クリスマス (英語 :Christmas )は、イエス・キリスト の降誕 [ 注 1] を記念する祭 で、[ 1] キリスト降誕祭 (キリストこうたんさい、単に降誕祭 とも)、降誕日 [ 2] (こうたんび)、聖誕祭 (せいたんさい)、ノエル (仏 :Noël )などとも呼ばれる[ 3] 。「クリスマス」という英語は「キリスト(Christ )のミサ (mass )」という意味に由来する[ 1] 。
キリスト教 の諸教派 のうち、 ローマ・カトリック教会 、聖公会 (アングリカンコミュニオン 、英国国教会 )、ルーテル教会 (ルター派)ほかプロテスタント 諸教派の多くなどでは、教会暦 上の毎年12月24日 の夕刻に 祝われる(例外は「#古式を守るアルメニアの降誕祭 」で後述) 。
あくまでキリストの降誕を記念する日であり、この祭事が行われる日自体がイエス・キリストの正式な誕生日 というわけではない[ 4] (イエス・キリストの誕生日自体が不詳である〈#宗教的な典拠と位置付け を参照〉)。
イエス・キリスト の誕生(降誕) [ 注 1] を記念する年中行事で、主に12月25日 に、世界中の何十億人もの人々の間で宗教 的・文化 的に祝われるものである[ 5] [ 6] 。キリスト教 の典礼年 の中心的な祝祭 であり、アドベント (降誕祭)の季節に先立ち、西洋では歴史的に12日間 続き、十二夜 に最高潮に達するクリスマスの時期(Christmastide )を開始する。クリスマスは多くの国で祝日 となっており[ 7] [ 8] [ 9] 、大多数のキリスト教徒が宗教的に[ 10] 、また多くの非キリスト教徒が文化的に祝う[ 11] 。クリスマスを中心に構成されるホリデーシーズン の重要な部分を形成する。
イエスが誕生した月日は不明であるが、4世紀初頭の教会では12月25日と定めていた[ 12] [ 13] [ 14] 。これはローマ暦の冬至 に相当する[ 15] 。春分の日でもある3月25日の受胎告知 からちょうど9ヶ月後である。多くのキリスト教徒は、世界各国でおおよそ採用されている、グレゴリオ暦 の12月25日に祝う。しかし、東方キリスト教会 の一部では、クリスマスを旧ユリウス暦 の12月25日に祝い、これは現在グレゴリオ暦の1月7日に相当する。キリスト教では、イエスの正確な誕生日を知ることよりも、神が人類の罪 を償うために人の姿でこの世に現れたこと を信じることが、クリスマスを祝う最大の目的であると考えられている[ 16] [ 17] [ 18] 。
各国でクリスマスに関連する祝いの習慣には、キリスト教以前、キリスト教、世俗 的なテーマや起源が混在している[ 19] 。現代の一般的な習慣としては、プレゼントを贈る、アドベントカレンダー やアドベントリース を完成させる、クリスマス音楽やキャロル を演奏する、キリスト降誕劇を見る、クリスマスカード を交換する、教会の礼拝、特別食、クリスマスツリー 、クリスマスライト、キリスト降誕 シーン、ガーランド、リース 、ヤドリギ、ヒイラギなど様々なクリスマスの飾り付けをする、などが挙げられる。さらに、サンタクロース 、ファーザー・クリスマス、聖ニコラス 、クリストキント など、クリスマスシーズンに子供たちに贈り物をする人物と密接に関連し、しばしば交換される人物がおり、それぞれ独自の伝統と言い伝えを持っている[ 20] 。プレゼントを贈るという行為や、その他多くのクリスマス行事は、経済活動の活発化を伴うため、小売業者や企業にとって重要なイベントであり、重要な販売期間となっている。過去数世紀にわたり、クリスマスは世界の多くの地域で経済効果を着実に高めてきた。
新約聖書 にはキリストの降誕 について、『ルカによる福音書 』第2章 1-10節 および『マタイによる福音書 』第1章 18-25節 に記述があるものの、いずれも誕生日 を特定する記述は無い。
福音書 に記された降誕の説話は、イエスが旧約聖書 で示唆されたメシア 到来に関する預言 の通り、古代イスラエル の英雄ダビデ 王の出身地ベツレヘム で生まれたとするものである[ 21] 。
ヨセフ とマリア がベツレヘムに到着したとき、宿屋に部屋がなかったため、馬小屋を提供され、そこですぐにキリスト が生まれ、天使 がこのニュースを羊飼いに告げ、羊飼いがそのニュースを広めたという[ 22] 。一方ヘロデ大王 は、自分の地位をいずれ脅かすであろう者が現れた事を知り、恐れをなしてどの子がイエスなのか特定しようとしたが、出来なかったため、同世代の幼児を皆殺しにした(幼児虐殺 の逸話)。
典拠の聖書箇所(抜粋)
さて,イエス・キリストの誕生は次のようであった。
