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コスモドリーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事は「旧馬齢表記」が採用されており、国際的な表記法や2001年以降の日本国内の表記とは異なっています。 詳しくは馬齢#日本における馬齢表記を参照してください。
コスモドリーム
欧字表記Cosmo Dream[1]
品種サラブレッド[1]
性別[1]
毛色鹿毛[1]
生誕1985年6月13日[1]
死没不明(2009年以降)
ブゼンダイオー[1]
スイートドリーム[1]
母の父ラッキーソブリン[1]
生国日本の旗日本北海道白老町[1]
生産者上田牧場[2]
生産牧場上田牧場[1]
馬主田邉廣己[1]
調教師松田博資栗東[1]
調教助手大橋勇樹[3]
競走成績
生涯成績13戦4勝[1]
獲得賞金1億5650万3300円[1]
勝ち鞍
GI優駿牝馬1988年
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コスモドリーム(欧字名:Cosmo Dream1985年6月13日 - ?)は、日本競走馬繁殖牝馬[1]

1988年の優駿牝馬(オークス)(GI)優勝馬である。

デビューまで

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上田牧場は、上田清次郎北海道白老町に開いた競走馬生産牧場である。炭鉱で財を成し馬主となった上田は、1954年の皐月賞菊花賞を優勝し二冠、東京優駿は不利もあって三冠を逃したダイナナホウシュウなどを所有していた[4]。また1965年には、東京優駿直前には、有力馬のダイコーターをトレードで獲得。ダイナナホウシュウで逃したダービーのタイトルを目指したが叶わなかった[4]。秋の菊花賞は優勝したダイコーターは、1969年から上田牧場で種牡馬となった[5]

1971年には、ホウシュウミサイル(母父:アドミラルバード)が上田牧場で誕生する。ホウシュウミサイルは、1974年の金鯱賞小倉記念を優勝し、種牡馬となっていた[6]。同年、ホウシュウミサイルの全弟としてブゼンダイオーが誕生する[7]。ブゼンダイオーは、1976年にデビューし3戦目で勝ち上がり、4戦かけて300万円以下を突破[7]毎日杯に挑むも、ハードバージに敗れる7着で、クラシックに参戦できなかった。その後は、600万円以下を勝利したのみ、10戦3勝で競走馬を引退した[7][8]

平凡な競走成績に終わったブゼンダイオーだったが、期待されていた兄ホウシュウミサイルが急死したことから、1981年から種牡馬となっていた[8][9]。しかしブゼンダイオーは、種牡馬としての人気に乏しかった。外部からの種付け申し込みはなく、上田牧場の牝馬にいくらかつけるだけ、主な用途は繁殖牝馬を欲情させるための当て馬だった[10]。種付けをしても、繁殖牝馬となったばかりの訓練用、お試しとしてだったり、身体の状態が芳しくない牝馬ばかり相手にしており、年間交配数は数頭に留まっていた[11]。そして1984年は、繁殖牝馬としてまだ仔を孕んだことのないスイートドリームと交配する[12]

スイートドリームは、北海道浦河町の荻伏牧場で生産された牝馬である[12]。日本における母系は、上田が1954年にニュージーランドより輸入したミスブゼンまで遡ることができ、スイートドリームの祖母がミスブゼンにあたる[10]。スイートドリームは、競走馬として出走することなく繁殖牝馬となった[12]。荻伏牧場で育まれて牝系だったが、スイートドリームの所有者である「京阪神不動産社長の未亡人」が、上田牧場に譲渡[5]。血が三代ぶりに上田のもとに戻ってきていた[10]

繁殖牝馬となったスイートドリームは気性が荒く、[11]種牡馬が後ろに回ると暴れて後ろ脚で相手を蹴ろうとする悪癖があった。種牡馬を怪我させる危険があり、もし他牧場の、良血の種牡馬を怪我させれば、一大事だった[10][11]。一度モガミに挑んだが、流産だった[11]。そこで牧場は、スイートドリームに「懲りてヤケのヤンパチで[11]」(上田幸生)ブゼンダイオーをあてがうこととなった[11]。1985年6月13日、北海道白老町の上田牧場にて、スイートドリームの初仔である鹿毛の牝馬が誕生する。6月生まれの遅生まれだった[12]

