| 「ケメ子の歌」 | ||||
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| ザ・ダーツ のシングル | ||||
| B面 | ブーケをそえて | |||
| リリース | ||||
| 規格 | シングルレコード | |||
| 録音 | ||||
| ジャンル | ポップス | |||
| レーベル | 日本コロムビア | |||
| 作詞・作曲 | 馬場祥弘 | |||
| チャート最高順位 | ||||
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| ザ・ダーツ シングル 年表 | ||||
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| 「ケメ子の唄」 | ||||
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| ザ・ジャイアンツ のシングル | ||||
| 初出アルバム『アングラ・カーニバル』 | ||||
| B面 | 豚のしっぽ | |||
| リリース | ||||
| 規格 | レコード | |||
| 録音 | ||||
| ジャンル | ポップス | |||
| レーベル | ビクターレコード | |||
| 作詞・作曲 | 馬場祥弘 | |||
| チャート最高順位 | ||||
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| ザ・ジャイアンツ シングル 年表 | ||||
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「ケメ子の歌」(けめこのうた、ケメ子の唄、ミス・ケミッ子)は、作詞・作曲:馬場祥弘(小森豪人)、採譜・補作:浜口庫之助による楽曲。
編曲は、浜口庫之助(ザ・ダーツ盤)・寺岡真三 (ザ・ジャイアンツ盤)。
馬場祥弘によると、この曲の歌詞は自身が中学3年生のときのクラスメイトに捧げる詩として書き、『赤鶸』(あかひわ)という同人誌に発表したものが発端で、浪人時代、その詩に曲をつけて自ら歌っていたという[1]。そのクラスメイトのあだ名が「ケミッ子」であり(化学が得意だったのでケミカルをもじって付けたという)、「ケメ子」はもともとは「ケミッ子」だったという[1]。
元ザ・ダーツの浅井隆によると、1967年当時の京都で作者不詳の曲として流布していたという[2]。『朝日新聞』be on saturday掲載の「サザエさんをさがして」では当初、浅井の証言を基に「本来のタイトルは『愛なんて』で、レコードになるまで3番の歌詞もなかった」と記載されたが、その後、本来のタイトルが「ミス・ケメッ子」〔ママ〕に、「馬場祥弘によると最初から3番の歌詞もあった」と訂正された[2]。
ザ・ダーツ(「ケメ子の歌」、1968年2月1日発売、日本コロムビア)と、ザ・ジャイアンツ(「ケメ子の唄」、1968年1月25日発売、ビクターレコード)デビューシングルとして競作でシングル盤が発売。ザ・ダーツ盤がオリコンチャート2位(累計売上60万枚[3])、ザ・ジャイアンツ盤がオリコンチャート6位を記録した。当初から「本命盤」と表示して売り出したザ・ジャイアンツ盤に対し、ザ・ダーツ盤は後になってジャケットに「オリジナル盤」と表示している。
発売当時、日本コロムビア・ビクター・東芝の大手レコード会社3社による競作となり、その累計売上は、1969年時点で推定240万枚に達している[1]。
レコード発売当時は、作者は不詳とされており、1968年2月9日の新聞紙上で馬場祥弘が自ら名乗り出た[1]。アート音楽出版社からの申請に基づく1969年3月〜4月の日本音楽著作権協会の審査により、「ケメ子の歌(唄)」が馬場が作詞・作曲した「ミス・ケミッ子」と同一曲であると判定[4]、同年6月、文化庁に馬場が著作権者として登録された[1]。曲に関しては、メロディーこそ基本的に同じだが、詞の細部やアレンジは双方で大きく異なっている。
ザ・ダーツの「ケメ子の歌」については、曲の最初の方で、ニール・セダカの曲「可愛いあの子(英語版)」(1962年、全米チャート第5位)の出だしのスキャットが使われている。
「ケメ子」は、フジテレビ『お笑いタッグマッチ』のボケ役回答者で売れた柳家小せん (4代目)が、同番組で使用して流行語となった[5]。
ザ・ジャイアンツ版は1968年6月発売のオムニバス・アルバム『アングラ・カーニバル』にも収録されている。
1968年3月16日に、ザ・ジャイアンツ盤をモチーフとした映画「ケメ子の唄」が松竹系にて公開された。白黒作品。ザ・ジャイアンツのメンバーも出演している。
この項目は、シングルに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ 楽曲)。 |