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『デーヴィー・マーハートミャ 』の現存する最古の複製。11世紀 のネパール で、ブジモール (英語版 ) という書体を使って書かれており、椰子の葉からできている (貝葉 )。 サンスクリット (梵 :संस्कृतम् saṃskṛtam 、英 :Sanskrit [ 11] )は、古代 インド・アーリア語 に属する言語 。北西方からインド を訪れたとされるアーリア人 によって話された古代語。後に文法家 パーニニ が文法を詳細に研究した。
アーリア人 らが定住した北インド を中心に南アジア で用いられ、その影響を受けた東アジア 、東南アジア の一部でも使用された。文学 、哲学 、学術 、宗教 などの分野で広く用いられ、特に大乗仏教 の多くの仏典がこの言語で記され、ヒンドゥー教 では現在でも礼拝用言語 である。現在では母語 話者は少ないが権威は大きく、現代インド では憲法第8附則 で当初から公用語に指定されており、紙幣での金額記載にも含まれる[ 12] 。
サンスクリットは「正しく構成された(言語、雅語)」を意味する[ 13] 。ただし、この言語が「サンスクリット」と呼ばれるようになったのが確認できるのは5世紀 から6世紀 ごろのことである[ 14] 。
また、「サンスクリット」のみで言語自体を指すが、日本語では言語であることを明示するためサンスクリット語 とも呼ばれる。
漢字表記の梵語 (ぼんご)は漢字文化圏 でのサンスクリットの異称。サンスクリットの起源を造物神梵天 (ブラフマー )とするインドの伝承を基にした言葉である。日本 でも近代以前から漢訳経典を通じて「梵語」が使われた。
サンスクリットはインド・ヨーロッパ語族 のインド・イラン語派 インド語群 に属する古代語である。
リグ・ヴェーダ (最古部は紀元前1500年頃)をはじめとするヴェーダ文献に用いられていたヴェーダ語 をその祖とする。ヴェーダ語の最古層は、インド・イラン語派 イラン語群 に属する古典語であるアヴェスター語 のガーサーの言語(古アヴェスター語)と非常に近い。
ヴェーダ語は紀元前5世紀 から紀元前4世紀 にパーニニ がその文法を規定し[ 15] 、体系が固定された[ 16] 。その後、彼の学統に属するカーティヤーヤナおよびパタンジャリ がこの理論の補遺及び修正を行い、最終的に整備された[ 17] 。この3人、とくにパタンジャリ以後の言語は古典サンスクリットと呼ばれる[ 18] 。古典サンスクリット成立後も、5世紀のバルトリハリ などの優れた文法学者が輩出し、文法学の伝統は続いていった[ 19] 。
パーニニの記述からはサンスクリットが北インド の広い領域で使用されていたことがうかがえるが[ 20] 、この時期にはすでにサンスクリットは文語化 しており、インド各地の地方口語(プラークリット と呼ばれる)が用いられるようになっていた[ 21] 。紀元前3世紀 にマウリヤ朝 のアショーカ王 によって刻まれたインド現存最古の碑文であるアショーカ王碑文 はサンスクリットでなくプラークリットで刻まれており、また上座部仏教 (南伝仏教)の仏典もプラークリットに属するパーリ語 で記されている[ 22] のは、この言語交代が当時すでに起こっていたことを示している。しかしサンスクリットは典礼言語 として定着しており、宗教 (ヒンドゥー教・仏教など)・学術・文学 等の分野で幅広く長い期間にわたって用いられた。こうしたサンスクリット文化の伝承者はおもにパンディット と呼ばれる学者であり、彼らは膨大な文章の暗記を行い、それを読誦し、口伝によって後世へと伝えていった[ 23] 。
グプタ朝 ではサンスクリットを公用語とし[ 24] 、カーリダーサ などに代表されるサンスクリット文学が花開いた[ 25] 。この時期には碑文は完全にプラークリットからサンスクリットで刻まれるように変化しており[ 26] 、また7世紀ごろには外交 用語として使用されるようになっていた[ 27] 。10世紀末のガズナ朝 以降、デリー・スルターン朝 やムガル帝国 といった、北インド で交代を繰り返した中央アジア 起源のインド王朝はペルシア語 を公用語としたが、この時期にもサンスクリットの学術的・文化的地位は揺らぐことはなかった[ 28] 。
13世紀 以降のイスラム王朝 支配の時代(アラビア語 、ペルシア語 の時代)から、大英帝国 支配による英語 の時代を経て、その地位は相当に低下したが、今でも知識階級において習得する人も多く、学問や宗教の場で生き続けている。1972年にデリー で第1回国際サンスクリット会議が開かれたが、討論から喧嘩までサンスクリットで行われたという。また、従来はサンスクリットは男性が使うものであったが、現代では女性がサンスクリットを使うようになってきている[ 29] 。
