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ダンバー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避この項目では、スコットランドの町について説明しています。その他の用法については「ダンバー (曖昧さ回避)」をご覧ください。
ダンバー

ダンバー・ハイ・ストリートにあるダンバー・タウン・ハウスとマーキャット・クロス
ダンバーの位置(イースト・ロージアン内)
ダンバー
ダンバー
イースト・ロージアンの地図を表示
ダンバーの位置(イギリス内)
ダンバー
ダンバー
イギリスにおけるダンバーの位置
イギリスの地図を表示
面積3.01 km2 (1.16 sq mi[2]
人口10,270人 
人口密度3,412/km2 (8,840/sq mi)
英式座標
NT678789
エディンバラ26 mi (42 km)
ロンドン325 mi (523 km)
カウンシル・エリア
レフテナンシー・エリア
構成国スコットランド
イギリスの旗イギリス
郵便地域DUNBAR
郵便番号EH42
市外局番01368
警察 
消防 
救急医療 
英国議会
  • ロージアン・イースト
スコットランド議会
  • イースト・ロージアン
場所一覧
イギリス
北緯56度00分10秒西経2度31分01秒 / 北緯56.002725度 西経2.516901度 /56.002725; -2.516901座標:北緯56度00分10秒西経2度31分01秒 / 北緯56.002725度 西経2.516901度 /56.002725; -2.516901

ダンバー (英語:Dunbar[dʌnˈbɑːr] (音声ファイル)) はスコットランドの南東部、イースト・ロージアン北海岸にある町である。エディンバラから50キロメートル東、ベリック・アポン・ツイードの北にあるイングランドとの国境から50キロメートルほどのところにある。著名な探検家・博物学者自然保護活動家であるジョン・ミューアの生地である[3][4]

歴史

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ダンバー・ハーバーの城

語源

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Dunbar(ダンバー)という現在の名称はゲール語で「頂上の要塞」(現代のスコットランド・ゲール語Dùn Barra)を意味する語からきている。おそらくはカンブリア語で同じ意味になるdin-bar をゲール語化したものだと考えられている。17世紀の『聖ウィルフリッドの生涯』(Vita Sancti Wilfrithi) に出てくるDynbaer という形が証拠としてあげられる[5][6]

先史時代

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2003年、宅地開発に先立ってCFA Archaeologyが実施した発掘により、青銅器時代末期から鉄器時代初期(紀元前800-540年頃)の人物の遺骨が発見され、この時期から人が住んでいたことが示唆されている[7]。キャッスルパーク敷地内にある地元のランドマークであるキャプテンズ・キャビンがかつてあった場所でHeadland Archaeologyが実施した考古学発掘調査によると、2000年にわたる人間の継続的な活動を反映した考古学的な形跡が見受けられる[8]。初期の集落はローマ人にはヴォタディニ人として知られていた人々が集まる中心地であった[9]

初期の歴史

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ダンバーは6世紀にアングル人ノーサンブリア王国が拡大した時にその配下に含まれるようになり、680年頃に最初に文字資料に現れた[10]

2003年の考古学発掘で32個の石櫃からなる墓所も見つかった。この種の墓所は初期キリスト教時代(紀元4-8世紀頃)にさかのぼり、スポット交差点の東側やダンバースイミングプールなどを含むダンバー周辺の複数の地域で見つかっており、この時代から集落が存在したことが示唆される[7]

影響力のあるノーサンブリアの修道士学者であった聖カスバートは630年頃におそらくダンバーあたりで生まれたと考えられる。まだ子どもの頃に羊飼いとして雇われていたが、ある夜に聖エイダンの魂が天使によって天に運ばれるまぼろしを見て、その後オールド・メルローズ修道院に入って修道士となった[11]

この頃ダンバーは王の村区で、司教ウィルフリッドはここの監獄に入れられていた。ノーサンブリア王の王領として、この地域の経済は食物年貢の徴収や王国の北側(現在のスコットランド)の行政業務を中心にまわっていた。王の上級役人である代官(のちのシェリフ)の事務所があった[12]

