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グダニスク (ポーランド語 :Gdańsk IPA: [ɡdaɲsk] (音声ファイル ) )は、ポーランド の都市。バルト海 南部に面するポモージェ(ポメラニア )地方東部に位置し、グダニスク湾 を擁するポーランド最大の港湾都市であり、ポモージェ県 の県都である。
ポーランド語 の発音はカナ への転写が難しく、グダンスク と表記されることもある。ポーランド政府観光局はグダン スク、当地の市役所はグダニ スク[ 4] と表記しており、現地の公的機関においても日本語表記が分かれている。カシューブ語 ではGduńsk [ɡduɲsk] (グドゥニスク[ 5] )。また、ドイツ語 名のダンツィヒ (Danzig [ˈdantsɪç] (音声ファイル ) 、ダンチヒ とも)でもよく知られる[ 6] 。
「グダニスク」という地名は、この地を流れるモトワヴァ川 (英語版 ) の古名であるグダニャ川に由来する。これはインド・ヨーロッパ祖語 で「滔々と流れる水(すなわち河)」が原義となる語幹 deh'nuから成り立つ言葉である。
考古学者によると、グダニスクの砦は980年ごろポーランドのミェシュコ1世 が、原住民との戦いを終えてから建設したものである。997年 にプラハのアダルベルト が、ボレスワフ1世 に代わって市民に洗礼 を施したことを記念して、1997年 に千周年記念祭が執り行われた。
グダニスクはまもなく、ポメレリア として知られる分裂した公国の中心地となった。ポメレリアとは「海のそばの土地」という意味である。このうち最も有名なシフィエントペウク2世 は1235年ごろ、グダニスクに自治権を与えた。当時のグダニスクの人口は2,000人ほどであった。この11年前の1224年 、グダニスクはすでにリューベック のものと似た都市法 を確立していた。リューベックは1226年 に都市基本法を制定した。ポメレリアの統治者は徐々に権力を強め半ば独立した侯となり、ポメレリア公国を1294年 までそれぞれ分割して統治した。
1308年 11月13日 、グダニスクではヴワディスワフ1世 (ポーランド王) によってドイツ騎士団 が招聘され、ブランデンブルク辺境伯 とドイツ騎士団により管理され[ 7] 、植民地化された。1320年 /1330年 ごろに騎士と都市貴族による組織が生まれ、商人層の株式市場や集会場としても使用される社交場が建設されたが、その建物は極めて洗練されたものであった。組織も建物もアーサー王 にちなんで「アーサー王宮廷」(ドイツ語で Artushof)と呼ばれていた(Cord Meckseper)[ 8] 。
1343年 にカリシュの和約 (英語版 ) が結ばれ、騎士団がポーランド王国に賃料を支払うことで、ポーランド王からポメラニア 地方がドイツ騎士団に貸与されることとなった。この地方の帰属問題はまだ残っていた。
グダニスクはドイツ騎士団の支配下で街として近代化され経済成長し、国王による都市化促進政策の一環として、ユダヤ人もドイツ商人とともに招聘された。ドイツからの移民が増加し、1361年 にハンザ同盟 の正式な貿易加盟都市となり、穀物 (特に小麦 )、木材、炭酸カリウム 、タール 、そのほかポーランドの森から産出されヴィスワ川 の運送網を経由してきたさまざまな品物の輸出が促進されることとなった。
グダニスク市民は、ドイツ都市法 のマクデブルク法 による税や裁判制度などを理由にドイツ騎士団の支配を嫌っており、グダニスクを含むポメラニア地方やリトアニア大公国 などに関する一連のトラブルが発端で、1409年 に勃発したポーランドとドイツ騎士団との戦争では、グダニスク市民はポーランド側に就いた。この戦争は1410年 のグルンヴァルトの戦い におけるポーランド王国の勝利によって終結した。グダニスクは以前からドイツ騎士団の支配を廃してポーランド王国へ帰属することを望んでおり、その望みがかなうことになった。
しかし、翌年に締結した第一次トルンの和約 では、行政上の技術的理由によりポーランド王国は再びドイツ騎士団にグダニスクを賃貸することに決め、グダニスクは騎士団の支配下に戻った。
17世紀の繁栄の様子 1440年 、グダニスクはドイツ騎士団に対抗したプロイセン同盟 の設立に参加し、ドイツ騎士団の利権の排除を目指してポーランド王国と同盟し、13年戦争を起こした。13年戦争は1457年 5月25日 にポーランド側の勝利によって終結し、ポーランド王カジミェシュ4世 によってグダニスクはポーランド王国の自治都市としての特権を与えられた。グダニスクはハンザ同盟の他の諸都市との貿易に加えて、ポーランド国内の市場への参加も認められるようになり、以後大いに繁栄することになった。1466年 にポーランド王国とドイツ騎士団との間で締結された第二次トルンの和約 と、王領プロイセン の確立によって、ポーランド王国とドイツ騎士団との戦争は完全に終結した。これによってグダニスクは、ドイツ騎士団の利権を完全に排除して大幅な自治権を実質的にも確立することになり、これは1577年 に再確認された。
