド番組枠は『猫のひたいほどワイド』のみとなった。
他には長年、土曜22時から日本広報センター協力の政府広報番組枠を制作していた。過去には「明日への選択」→「コンパスU」、「アクセスNOW」やクイズを織り交ぜた「クイズハッピーチャンス」「クイズバトンタッチ」などがこの枠で流れた。この枠は全ての独立放送局にネットされているほか、CS放送の朝日ニュースターでも放送されていた(「Just Japan」ではBS日テレおよび静岡朝日テレビにもネットされていた)。
尚、tvkが放送するアニメについて、視聴時の注意テロップは導入されていない。


1972年の開局以来、字幕(テロップ)は長らく写真植字による「紙テロップ」送出(モリサワ製のテレビテロップ専用写植機)であったが、1990年代初頭にはソニー製のデジタルテロッパーといえる「SMC-3000C」がまず導入された(「おしゃトマ」末期ではスーパーがこの機材で作成・送出されていた)。しかし当時の電子テロッパーには、写真植字機ほどの汎用度がなかったうえ、「SMC-3000C」は文字よりは画像デザインの汎用度が高かったことから、あくまで番組で使われるテロップの補助的役割として使用されてきた。
1995年に日本ビクター製のデジタルテロッパーが導入され、テロップ電子化の先駆けとなったが、当初は生放送情報番組中心の運用となった。その後、スタジオサブのスイッチャーがリニアキー対応となり、透過ベースや透過文字など、綺麗なテロップが出せるように進化した。2002年にはテロッパー自体から多種多様な特殊効果を出せるラムダシステムズ製のテロッパーへ更新され、新社屋移転後やほぼ社屋内全てのスタジオがHD対応化した後もSDベースのまま推移したのち、2011年4月の改編を契機としてテロッパー内部の制御ソフトの改修を行い、SDからのアップコンバートによる擬似的なものの、16:9サイズ全面にテロップやCGを作成・画面配置できるように改良が加えられている。
| テレビ番組・中継内での各種情報(終了した番組・中継を含みます)は、DVDやBlu-rayなどでの販売や公式なネット配信、または信頼できる紙媒体またはウェブ媒体が紹介するまで、出典として用いないで下さい。検証可能性に基づき除去される場合があります。 | 
地上、ワンセグ共にデータ放送に力を入れており、地上データ放送では大日本印刷と共同開発したQRコードでの携帯端末への地図取り込み機能も備えている。ワンセグ放送では音楽番組、高校野球等で番組連動型データ放送も行っている。データ放送開始は地デジ開始より4か月、ワンセグでは千葉テレビやテレビ埼玉より2か月遅れとなったが、その分内容の充実を図った(参考)。2007年9月1日からは川崎市と共同で緊急防災情報の提供を開始した。避難情報が流れた際は緊急度に応じ画面がポップアップ。ワンセグでも同様の情報提供。また、2007年4月には本格的なネットショップ「tvkショップ」をオープン、saku sakuのオリジナルグッズやライブ帝国のDVDなどはもちろんのこと、地産地消をキーワードに神奈川に根ざした名産品を大々的に扱い、地元に貢献している。
独立放送局で唯一、双方向対応番組連動データ放送を実施している。
2010年7月5日から総務省の方針により(放送大学は2010年7月24日から)、2011年7月の地上デジタル放送完全移行推進のため、すべての地上アナログ放送は原則として全番組をレターボックスをつけた状態で放送することになったが、2010年9月4日までは、tvkは4:3制作番組のすべて、ハイビジョン制作番組の一部において引き続き4:3全画面表示(ハイビジョン制作番組は4:3へサイドカット)を継続していた。
2010年9月5日からは、総務省の方針により、2011年7月の地上デジタル放送完全移行推進のため、アナログ放送終了告知テロップを[注 40] 常時スクロールする形に変更し、右上にはアナログロゴのルミナンススーパーを常時表示していた[注 41]。
2015年4月より、平日の「朝の周波数カード」から8:30までの間、チャンネルを合わせると自動的にU字が立ち上がり「tvk交通情報」(神奈川を中心とした鉄道情報)がポップアップするようになっている。
2015年7月11日より032chを活用したマルチ編成を、高校野球中継の延長時に実施する事をtvk公式ウェブサイトで公表している[55]。
サブチャンネル(032ch)では、以下のような放送が行われている。
2011年(平成23年)7月24日正午をもって通常放送を終了。コールサインはJOKM-TV
終了当日は11:00から『第93回全国高等学校野球選手権大会・神奈川県大会』の中継を放送していたが、中継会場のアナウンサーがアナログ放送が終了するお知らせと、12:00(正午)以降はtvkのデジタル放送を視聴するように促して、アナログでの放送を終了した。23:59からは通常のクロージングを放送したが、音声周波数と出力を読み上げたところでブラックアウトし、ブルーバックによるコールサインとアナログ放送完全終了の画面を表示。そのまま停波し、デジタルに完全移行した。

