ヒュドリア に描かれた有翼型のテューポーン /紀元前540年 頃~紀元前530年 頃のカルキディア黒絵式 壺絵 。ドイツはミュンヘン の州立古代美術博物館 (英語版 ) 所蔵。上のヒュドリアを少し角度を変えて見る。最高神ゼウス (左)が怪物テューポーンに対峙しており、雷霆の一撃を加えようと右腕を振りかざしている。 エトルーリア 出土のテューポーンのブロンズ像 /紀元前500年 頃~紀元前480年 頃の作。クリーブランド美術館 所蔵。ヴェンツェスラウス・ホラー (英語版 ) "Typhon " / 17世紀のヨーロッパ人がイメージしたテューポーン。従えているのはハルピュイア 。テューポーン (古代ギリシア語 :Τυφών 〈ラテン 翻字 :Tȳphōn ,ラテン語 :Typhon 〉※以下同様 )、テューポース (Τυφώς 〈Tȳphōs ,Typhos 〉)、あるいはテュポーエウス (Τυφωεύς 〈Typhōeus ,Typhoeus 〉) は、ギリシア神話 に登場する、神 とも怪物 ともいわれる巨人 。同神話体系における最大最強の怪物で、神々の王ゼウス に比肩するほどの実力をもち、そのゼウスを破った唯一の存在でもある。
日本語 では、長母音 を省略して「テュポン 」「テュポーン 」「テュポエウス 」「テュフォン 」「ティフォン (※現代ギリシャ語 ではこの読み方が最も近い)」などとも表記される。
出自に関してはさまざまな異伝があるが、最も有名なのは大地母神 ガイア とタルタロス との間の子で、ゼウスに対するガイアの怒りから生まれたとするものである[ 1] [ 2] 。一説ではガイアにゼウスの暴虐を訴えられたヘーラー が、彼を懲らしめるためにクロノス からもらった卵から生まれたとする説や[ 3] 、ヘーラーが1人で生んだという説もある[ 4] [ 5] 。後者の説ではピュートーン がヘーラーから受け取って養育したという話である[ 6] [ 7] 。また、ヒュギーヌス は、タルタロスとタルタラの間に生まれたという説を述べている[ 8] [ 注 1] 。
巨体は星々と頭が摩するほどで、その腕は伸ばせば世界の東西の涯にも達した。腿から上は人間と同じであるが、腿から下は巨大な毒蛇がとぐろを巻いた形をしているという[ 2] 。底知れぬ力を持ち、その脚は決して疲れることがない[ 10] 。肩からは百の蛇 の頭が生え[ 11] [ 2] 、火のように輝く目を持ち、炎を吐いた[ 12] [ 2] 。またあらゆる種類の声を発することができ、声を発するたびに山々が鳴動したという[ 13] 。古代の壷絵では鳥 の翼を持った姿が描かれている。
テューポーンは不死の怪女エキドナ を妻とし、数多くの怪物の父親になった。ヘーシオドス の『神統記 』によればテューポーンの子供はオルトロス 、ケルベロス 、ヒュドラー 、キマイラ だが、のちに多くの怪物がテューポーンとエキドナの子供とされた。アポロドーロス ではネメアーの獅子 [ 14] 、不死の百頭竜(ラードーン )[ 15] 、プロメーテウス の肝臓を喰らう不死のワシ [ 15] 、スピンクス [ 16] 、パイア [ 17] 、ヒュギーヌスにおいてはさらにゴルゴーン や金羊毛 の守護竜、スキュラ をもテューポーンの子供に加えている[ 18] 。テューポーンはまた、多くの荒々しい風を生んだともいわれる[ 19] 。
トルコ から見たカシオス山 (英語版 ) 。ゼウスとテューポーンが戦った舞台の一つと伝えられている。ゼウスが幽閉されたとされるデルポイ のコーリュキオン洞窟 (英語版 ) 。 ハイモス山(バルカン山脈) 火を噴くアイトネー山 ゼウスらオリュンポス の神々は、ティーターノマキアー とギガントマキアー に連勝し、思い上がり始めていた。ガイアにとってはティーターン たちもギガース たちも、わが子である。それゆえ、これを打ち負かしたゼウスに対して激しく怒りを覚えたガイアは、末子のテューポーンを産み落とした。テューポーンはやがてオリュンポスに戦いを挑んだ。
ヘーシオドスはテューポーンとゼウスの戦いの激しさを詳しく描いている。テューポーンの進撃に対し、ゼウスが雷鳴 を轟かせると、大地はおろかタルタロスまで鳴動し、足元のオリュムポス は揺れた。ゼウスの雷とテューポーンの火炎、両者が発する熱で大地は炎上し、天と海は煮えたぎった。さらに両者の戦いによって大地は激しく振動し、冥府を支配するハーデース も、タルタロスに落とされたティーターンたちも恐怖したという。
しかしゼウスの雷霆の一撃がテューポーンの100の頭を焼き尽くすと、テューポーンはよろめいて大地に倒れ込み、身体は炎に包まれた。この炎の熱気はヘーパイストス が熔かした鉄のように大地をことごとく熔解させ、そのままテューポーンをタルタロスへ放り込んだ[ 20] 。