こうしてポーランド王国の直接の庇護を得た16世紀 と17世紀 は、グダニスクの貿易と文化にとって「黄金時代」であった。市民はドイツ人の割合が高かったが、ポーランド人 、ユダヤ人 、オランダ人 も多数住んでいた。さらにスコットランド人 難民 もやってきて市民権を得た。有名な天文学者 のヨハネス・ヘヴェリウス が業績を残したのもこの時代のことであるが、彼の父親はチェコ人 移民でグダニスクでビール 醸造 業を営んでいた。
これら多民族の住民が混住することにより、街は繁栄を極めた。宗教改革 の時代には多くの市民がルーテル派 (主にドイツ系やポーランド系の中産階級)やカルヴァン派 (主にオランダ系、スコットランド系の中産階級やポーランド人貴族)を受け入れた。しかし、カトリック 教徒との深刻な対立はみられなかった。これは時代によって程度の違いこそあれ、ポーランド王国には一貫して民族・人種・宗派・宗教の違いを受け入れる寛容な風土があったからである。
プロイセンからグダンスクを奪取するナポレオン軍(1807年) 18世紀 、度重なる戦争によってグダニスクの経済は徐々に衰退していった。1734年 のダンツィヒ攻囲戦 ではロシア に占領された。1793年 の第2次ポーランド分割 により、グダニスクはプロイセン王国 に併合され、公式名称も「ダンツィヒ 」に変更された。1807年 のダンツィヒ攻囲戦 から1815年 にかけてのナポレオン戦争 の期間は、ナポレオン の政策によって自治都市としての地位を回復した(自由都市ダンツィヒ (ナポレオン時代) )。ナポレオン戦争が終結すると、ダンツィヒは再びプロイセン王国の支配下に置かれ、西プロイセン のダンツィヒ地方の行政中心地とされた。ダンツィヒでは住民のドイツ文化への同化政策 が徹底的に行われ、住民の多くはドイツ人(バルト・ドイツ人 )となっていった。
ドイツ民族主義の過激化に反対する活動家を逮捕するダンツィヒ警察 第一次世界大戦 後はヴェルサイユ条約 によりドイツ 領から切り離され、どの国にも属さない国際連盟 保護下の「自由都市ダンツィヒ 」となった。住民はドイツ人(バルト・ドイツ人 )が主体でありながらポーランド が市の外交権を得た。ドイツ帝国は河川に堤防を作った。ドイツ帝国は建て替えを仕向けるために、放置するとわずか数年で堤防が破損し、氾濫が頻発するようにさせた。さらに、ドイツ人は河川の氾濫をポーランドの仕業と見なして反ポーランド主義を高めたために、堤防の再建が停滞した。地元経済の活性のため、水揚げしやすいように大きな砂州が作られると、裕福な少数のドイツ系商人は商品運行を遮られるとして敵意を抱いた。
ドイツは本土からダンツィヒに向けてドイツ人を移住させた。さらにダンツィヒ港はポーランドの製品に対して関税 をかけた。ポーランドはこの敵対的政策に対抗して、グディニャ港 を建設した。ポーランド製品のうち、高付加価値のものは最新のグディニャ港から輸出され、木材などの安価で嵩張る品物の輸出のみにダンツィヒ港が使われるようになった。
このことによってダンツィヒの経済は停滞した。これはダンツィヒのドイツ系住民の民族主義を強め、この結果、市の議会で1933年 にナチス が第一党となり、ポーランド系住民やカシューブ系住民 に対する弾圧が行われることとなった。ナチスが支配したダンツィヒの市民は自衛団 をはじめとした民兵組織に参加し、これら民兵組織の構成員をドイツ本土に送って軍事訓練をさせ、対ポーランド戦争を準備した。ダンツィヒ港にはドイツ本土から大量の武器弾薬が次々と送り込まれた。ナチス親衛隊 の構成員も一般市民を装って大規模に潜入した。
ダンツィヒのポーランド郵便局を攻撃 する武装親衛隊 (1939年9月)ダンツィヒ警察とドイツ軍が、ダンツィヒとの国境にあるポーランドの障壁の取り壊しを再現。 (1939年9月14日、ソポト近郊) 1939年 のポーランド侵攻 に際して、同市に潜入していた親衛隊 の一部や、友好訪問を名目に港内に停泊していたドイツ海軍 の練習艦 シュレスヴィヒ・ホルシュタイン の海軍陸戦隊が同市を制圧した。郊外にヴェステルプラッテに駐屯していた180人のポーランド守備隊は、3,500人のドイツ兵を相手に勇敢に戦ったが、ドイツ側の物量には勝てず、7日間の激戦の後に弾薬と医薬品が尽きて降伏した。
ダンツィヒはドイツに占領された。ナチスの秘密警察は、戦争が始まる前の1936年 からポーランド系住民の内偵調査をしてリストを作成しており、この占領によって数千人のポーランド人がリストに則って一斉に逮捕され、強制収容所に送られるか、近くの森で射殺された。第二次世界大戦 末期、多くのドイツ人がソ連軍 の進撃を逃れて西に避難、残っていたドイツ系住民もヤルタ協定 により戦後にドイツへ強制移住させられた。ダンツィヒはドイツ軍 と連合国 軍との激しい戦闘により、街の大半が破壊された。
第二次世界大戦後にドイツでベストセラーとなり、後にノーベル文学賞 受賞の対象になったギュンター・グラス の『ダンツィヒ三部作』(『ブリキの太鼓』『猫と鼠』『犬の年』)は、作者の故郷でもあるこの街を舞台にしている[ 9] 。