初仔は、上田牧場が自ら所有して競走馬となる予定だった。しかし大阪府堺市開業医である田邊廣己の所有馬となる[13]。田邊はこの年、何頭かの馬を用意していたが、怪我をしたり休養に入ったりして1頭も走ることができる状況になかった[13]。そこで上田牧場に無理を言って購入していた[13]。田邊はその初仔に「コスモドリーム」という名前を与えている。コスモドリームは、栗東トレーニングセンター松田博資厩舎に入厩する。大橋勇樹が調教助手を担っている[3]

競走馬時代

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優駿牝馬

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4歳となった1988年1月10日、京都競馬場新馬戦(ダート1200メートル)で3年目の熊沢重文を鞍上にデビューする。初戦こそ敗れたが、2戦目の新馬戦(ダート1800メートル)を大差で優勝、初勝利を挙げた。続く梅花賞(400万円以下)は、3着[11]。それから3月13日、桜花賞の前哨戦であるチューリップ賞(OP)で芝初挑戦となる。参戦にあたって松田は、熊沢に対して気合をつけながら進むと危ないから、初めは抑えてハミを取って定まってから気合をつけろと指示していた[14]。しかしスタート直後に気合がつきながら進み、熊沢をたちまち振り落として、競走中止となった[14][15]。この後は、新人騎手の岡潤一郎に乗り替わり、初戦は2着。それから2戦目のはなみずき賞(400万円以下)で勝利し、2勝目を挙げた[15]。そして5月22日、優駿牝馬(オークス)(GI)に臨む。新人の岡にはGIに騎乗する資格がないため、鞍上は3年目の熊沢が舞い戻った[14]。ただし、栗東所属の熊沢は、優駿牝馬が行われる東京競馬場で騎乗した経験がなく、道順すら知らなかった[16]。おまけにクラシック初出場、重賞では4着が最高の見習騎手だった[16][9]

22頭立てとなるなか、単勝オッズ23.1倍の10番人気、支持率にして3.2パーセントだった[11]。人気を集めたのは、桜花賞と優駿牝馬のトライアル競走であるサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別でワンツーフィニッシュを決めた栗東・庄野穂積厩舎の2頭、アラホウトクシヨノロマンだった[11]。それにスイートローザンヌ、リーゼングロスの仔アインリーゼン、シノクロス、フリートークと関東、美浦所属が群がっていた[11]。東京初参戦の熊沢は、とりあえず人気のアラホウトクに騎乗する河内洋を頼ることにする[9]。そして「東京の直線は長いから坂をのぼり切るまで追うな」とアドバイスを受けていた[9]。雨中の良馬場だった[17]

映像外部リンク
1988年 優駿牝馬(オークス)(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

スルーオベストがハナを奪って先導し、中団にアラホウトクとシヨノロマンがいるなか、コスモドリームはアラホウトクの背後を確保して追走した[9]。芝が雨に濡れて末脚を削がれる「上滑りする馬場」をハイペース[18]で進んだ馬群の各々は、早めに逃げ馬をかわして押し切ろうと画策していた[9]。シヨノロマンなどが早めに抜け出し、それにアラホウトクが呼応していた。しかし各々が揃って仕掛けが早く、停滞する。対してコスモドリームと熊沢は、アドバイスを忠実に守り、坂を上り切った残り200メートルから仕掛けを開始、末脚を発揮していた[9]。伸びあぐねるアラホウトクなどをかわしては、抜け出していたフリートークを差し切りを果たす。そして、同様に追い込んだ11番人気マルシゲアトラスに先を譲らなかった[19][9]。マルシゲアトラスに1馬身半差をつけて、決勝線を先頭で通過。優駿牝馬、クラシック戴冠を果たした[17]

熊沢は、重賞初勝利が、GI、クラシックだった[16]。1979年アグネスレディーで制した河内、1985年ノアノハコブネで制した音無秀孝などに続いて史上15人目となる優駿牝馬初出場初優勝[9]。1938年アステリモアで制した保田隆芳、1943年クリフジで制した前田長吉に続いて史上3人目、第二次世界大戦後では初めてとなる見習騎手による優駿牝馬優勝を果たした[9]。また無名の種牡馬ブゼンダイオーは、その年の産駒ただ1頭が、世代女王にまで上り詰めている[9]