彼の母マリアはヨセフと婚約していたが,二人が一緒になる前に,彼女は聖霊 によって妊娠していることが分かった。彼女の夫ヨセフは正しい人で,彼女をさらし者にしたくなかったので,ひそかに去らせようとした。 しかし彼がこうした事について考えていると,見よ,主のみ使い が夢の中で彼に現われて,こう言った。 「ダビデ の子ヨセフよ,あなたの妻マリアを迎え入れることを恐れてはいけない。彼女の内に宿っているのは聖霊によるものだからだ。彼女は男の子を産むだろう。あなたはその名をイエスと呼ぶことになる。この者こそ,自分の民をその罪から救うからだ」。 ところで,このことすべてが起こったのは,預言者 を通して主によって語られたことが果たされるためであった。 こう言われていた。「見よ,処女が妊娠し,男の子を産むだろう。彼らはその名をインマヌエル と呼ぶだろう」。この名は,訳せば,「神はわたしたちと共に」という意味である。
ヨセフは眠りから覚め,主のみ使いが彼に命じたとおりに行ない,自分の妻を迎え入れた。しかし,彼女が初子を産むまでは,彼女を性的には知らなかった。彼はその子をイエス と名付けた。
— 『マタイによる福音書 』第1章 18-25節 (電網聖書 ) さて,そのころ,全世界の住民登録をせよという布告が,カエサル ・アウグストゥス から出た。すべての人が登録をするために,それぞれ自分の町に向かった。 ヨセフもナザレ の町を出て,ガリラヤ からユダヤ に上って行き,ベツレヘム と呼ばれるダビデ の町に入った。彼がダビデの家に属し,その一族だったからであり,また,妻として彼に嫁ぐことを誓っており,妊娠していたマリアと共に登録するためであった。 彼らがそこにいる間に,彼女の出産する日が来た。彼女は初子を産み,これを布の帯でくるんで,飼い葉おけの中に横たえた。宿屋に彼らの場所がなかったからである。
その同じ地方では,羊飼いたちが野宿をしながら,夜に自分たちの群れの番をしていた。見よ,主のみ使い が彼らのそばに立ち,主の栄光が彼らの周りで輝いた。そのため彼らはおびえた。 み使いは彼らに言った,「恐れてはいけない。見よ,わたしはあなた方に,あらゆる民にとって大きな喜びとなる良いたより をもたらすからだ。すなわち,今日,ダビデの町で,あなた方に救い主 ,主なるキリストが生まれたのだ。これがあなた方に対するしるしだ。あなた方は,布の帯にくるまり,飼い葉おけに横たえられている赤子を見つけるだろう」。 突然,天の大軍勢が,そのみ使いと共に神を賛美して,こう言った,「いと高き所では栄光が神に,地上では平和が,善意の向かう人々に 」。
み使いたちが彼らを離れて天に帰った時,羊飼いたちは互いに言い合った,「さあ,ベツレヘムに行って,主がわたしたちに知らせてくださった出来事を見て来よう」。急いでやって来て,マリアとヨセフ,そして飼い葉おけに横たわっている赤子を見つけた。 羊飼いたちは,自分たちが見聞きしたすべての事柄のゆえに,神に栄光をささげ,賛美しながら戻って行った。自分たちに告げられたとおりだったのである。
— 『ルカによる福音書 』第2章 1,3-17,20節 (電網聖書 ) はじめに言葉 があり,言葉は神と共にあり,言葉は神であった。この言葉ははじめに神と共にあった。すべての物は彼を通して造られた。造られた物で,彼によらずに造られた物はなかった。 彼の内には命があり,命は人の光であった。光は闇の中で輝くが,闇はそれに打ち勝たなかった。
言葉は肉となってわたしたちの間に住んだ。わたしたちはその栄光を見た。父のひとり子に属する栄光であって,恵みと真理とに満ちていた。
— 『ヨハネによる福音書 』第1章 1-5,14節 (電網聖書 ) クリスマスが行なわれる日は、あくまでも「降誕を記念する祭日」と位置付けられているのであって、前述したように聖書にはイエスの誕生日を記述する内容が存在しないことから「イエス・キリストの誕生日」とされているわけではない[ 23] 。イエス・キリストが降誕した日がいつにあたるのかについては、古代からキリスト教内でも様々な説がある(例えば3世紀 の初め頃には、アレクサンドリアのクレメンス は5月20日 と推測していた)[ 4] 。
また、キリスト教で最も重要な祭と位置づけられるのは、復活祭 (イースター/パスハ)である[ 24] [ 25] [ 26] [ 27] 。
325年 5月の第1ニカイア公会議 において、キリストの降誕を祝う日について議論された。日付の候補は、おもなものだけでも、1月6日、2月2日、3月25日、3月28日、4月2日、4月19日、4月29日、5月20日、11月8日、11月17日、11月18日、12月25日があった[ 28] [ 29] 。
このうち、古代 共和政ローマ 時代の「ローマ暦 」において冬至 の日とされていた12月25日 が、「降誕を祝う日」として次第に定着していった[ 注 2] 。12月25日に降誕祭を行う風習は、遅くとも354年 [ 30] には西方教会 で始まり、4世紀 末には東方教会 の多くにも広まった[ 31] 。
12月25日を降誕祭とする風習が定着する以前には、アルメニア やギリシア などで1月6日 説が採用されており[ 32] 、また、「キリストの降誕 」の記念と同時に「キリストの洗礼 」(ヨルダン川 で洗礼者ヨハネ から洗礼 を受けたこと)の記念を祝っていた[ 31] 。
