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クリノハナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クリノハナ
東京優駿優勝時 1952年5月25日
品種サラブレッド
性別
毛色栗毛
生誕1949年5月18日
死没1965年9月29日
(16歳没・旧17歳)
プリメロ
オホヒカリ
生国日本の旗日本千葉県市原市
生産者大東牧場
馬主栗林友二
調教師尾形藤吉東京
競走成績
生涯成績11戦5勝
獲得賞金316万9500円
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クリノハナは、日本競走馬種牡馬1952年皐月賞東京優駿(日本ダービー)を制し、クラシック二冠を達成、種牡馬としても3頭の天皇賞優勝馬を輩出するなど成功を収めた。競走馬時代の主戦騎手八木沢勝美

経歴

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競走馬時代

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クリフジなどを所有した栗林友二生産所有馬。3歳時に関東の名門・尾形藤吉厩舎に入ったが、競走馬としてのデビューは遅く、初戦は4歳に入っての1952年3月であった。ここを2番人気で優勝すると、以後1ヶ月余りのうちに3連勝、4月27日には早くも皐月賞に出走した。ここでは4番人気に支持され、レースでは後方待機策から最後の直線で追い込み、同厩舎に所属する牝馬タカハタとの競り合いをクビ差制して優勝。重賞初制覇をクラシックで果たした。

次走のオープン戦では、牝馬レダの3着と敗れ、初の敗戦を経験する。これは東京優駿に備えて後方待機一辺倒を改め、先行策を試した結果であった[1]。迎えた東京優駿は、史上最多となる31頭の出走馬を集め行われた[2]。この年は牝馬のレベルが非常に高い[3]と見られ混戦模様を呈すなか、保田隆芳騎乗の僚馬タカハタが1番人気に支持され、クリノハナはセントオーにも次ぐ3番人気となる。レースがスタートすると、八木沢は前走の試乗通りに先行して4番手に付け、すぐ後方にタカハタも続いた。そのまま第4コーナーまで進み、直線の入り口でクリノハナが先頭に立つ。その外からさらにタカハタが馬体を併せ、直線では両馬の激しい競り合いとなった。一杯に競り合った結果、ゴール直前でクリノハナがクビ差抜け出して優勝を果たし、前年のトキノミノルに続く、史上5頭目の春クラシック二冠を達成した。なお、デビュー48日目での皐月賞優勝、77日目でのダービー優勝は、いずれも戦後最短勝利記録である[4]

しかし、夏の休養を経ての秋シーズン緒戦、タカハタとの2頭立てとなったオープン戦で大差を付けられて敗れると、以降は1勝も挙げられずに終わった。相手陣営が「競り合いに強い」というクリノハナの長所を見て取り、離れた位置から一気に交わすという作戦を取ったことが一因とも言われる[5]。秋5戦目の中山記念7着の後、三冠馬を目指し菊花賞に向けての調整中、脚を傷め、出走を断念。時間を掛ければ立て直しは可能であった[6]が、馬主の栗林は引退を選択し、これを以て競走馬を引退した。

種牡馬時代

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その後は軽種馬協会に買い上げられ国有種牡馬となったが、種牡馬入り後に腰ふら(腰麻痺)という持病を抱えるようになり、これが嫌われて初年度には繁殖牝馬が集まらなかった。栗林はこの事に不満を覚えてクリノハナを買い戻し、故郷の大東牧場に改めて繋養、所有牝馬に次々と種付けを行った[7]。すると、2年目の産駒から天皇賞(春)に優勝したクリペロが誕生、以降もタカマガハラ、クリヒデと計3頭の天皇賞優勝馬を輩出し、長距離に強い内国産有力種牡馬の1頭となった[8]

1965年秋、種牡馬生活の後期を過ごした北海道室蘭市ユートピア牧場において、敗血症により死亡。2000年に日本中央競馬会の広報誌『優駿』が選出した「20世紀のベストホース100」の1頭に選出されている。