なお、当日のフジテレビスーパー競馬』での中継にて、最後の直線の攻防の最中、実況の堺正幸がコスモドリームを同枠に入っていたサンキョウセッツと誤認する事件があった。堺はコスモドリームが抜け出してきた瞬間から「サンキョウセッツが来た」と連呼したが、ゴール通過後漸く謝りに気づき訂正するに至った[20]

優駿牝馬以後

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夏は続戦して、ローカル開催を転戦する。7月10日の高松宮杯(GII)では、地方競馬から転入後、JRA重賞4連勝中のオグリキャップに、GI優勝馬として立ちはだかったが、5馬身以上突き放された[21]。オグリキャップに5連勝を許す3着だった[22]

続いて8月28日、小倉記念(GIII)に臨み、優駿牝馬2着のマルシゲアトラスとの再戦となったが、1番人気だった[23]。最後方の内側を追走し、第3コーナーから外に切り替えて、まくるように進出[24]。直線ではマルシゲアトラスを下し、好位のプレジデントシチーと張り合う「一騎打ち」となった[24]。プレジデントシチーが、残り200メートルでこちら側にもたれて来て、不利を被ったが、負けずに抵抗して先を許さなかった[23]。2頭並んだままほとんど同時に、決勝線を通過した[24]。優劣は写真判定に持ち込まれ、プレジデントシチーのハナ差先着が判明、2着に敗れた[25]。終いの一騎打ちにおいて、プレジデントシチーは、斜行が認められている。騎乗の岩元市三は、過怠金4万円の制裁を受けていた[25]。降着処分なく2着となり、松田は、激怒したという[24]

秋は、三冠目のエリザベス女王杯を目指して、10月9日の京都大賞典(GII)で始動し、1番人気に推される[26]。6番人気メイショウエイカンが逃げる中、最後方を追走した。直線では大外から進出[26]。好位のマルブツファースト、ゴールドシチーを捉え、ゴール手前で差し切りを果たしたが、逃げるメイショウエイカンには敵わなかった。3馬身後れを取る2着だった[27]。敗れたものの、中身のある2着にエリザベス女王杯の有力馬と目されたが、京都大賞典2日後に骨折が判明[26]。エリザベス女王杯回避と、年内休養となった[26]。この年のJRA賞では、最優秀4歳牝馬部門にて全172票中44票を集めたが、77票のアラホウトクに及ばず次点[注釈 1]だった[28]

7か月の休養を経て、1989年4月30日のオーストラリアトロフィー(OP)を勝利[29]。続く6月11日の宝塚記念(GI)では、ヤエノムテキ、キリパワー、イナリワンサクラチヨノオーに次ぐ5番人気に推されていたが、14着敗退[30]。それから7月9日の高松宮杯(GII)に臨むも、9着敗退。これを最後に競走馬を引退した[30]

繁殖牝馬時代

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引退後は、北海道門別町の下河辺牧場で繁殖牝馬となった。1991年に初仔を産んでいる。1996年からは、北海道鵡川町のフラット牧場に移り、繁殖活動を継続した[2]。1991年から2005年までに13頭の仔を残した。2007年、ホワイトマズルとの交配が不受胎となったのを最後に、繁殖牝馬を引退。2009年4月1日を以て用途変更となった[2]以降は、同年7月時点で同牧場にて功労馬として過ごしていた[31]

競走成績

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以下の内容は、netkeiba.com[32]およびJBISサーチ[30]に基づく。

競走日競馬場競走名距離

(馬場)

オッズ

(人気)

着順タイム

(上り3F)

着差騎手斤量

[kg]

1着馬

(2着馬)

馬体重

[kg]