現在でもアルメニア使徒教会 (東方諸教会 ・非カルケドン派正教会 に分類される)においては、教会暦上の1月6日、すなわちアルメニア 本国などではグレゴリオ暦、中東 のアルメニアン・エルサレム総主教庁 においてはユリウス暦を使用するためグレゴリオ暦の1月19日 にあたる日(「各国において:イスラエル・パレスチナ 」の節も参照)に、「キリストの降誕 」の記念(降誕祭)と同時に「キリストの洗礼 」の記念(神現祭 )が祝われる[ 31] 。1月6日はアルメニア共和国 の法定祝日 となっている[ 33] 。
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教会暦 におけるクリスマスの日付。黄色が12月24日、緑色が12月25日を表す。常用時 とは異なり、教会暦の日界 は日没 であるため、24日(常用時)の日没から25日(常用時)の日没までが12月25日、即ちクリスマスである「降誕日 」は、西方教会 に含まれるカトリック教会 [ 注 3] や聖公会 、多くのプロテスタント 諸教派などでは、毎年グレゴリオ暦 の12月25日に祝われる。
東方教会 のうちユリウス暦 を教会暦 として使用する教会では、グレゴリオ暦 の1月7日 に祝われる。これはユリウス暦 の12月25日が、21世紀現在、グレゴリオ暦 の1月7日 に当たるからである[ 注 4] [ 35] [ 36] (後述 ) 。また例外的に、アルメニア使徒教会 では教会暦上の1月6日 に祝われる(前述 ) 。
キリスト教に先立つユダヤ教 の暦、古代ローマ の暦、およびこれらを引き継いだ教会暦 では、現代の常用時 とは異なり、日没 を日界 (一日の境目)としている[ 37] 。このため、教会暦ではクリスマス(降誕日)は「12月24日(常用時)の日没から12月25日(常用時)の日没まで 」である。また24日(常用時)の日没から24日(常用時)の24時すなわち25日(常用時)の0時(正子 )までが「クリスマス・イヴ 」である(クリスマス・イヴ#日付 )。12月25日(常用時)の日没以降は、12月26日(教会暦)である。
伝統的には、クリスマス・イヴの夕刻~晩には「晩課 」(「晩祷 」、「夕の礼拝」などとも)を行って降誕の喜びの先取りとし、羊飼いが天使 から降誕のみ告げを受けたとされる夜中[ 38] (古来は12月25日の0時前後)には「深夜ミサ (英語版 ) 」あるいは「徹夜祷 」などと呼ばれるミサ /聖餐式 (西方教会)・奉神礼 (東方教会)を行う。そして、25日の午前には改めて降誕を祝うミサ/聖餐式/聖体礼儀 を行う。
聖堂に飾られた「降誕場面 」(フランス ) 西方教会 では、「降誕節 」(ラテン語 :Tempus Nativitatis 、英語 :Christmas season、Christmas days )は12月24日の日没から始まり、1月6日 に「東方の三博士 の来訪」を記念する公現祭 (顕現日、エピファニー )を祝って[ 注 5] 、これを以て降誕節が終わる。より正確にはエピファニーの前日1月5日 の日没「十二夜 」までが降誕節で、「クリスマスの12日 」(英語 :Twelve Days of Christmas )と呼ばれる。あるいは、現代のカトリック教会 では、「主(しゅ) の洗礼 」を記念する公現祭後の主日 (日曜日 )[ 注 6] までを降誕節とする[ 42] [ 43] 。
そして降誕節の期間中、降誕日から数えて8日目にあたる1月1日 は、「イエスの命名・割礼 」[ 注 7] を記念する「イエスの聖名の祝日 (英語版 ) 」[ 注 8] として祝われる。あるいは、現在のカトリック教会 では1月1日を「神の母聖マリアの祭日 (英語版 ) 」として祝い、併せてイエスの命名も記念される[ 39] [ 注 9] 。
また、12月24日の4週間前(11月27日 から12月3日 の間)の主日から始まるアドベント (待降節/降臨節)をクリスマスの準備期間として祝う。
多くの聖堂 (教会堂)の内部あるいは戸口際で、アドベント からエピファニー までの間、キリスト降誕時の情景を表した模型「降誕場面 」(イタリア語 :Presepio 、プレゼピオ/フランス語 :Crèche 、クレーシュ/英語 :Crib 、クリブ)が飾られ、それを見て人々はその出来事に想いを馳せる。
東方教会 のうち、ギリシャ正教 とも呼ばれる東方正教会 では、エルサレム総主教庁 、ロシア正教会 、セルビア正教会 、グルジア正教会 など、そして東方諸教会 ・非カルケドン派正教会 に分類されるコプト正教会 [ 46] などは、ユリウス暦 (正教では「旧暦」と呼ばれる)の12月25日(21世紀現在、グレゴリオ暦 1月7日にあたる)に降誕祭を祝うが、いわゆるギリシャ正教 のうち、コンスタンティノープル総主教庁 、ギリシャ正教会 、ブルガリア正教会 、ルーマニア正教会 などでは、修正ユリウス暦 (正教では「新暦」と呼ばれる)の12月25日(21世紀現在、グレゴリオ暦の同日にあたる)に執り行う[ 47] 。非カルケドン派正教会 に分類されるアルメニア使徒教会 では、教会暦 上の1月6日に行う(前述 ) 。