1952年 にポーランド が独立を回復すると、ダンツィヒはもとの「グダニスク 」を公式名称としてポーランド領に編入された。実に159年ぶりのポーランド領への復帰であった。旧市街など、戦争で廃墟となっていた市街地は、残された資料をもとにポーランド人 の手によって完全に復元された[2] 。新生グダニスクは造船業と貿易を主要な産業として大いに発展したが、1970年代のオイルショック によって経済が低迷し、ソビエト連邦 が支配するコメコン の経済体制に対する不信から民主化運動と労働運動が始まるようになった。
1970年12月には市内で暴動 が発生、シチェチン などへ波及するきっかけとなった。同年12月17日、ツィランキェヴィチ首相は事実上の戒厳令 とデモに対して発砲許可を出したことを表明。政府は暴動を「ならず者のしわざ」と位置付けて弾圧した[ 10] が、1980年代の民主化を要求する運動への下敷きとなった。
1980年代 初め、ポーランドを民主化に導く「連帯 」の指導によるグダニスク造船所 労働者 のストライキ が行われ、こうした運動が1989年 のポーランド民主化につながった。1990年 には「連帯」指導者であったレフ・ヴァウェンサ (ワレサ)がポーランド大統領になった。2007年 にはグダニスク出身の若い政治家ドナルド・トゥスク がポーランド首相となった。
現在のグダニスクはポーランド最大の観光地の一つで、内外の多くの観光客でにぎわい、また主要貿易港の一つでもある。ポーランド北部の文化の中心地でもあり、一年を通じて多くの文化的な催しが行われている。ポーランド市民が精密に復元したグダニスク旧市街はその文化的価値が認められ、ユネスコ の世界遺産 の暫定リストに載っており、世界遺産として正式登録される見込みである。
2019年 1月に当時市長であったパヴェウ・アダモヴィチ (Paweł Adamowicz)が暴漢に襲われて殺害される事件が起こり[ 11] 、暫定的に市長職の代行を務めていたアレクサンドラ・ドゥルキェヴィチ (英語版 ) が選挙を経て正式に市長に就任した[ 12] 。
グダニスク湾とヘル半島 グダニスクの町はグダニスク湾に面しており、市の北部には、第二次世界大戦 開戦のきっかけとなったヴェステルプラッテ という小さな半島がある。また、外海に臨む一帯には長大な砂洲であるヘル半島 があり、鉄道や道路が通り漁村も点在していて、景勝の地となっている。グダンスクの運河やヴェステルプラッテの桟橋からはヘル半島の中間地点の漁港のヤスタルニア(Jastarnia)や半島突端のリゾート村のヘル までフェリーが出ている。また、グダニスクからはヘル半島を通って突端のヘルまで鉄道も道路も通っている。グダニスクの近くにはグディニャ 、ソポト があり、これら3つの都市はまとめて「三連都市(Trójmiasto )」と呼ばれる。
また、近郊の町オリーヴァ の教会 には、世界的に有名なパイプオルガン がある。市の中心部はヴィスワ川 の一支流レニフカ川(Leniwka)に注ぐモトワヴァ川(Motława )の河口に位置し、一般にグダニスクという都市名はグディニャともども、モトワヴァ川の古名グダニャ川(Gdania)に由来するとされ、これはインド・ヨーロッパ祖語 で「河」を意味するdan(u)という語幹 を持つ。
バルト海に面しているため、ポーランド内陸部に比べると夏は暑くなく、冬も比較的暖かい海洋性の温和な気候である。夏は雷雨が起こりやすく、年に数日程度は30度を超えることもある。冬は積雪となることもあり、時に気温がマイナス15度を下回ることもある。
グダニスクの気候 月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年 最高気温記録°C (°F ) 13.4 (56.1) 18.1 (64.6) 24.5 (76.1) 30.6 (87.1) 32.3 (90.1) 34.6 (94.3) 36.0 (96.8) 35.8 (96.4) 31.7 (89.1) 28.1 (82.6) 21.1 (70) 13.7 (56.7) 36 (96.8) 平均最高気温°C (°F ) 1.7 (35.1) 2.9 (37.2) 6.6 (43.9) 12.1 (53.8) 16.8 (62.2) 20.4 (68.7) 22.6 (72.7) 22.9 (73.2) 18.5 (65.3) 12.7 (54.9) 6.7 (44.1) 3.1 (37.6) 12.3 (54.1) 日平均気温°C (°F ) −1.4 (29.5) −0.8 (30.6) 1.8 (35.2) 6.9 (44.4) 11.9 (53.4) 15.5 (59.9) 17.7 (63.9) 17.3 (63.1) 12.9 (55.2) 8.0 (46.4) 3.4 (38.1) 0.1 (32.2) 7.7 (45.9) 平均最低気温°C (°F ) −3.3 (26.1) −2.7 (27.1) −0.4 (31.3) 3.6 (38.5) 8.1 (46.6) 11.6 (52.9) 14.2 (57.6) 13.9 (57) 10.4 (50.7) 5.8 (42.4) 1.9 (35.4) −1.6 (29.1) 5.1 (41.2) 最低気温記録°C (°F ) −27.4 (−17.3) −29.8 (−21.6) −22.8 (−9) −7.7 (18.1) −4.3 (24.3) −0.5 (31.1) 2.1 (35.8) 4.4 (39.9) −1.9 (28.6) −7.0 (19.4) −16.9 (1.6) −23.3 (−9.9) −29.8 (−21.6) 降水量 mm (inch)28.5 (1.122) 23.7 (0.933) 27.5 (1.083) 32.0 (1.26) 53.3 (2.098) 58.8 (2.315) 79.4 (3.126) 70.0 (2.756) 64.5 (2.539) 54.8 (2.157) 42.6 (1.677) 36.0 (1.417) 571.0 (22.48) 平均降水日数(≥0.1 mm) 16.67 14.25 14.03 11.43 13.07 14.03 13.43 14.03 12.40 15.27 15.93 17.97 172.51 % 湿度 87.7 85.9 82.5 75.5 71.6 72.2 74.7 78.1 82.6 84.6 89.1 89.8 81.19 平均月間日照時間 39 70 134 163 244 259 236 225 174 105 45 32 1,726 出典1:Institute of Meteorology and Water Management[ 13] [ 14] [ 15] [ 16] [ 17] [ 18] [ 19] [ 20] 出典2:meteomodel.pl,[ 21] Weather Atlas (UV),[ 22] Time and Date (dewpoints, 2005-2015)[ 23]
グダニスクはグダニスク大学 、グダニスク工科大学 など合計14校の大学があり、約60,000人の学生が学んでいる。
グダニスク 夜のモトワヴァ運河
ドゥーギ広場
ネプチューンの噴水
中世に造られたクレーン
ポーランド王の礼拝所
聖マリア教会
市役所
オリーヴァ大聖堂
グダンスク近郊の琥珀採掘場
人口推移 年 人口 ±% 1890 120,338 — 1910 170,337 +41.5% 1929 256,403 +50.5% 1945 139,078 −45.8% 1946 117,894 −15.2% 1950 194,633 +65.1% 1960 286,940 +47.4% 1970 365,600 +27.4% 1978 442,118 +20.9% 1988 464,308 +5.0% 2002 461,334 −0.6% 2011 460,276 −0.2% 2021 486,022 +5.6% source[ 24] [ 25] [ 26]
^ [1] Archived 2023-02-01 at theWayback Machine . (in Polish)^ “Największe miasta w Polsce. Warszawa wyprzedzona, jest nowy lider ”. TVN24 (2023年7月27日). 2023年8月31日閲覧。 ^ “Powierzchnia i ludność w przekroju terytorialnym w 2023 roku ”. Główny Urząd Statystyczny (2023年7月20日). 2023年8月31日閲覧。 ^ グダニスク市役所グダニスク推進局「グダニスクの見所」 ^ Gduńsk wymowa: jak wymówić Gduńsk w kaszubski (グダニスクのカシューブ語発音)^ “日本大百科全書(ニッポニカ)の解説 ”. コトバンク. 2018年2月17日閲覧。 ^ Hess, Corina (2007). Danziger Wohnkultur in der frühen Neuzeit. Berlin-Hamburg-Münster: LIT Verlag. p. 41.ISBN 3-8258-8711-1 . ^ Cord Meckseper:Kleine Kunstgeschichte der deutschen Stadt im Mittelalter. Darmstadt: Wissenschaftliche Buchgesellschaft 1982, S.199. ^ 岡田朝雄 ・リンケ珠子『ドイツ文学案内 増補改訂版』朝日出版社 2000 (ISBN 4-255-00040-9 )、128-129頁、319-320頁。^ 暴動、各地へ波及 デモへ発砲許可命令『朝日新聞』1970年(昭和45年)12月18日夕刊 3版 1面 ^ “リベラル系市長、男に刺され死亡 ポーランド” . 朝日新聞 6面. (2019年1月15日). https://www.asahi.com/articles/DA3S13849160.html 2019年4月19日閲覧。 ^ “Aleksandra Dulkiewicz prezydentem Gdańska. Podano oficjalne wyniki ” (ポーランド語). TVN24 (2019年3月4日). 2024年12月29日閲覧。 ^ “Średnia dobowa temperatura powietrza ” (ポーランド語). Normy klimatyczne 1991-2020 . Institute of Meteorology and Water Management. 2021年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ 。2022年1月31日閲覧。 ^ “Średnia minimalna temperatura powietrza ” (ポーランド語). Normy klimatyczne 1991-2020 . Institute of Meteorology and Water Management. 2022年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ 。2022年1月31日閲覧。 ^ “Średnia maksymalna temperatura powietrza ” (ポーランド語). Normy klimatyczne 1991-2020 . Institute of Meteorology and Water Management. 2022年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ 。2022年1月31日閲覧。 ^ “Miesięczna suma opadu ” (ポーランド語). Normy klimatyczne 1991-2020 . Institute of Meteorology and Water Management. 2022年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ 。2022年1月31日閲覧。 ^ “Liczba dni z opadem >= 0,1 mm ” (ポーランド語). Normy klimatyczne 1991-2020 . Institute of Meteorology and Water Management. 2022年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ 。2022年1月31日閲覧。 ^ “Średnia grubość pokrywy śnieżnej ” (ポーランド語). Normy klimatyczne 1991-2020 . Institute of Meteorology and Water Management. 2022年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ 。2022年1月31日閲覧。 ^ “Liczba dni z pokrywą śnieżna > 0 cm ” (ポーランド語). Normy klimatyczne 1991-2020 . Institute of Meteorology and Water Management. 2022年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ 。2022年1月31日閲覧。 ^ “Średnia suma usłonecznienia (h) ” (ポーランド語). Normy klimatyczne 1991-2020 . Institute of Meteorology and Water Management. 2022年1月15日時点のオリジナルよりアーカイブ 。2022年1月31日閲覧。 ^ “Gdańsk Średnie i sumy miesięczne ”. meteomodel.pl (2018年4月6日). 2020年3月9日時点のオリジナルよりアーカイブ 。2020年1月14日閲覧。 ^ “Gdańsk, Poland – Detailed climate information and monthly weather forecast ”. Weather Atlas. 2022年8月1日閲覧。 ^ “Climate & Weather Averages in Gdańsk ”. Time and Date. 2022年7月31日閲覧。 ^ “Gdańsk (Pomorskie) » mapy, nieruchomości, GUS, noclegi, szkoły, regon, atrakcje, kody pocztowe, wypadki drogowe, bezrobocie, wynagrodzenie, zarobki, tabele, edukacja, demografia ”. 2024年12月30日閲覧。 ^ “Demographic and occupational structure and housing conditions of the urban population in 1978-1988 ”. 2024年12月30日閲覧。 ^ “Statistics Poland - National Censuses ”. 2024年12月30日閲覧。