スコットランドの征服

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デンマーク人ノース人がノーサンブリア南部を攻撃したため王国の勢力が弱まり、北部も同様にスコットランドに併合されてもおかしくない状態になった。ダンバーは9世紀にスコットランド王ケネス1世に焼き討ちされ、次の世紀にはスコットランドの支配が強まり、1018年のカラムの戦いの後でマルカム2世ロージアンが譲渡された時にダンバーもとうとうスコットランドの一部として認められた[13]

ノーサンブリア伯でマルカム3世のいとこであるゴスパトリックが1972年に追放された際、ダンバーはマルカム3世の好意でゴスパトリックに供与された。マルカム3世は南東側にあった権力の空白を埋める必要があり、ゴスパトリックはノーサンブリアの土地を取り戻す計画をするための基盤になる場所を求めていた。ゴスパトリックはダンバーで一家を構え、15世紀まで家長がダンバー及びマーチ伯の地位を占めることとなった[14]

中世末期から現代まで

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ダンバーの町は男爵領自治都市となり、さらに1370年に勅許自治都市となった[15]。町の東西をつなぐウサギ養殖穴は王室に食料を供給するためのものだったが、1589年に嵐と風に巻き上げられた砂が西側の穴を破壊した[16]

1296年と1650年に大きな戦いがあった。後者は三王国戦争中にスコットランドのカヴェナンター軍とオリバー・クロムウェル率いるイングランド議会派が衝突した戦いであった。スコットランド軍が敗北し、君主制が倒れてスコットランドが占拠された[17]

1855年にキャッスル・パーク・バラックスが完成し、永続的に軍が駐留することになった[18]。1976年にはダンバー・ロイヤル・ブリティッシュ・リージョン・パイプ・バンドが結成された[19]

気候

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ブリテン諸島のほとんどの地域同様、ダンバーは海洋性気候ケッペンの気候区分Cfb)で、夏は涼しく冬は穏やかである。スコットランドで最も晴れが多く乾いた気候の地域のひとつで、日照時間が1450時間ほど、毎年の降水量は600mmである。気温は1990年8月の31.3℃が最高、1982年1月の-12℃が最低である[20][21]

ダンバー(1991–2020平均)の気候
1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
平均最高気温°C°F7.3
(45.1)
7.9
(46.2)
9.5
(49.1)
11.5
(52.7)
14.1
(57.4)
17.0
(62.6)
19.1
(66.4)
18.9
(66)
16.9
(62.4)
13.5
(56.3)
10.0
(50)
7.7
(45.9)
12.8
(55)
日平均気温°C°F4.8
(40.6)
5.1
(41.2)
6.4
(43.5)
8.2
(46.8)
10.6
(51.1)
13.5
(56.3)
15.4
(59.7)
15.3
(59.5)
13.6
(56.5)
10.5
(50.9)
7.3
(45.1)
5.0
(41)
9.7
(49.5)
平均最低気温°C°F2.3
(36.1)
2.3
(36.1)
3.3
(37.9)
4.9
(40.8)
7.1
(44.8)
10.0
(50)
11.7
(53.1)
11.7
(53.1)
10.2
(50.4)
7.6
(45.7)
4.6
(40.3)
2.3
(36.1)
6.5
(43.7)
降水量 mm (inch)48.4
(1.906)
38.8
(1.528)
39.1
(1.539)
34.3
(1.35)
45.6
(1.795)
61.9
(2.437)
64.1
(2.524)
61.5
(2.421)
50.1
(1.972)
63.4
(2.496)
58.3
(2.295)
56.6
(2.228)
622.1
(24.492)
平均降水日数(≥1.0 mm)10.28.48.67.69.010.010.710.18.711.011.210.9116.4
平均月間日照時間59.081.9116.8155.7196.9169.0174.6160.7128.797.873.451.51,466
出典:Met Office[22]