正教会では、降誕祭と、「主の洗礼 」を記念する「神現祭 」(降誕祭の12日後、ユ暦1月6日 /グ暦1月19日 に行われる)とは奉神礼 として一連のものであり、構造は同じである。降誕祭の祭前期には「聖列祖の主日」で原祖アダム 以来のキリストの肉に縁る先祖を[ 48] 、「聖世祖の主日」では神の祖父母イオアキム とアンナ ら歴代の義者を記念する[ 49] 。そして降誕祭の期間中の1月1日(ユリウス暦の1月1日は、21世紀現在、グレゴリオ暦1月14日 にあたる)には、「主の割礼祭 」を祝う。
誤解されがちなこととして、「東方教会 ではエピファニー の日[ 注 10] に降誕を祝う」と言われることがある。年月を経るごとにユリウス暦は、本来の太陽年 とそれに近いグレゴリオ暦からずれが生じて、20世紀~21世紀の今[ 注 4] たまたまユリウス暦12月25日がグレゴリオ暦1月7日(グ暦1月6日はユ暦12月24日:クリスマス・イヴ )になっているだけであり、ユリウス暦とグレゴリオ暦の違いはあれど、あくまで12月25日が降誕日なのである。ただし、1つ例外としては、アルメニア使徒教会 では1月6日に降誕祭と神現祭 を同時に祝う風習がある(前述 ) 。
東方正教会 (ギリシャ正教 )では、正式なフルネームとしては「主神(しゅ-かみ) 我が救世主 イイスス・ハリストスの降誕祭」[ 51] [ 注 11] (英語 :“The Nativity of our Lord God and Savior Jesus Christ” [ 52] 、ロシア語 :“Рождество Господа Бога и Спаса нашего Иисуса Христа” [ 53] )などと呼ばれる。
西方教会 (おもにローマ・カトリック教会 )では、ラテン語 :“Festum Nativitatis Domini nostri Jesu Christi” [ 54] [ 注 12] (われらの主(しゅ) イエス・キリストの降誕祭)、それを短縮した羅 :“Festum Nativitatis Domini” [ 55] (主の降誕祭)、あるいは特に「降誕日 」を指して、羅 :“Dies Natalis Jesu Christi” [ 56] [ 注 13] (イエス・キリストの降誕日)などと呼ばれる。
日本語 での当祭の呼び方には、英語 の"Christmas "に由来する「クリスマス」の他に、「降誕祭」、「降誕日」、「聖誕祭」、「聖夜 」などがある。
英語の"Christmas "は、「キリスト (Christ :クライスト)のミサ (Mass :マス)」に由来する。これは、古英語 の"Crīstes mæsse "(初出 1038年)が、中英語 において"Cristemasse "となり、現在につながる[ 57] [ 58] 。
ヨーロッパ 各国語では、「キリストの誕生」あるいは、"キリストの" にあたる部分を省略した「誕生」を指す言葉(転訛 含む)で当祭を指す例がよく見られる。以下の表において「誕生」は、日本語におけるキリスト教用語の「降誕 」と書き表す。
^ 太字はアクセント 位置を表す。 ^ 中世 ~現代ギリシア語 読み。古代ギリシア語 では「クリーストーゲンナ」(Χρῑστοῦγέννᾰ [kʰriːs.tôː.ɡén.na] )。^ 教会ラテン語 読み。古典ラテン語 では「クリースティー・ナーターリス」(Chrīstī Nātālis [ˈkʰriːstiː naːˈtaːlis] )。^ 東アルメニア語 読み。西アルメニア語 では「スルプ・ザヌント」([suɾpʰ d͡zəˈnuntʰ] )。^a b マドリード首都圏 での発音。 ^a b 東スラヴ語群 の発音はアクセント (母音 の強勢 )とイントネーション (高低)が必ずしも一致しないため、片仮名音写ではアクセント位置を表示していない。 ^ 複数形であることに注意。つまり、クリスマス・イヴ からエピファニー にかけての「降誕節 」を指す意味もある。 東方教会 では、ローマ・カトリック教会 に由来する「Mass 」という語[ 注 14] を含む「Christmas 」という語を避けて、英語では「Nativity 」[ 注 15] という語が用いられる[ 59] [ 60] [ 61] 。
英語 「Christmas 」を略記する際には、「キリスト 」の語源であるギリシア語 :Χριστός [ 62] (Khristós)の頭文字 である「Χ 」(希 :ケー 、キー、ヒー、英 :カイ)、または、それと形が同じラテン文字 「X 」(羅 :イクス、英 :エックス)を「Christ 」の省略形として用いている。
そのような例は、中英語 では「Χρ̄ es masse」が見られる[ 58] 。また、現代の英語圏 では「Xmas 」や「X-mas 」が頻繁に見られる(これらはスタイルガイド では推奨されていないとされる[ 63] )。
他に、アポストロフィー を付けた「X'mas 」[ 64] 、Christ の末字 "t " を添えた 「Xt mas 」[ 65] や「Xtmas 」、Χριστός の頭二文字をラテン文字に置き換えた「Xpmas 」などもある。