テレビ朝日系列の名古屋テレビ放送(メ〜テレ)、静岡朝日テレビ(SATV)と社業全般にわたり交流を図り協力をする「相互協力に関する友好協力関係協定」を結んだ。これは親会社の神奈川新聞社が朝日新聞社の関連企業であり、またテレビ朝日自体、tvkの大株主に名を連ねていることによるもの。
2004年5月10日の新社屋移転時、メ〜テレの「大須ぱっぱ屋」へ向け尾辻舞アナが新社屋を生で紹介をした。tvkの応接室にはメ〜テレのキャラ「ウルフィ」のぬいぐるみが飾られている。2009年、メ〜テレが制作した映画「ハイキック・ガール!」や、イベント「ガンダム生誕30年祭」のCM・PRを首都圏トライアングル枠を含めて放送した。また新社屋移転に伴う営業体制再構築時に設けられたtvk名古屋支局は、当初メ〜テレの旧本社社屋(現・メ〜テレアネックス)に入居していた(2010年4月に移転)。
また、テレビ東京系列に次ぐネットワークを作るべく2007年に結成された東名阪ネット6の旗振り役を務めている。
かつては自社採用のいわゆる「プロパー」のアナウンサーも在籍していたが、現在はすべて他放送局での職務経験者を有期契約社員として採用している。
※丸かっこ内の数字はtvkアナウンサーとしての在籍期間。●はアナウンス部長経験者。
入社順。
〇は退社あるいは異動後に「tvkスポットニュース」の担当経験がある元アナウンサー。
※印は現在フリーアナウンサーもしくは他社に移籍して活動中。
在籍アナウンサーの減少に伴い、tvkのメインとなる夕方の『tvkニュース』や『News Link』は報道部記者がそのままキャスターとして出演する。
在籍者
元在籍者
現在
過去
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これら通常のスタジオ及びスタジオに準じる設備で制作・放送されていた番組がある一方で、「LOVE CHR」(終了)、「YOKOHAMA MUSIC EXPLORER」(終了)など、第1会議室で収録している番組もあった。
山下町旧社屋の建設は1971年2月から開始され、約11か月後の1972年1月に竣工完成。主な建設会社は清水建設で、社屋のアルミサッシや防音ガラスなどは飯島硝子興業、社屋鉄筋構造体の建造は梶川産業、市川圧接、亀井組などの共同、防音シャッターは三和シヤッター設備、本社屋屋上照明は昭和ネオン工業所、エレベータ設備は東芝、放送機器電子機器設備、放送送信制御設備、スタジオマスター設備はNEC、東芝、TOAMCO社の共同などで、社屋は全25社の協力で完成した。本社屋演奏所竣工記念式典には当時の横浜市長、神奈川県知事、神奈川新聞社社主などが出席し、「火入れ式」と呼んだマスター(主調整室)設備と第1スタジオ、第1スタジオ副調整室などへの電源投入式典も行われた。

視聴エリアは、神奈川県のほぼ全域、および東京都、埼玉県、千葉県、静岡県[注 49] 、山梨県の一部地域、2006年7月からケーブルテレビを通じて山梨県中西部および静岡県東部[注 50] などの一部地域も加わる(放送のエリア図)。
2004年12月1日12:01に地上デジタル放送(18ch・リモコンキーID・3)を開始した。開始時の放送エリア (10W) は横浜市、川崎市の大部分(両市の北部を除く)および横須賀市、東京都の一部となっていた。2005年12月1日には平塚送信所(100W)が開局し、鶴見送信所の出力もフルパワー(1kW)となったため神奈川県東部の全域と千葉県の一部と湘南地区の大部分(三浦半島の一部を除く)でも視聴できるようになった。なお、2007年3月には小田原デジタル中継局が本放送を開始(エリアは南西部と静岡県伊豆半島東部)した。また、データ放送は2005年4月より自治体情報を中心に開始、ワンセグも2006年6月1日に開始している。

| 送信所・中継局名 | 物理チャンネル 中心周波数 | 空中線電力 | 実効輻射電力 | 中継局置局箇所 | 偏波面 | 
|---|---|---|---|---|---|
| 横浜鶴見送信所 | 18ch 503.142857 MHz | 1 kW | 12.5 kW | 三ツ池公園 | 水平 | 
| 平塚中継局 | 100W | 370W | 湘南平 | 垂直 | |
| 小田原中継局 | 31ch 581.142857 MHz | 10W | 120W | 真鶴岬 | 水平 | 
| 南足柄テレビ中継局 | 35ch 605.142857 MHz | 1W | 3.5W | 21世紀の森 | |
| 湯河原中継局 | 37ch 617.142857 MHz | 100 mW | 185 mW | 一本松 | 垂直 | 