スポーツ

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バスロックを背景にダンバー・ハーバーの入り口でボートを漕ぐ様子
アイ・ケイヴ・ビーチのパドルボーダーたち
グルームズ・ガゼッティアのダンバーの封[23]
サミュエル・ルイスのダンバーの封[24]

サッカー

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ダンバー・ユナイテッドはニュー・カウンテス・パークをホームとし、東スコットランドリーグ一部でプレイしている[25]第二次世界大戦直後には短期間、東スコットランドリーグでプレイするダンバー・タウンが活動していた[26]

ウェイクボード

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ダンバーのフォックスレイクはスコットランド初のケーブルウェイクボードセンターである[27]

サーフィンとパドルボード

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サーフィンやパドルボードはベルヘイヴン・ベイで人気がある[28]

教育

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町にはウェストバーンズ小学校とダンバー小学校、ふたつの小学校がある[29][30]。宗派を特定しない国立中等学校であるダンバー・グラマー・スクールもある[31]

映像作品への登場

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1958年に 'Dunbar' という3分間のモノクロサイレント映画が作られた[32]。1970年には 'Dunbar - The A1 Resort'という20分のカラー映画が作られた[33]。1974年には 'Lothian Landscape' というゴードン・ジャクソンがナレーターをつとめる21分のカラー映画が作られた[34]。テレビドラマ『アウトランダー』の一部はダンバーでロケを行っている[35]

教会建築

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ダンバー・ハーバーの陸地測量局検潮所

ダンバーの町はスコットランド国教会ダンバー教区に含まれる[36]。1987年1月3日、火災で町の歴史的教区の大半が破壊された。外壁程度しか残らなかったが、教会は内装を現代的なものにして修復された[37]

ジェイムズ・ギレスピー・グレアムは1818年から1821年にかけて、バーハウス採石場から切り出した地元の赤い砂岩で教区教会を建築した[38]。ハイストリートの郵便局の裏にある教区教会ホールは1910年に建てられたものであり、ステンドグラスエディンバラでシッスル礼拝堂ができた時に不要になったためセント・ジャイルズ大聖堂から外して運ばれたものである[38]。ダンバーメソジスト教会はスコットランド太鼓のメソジスト教会で、1764年に建てられた。ジョン・ウェスレーチャールズ・ウェスレーは21回にわたってこのメソジスト教会で説教をしている[39]

著名人

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1000年以前

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  • 聖ウィルフリッド (633–709) - 7世紀から8世紀初頭のイングランド人の主教・聖人であり、ダンバーで収監されていた[40]
  • 聖カスバート (634–687) -ノーサンブリアの教会で早くから福音伝道活動をしていた聖人リンディスファーンの司教[41]。ノーサンブリアは当時、イギリス及びより広くヨーロッパ地域にキリスト教の教えを伝えるにあたって主導的な役割を果たしていた[42]。カスバートはダンバーで生まれて最初は地元の貴族の一家に育てられ、それから当時の上流階級の伝統に従い、メルローズの親戚か盟友であった一族に預けられたとしている著者もいる[43]

1001-1500

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  • ブラック・アグネス (1312–1369) - ダンバー伯夫人で地元の民話のヒロイン[44]
  • スコットランド王妃ジョウン・ボーフォート (1404–1445) - スコットランド王ジェームズ1世の妻で、夫の死のすぐ後、息子であるジェームズ2世が未成年の間はスコットランド摂政をつとめたが、貴族との間の権力闘争に巻き込まれた。絶望してダンバー城に避難したが、そこで結局敵に包囲され、ダンバー城で1445年に死亡した[45]
  • オールバニ公アレクサンダー・ステュワート (1454–1485) - スコットランド王ジェームズ2世メアリー・オブ・グエルダースの次男でオールバニ公、マーチ伯、アナンデール卿及びマン島領主、スコットランド国境管理官 (Warden of the Marches)であり、こうした地位により自らが所有・居住していたダンバー城を中心に国境の東部及び西部に相当な影響力を有していた。兄である王ジェームズ3世からスコットランドの支配を奪おうとしたが、うまくいかなかった[46]
  • オールバニ公ジョン・ステュワート (1482–1536) - オールバニ公アレクサンダー・ステュワートの一人息子でスコットランドの事実上の支配者であった。スコットランド及びヨーロッパにおいて力のあった軍人・外交官・政治家であり、父が失敗したことをやり遂げてスコットランド摂政となり、フランスオーヴェルニュ及びロラゲ伯となった後、父が有していたマーチ伯も相続し、父同様ダンバー城をスコットランドにおける自らの権力の中心とした[47][48]