かつて日本 ではアポストロフィー を用いた「X'mas 」「X'Mas 」の表記が和製英語 とする俗説[ 66] や、アポストロフィーを付するのは誤りとする説、現在はアジア 圏でのみの使用とする説などがあった。「Engrish 」の代表との誤解もある[ 67] [ 68] 。しかし、歴史的に和製英語でないことは、19世紀の書籍でも確認できる[ 69] 。現在の英語圏でも出版物などで一般的に使用されており[ 70] [ 71] 、Twitter においても米国 のラジオ局が発信したツイート や、英米の著名人・一般人のツイートにも見られる(2012年現在)。
ロシア語 での略記は、「Рождество Христово 」[ 注 16] (ハリストス の降誕)[ 注 11] の頭文字からとった「РХ 」で表される。ロシアでは、聖堂 などに「РХ 」とネオンサイン で表示する様子がしばしば見られる[要出典 ] 。(「各国において:ロシア 」の節も参照)
クリスマス飾りフレーベルの星 (英語版 ) ヨーロッパ や北米 などでは、クリスマスは基本的に自宅で家族と過ごすものである。英国 や米国 などではクリスマスのずいぶん前から(教会暦 の概念があるキリスト教会 ではアドベント 開始日に合わせて)一緒にクリスマスリース やクリスマスツリー を作ったり、家や教会を飾り付けるなどの協同作業をすることで、家族や信徒同士で一緒に過ごす喜びを確認する。そしてクリスマスの当日には家庭料理 を味わうのが一般的であり、あえて外出するのは、クリスマスあるいはクリスマス・イヴのミサ /礼拝/奉神礼 に参祷するため教会に行くくらいである。
キリスト教圏の中でもカトリック教会 の影響の強いイタリア 、フランス 、スペイン 、ポーランド などでは、クリスマス(降誕節 )は教会暦 どおりクリスマス・イヴ (12月24日の晩)に始まり、1月6日 の公現祭 (エピファニア)に終わる。クリスマスの飾り付けは12月23日頃に行う。24日はクリスマス・イヴ として夜を祝う。大人たちは、12月初旬からクリスマスにかけて、愛情を込めた言葉を記したクリスマスカード を郵送 しあう。子供達がクリスマスプレゼント をもらうのは、東方の三博士 が幼子イエスを訪ねて贈り物を献げたことを記念する公現祭 (エピファニー)にあやかって1月6日 である場合も多い。クリスマスの飾り付けはエピファニーを過ぎてから取り払われる。
「南半球からのメリー・サマー・クリスマス」(リオデジャネイロ ) オーストラリア や南米 など南半球 の国々では、クリスマスは真夏 となる。そのためクリスマスパーティーは、屋外やプール などで開催されることも多い。
イギリス およびイギリス連邦 諸国では、12月26日 に使用人や配達人にプレゼント を渡すボクシング・デー があり、1月6日 までをクリスマス期間ともしている。
イギリス では、サンタクロース (Santa Claus、Father Christmas とも)が12月25日にプレゼントを持って来るとされる。クリスマスの日には台所周辺にヤドリギ が飾られる。19世紀 のイギリス を中心に、ヤドリギの下に偶然女性が立った場合、その女性にキス をしてもよいとする習慣があった[ 72] 。
ドイツ ・ヴェルニゲローデ 市庁ドイツ の一部地域やオランダ などでは、12月6日 が聖ニコラウス の日で、子供達は聖ニコラウスからプレゼントをもらうか、ニコラウスが連れてくるクネヒト・ループレヒト に罰を与えられる。プレゼントを貰えるのは、それまでの1年間に良い子だった子供だけで、悪い子は石炭 を与えられたり、木の枝で打たれることになっている地域もある。さらに12月24日のクリスマス・イヴ にもプレゼントが配られる。ドイツ語圏 で24日にプレゼントを持ってくるのは、北部ではヴァイナハツマン(Weihnachtsmann :「聖夜の男」)、南部ではクリストキント (Christkind :「幼子キリスト」)とされている。
ドイツやオーストリア 各地の町では、アドベント からクリスマスにかけて、町の中心部の広場にクリスマスマーケット (ヴァイナハツマルクト)が建ち、クリスマスプレゼント や、家庭でのクリスマスの祝いに備えた食品や飾りなどを買ったり、グリューワイン (クローブ 、シナモン など甘い香りのするスパイスで香りを付け、熱燗 にしたワイン )を飲んで温まる。他にもドイツは、クリスマスツリー やアドベントリース (アドベントクランツ)、アドベントカレンダー など、西方教会 圏の多くに伝わるクリスマスの諸風習の発祥地とされる。近年では日本でもドイツ風のクリスマスマーケット が催されることがある[ 73] [ 74] [ 75] 。(「#商工業 」も参照)
貧しい人へのクリスマス・プレゼント(1935年) ナチス・ドイツ におけるクリスマスは、ナチ党 のイデオロギー と整合させるための努力の賜物であった。ユダヤ の出自を持つ、ユダヤ人の救世主 イエス の誕生を記念する行事であるクリスマスは、ナチスの人種主義 と折り合いをつけるのが困難な催しであった。そのため、1933年から1945年まで政府当局は民間行事としてのクリスマスからそうした宗教的側面を排除し、キリスト教の出現以前から催されてきたゲルマン人 伝統の祝祭(ユール )であることを強調しようとした。その流れの中で賛美歌 の歌詞やクリスマスの飾り付けは世俗化されたが、教会や家庭における祝われ方は本来のキリスト教的な様式のままであった。