| 愛川中継局 | 17ch 497.142857 MHz | 1W | 3.1W | 内山 | 水平 | 
| 箱根湯本中継局 | 47ch 677.142857 MHz | 4.2W | 箱根湯本 | 垂直 | |
| 横須賀武中継局 | 17ch 497.142857 MHz | 990 mW | 3.4W | 武山中腹 | |
| 仙石原中継局 | 35ch 605.142857 MHz | 300 mW | 1.2W | 丸岳中腹 | |
| 相模湖中継局 | 18ch 503.142857 MHz | 1.15W | 嵐山山頂 | 水平 | |
| 津久井中継局 | 17ch 497.142857 MHz | 610 mW | 三ヶ木馬場 | 垂直 | |
| 久里浜中継局 | 1.85W | JERA横須賀火力発電所西側 | 北方向(水平):西方向(垂直) | ||
| 逗子中継局 | 1W | 7.6W | 披露山公園 | 東方向(垂直):西方向(水平) | |
| 横須賀鴨居中継局 | 18ch 503.142857 MHz | 100 mW | 250 mW | 横須賀市立上の台中学校東側の山 | 水平 | 
| 秦野中継局 | 17ch 497.142857 MHz | 1W | 2.3W | 権現山山頂 | 垂直 | 
| 湯ノ沢中継局 | 10 mW | 72 mW | 湯ノ沢団地 | 水平 | |
| 笹下中継局 | 100 mW | 660 mW | 笹下中央公園 | ||
| 釜利谷中継局 | 350 mW | 金沢動物園 | 垂直 | ||
| 秦野菩提中継局 | 35ch 605.142857 MHz | 50 mW | 69 mW | 子の神社 | 水平 | 
| 大船中継局 | 17ch 497.142857 MHz | 1W | 5.8W | 大船観音付近 | 垂直 | 
| 衣笠中継局 | 4.1W | 衣笠山 | 水平 | ||
| 中井中継局 | 100 mW | 380 mW | 大字久所富士見台 | ||
| 鎌倉中継局 | 300 mW | 430 mW | 鎌倉市役所本庁舎屋上 | ||
| 戸塚中継局 | 1W | 3.1W | 秋葉台公園近隣 | ||
| 青野原中継局 | 33ch 593.142857 MHz | 15 mW | 135 mW | 三角山 | |
| 箱根強羅中継局 | 35ch 605.142857 MHz | 1W | 2W | 宮城野 | |
| 相模原中継局 | 33ch 593.142857 MHz | 3W | 53W | 東京都八王子市裏高尾町 域外中継局 | |
| 小田原東中継局 | 31ch 581.142857 MHz | 曽我山 | |||
| みなとみらい中継局 | 49ch 689.142857 MHz | 27W | 横浜ランドマークタワー屋上 | 北西方向(水平):南西方向(垂直) | |
| 藤野中継局 | 33ch 593.142857 MHz | 300 mW | 950 mW | 鉢岡山 | 水平 | 
2011年7月24日の停波時点
太字の局はパススルー再放送をしている。
1995年2月11日からは全国のCATV向けに通信衛星スーパーバードB号機CS放送(ディレクTV)経由で、「Ch-Yokohama」(後に「Ch-Y」→「横浜ベイサイドテレビ」)として地上波の番組が同時放送されていた[注 52] が、2000年9月30日のディレクTVのサービス終了と同時にこれらは全て終了している。これはスカイパーフェクTV!でなくディレクTVを選択した経営判断の失敗[注 53] であり、のちのTVKの経営に尾を引くことになる。ちなみに「Ch-Yokohama」(チャンネルヨコハマ)の前身は「TVKスーパーステーション」と云う名称であり、Ch-Yの名称が決定するまでの試験放送中は、「TVKスーパーステーション 試験放送中」のテロップが全番組に常時スーパーインポーズされていた。
「Ch-Yokohama」の元々の構想は、米国内で発達した通信衛星を利用したCATV局向け番組配信「スペースケーブルネット」の日本版を実現したかったという側面があった。「Ch-Y」は、後にTOKYO MX(当時の愛称は東京MXテレビ。これ以降、当該時期に応じ「東京MXテレビ」「TOKYO MX」を使い分ける)がディレクTVで始めた「東京情報MXテレビ」の先駆けであり、独立放送局が「日本版スペースケーブルネット」を実現した試みだった。
「Ch-Yokohama」のCATV向け本配信開始後、ネットしたCATV局は日本全国に12局存在した。それらのCATV局ではTVK(地上アナログ波UHF放送)の放送開始(ただし、カラーバーはCh-Y独自の物に差し替えられ、TVKのオープニングもカットされていた)から放送終了までの全番組とCMを視聴する事が出来た。但し、一部の番組(競馬中継や野球中継など)は著作権の関係上、衛星のアップリンクセンター側で「お天気カメラ」の映像などに差し替えていた。