インドで実施される国勢調査においては現代でもサンスクリットを母語として申告する人びとが少数ながら存在し、2001年にはインドで14,135人が[ 30] 、2011年にはインドで24,821人[ 1] 、ネパールで1,669人[ 2] がサンスクリットを母語とすると回答しているが、日常語として使用されているかについては疑問が呈されている[ 31] 。
ただし日常語としての使用はなくともサンスクリット自体はいまだに生きている言語であり、インドではヴァーラーナシー はじめ数か所にサンスクリットを教授言語 とする大学が存在する[ 32] ほか、テレビ でもサンスクリットによるニュース番組 が存在し[ 33] 、サンスクリットの雑誌も発行されており[ 32] 、さらにサンスクリット語映画 も1983年から2019年までの間に8本製作されている。
多くの古代語と同様、サンスクリットが古代にどのように発音されていたかは、かならずしも明らかではない。
母音 には、短母音a i u 、長母音ā ī ū e o 、二重母音ai au がある。e o がつねに長いことに注意。短い a は、[ə] のようなあいまいな母音であった。ほかに音節 主音的なr̥ r̥̄ l̥ があったが、現代ではそれぞれri rī li のように発音される。r̥̄ l̥ は使用頻度が少なく、前者はr̥ で終わる名詞の複数対格 ・属格 形(例:pitr̥̄n 「父たちを」)、後者はkl̥p- 「よく合う、適合する」という動詞 のみに現れる。
音節頭子音は以下の33種類があった。
そり舌音 が発達していることと、調音位置 を等しくする破裂音に無声無気音・無声帯気音・有声無気音・有声帯気音の4種類があることがサンスクリットの特徴である。このうち有声帯気音は実際には息もれ声 であり、これらの音は現在のヒンディー語 などにも存在する。ヴェーダ語 には、ほかにḷ もあった。リグ・ヴェーダでは、ḷ は母音に挟まれたときのḍ の異音として現れる。
c ch j jh は破裂音 [c cʰ ɟ ɟʱ] であったとする説と[ 34] 、破擦音 であったとする説がある[ 35] 。現代では破擦音として発音する。ñ ([ɲ] ) とṅ ([ŋ] ) は、つづりの上ではほかの鼻音と区別して書かれるが、音韻的には n の異音 とみなされる。
音節末のみに立つ子音としては、ṃ (同器官的 な鼻音、アヌスヴァーラ )とḥ (無声音 の[h] 、ヴィサルガ )がある。
ヴェーダ語は高低アクセント を持ち、単語によりアクセント の位置が定まっていた。古典時代のアクセントは不明である。現代においては、後ろから4音節め(単語が4音節未満なら先頭)に強勢 があり、ただし後ろから2番目さもなくば3番目の音節が長い(長母音・二重母音を含む音節、または閉音節)場合、その音節に強勢が置かれる。
連声(連音 、sandhi )はサンスクリットの大きな特徴で、2つの形態素が並んだときに起きる音変化のことである。連音変化自体はほかの言語にも見られるものだが、サンスクリットでは変化が規則的に起きることと、変化した後の形で表記されることに特徴があり、連声の起きた後の形から元の形に戻さなければ、辞書 を引くこともできない。
単語間の連声を外連声、語幹(または語根)と語尾の間の連声を内連声と言う。両者は共通する部分もあるが、違いも大きい。
外連声の例として、a語幹の名詞の単数主格の語尾である-aḥ の例をあげる。
無声子音が後続するとき、硬口蓋音の前では-aś 、そり舌音の前では-aṣ 、歯音の前で-as に変化する。それ以外は-aḥ のまま[ 36] 。 有声子音が後続するときには -o に変化する。 a 以外の母音が後続するときには -a に変化する。 a が後続するときには、後続母音と融合して -o に変化する。 名詞 は性 の区別があり、数 と格 によって変化する。性は男性、女性、中性があり、数には単数、双数、複数に分かれる。格は主格 、呼格 、対格 、具格 、与格 、奪格 、属格 、処格 の8つある。形容詞は名詞と性・数・格において一致する。代名詞は独特の活用を行う。
名詞・形容詞は語幹の末尾によって変化の仕方が異なる。とくに子音で終わる語幹は、連音 による変化があるほか、語幹そのものが変化することがある。
動詞 は、人称と数によって変化する。伝統的な文法では、動詞は語根 (dhātu )によって示され、語根から現在語幹を作る方法によって10種に分けられている。時制 組織は現在・未来・不完了過去・完了・アオリスト を区別するが、古典サンスクリットでは完了やアオリストは衰退しつつあった[ 37] 。態 には、能動態 (Parasmaipada )と反射態 (Ātmanepada ,ギリシア語 の中動態 に相当する。行為者自身のために行われることを表す)が存在するが、実際には両者の意味上の違いは必ずしも明らかでない[ 38] 。受身 はこれと異なり、使役などとともに、動詞に接尾辞を付加することによって表される。