イタリア のほとんどの地域では、プレゼントを持って来るのは魔女 のベファーナ とされる。
スカンディナヴィア 諸国を中心とする北欧 のクリスマスは「ユール 」と呼ばれ、12月13日 の聖ルチア祭 から始まる。古代ゲルマン人 の冬至 祭の影響を色濃く残しており、ユール・ゴート(ユールブック)と呼ばれる、ワラ で作ったヤギ を飾ること、妖精 がプレゼントを持って来てくれることなど、独自の習慣が見られる。また、クリスマスの時期は真冬であるため、小鳥 たちがついばめるように、ユールネックという麦 の穂束を立てる習慣もある[ 76] 。
ポーランド のクリスマスはキリスト教世界の多くの国と同じく、もっとも大きな年間行事の一つである。クリスマスの儀式は古代から何世紀にもかけ徐々に発展してきた。カトリック教会 によるポーランドのキリスト教化が行われる中で、一部の非キリスト教の古い宗教的な習慣が結びつき、その後、地域の伝承や様々な民俗文化と相互に影響を与えながら広まった。クリスマス・イヴ の日には装飾され光るクリスマスツリー が居間に飾られ、また大抵は教会の外や公共スペースにおかれる[ 77] 。ポーランドにおいて、クリスマスは「Boże Narodzenie 」(ボジェ・ナロゼニェ、神の誕生)と呼ばれる[ 78] 。
モスクワ ・聖ワシリイ大聖堂 の元日 正教会 圏に含まれるロシアでは、クリスマスは俗称「冬祭り」(「Зимние фестивали 」[ 注 17] )、サンタクロースは「マロース爺さん 」(ロシア語で、マロースは「吹雪」の意味)と呼ばれており、スネグーラチカ (雪娘)を連れているとされる。ロシア正教会 、セルビア正教会 など、ユリウス暦 を使う正教会の降誕祭は、1月7日 (ユリウス暦での12月25日)である(前述 ) 。そのため、グレゴリオ暦 の大晦日 ~元日 は(1918年 2月14日に改暦以降)クリスマスの前祝い的な位置付けとなっている。
ロシア正教会 では「Христос Рождается! 」「Славите (Его)! 」[ 注 18] (「ハリストス生まる!」[ 注 11] 「(彼を)崇め讃(ほ)めよ!」[ 79] [ 注 11] )が教会におけるクリスマスの挨拶である(「生まる!」と声を掛けられたら「崇め讃めよ!」と返す)。世俗的には、 「С Рождеством (Христовым)! 」[ 注 19] (「(ハリストスの)降誕と共に」)という挨拶がよく用いられる[ 80] 。
ソビエト連邦 時代のロシアでは、クリスマスは伝統的な祭りとして禁止こそされなかったものの政府側は良い顔を見せず、キリスト教的な考えを壊そうとするソビエト共産党 の意向に沿ったものにするなど、政治色の強いものとなっていた。特にヨシフ・スターリン の時代では、クリスマスがスターリンの誕生日の四日前ということもあり、クリスマスツリーにスターリンの写真をつるすといったことも行われた。子供は、サンタクロースに手紙を書く代わりにクレムリン に平和への感謝を記した手紙を書くように強いられた[ 81] 。宗教弾圧 が行われていたソビエト社会主義共和国連邦 は、表向き大々的に降誕祭が祝われることはなかったが、ソビエト連邦の崩壊 後の旧ソ連諸国 では、再び降誕祭が大々的に祝われるようになった。
ウクライナ は、ロシアやベラルーシ などと同じく基本的には東スラヴ系 正教文化圏に属し、近代 にはロシア帝国 領(ハルィチナー などを除く多数地域)のちソ連領 (20世紀 後半には現国家独立時の領土全域)であった。一方かつては、南西部ハルィチナー のほか最大時では西側半分ほど(右岸ウクライナ など)がポーランド=リトアニア連合 領やオーストリア=ハンガリー帝国 領だった時代もあるなど、複雑な歴史的経緯から様々なキリスト教の教派・組織 が混在するが、多数派である正教会 および東方典礼カトリック教会 は共に東方教会 の様式的伝統を受け継ぎ、従来長らくユリウス暦 (旧暦)が用いられてきたため、一般的には近現代のグレゴリオ暦換算で1月7日が降誕祭の祝日であった。ただし、少数ながらローマ・カトリック やプロテスタント では、グレゴリオ暦 12月25日にクリスマスを祝ってきた。
近年の動向として、2018年 に複数の正教会組織が合同して結成された「ウクライナ正教会 (OCU) 」は、コンスタンティノープル総主教庁 系で「ウクライナ化 」(脱ロシア化)指向の立場をとるため、2023年 9月1日より修正ユリウス暦 (正教新暦)の採用へと踏み切り、新暦12月25日に降誕祭を祝うこととなった[ 82] 。ウクライナ東方カトリック教会 も(復活祭 に関わる移動祝祭日以外について)これに同調した[ 83] [ 84] 。また、同年より国家の法定祝日 としての降誕祭日も、12月25日と1月7日の2回あったのが、12月25日のみへと変更された。