1988.01.10京都4歳新馬ダ1200m(良)163502.30(1人)03着1:14.8(36.2)-0.9熊沢重文52シンコウエンジェル470
01.23京都4歳新馬ダ1800m(稍)115502.10(1人)01着1:54.4(37.7)-1.7熊沢重文52(ロングイチヒメ)464
02.13京都梅花賞4下ダ1800m(良)86602.90(2人)03着1:54.8(37.8)-0.3熊沢重文53ワンダーテイオー452
03.13阪神チューリップ賞OP芝1600m(良)1181013.00(6人)競走中止熊沢重文54シヨノロマン448
03.27阪神4歳400万下芝2000m(不)92202.90(2人)02着2:08.3(36.0)-0.6岡潤一郎50ミントビガー450
04.16阪神はなみずき賞4下芝2200m(良)127906.90(4人)01着2:15.5(36.3)-0.0岡潤一郎53(ミントビガー)446
05.22東京優駿牝馬GI芝2400m(良)223923.1(10人)01着2:28.3(36.5)-0.2熊沢重文55(マルシゲアトラス)446
07.10中京高松宮杯GII芝2000m(良)81115.90(4人)03着1:59.9(35.1)-0.9熊沢重文52オグリキャップ442
08.28小倉小倉記念GIII芝2000m(良)124402.40(1人)02着2:02.1(36.2)-0.0熊沢重文55プレジデントシチー446
10.09京都京都大賞典GII芝2400m(良)87702.20(1人)02着2:27.6(36.0)-0.5岡潤一郎55メイショウエイカン450
1989.04.30京都オーストラリアTOP芝2200m(良)95502.70(2人)01着2:17.1(36.3)-0.0熊沢重文57(スカイジャイアント)458
06.11阪神宝塚記念GI芝2200m(良)1661015.10(5人)14着2:16.1(38.4)-2.1熊沢重文54イナリワン454
07.09中京高松宮杯GII芝2000m(稍)1481411.90(5人)09着2:00.6(36.8)-1.7熊沢重文55メジロアルダン452

繁殖成績

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生年馬名毛色馬主管理調教師戦績供用出典
初仔1991年ミスチーフ鹿毛アスワン田邊廣己栗東・松田博資不出走繁殖[33]
2番仔1992年ルナロッサ鹿毛リヴリア4戦0勝繁殖[34]
3番仔1993年リアルハイブローウ鹿毛リアルシャダイ新潟・村松保信
[注釈 2]
34戦4勝繁殖[35]
4番仔1994年スターノーティス鹿毛ダンシングブレーヴ田邊廣己
[注釈 3]
名古屋・斉藤弘光66戦15勝抹消[36]
5番仔1995年ネオン鹿毛オールドヴィック英語版田邊廣己道営・原孝明不出走繁殖[37]
6番仔1996年マルブツクラウン栃栗毛クリミナルタイプ大沢毅
[注釈 4]
栗東・坪正直
[注釈 5]
68戦13勝抹消[38]
7番仔1997年コスモアクトレス黒鹿毛フォーティナイナー大沢毅栗東・坪正直28戦1勝抹消[39]
1998年不受胎ダンシングブレーヴ[2]
8番仔1999年エスプレンドル栗毛フォーティナイナー田邊廣己栗東・土門一美
[注釈 6]
7戦1勝繁殖[40]
9番仔2000年ブルーコメット鹿毛ウォーニング田邊康子
[注釈 7]
栗東・土門一美
[注釈 8]
50戦4勝抹消[41]
10番仔2001年エスペランサー鹿毛タイキブリザード田邊廣己
[注釈 9]
栗東・須貝彦三
[注釈 10]
52戦7勝抹消[42]
11番仔2002年ヒサンサン黒鹿毛キングヘイロー田邊康子栗東・大橋勇樹7戦1勝抹消[43]
12番仔2003年エトワール鹿毛シーロ5戦0勝抹消[44]
2004年死産エリシオ[2]
13番仔2005年ユウズツ栗毛サウスヴィグラス田邊廣己栗東・大橋勇樹
[注釈 11]
12戦1勝抹消[45]
2006年種付けなし[2]
2007年不受胎ホワイトマズル[2]
2008年種付けなし[2]
2009年種付けなし[2]
2010年種付けなし[2]

血統表

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コスモドリーム血統(血統表の出典)[§ 1]
父系ボワルセル系
[§ 2]