「Ch-Yokohama」のCATV向け配信は、TVK(地上アナログ波UHF)三ツ池親局の電波を大手町又は青山で受信(エア受信)し、再送信用設備にアナログ波で送り、再送信マスター設備から衛星にアップリンクする方法が執られていた。このため、エア受信用アンテナが台風などの強風時や不良時にはゴーストが乗った状態やビートノイズが乗った状態で全国のCATV局に配信された事もあった。
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地上デジタル放送開始当初は、機器の減価償却の関係でHD率は高くなかった。周辺の独立放送局と比べて大幅に後れをとっていたが、2007年4月に小型HD中継車およびワイヤレスENGカメラを導入、5月にデジタルFPUの運用開始、その後2007年7月30日より2サブがHD化されたことで、飛躍的にHD率が向上した。買取番組や過去番組の再放送・再編集版を除けば、SD制作番組は少なくなっている。2008年のHD率は約33%としているが、ニュース素材などは一切HD化されていなかった。その後2010年4月から一斉にニュース素材のHD化が行われ、本社や各支局の取材映像はHDへと移行した。これによりパッケージのHD化が既に完了していたテレ玉やTOKYO MXに遅れをとっていたHD化率も若干の向上がみられた[注 54]。[要出典]
2008年度末からは順次、スポーツ中継のHD化が進行しているものの、YOKOHAMAベイスターズナイターのHD化は会場の設備の都合などから当初予定の2009年度開始が見送られ、ようやく2010年度からHD化された[注 55]。恒常的にHDによるスポーツ番組制作を自前で行うために不可欠なのは、自社所有大型中継車のHD化であるが[注 56]、2014年現在は大型中継車を保有しておらず、代替としてワンボックスカー(トヨタ・ハイエース)を用いた簡易的なHD中継車を保有している。[要出典]
 ウィキメディア・コモンズには、テレビ神奈川に関するカテゴリがあります。
 ウィキメディア・コモンズには、テレビ神奈川に関するカテゴリがあります。| 参加局 | 
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|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 共同制作1 | 
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| 関連項目 | |||||||||
| 注釈 1:一部、東名阪ネット6制作扱いの作品を含む。テレビ番組・映画の両方を展開している作品は、両方に記載。 | |||||||||
| 参加局 | |||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 共同制作 | 
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| 平日23時台 5局同時ネット2 ※現在は廃止3 | 
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| 特別企画 | |||||||||||
| 関連項目 | |||||||||||
| 注釈 1:『モンキーパーマIII』はテレ玉での放送がないため、リストに含めない。 2:斜体字は5局同時ネット廃止以降、2017年3月に同時ネット完全廃止までに放送された、一部局が遅れネットの番組。 3:2014年10月から2017年3月は「制作局」+「とちテレ」「群テレ」で同時ネット継続(『白黒アンジャッシュ』『モテ福』は、群テレでは遅れネット)。2017年3月に同時ネット完全廃止。 ※『JOYnt!』は同時ネット局なし。tvk・とちテレは2016年9月でネットを打ち切っていたが2017年4月より、とちテレが、2019年4月より、tvkがネット再開。 4:『JOYnt!』放送開始までのつなぎ番組 5:途中から同時ネット枠を外れ、別時間帯の放送に変更。 6:『たちつてとちぎ宅配便!』放送終了から『それゆけ!さのまる研究所』放送開始までのつなぎ番組 | |||||||||||
| 本社・支社 | |
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| 関連放送局(ラジオ)1 | |
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| 関連人物 | |
| 関連項目 | |
| 1 資本・友好関係のあるテレビ局・ラジオ局 | |