他方、ロシア帝国領時代からの伝統維持を重んじ親ロシア指向であるモスクワ総主教庁 傘下の正教会組織「ウクライナ正教会 (UOC-MP) 」は依然として旧ユリウス暦を使用しており、新暦換算1月7日に降誕祭日を祝うという足並みの乱れが生じている。
ウクライナ語 で降誕祭は「Різдво 」(リズドヴォ)といい、降誕祭の挨拶は「З Різдвом (Христовим)! 」〔ズ・リズドヴォム (・フリストーヴィム) 音声 [ヘルプ /ファイル ] 〕が一般的には用いられる。
正教徒が多数派を占めるルーマニア だが、ルーマニア正教会 では修正ユリウス暦 を採用しているため、21世紀現在は西方教会 と同日の12月24日~25日に祝われる主要な年次の祝祭である。クリスマスの祝賀はルーマニアのキリスト教化後に導入されたが、社会主義時代 (1948年 - 1989年) には宗教、イエス・キリスト、教会の概念は禁止された。民主化ともにルーマニアのクリスマスは再開され、よりお祭り色を強めた。クリスマスの祝祭シーズンは11月30日の使徒聖アンデレ の日から始まり、1月7日の洗礼者ヨハネの祭日 に終わる。この期間に祝われる主要な祝祭日として、12月1日の統一記念日、聖ニコラオス の日、聖イグナティオス の日、クリスマス・イヴ 、クリスマス当日、聖ステファノ の日、主の割礼祭 (大晦日 ~元日 )、神現祭 がある。
ベツレヘム 、降誕教会 前の広場ベツレヘム羊飼いの野礼拝堂 (英語版 ) の「降誕場面 」 ユダヤ教 とイスラム教 が多数派のイスラエル ・パレスチナ だが、パレスチナ人 (アラビア語 話者)やアルメニア人 などのキリスト教徒 も古くから住んでいる。キリスト降誕 の地とされるベツレヘム や、聖墳墓教会 が建つエルサレム旧市街 、オリーブ山 などが含まれる東エルサレム は、パレスチナ自治政府 (パレスチナ国 )の領域である。またイスラエル直轄地にも、ナザレ やガリラヤ湖 畔が含まれるガリラヤ 地方などは、やはりキリスト教徒が多く住む。
降誕教会 などがある聖地 ベツレヘム では、クリスマスの祝祭は3つの異なる期間に執り行われている。12月25日 にはカトリック教会 や聖公会 など西方教会 によって[ 注 3] 、1月7日 (ユリウス暦12月25日)には正教会(ギリシャ正教) ・コプト正教会 ・シリア正教会 など東方教会 の多くによって降誕祭が祝われ、さらに1月19日 (ユリウス暦1月6日:神現祭 の日)にはアルメニア使徒教会 によって、キリストの降誕と洗礼 が同時に祝われる(前述 ) [ 85] 。
なお、伝統的にイエス出生の聖地として信仰される降誕教会の地下洞窟をはじめ、この地域においてキリスト降誕 の場所は、いわゆる「馬小屋」ではなく、岩の洞窟であったと考えられている[ 注 20] 。
アメリカ合衆国 ではその建国の経緯からイギリス流のクリスマスが一般的で、日本のクリスマスも英国・米国流を受け継いでいる。この日の前に、クリスマスの挨拶にとクリスマスにちなんだ絵はがき やカード (グリーティングカード )を送る習慣がある。また、プレゼントを家族全員で交換し合う習慣がある。
1960年代 からアフリカ系アメリカ人 の間で、クリスマスの翌日からアフリカ民族 の伝統を祝うクワンザー という行事を家庭で行うことが増えている。
近年では、宗教的中立の観点による配慮と、それに対するキリスト教側の一部からの批判が問題となっている(「#宗教的中立とそれに対する批判 」を参照)。
ハワイ のクリスマスは、西欧諸国と同様、毎年行われる重要な祝祭の一つである。
ハワイにおける祝祭としてのクリスマス は、この地を訪れたプロテスタント の宣教師 が紹介したもので、1820年以降に始まったと考えられている[ 86] [ 87] 。その伝統的な要素のほとんどは宣教師が持ち込んだものである[ 88] [ 89] 。ハワイの住人が今日のような形でクリスマスを祝う以前には、マカヒキ という祭りがあった。このマカヒキが催される4カ月の間、すべての争いは禁じられていた。当時からすでに「あらゆる人へ平穏と善意があるように」という祝祭としてのクリスマスのエッセンスがあったといえる[ 86] 。
マリア とヨセフ がオアハカ 風の衣装を纏った「降誕場面 」メキシコ のクリスマスは12月初旬から1月6日にかけて祝われる。また、これに関連する最後のイベントは2月2日に行われる。クリスマス期間中はキリストの降誕を人形で再現したものや、ポインセチア 、クリスマスツリー などを見ることができる。クリスマスのシーズンは、メキシコの守護聖人であるグアダルーペの聖母 にちなんだ祝祭や、それに継いでラス・ポサダス (英語版 ) やパストレラ(クリスマス劇)などの伝統的な行事が行われる。ミサや祝祭はクリスマス・イヴ からはじまり、東方の三博士が訪問する1月6日の公現祭 を経て、2月2日 に「幼子イエスの神殿奉献 」(エルサレム神殿 へのいわば初宮参り )を記念する聖燭祭 (ニノ・ディオス)を祝って終わる。これらの伝統的行事は、スペイン植民地時代 に入植以前からの伝統とスペイン の伝統が混ざり合ったもので、後にはドイツ やアメリカ の伝統を取り入れ形成された。