ブゼンダイオー
1974 鹿毛
父の父
ダイコーター
1962 鹿毛
*ヒンドスタン
Hindostan
Bois Roussel
Sonibai
*ダイアンケー
Dianne K.
Lillolkid
Bonnie Luna
父の母
アランバード
1963 鹿毛
*アドミラルバード
Admiral Byrd
Nearco
Woodlark
*アランデール
Allandale
Propontis
*フリローラ

スイートドリーム
1979 鹿毛
*ラッキーソブリン
Lucky Sovereign
1974 鹿毛
NijinskyNorthern Dancer
Flaming Page
SovereignPardao
Urshalim
母の母
ゲラン
1964 栗毛
*ソロナウエー
Solonaway
Solferino
Anyway
*ミスブゼンSummertime
Imperial GoldF-No.18
母系(F-No.)ミスブゼン系(FN:18)[§ 3]
5代内の近親交配PharosFairway 5×5=6.25%、Bois Roussel 4・5(父内)=9.38%[§ 4]
出典
  1. ^[46]
  2. ^[47]
  3. ^[46]
  4. ^[46][47]


脚注

[編集]
[脚注の使い方]

注釈

[編集]
  1. ^以下、シヨノロマン16票、ミヤマポピー12票、フリートーク1票。該当馬なし22票[28]
  2. ^道営・松田路博
  3. ^市野長嗣
    →西川尚
  4. ^→高橋秀昌
    →大西優
    →大西和子
    →藤原晃
    →朝田直行
  5. ^名古屋・瀬戸口悟
    →水沢・佐々木修
    →西脇・松浦正勝
  6. ^園田・溝橋利喜夫
  7. ^田邉廣己
  8. ^道営・久保旭
    →園田・溝橋利喜夫
    →名古屋・山本敏男
  9. ^佐藤信吉
  10. ^道営・鈴木英二
    →園田・溝橋利喜夫
    →道営・米川伸也
    →道営・原孝明
    →園田・保利幸作
  11. ^道営・米川伸也