対してアポロドーロスはテューポーンとゼウスの戦いの全貌を次のように語っている。テューポーンはオリュムポスに戦いを挑み、天空に向けて突進した。迫りくるテューポーンを見た神々は恐怖を感じ、動物に姿を変えてエジプト に逃げてしまったという[ 2] 。それゆえ、エジプトの神々は動物の姿をしているともいわれる。
これに対し、ゼウスは雷霆や金剛の鎌 を用いて応戦した。ゼウスは離れた場所からは雷霆を投じてテューポーンを撃ち、接近すると金剛の鎌で切りつけた。激闘の末、シュリア のカシオス山 (英語版 ) へ追いつめられたテューポーンはそこで反撃に転じ、ゼウスを締め上げて金剛の鎌と雷霆を取り上げ、手足の腱を切り落としたうえ、デルポイ 近くのコーリュキオン洞窟 [ 注 2] に閉じ込めてしまう。そしてテューポーンはゼウスの腱を熊の皮に隠し、番人として半獣の竜女デルピュネー を置き、自分は傷の治療のために母ガイアの下へ向かった。
ゼウスが囚われたことを知ったヘルメース とパーン はゼウスの救出に向かい、デルピュネーを騙して手足の腱を盗み出し、ゼウスを治療した。力を取り戻したゼウスは再びテューポーンと壮絶な戦いを繰り広げ、深手を負わせて追い詰める。テューポーンはゼウスに勝つために運命の女神モイラ たちを脅し、どんな願いも叶うという「勝利の果実」を手に入れたが、その実を食べた途端、テューポーンは力を失ってしまった。実は女神たちがテューポーンに与えたのは、決して望みが叶うことはないという「無常の果実」であった。
敗走を続けたテューポーンはトラーキア でハイモス山 (バルカン山脈)を持ち上げてゼウスに投げつけようとしたが、ゼウスは雷霆でハイモス山を撃ったので逆にテューポーンを押しつぶし、山にテューポーンの血がほとばしった。最後はシケリア島 まで追い詰められ、アイトネー山 の下敷きにされた。以来、テューポーンがアイトネー山の重圧を逃れようともがくたび、噴火が起こるという[ 2] 。ゼウスはヘーパイストスにテューポーンの監視を命じ、ヘーパイストスはテューポーンの首に金床 を置き、鍛冶の仕事をしているという[ 21] 。ただし、シケリア島に封印されているのはエンケラドス とする説もある。
アポロドーロスはテューポーンに恐れをなした神々が動物に姿を変えてエジプトに逃亡したことについて触れているが、何人かの作家はこの伝承についてより具体的に語っている。オウィディウス によると、ゼウスは牡羊に、アポローン はカラス に、ディオニューソス は牡山羊に、アルテミス は猫 に、ヘーラーは白い牝牛に、ヘルメースは朱鷺 に変身した[ 22] 。
アントーニーヌス・リーベラーリス によると、アポローンは鷹 に、ヘルメースはコウノトリ に、アレース は魚に、アルテミスは猫に、ディオニューソスは牡山羊に、ヘーラクレース は小鹿に、ヘーパイストスは牡牛に、レートー はトガリネズミ に変身した[ 21] 。なお、パーンは上半身がヤギ で下半身が魚の姿に化けたが、それがやぎ座 となった[ 23] 。
語源学的記述のルール:[en : α <non : β1380 (=a, b 、イ、ロ)<pie :* γ ]は「 en(英語)αは non(古ノルド語 )βから派生、βはαの語源。βの初出 は1380年。βを英訳するとa,bで和訳(※βの和訳、もしくは a,bの和訳)するとイ、ロ。pie(インド・ヨーロッパ祖語 )γはβの語源であるが、* 付きということで学術的逆成 語。すなわち、β以降の派生語や比較言語の知見から復元されている。」と読む。 語源学 や比較言語学 によれば、古代ギリシア語 "Τυφῶν (Tȳphōn )"、すなわち怪物「テューポーン」を意する固有名詞 は、直接には「旋風 」を意する語 "τύφων (tȳphōn )" に由来し[ 24] 、最終的には逆成 のインド・ヨーロッパ祖語 "dʰewh₂- " にまで遡れる可能性がある[ 25] [ 26] 。ここで想定された語源は「埃 (ほこり)…」「靄 (もや)…」「煙 …」などを意する接頭辞 である[ 25] 。
Typhoon Hagupit (2014) (平成26年台風第22号 )英語 で「台風 」を意する "typhoon (英語発音: /taɪfu:n/ 〈日本語音写 例: タイフーン 〉)" の[ 27] 直接的語源は初期近代英語 の "touffon" で[ 24] 、これは、インド を中心としてアジア 各地を貿易 して廻ったヴェネツィア 商人で旅行家のチェーザレ・フェデリチ (Cesare Federici 、英語表記:M. Caesar Fredericke)が1588年 に著した航海日誌 をイギリス人 トーマス・ヒッコック (Thomas Hickock) が翻訳 した "The voyage and trauell of M. Caesar Fredericke, Marchant of Venice, into the East India, and beyond the Indies " に初出している[ 24] [ 28] 。