競走成績

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年月日レース名頭数人気着順距離(状態タイム着差騎手斤量勝ち馬/(2着馬)
19523.10東京新馬1021着芝1200m(不)1:19.11/2身八木沢勝美54(カントー)
4.6中山オープン711着芝1600m(良)1:42.0アタマ八木沢勝美54(マサタカ)
4.13中山4歳特別831着芝1800m(良)1:53.33/4身八木沢勝美56(ヤシマアロー)
4.27中山皐月賞1441着芝2000m(良)2:06.2アタマ八木沢勝美57タカハタ
5.10東京オープン523着芝1800m(良)八木沢勝美57レダ
5.25東京東京優駿3131着芝2400m(良)2:31.4クビ八木沢勝美57(タカハタ)
9.13東京オープン222着芝2000m(良)大差八木沢勝美60タカハタ
9.21東京オープン414着芝1800m(稍)八木沢勝美60ハタカゼ
9.28東京セントライト記念715着芝2400m(良)八木沢勝美62マサムネ
10.18中山オープン622着芝2000m(良)クビ八木沢勝美60マサムネ
10.26中山中山記念1017着芝2400m(良)八木沢勝美59キヨストロング

主な産駒

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血統表

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クリノハナ血統ブランドフォード系 / White Eagle 4×5=9.38%、Lesterlin 4×5=9.38%)(血統表の出典)

*プリメロ
Primero 1931
鹿毛アイルランド
父の父
Blandford 1919
鹿毛 アイルランド
SwynfordJohn o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
BlancheWhite Eagle
Black Cherry
父の母
Athasi 1917
鹿毛 アイルランド
FarasiDesmond
Molly Morgan
AthgreanyGalloping Simon
Fairyland

オホヒカリ 1943
栗毛 日本
*月友 1932
栗毛 日本
Man o'WarFair Play
Mahubah
*星友
Alzada
Sir Martin
Colna
母の母
*アイリッシュアイズ
Irish Eyes 1928
鹿毛オーストラリア
TreclareTredennis
Clare
LienaTressady
BrattleF-No.1-c

父は当時の日本競馬を代表する種牡馬の1頭。母は競走馬時代に10勝を挙げ、1947年の天皇賞(秋)で2着するなど活躍した。その4代孫にGI競走3勝を挙げたライスシャワーがいる。

脚注

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  1. ^『日本の名馬・名勝負物語』119-120頁。
  2. ^翌年は33頭が出走し、現在はこれが最多記録となっている。
  3. ^この年の牝馬には、通算26勝を挙げたタカハタ、後に天皇賞に優勝するレダとクインナルビー、これらを破り二冠牝馬となるスウヰイスーなどがいた。
  4. ^戦前については、3歳(現2歳)戦が行われていなかったこともあり、競走体系上、短期の優勝は珍しくなかった(ロツクパークがデビューから6日後に皐月賞を、クモハタが同8日後に東京優駿をそれぞれ制している)。
  5. ^『日本の名馬・名勝負物語』121頁。
  6. ^『サラブレッド101頭の死に方』 127頁。
  7. ^『日本の名馬・名勝負物語』314-315頁。
  8. ^『サラブレッド101頭の死に方』 128頁。

参考文献

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外部リンク

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皐月賞勝ち馬
1930年代
1940年代
1950年代

第10回クモノハナ / 第11回トキノミノル / 第12回クリノハナ / 第13回ボストニアン / 第14回ダイナナホウシユウ / 第15回ケゴン / 第16回ヘキラク / 第17回カズヨシ / 第18回タイセイホープ / 第19回ウイルデイール

1960年代

第20回コダマ / 第21回シンツバメ / 第22回ヤマノオー / 第23回メイズイ / 第24回シンザン / 第25回チトセオー / 第26回ニホンピローエース / 第27回リュウズキ / 第28回マーチス / 第29回ワイルドモア

1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
東京優駿(日本ダービー)勝ち馬
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
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