1501-1900

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姉妹都市

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ダンバーはフランスのリニエール及びアメリカ合衆国のカリフォルニア州マーティネズ姉妹都市提携している[52]

ギャラリー

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ダンバー城とヴィクトリアハーバー
  • ダンバーから見たバスロック
    ダンバーから見たバスロック
  • バスからノース・ベリック・ロウをつなくブリッジ・トゥ・ノーウェア
    バスからノース・ベリック・ロウをつなくブリッジ・トゥ・ノーウェア
  • ベルヘイヴン・ベイ(ジョン・ミュア・カウンティ・パーク)をのぞみ、遠くにノース・ベリック・ロウとバスロックが見える風景
    ベルヘイヴン・ベイ(ジョン・ミュア・カウンティ・パーク)をのぞみ、遠くにノース・ベリック・ロウとバスロックが見える風景

脚注

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  1. ^na h-Alba ~ Gaelic Place-names of Scotland”. 2017年10月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月12日閲覧。
  2. ^Dunbar (East Lothian, Scotland, United Kingdom) - Population Statistics, Charts, Map, Location, Weather and Web Information”. www.citypopulation.de. 2019年4月11日閲覧。
  3. ^abMuir 1916.
  4. ^abWolfe 2003.
  5. ^Fox—The P-Celtic Place-Names of North-East England and South-East Scotland”. www.heroicage.org. 2022年7月28日閲覧。
  6. ^Fox—P-Celtic Place-Names—Appendix”. www.heroicage.org. 2025年12月6日閲覧。
  7. ^abVol 50 (2011): A Rural Medieval Settlement and Early Iron Age Funerary Remains at Hallhill, Dunbar, East Lothian | Scottish Archaeological Internet Reports”. journals.socantscot.org. 2021年8月22日閲覧。
  8. ^Moloney 2002.
  9. ^Early historic settlements: the example of Castle Park, Dunbar”. The Fourth Statistical Account of East Lothian (2018年4月16日). 2022年10月9日閲覧。
  10. ^“Dunbar through the years: These 27 pictures show how much the East Lothian seaside town has changed since the 1960s”. The Scotsman. (2021年10月29日). https://www.edinburghnews.scotsman.com/heritage-and-retro/heritage/dunbar-through-the-years-these-27-pictures-show-how-much-the-east-lothian-seaside-town-has-changed-since-the-1960s-3437773 2022年10月9日閲覧。 
  11. ^St Cuthbert”. Undiscovered Scotland. 2022年10月9日閲覧。
  12. ^Perry, David R.; Blackburn, Mark A. S. (2000). Castle Park, Dunbar: Two Thousand Years on a Fortified Headland, Part 4. Society of Antiquaries of Scotland. p. 318. ISBN 978-0903903165. https://books.google.com/books?id=1a6Qw1R2lxoC&pg=PA318 
  13. ^Mack, Logan, (1924) "The Border Line - Solway Firth to the North Sea", Oliver & Boyd., p. 6
  14. ^Miller, James,The History of Dunbar, Dunbar, 1830, pp. 84–89.
  15. ^East Lothian's Royal Burgh”. John Grey Centre. 2022年10月9日閲覧。
  16. ^Exchequer Rolls, XII (Edinburgh, 1892), pp. 56, 368.
  17. ^Reese, Peter (2006). Cromwell's Masterstroke: The Battle of Dunbar 1650. Barnsley: Pen & Sword Military. pp. 96–97. ISBN 978-1-84415-179-0 
  18. ^Historic closes and wynds”. 2014年12月6日閲覧。
  19. ^“Royal British Legion pipe band record 'greatest achievement'”. East Lothian Courier. (2019年8月12日). https://www.eastlothiancourier.com/news/17824891.royal-british-legion-pipe-band-record-greatest-achievement/ 2022年10月9日閲覧。 