そして、この語は1560年 ごろまでに初出のポルトガル語 "tufão (ポルトガル語発音: [/tu.ˈfɐ̃w̃/] 〈日本語音写例: トゥファン〉)" に由来すると考えられており、この語が意するところは「嵐」「暴風雨」「(太平洋 の気象 現象としての)台風」である。さらに、"tufão" の由来はアラビア語 "طوفان (アラビア語発音: [ṭūfān] 〈日本語音写例: トゥーファーン〉)" に求められ、「嵐」「台風」その他を意味している。この語 "طوفان " をさらに遡った先に最終的な語源と考えられる広東語 「大風 (拼音 : daai6 fung1 〈日本語音写例: タァーイフーン日本語発音: [/ta:ɪfu:n/] 〉)」がある[ 24] 。[ 29]
そして、これらの経緯のどこかに以下に挙げる語が発音なり綴りなりの形で影響した可能性が指摘されている。
ゼウスの王権確立とその正当性を讃えた『神統記』は、テューポーンとの戦いに勝利した後にゼウスの王権継承と、女神たちとの結婚が歌われて幕を閉じる。ティーターンとの戦いではヘカトンケイル の力を借りて勝利したゼウスが、自らの力でテューポーンを倒すことで新しい秩序を確立することが語られているのである[ 32] [ 33] 。ヘーシオドスによればゼウスの王権にはプロメーテウス [ 34] やメーティス の子供などの危機が存在した[ 35] 。テューポーンとの闘争についても、ゼウスがテューポーンの誕生に気づかなかったなら、テューポーンは人間と神々の上に君臨したに違いないとさえ歌っている[ 36] 。しかし、ゼウスは致命的な事態に陥ることなくこれを迎え討ち、勝利する。そこで歌われているのは潜在的な危機を回避するゼウスの全知性と、テューポーンに勝利する強大さであり、『神統記』で一貫しているゼウスの優位性を示すというヘーシオドスの意図の中に、テューポーンとゼウスの闘争神話も組み込まれている[ 32] 。
しかしゼウスのテューポーンに対する優位性は他の文献でも見られるわけではなく、特にテューポーンがゼウスを無力化するアポロドーロスの物語は、ウーラノス がクロノスによって去勢 されたように、テューポーンによるゼウスの去勢を物語っていると指摘されている。古典学者アーサー・バーナード・クック (英語版 ) は大著『ゼウス(原題:Zeus: A Study In Ancient Religion )』(1914-1925年刊)において、テューポーンがゼウスの鎌を奪ってゼウスの手足の腱を切除する神話は、ゼウスの去勢を婉曲的に表現したものであると結論している[ 37] 。またクックはゼウスも自分の子供によって去勢され、廃位される運命にあると考えている[ 38] 。
こうしたギリシア神話の王権争奪神話およびゼウスとテューポーンの闘争は、フルリ人 の影響を強く受けたヒッタイト神話 と多くの類似点が認められる。ヒッタイト神話では4代にわたる王権争奪神話が語られている。
まず、天空の最高神アラル は天空神アヌ に敗れて逃亡する。その9年後、今度はアヌ神に叛旗を翻した我が子クマルビ (英語版 ) が父神の男性器 を噛みちぎって去勢 する。その際、クマルビは呑み込んだ物によって3柱ないし5柱の怖ろしい神を身籠る であろうとアヌは予言 した。これを聴いてクマルビは吐き出そうとするが、しかし、クマルビの体内ではすでに天候神テシュブ (英語版 ) が成長している。やがて生まれたテシュブはクマルビと戦って打ち負かし、廃位させる。王権を奪われたクマルビは巨岩との間に巨人ウルリクムミ を儲け、海で秘密裏に育てて復讐しようとする。神々はウルリクムミの巨大な姿に恐怖するが、エア 神の助言により、天地を切り離した鋸 でウルリクムミの足を切断した。
ヒッタイト神話の天空神アラルに相当する神はギリシア神話には見当たらないが、反旗を翻した我が子クマルビに去勢されるアヌは反旗を翻した我が子クロノスに去勢されるウーラノスと、アヌに叛乱を起こすクマルビはウーラノスに叛乱を起こすクロノスと、クマルビに叛乱を起こすテシュブはクロノスに叛乱を起こすゼウスと、神々を脅かす巨人ウルリクムミは神々を脅かす巨人テューポーンと、それぞれに対応している[ 39] [ 40] 。また、この物語に登場するハジ山はカシオス山のことである[ 41] [ 42] 。しかしながら、ヒッタイト神話がどのようにしてギリシアに伝わったかは今のところ不明である。