動詞の法 には直説法 、命令法 、希求法 (願望法)、条件法 、祈願法(希求法のアオリスト)がある。ヴェーダ語にはほかに接続法 と指令法 があったが、パーニニの時代には(固定した表現を除き)失われていた[ 39] 。条件法と祈願法も古典サンスクリットでは衰退している[ 40] 。サンスクリットでは不定詞、分詞、動詞的形容詞 (gerundive )などの準動詞 が非常に発達している[ 41] 。
サンスクリットでは複合語が異常に発達し、他の言語では従属節を使うところを、複合語によって表現する[ 42] 。
サンスクリットの語彙は非常に豊富であり、また複合語を簡単に作ることができる。多義語が多い一方、同義語・類義語も多い。
一例として数詞をIAST方式 のローマ字表記で挙げる。なお、サンスクリットでは語形変化や連音 によってさまざまな形をとるが、単語は語尾を除いた語幹の形であげるのが普通であり、ここでもその慣習による。
数詞 サンスクリット ギリシア語 (参考)倍数接頭辞 1 eka- ,エーカ hen- 2 dvi- ,ドゥヴィ di- 3 tri- ,トゥリ tri- 4 catur- ,チャトゥル tetra- 5 pañca- ,パンチャ penta- 6 ṣaṣ- ,シャシュ hexa- 7 sapta- ,サプタ hepta- 8 aṣṭa- ,アシュタ octa- 9 nava- ,ナヴァ ennea- 10 daśa- ,ダシャ deca-
実際にはこれに語尾がつく。たとえば、tri- 「3」はi- 語幹であるので、(複数)男性主格形はtrayaḥ になる。さらにこの語がaśva- 「馬」を修飾する場合は、連音変化によってtrayo 'śvāḥ となる[ 43] 。
円形グランタ文字 による「ヨハネによる福音書 」3章16節。言語はサンスクリット。19世紀 半ば。 サンスクリットは本来文字を持たない言語であり、その後も近代までは書記よりも読誦を主とする文化が続いていた。このことが逆に、時代・地域によって異なる様々な表記法をサンスクリットにもたらした[ 44] 。サンスクリットが文字表記されるようになるのは4世紀 ごろにインド系文字の祖であるブラーフミー文字 がサンスクリット表記に使用されるようになってからであるが、この文字は本来より新しい言語であるプラークリット の表記のために開発された文字であり、正確な表記のために新たな表記法が開発された[ 45] 。さらにブラーフミー文字表記のサンスクリットはインド文化とともに東南アジア諸国に伝播し、この地に多様なブラーフミー系文字 を生み出すこととなった[ 46] 。日本では伝統的に悉曇文字 (シッダマートリカー文字 の一種、いわゆる「梵字 」)が使われてきたし、南インド ではグランタ文字 による筆記が、その使用者は少なくなったものの現在も伝えられている[ 44] 。
現在では、地域を問わずインド全般にデーヴァナーガリー を使ってサンスクリットを書くことが行われているが、このようになったのは最近のことである[ 47] 。ラテン文字 による翻字 方式としてはIAST が一般的である。
情報化 の進展により、コンピュータ やインターネット が普及するようになってからは、子音の表現が複雑なデーヴァナーガリー に代わり、入力が比較的容易なIASTなどの表記が用いられるようになっている[ 48] 。インド国内向けのサイトを除き、基本的にはIAST表記が中心である。
300年から1800年にかけてのサンスクリットの文書や碑文が発見されている地域。こうした歴史的な文書や碑文は南アジア、東南アジア、東アジアの広い地域に存在している サンスクリットは近代インド亜大陸の諸言語にも大きな影響を与えた言語であり、ドラヴィダ語族 に属する南インド 諸語に対しても借用語 などを通じて多大な影響を与えた[ 49] 。さらには主に宗教を通じて東南アジア や東アジア にも影響を与えた。東南アジアへの伝播は主にヒンドゥー教を通じてのものであり、クメール王国 では15世紀ごろまでサンスクリットの碑文が多く作られた[ 50] 。また東アジアへは大乗仏教を通じて中国やチベット に伝播した[ 51] 。