  20. ^1990 temperature”. KNMI. 2012年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月6日閲覧。
  21. ^1982 temperature”. KNMI. 2012年6月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年11月6日閲覧。
  22. ^Dunbar (East Lothian) UK climate averages”. Met Office. 2023年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月25日閲覧。
  23. ^Groome 1882.
  24. ^Lewis 1851.
  25. ^Club History” (英語). Dunbar United F.C.. 2025年12月6日閲覧。
  26. ^“Sport of all sorts”. Edinburgh Evening News: 14. (5 June 1937). 
  27. ^McIver, Brian (2015年4月8日). “Wakeboarding comes to Scotland”. Daily Record. https://www.dailyrecord.co.uk/sport/other-sports/water-torture-wakeboarding-comes-scotland-5477342 2021年6月17日閲覧。 
  28. ^Cox, Roger (2014年12月13日). “Surfing at Belhaven Bay”. Scotsman. https://www.scotsman.com/whats-on/things-to-do/roger-cox-surfing-belhaven-bay-near-dunbar-1518153 2021年6月17日閲覧。 
  29. ^West Barns Primary – Together Everyone Achieves More”. Edubuzz.org. 2017年6月19日閲覧。
  30. ^Dunbar Primary School - Standing together. Facing the future.”. Edubuzz.org. 2017年6月19日閲覧。
  31. ^Dunbar Grammar School - Non sine pulvere palma”. Edubuzz.org. 2017年6月19日閲覧。
  32. ^Dunbar”. National Libraries of Scotland. Moving Image Archive. 2018年10月16日閲覧。
  33. ^Dunbar - The A1 Resort”. National Libraries of Scotland. Moving Image Archive. 2018年10月16日閲覧。
  34. ^Lothian Landscape”. National Library of Scotland. Moving Image Archive. 2018年10月16日閲覧。
  35. ^Explore East Lothian: Top Outlander Filming Locations” (英語). Visit East Lothian (2020年9月14日). 2025年12月6日閲覧。
  36. ^Scott 1915.
  37. ^“25 years on, church refurb really fires the imagination”. East Lothian Courier. (2012年1月12日). https://www.eastlothiancourier.com/news/13556766.25-years-on-church-refurb-really-fires-the-imagination/ 2022年10月9日閲覧。 
  38. ^abMcWilliam, Colin (2003). Lothian, except Edinburgh (1. publ ed.). New Haven, Conn. London: Yale Univ. Press. ISBN 978-0-300-09626-2 
  39. ^Dunbar”. Methodistheritage.org.uk. 2019年1月2日閲覧。
  40. ^Saint Cuthbert and Saint Wilfrid 657-688AD”. www.EnglandsNortheast.co.uk. 2017年6月19日閲覧。
  41. ^Hunt 1888.
  42. ^The Gospels Story - Northumbrian Association”. www.NorthumbrianAssociation.com. 2017年6月19日閲覧。
  43. ^Battiscombe, C. F. (ed), The Relics of Saint Cuthbert, Oxford University Press, 1956
  44. ^Vian 1888.
  45. ^Brown.
  46. ^Mackay 1898a, p. 264-267.
  47. ^Bonner.
  48. ^Mackay 1898b, p. 317-322.
  49. ^Marshall, Rosalind K. "Hepburn, James, fourth earl of Bothwell and duke of Orkney (1534/5–1578), magnate and third consort of Mary, queen of Scots." Oxford Dictionary of National Biography.  September 23, 2004. Oxford University Press. Date of access 10 Dec. 2025.
  50. ^Johnstone & Cregier.
  51. ^Daly.
  52. ^Twins for 40 Years! Dunbar & Martinez”. John Muir's Birthplace (2021年4月16日). 2022年10月9日閲覧。

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]
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