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スパイ(英:spy)は、政府や他の組織に雇われて、秘密裏に敵や競争相手の情報を得る人のこと。
「spy」は、「espy (見つける、探し出す)」と同じで、古期フランス語で 「espion(見張る者)」を意味しており、「espionnage (諜報:現代仏語)」の語源。印欧語で「見る」を意味する語幹「Spek」に由来する。

何らかの組織に雇われて、ひそかに敵国や競争相手の組織などの情報を得て、その情報を雇い主である組織に報告する者の総称である。別の言い方をすると諜報活動を行う者、インテリジェンスの役割を担う者の総称である。ひそかに得た情報を雇い主に知らせることや、また雇い主が「敵」や「競争相手」と見なしている組織の活動を阻害・撹乱することが主な任務とされる。政治・経済・軍事・科学・技術など多岐にわたる。
情報機関は政府の機関として大きな目的設定があり、その目的達成のために組織として情報を収集し、大目的を細分化した個々の目標を実現するための道具や手先としてスパイを用いるので、スパイひとりひとりは何のために自分の任務をさせられているのか分からない場合もある。
米国のインテリジェンス・コミュニティでの呼称としては「Asset アセット」(=資産)がより一般的である。中国語では敵側を間諜、細作、姦細、敵奸、探子などと呼び、味方側を工作人員や政治指導員などと呼ぶ[1]。
日本では「スパイ」は主に敵側を指し、味方側は主に「エージェント」と呼んでいる[1]。
日本語では情報部員、諜報員、密偵、間諜と呼ぶ。古くは細作、間者とも呼ばれていた。海外で活動する者は国際探偵とも呼ばれた[2]。
諜報活動や破壊工作、要人暗殺、後方撹乱、拉致などを任務とする者は工作員と呼ぶ[3]。
その存在は古代から有ったと言われ、世界各地の神話や古文書でもしばしば描写される。例えば、ギリシャの英雄オデュッセウスの「トロイの木馬」が世界的に有名である。また中国の書物『孫子』では「用間」としてわざわざ一章が設けられており、離間工作の方法、敵の間者を二重スパイとして活用する反間などの手法が記されている。日本では戦国時代の忍者が該当しており、明治時代の一連の士族の反乱の初期から「スパイ」としての活動が行われていた。
近代以降、各国で情報機関が組織され、スパイ活動の展開が行われている。
捕らわれたスパイは互いの交渉によって、スパイ交換が行われた。東西のスパイ交換に使われた橋としてグリーニッケ橋が Bridge of Spiesという通称を持つ。
現代のスパイは、機関員と協力者に分けられる。
機関員の任務は主に赴任国の重要情報に近づきやすい人間に獲得工作を仕掛け、協力者として運営し、赴任国に関する情報収集を行うことにある。機関員が獲得工作を行う際には協力者にしたい人物に接近し、身分を明かしたうえで獲得するケースが多い。また、獲得工作を行う際には、相当の金銭を提示して釣る方法や、異性の機関員が素性を偽りつつ接触し男女関係・恋愛関係に持ち込み相手をがんじがらめにして協力させる手法(ハニートラップ)が利用される場合もある。さらには、機関員が身分を明かさないまま「外交官」として協力者に接触するケースもあるため、実際には協力者となっていることを自らが自覚していない場合も多い。
機関員は雇用形態としては「公務員」であるため、その給与額は当該国の公務員にありがちな給与額であり、特別な高給を得る機会は少ない。また、特殊な訓練を受ける過程で脱落したり、訓練後でも人材が育つとは限らない状態にあったりする。
ジャーナリストを装ったスパイや、ジャーナリストが同時にスパイ活動をもこなす場合もあるため、「スパイ」と「ジャーナリスト」の境界線は非常に曖昧である。戦場において捕虜になった場合に、ジャーナリストであることが証明されても直ちに解放される保証はない[5]。
「エージェント」または「アセット」は、機関員の望む情報、資料、物資などを直接獲得したり、その仲介をなす協力者のことである。危険を伴う任務が多く、敵に捕らわれたら長期間の拘束や処刑される場合がある。
ビジネスの世界では産業スパイが活動している。産業スパイは競合企業の情報をひそかに収集するだけでなく、競合企業の重要な社員の辞職を誘発したり、労働組合を扇動するなどして、相手企業の勢力をそぎ、弱体化を図る場合もある。これらの活動には探偵業者や「経営コンサルタント」などが関わることが多い。
軍事技術の収集などを目的に外国の情報機関が企業に諜報活動を行う場合もある。
日本では、1964年2月26日、東京地検が機密書類で大日本印刷をゆすっていた白系露人ら3人を逮捕したのが、初の産業スパイ摘発である。日本で近年発生した事案には、ロシア軍参謀本部情報部(GRU)の情報将校がニコンの社員から軍事転用可能な技術を収集した事件や、中国人民解放軍系の企業がヤマハ発動機を通じて無人ヘリ(農業用無人航空機)を不正に輸入しようとした事件などがある。この他、1964年の凸版印刷における「ジョージ・テレンチェフ産業スパイ事件」[6] 、1965年のW3事件、1982年のIBM産業スパイ事件、1983年の新薬スパイ事件、2014年の東芝研究データ流出事件などがある。
海外では、2002年のウエストジェット航空による不正アクセス事件、2007年のマクラーレンの産業スパイ疑惑、2009年にリオ・ティント社員が産業スパイ容疑で中国政府に拘束された事件、2013年のHTC幹部の産業スパイ事件などがある。
なお、企業の利益活動を正当な理由なく阻害した場合には、基本的に法的観点で処置される。
スラングとしても「スパイ」という言葉は使われる。たとえば、プロ野球のスコアラーが次の対戦相手の戦力・戦術分析の為に試合を観戦したりする事から「スパイ」と表現される事もある。また2ちゃんねる(後の5ちゃんねる)などに見られるインターネット上の掲示板などで情報操作をする者を「(ネット)工作員」と呼ぶこともある。
スパイに関する研究はスパイという存在のもつ独特な魅力に影響され、ある種の作為(複数の説が有る場合に一番劇的な説を取る、など)が働く危険がある[43]。更に言えば、作成の段階で既に作為や創作が働いていると推測できる一次資料もある。ヌーラン事件や小林多喜二逮捕に関与し、戦前の共産党を壊滅状態に追い込んだスパイの一人三船留吉を調査したくらせみきおは、スパイの研究は人物像を造形する過程で、その劇的なストーリーに魅了され美化する危険があると指摘している[43]。
インターネットが各国に普及して、検索カテゴリーに入った結果、世界中の誰しもが容易に情報を収集できることから、スパイ活動そのものが減少しているとした。
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