出典

[編集]
  1. ^abcdefghijklmnoコスモドリーム”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月28日閲覧。
  2. ^abcdefghijコスモドリーム(JPN)”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月8日閲覧。
  3. ^ab熊沢重文4年ぶり平地重賞 大橋師と“ドリームタッグ””. p.nikkansports.com. 2022年11月9日閲覧。
  4. ^ab『優駿』1988年8月号 22頁
  5. ^ab『優駿』1988年8月号 24頁
  6. ^ホウシユウミサイル|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年11月9日閲覧。
  7. ^abcブゼンダイオー|JBISサーチ(JBIS-Search)”. www.jbis.or.jp. 2022年11月9日閲覧。
  8. ^ab『優駿』1988年8月号 106頁
  9. ^abcdefghijk『優駿』1988年7月号 135頁
  10. ^abcd『優駿』1988年8月号 25頁
  11. ^abcdefghij『優駿』1988年7月号 134頁
  12. ^abcd『優駿』1988年7月号 137頁
  13. ^abc『優駿』1988年8月号 64頁
  14. ^abc『優駿』2016年4月号 62頁
  15. ^ab『優駿』1988年7月号 58頁
  16. ^abc『優駿』1988年7月号 57頁
  17. ^ab『優駿』1988年7月号 136頁
  18. ^『優駿』1988年7月号 20頁
  19. ^『優駿』1988年7月号 18頁
  20. ^競馬中継フジ系西日本16局 オークスレース途中にCM…視聴者怒り、放馬で発走遅れ誤算”. スポーツニッポン. 2024年8月25日閲覧。
  21. ^『優駿』1988年9月号 149頁
  22. ^『優駿』1988年9月号 148頁
  23. ^ab『優駿』1988年10月号 82頁
  24. ^abcd『優駿』1988年10月号 150頁
  25. ^ab『優駿』1988年10月号 151頁
  26. ^abcd『優駿』1988年12月号 132頁
  27. ^『優駿』1988年12月号 133頁
  28. ^ab『優駿』1989年2月号 34頁
  29. ^『競馬名馬読本』77頁
  30. ^abcコスモドリーム 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月28日閲覧。
  31. ^『優駿』2009年7月号 169頁
  32. ^コスモドリームの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年9月28日閲覧。
  33. ^ミスチーフ”. JBISサーチ. 2019年9月28日閲覧。
  34. ^ルナロッサ”. JBISサーチ. 2019年9月28日閲覧。
  35. ^リアルハイブローウ”. JBISサーチ. 2019年9月28日閲覧。
  36. ^スターノーティス”. JBISサーチ. 2019年9月28日閲覧。
  37. ^ネオン”. JBISサーチ. 2019年9月28日閲覧。
  38. ^マルブツクラウン”. JBISサーチ. 2019年9月28日閲覧。
  39. ^コスモアクトレス”. JBISサーチ. 2019年9月28日閲覧。
  40. ^エスプレンドル”. JBISサーチ. 2019年9月28日閲覧。
  41. ^ブルーコメット”. JBISサーチ. 2019年9月28日閲覧。
  42. ^エスペランサー”. JBISサーチ. 2019年9月28日閲覧。
  43. ^ヒサンサン”. JBISサーチ. 2019年9月28日閲覧。
  44. ^エトワール”. JBISサーチ. 2019年9月28日閲覧。
  45. ^ユウズツ”. JBISサーチ. 2019年9月28日閲覧。
  46. ^abcコスモドリーム 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月28日閲覧。
  47. ^abコスモドリームの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年9月28日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 須田鷹雄「コスモドリーム 関東では無名の有名関西馬」『別冊宝島143 競馬名馬読本』(JICC出版局、1991年)
  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1988年7月号
      • 「【第49回オークス】ウチュウの夢、無心の快走 コスモドリーム」
      • 佐藤早苗「【第49回オークス観戦記】レディはポーカーフェイス!?」
      • 鶴木遵「【ジョッキー・トピックス】若者たちの――熊沢重文&武豊 '88TOKYOクラシックロード」
      • 原田純一(報知新聞)「【今月の記録室】第49回オークス(GI)コスモドリーム」
    • 1988年8月号
      • 志摩直人「【'88春 ヒーローの故郷紀行】オークス馬の故郷 上田牧場 名もなき里の娘なれども」
      • 「【オーナー愛馬を語る(29)】コスモドリームの田邊廣己さん」
      • 「【わかりやすい血統学 種牡馬の系譜(6)】ブゼンダイオー」
    • 1988年9月号
      • 橋本進(デイリースポーツ)「【今月の記録室】第18回高松宮杯(GII)オグリキャップ」
    • 1988年10月号
      • 「【第24回小倉記念】男の意地だ、プレジデントシチー」
      • 永井晴二(スポーツニッポン)「【今月の記録室】第24回農林水産省賞典 小倉記念(GIII)プレジデントシチー」
    • 1988年12月号
      • 押谷哲爾(日刊スポーツ)「【今月の記録室】第23回農林水産省賞典 京都大賞典(GII)メイショウエイカン」
    • 1989年2月号
      • 「【1988年度JRA賞決定】年度代表馬にタマモクロス」
    • 2009年7月号
      • 篠原美穂子「たずね馬」
    • 2016年4月号
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義(371)】松田博資調教師」

外部リンク

[編集]
優駿牝馬勝ち馬
1930年代
1940年代

第3回ルーネラ / 第4回テツバンザイ / 第5回ロツクステーツ / 第6回クリフジ / 第7回ミツマサ / 第8回トキツカゼ / 第9回ヤシマヒメ / 第10回キングナイト

1950年代

第11回コマミノル / 第12回キヨフジ / 第13回スウヰイスー / 第14回ジツホマレ / 第15回ヤマイチ / 第16回ヒロイチ / 第17回フエアマンナ / 第18回ミスオンワード / 第19回ミスマルサ / 第20回オーカン

1960年代

第21回スターロツチ / 第22回チトセホープ / 第23回オーハヤブサ / 第24回アイテイオー / 第25回カネケヤキ / 第26回ベロナ / 第27回ヒロヨシ / 第28回ヤマピット / 第29回ルピナス / 第30回シャダイターキン

1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
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