また、サンスクリットはヒンディー語 の成立に大きな影響を与えた。もともと北インドの広い範囲ではヒンドゥスターニー語 を基盤としてペルシア語 やアラビア語 の語彙や文法を取り入れたウルドゥー語 が使用されていたのだが、19世紀に入りイスラム教徒 とヒンドゥー教徒 の対立が激しくなると、ヒンドゥー教徒側はウルドゥー語からペルシア語やアラビア語の借用語を取り除いてサンスクリットへと変える言語純化 を行い、ヒンディー語が成立することとなった[ 52] 。この動きは、1947年のインド・パキスタン分離独立 によってさらに強まった[ 53] 。
また、サンスクリットの研究は言語学 の成立と深くかかわっている。イギリスの裁判官であったウィリアム・ジョーンズ は、ベンガル最高法院に赴任していた1786年、サンスクリットとギリシア語 やラテン語 といった欧州系諸言語、さらに古代ペルシア語との文法の類似点に気づき、これら諸語が共通の祖語 から分岐したとの説をベンガル・アジア協会 において発表した。この発表は後世に大きな影響を及ぼし、これをもって言語学が誕生したと一般的に考えられている[ 54] 。
さらにジョーンズの発見はインド学 の発展を促し、1814年にはコレージュ・ド・フランス にヨーロッパ初のサンスクリット講座が開設されてアントワーヌ=レオナール・ド・シェジー が教授に就任し[ 55] 、1818年にはドイツのボン大学 にも開設され[ 56] 、以後徐々にヨーロッパ各地の大学にサンスクリット講座が開設され研究が進むようになった。
仏教 では最初、日常言語であるプラークリットを用いて布教を行っており、仏典 もまたプラークリットでパーリ語仏典 として書かれていた。しかし4世紀に入り、グプタ朝が学術振興を行うとともにサンスクリットを公用語とすると、他宗教との論争や教理の整備の関係上、仏教でもサンスクリットが使用されるようになり[ 57] 、また仏典がサンスクリットに翻訳されるようになった。この動きは特に大乗仏教 において盛んとなり、以後大乗仏教はサンスクリット仏典 が主流となっていった。この過程で、一時的に言語の混淆が起き、仏教混淆サンスクリット と呼ばれるサンスクリットとプラークリットの混合体が出現して仏典に一時期用いられた[ 58] 。
上座部仏教がプラークリット(パーリ語)の仏典を保持したまま東南アジア方面へ教線を伸ばしていったのに対し、大乗仏教は北のシルクロード 回りで東アジア へと到達し、仏教の伝播とともにサンスクリットはこれら諸国に伝えられていった。ただし初期の漢訳仏典 の原典はかならずしもサンスクリットではなかったと考えられており、ガンダーラ語 のようなプラークリットに由来する可能性もある[ 59] 。しかし中国で仏教が広まるに従い、巡礼や仏典を求めて仏教発祥の地であるインドへと赴く、いわゆる入竺求法僧が現われはじめた。この時期にはインドの大乗仏教の仏典はほぼサンスクリット化されており、このため彼らによって持ち帰られた仏典の大半はサンスクリットによるものだった[ 60] 。5世紀の法顕 や7世紀の義浄 などが入竺求法僧として知られるが、なかでもこうした僧の中で最も著名なものは7世紀 、唐 の玄奘 であり、持ち帰った膨大なサンスクリット仏典の漢訳を行って訳経史に画期をなした。彼以降の仏典訳は訳経史区分 上新訳と呼ばれ[ 61] 、それ以前の鳩摩羅什 らによる古い、しばしばサンスクリットからではない[ 62] 旧訳と区分されている[ 61] 。
日本へは中国経由で、仏教、仏典とともにサンスクリットにまつわる知識や単語などを取り入れてきた。その時期は遅くとも真言宗 の開祖空海 まではさかのぼることができる。仏教用語の多くはサンスクリットの漢字による音訳であり、"僧 "、"盂蘭盆 "、"卒塔婆 "、"南無 ・阿弥陀 ・仏 [ 63] "などがある。"檀那 (旦那)"など日常語化しているものもある。また、陀羅尼 (だらに、ダーラニー)、真言 (マントラ )は漢訳されず、サンスクリットを音写した漢字で表記され、直接読誦される。陀羅尼は現代日本のいくつかの文学作品にも登場する(泉鏡花 「高野聖 」など)。卒塔婆や護符などに描かれる文字については梵字 を参照。日本語 の五十音 図の配列は、サンスクリットの伝統的な音韻表の配列に影響を受けていると考えられ、サンスクリット音韻学である悉曇学 に由来するとされる。
こうした仏教とのつながりのため、明治以後、日本でのサンスクリット研究は仏教学 と深く結びついてきた。1876年 には真宗大谷派 の南條文雄 がインド学 研究のためオックスフォード大学 に派遣され[ 64] 、1885年に帰国すると東京帝国大学 で梵語講座を開設し、以後いくつかの大学でサンスクリットが教えられるようになった[ 65] 。
母音の響きがよいという理由で映画音楽でコーラスを投入する際に使用されるケースが有る。
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