^ ただし、この説が載っている文献の序の部分ではガイアとタルタロスの子となっており、タルタラという女神の名前もここにしか出て来ない[ 8] 。タルタラ (Tartara) という語は本来タルタロスの中性複数形である[ 9] 。 ^ コーリュキオン洞窟(古希 :Κωρύκιον ἄντρον 〈Kōrykion antron;コーリュキオン・アントロン〉、en:Corycian Cave ) ^ ヘーシオドス、820行-822行。 ^a b c d e f アポロドーロス・高津 (1953) , 第1巻 6・3. ^ 『イーリアス』2巻への古註(沓掛訳注『ホメーロスの諸神讃歌』p. 186)。 ^ ステーシコロス 断片(『大語源書』による引用。沓掛訳注『ホメーロスの諸神讃歌』 p, 186)^ 『ホメーロス風讃歌』「アポローン讃歌」306行-352行。 ^ 『ホメーロス風讃歌』「アポローン讃歌」304行-305行。 ^ 『ホメーロス風讃歌』「アポローン讃歌」353行-355行。 ^a b 『神話伝説集』181頁。 ^ 『西洋古典学事典』736頁。 ^ ヘーシオドス、823行-834行。 ^ ヘーシオドス、825行。 ^ ヘーシオドス、827行-828行。 ^ ヘーシオドス、829行-835行。 ^ アポロドーロス・高津 (1953) , 第2巻 5・1.^a b アポロドーロス・高津 (1953) , 第2巻 5・11. ^ アポロドーロス・高津 (1953) , 第3巻 5・8.^ アポロドーロス・高津 (1953) , 摘要 (E) 1・2.^ ヒュギーヌス・松田ら (2005) , 第151話.^ ヘーシオドス、869行。 ^ ヘーシオドス、840行-868行。 ^a b アントーニーヌス・安村 (2006) , 第28話. ^ オウィディウス・中村 (1981) , 第5巻 318-358行.^ 『西洋古典学事典』815頁。 ^a b c d e f g h “typhoon (n.) ”. official website . Online Etymology Dictionary. 2020年4月29日閲覧。 ^a b c d “*dheu- (1) ”. official website . Online Etymology Dictionary. 2020年4月29日閲覧。 ^a b c “typhus ”. official website . Online Etymology Dictionary. 2020年4月29日閲覧。 ^a b “Typhon ”. official website . Online Etymology Dictionary . 2020年4月29日閲覧。 ^a b “Federici, Cesare. The voyage and trauaile of M. Cæsar Frederick, merchant of Venice, into the East India, the Indies, and beyond the Indies. ”. Early English Books Online . 2020年4月29日閲覧。 ^a b “220 「台風」の語源はアラビア語? - 海運雑学ゼミナール ”. 公式ウェブサイト . 一般社団法人日本船主協会 (JSA). 2020年4月29日閲覧。 ^a b c “ṭwpn, ṭwpn ”. The Comprehensive Aramaic Lexicon Project . Hebrew Union College . 2020年4月29日閲覧。 ^a b Payne Smith, Jessie (1903). A Compendious Syriac Dictionary Founded Upon the THESARUS SYRIACUS of R. Payne Smith, D.D. . Oxford : Oxford University Press . p. 170a. http://www.dukhrana.com/lexicon/PayneSmith/index.php?p=170&l=0 2020年4月29日閲覧。 ^a b ヘシオドス・廣川 (1984) , 解説, pp. 177-178. ^ ヘシオドス・中務 (2013) , 解説, pp. 474-475.^ ヘーシオドス、521行以下。 ^ ヘーシオドス、886行-900行。 ^ ヘーシオドス、836行-838行。 ^ ドゥヴルー・加藤 (1994) , pp. 151, 383–384.^ ドゥヴルー・加藤 (1994) , pp. 162, 189.^ ヘシオドス・中務 (2013) , 解説, pp. 475-476.^ ドゥヴルー・加藤 (1994) , pp. 131–132.^ ヴィカンデル・前田 (1997) , 「ウラノスの後裔たちの歴史」.^ グレーヴス・高杉 (1962) , 36・4.ウィキメディア・コモンズには、
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