インドネシア のクリスマスは、現地ではポルトガル語 でクリスマスを意味するナタル (Natal )と呼ばれる。インドネシアでは約2500万人のキリスト教徒 (うち約3割がカトリック 教徒)が存在し、全国各地で様々な伝統を持ってクリスマスが祝われる[ 90] 。キリスト教徒(プロテスタント やカトリック)が多い地域では、祝祭や地域の料理でクリスマスが祝われるが[ 91] 、その他にも大都市のショッピングセンター などでは、プラスチック製のクリスマス・ツリー やシンタクラース (Sinterklaas )の飾りつけが行われる。テレビ各局ではクリスマスの特別番組が組まれ、毎年恒例のクリスマス音楽コンサートや政府主催のクリスマスの祝祭が放送される。クリスマスには伝統的な食べ物の他、ナスター(パイナップルタルト (英語版 ) の一種)、カステンゲル (英語版 ) 、プトリサルジュ (英語版 ) などのお菓子が供される[ 92] 。
サンタクロース クリスマスツリー (常緑樹 で、モミ 、トウヒ 、松 などを使用する)の習慣は、中世ドイツ の神秘劇 でアダムとイヴ の失楽園 物語を演じた際に使用された樹木に由来している[ 93] 。またクリスマスツリーに飾りつけやイルミネーションを施す風習は、19世紀以降のアメリカ合衆国 で始まったものである[ 93] 。
フィンランド 、ヘルシンキ での2021年のクリスマスパレードでのサンタクロース イギリスやアメリカなどのクリスマスではサンタクロース が強調されるが、この原型はオランダ の民間伝承の「シンタクラース 」、またさらに遡ると古代アナトリア に実在した聖人 ・ミラのニコラオス だと考えられている。
12月24日または25日、あるいは1月6日または7日に、クリスマスが祝日と定められている国 ヨーロッパ やアメリカ州 などキリスト教徒が多数派の国々、さらに東アジア では大韓民国 、香港 、マカオ でも、クリスマスは法定祝日 である。
西欧諸国(ヨーロッパの西方教会 圏)の多くでは、12月24日(クリスマス・イヴ)から1月1日 (元日 )までクリスマス休暇が続く(曜日配列の関係で12月22日 もしくは12月23日 から始まったり、あるいは1月2日 もしくは1月3日 まで続く年もある)。12月25日(24日の終電から26日の始発まで)は、ロンドン地下鉄 やロンドンバス は全線運休になる[ 94] 。
一方、米国 では12月25日と1月1日だけが祝日 で、あとは個人で各々有給休暇 を取得して休むのが一般的である[ 95] [ 96] 。軍 も休暇となり、基地や宿営地は閉鎖され、派兵中でない兵士達は自宅へ帰宅する。
キリスト教が近現代に伝来した諸国のうち、クリスマスを法定祝日とする国・地域では、古くから信仰される他宗教への配慮から、他宗教の記念日もクリスマスと同等に法定祝日にしているところが多い。
日本では戦前の大正天皇祭 が12月25日、平成 の天皇誕生日 が12月23日 であるという偶然があったが、日本国憲法 が規定する政教分離 の原則があり、特定の宗教の記念日を国民の祝日 とすることは難しい。
1552年 (天文 21年)に周防国 山口(現在の山口県 山口市 )において、カトリック教会 (イエズス会 )の宣教師 ・修道司祭 であるコスメ・デ・トーレス らが、日本人 信徒(キリシタン )を招いて降誕祭のミサ を行ったのが、日本 で初めてのクリスマスである[ 注 21] 。しかし、その後江戸幕府 の禁教令 によってキリスト教が禁止されたので、明治 の初めまでの200年以上の間、隠れキリシタン 以外には受け入れられることはなかった。
一部の例外として、長崎 出島 のオランダ商館 に出入りするオランダ人 たちは、キリスト教を禁止する江戸幕府に配慮しつつ、自分たちがクリスマスを祝うため、オランダの冬至 の祭りという方便で「オランダ正月 」を開催していた。これには幕府の役人や、蘭学 者などオランダ人と付き合いのある日本人も招かれた。また、長崎に住むオランダ通の日本人たちの間でも、これを真似て祝うことがあった。オランダ商館の者たちは江戸 に出仕することもあったが、彼らを迎え入れる江戸の役人たちは、オランダ正月を参考に、オランダの料理や文物などを用意して、オランダ人たちをもてなしたと伝わる。
『子供之友 』1914年12月号挿絵 日本でクリスマスが受け入れられたのは、1900年 (明治33年)に明治屋 が銀座に進出し、その頃からクリスマス商戦が始まったことが大きな契機であった。
大正 時代になると、児童向け雑誌や少女雑誌の12月号には、表紙をはじめとしてクリスマスにまつわる話や挿絵 がたくさん導入された。1925年 (大正14年)に日本で初めてクリスマスシール(結核撲滅の寄附金付切手 )が発行される。1922年 (大正11年)発行の『言泉:日本大辞典』には、「耶蘇降誕祭」という漢字表記が見られる[ 97] 。
明治以来、皇位継承 に伴って日が変更される休日 には天長節 (天皇誕生日 )と先帝祭 (先帝崩御日)の2つがあった。1926年 (大正15年)12月25日の大正天皇 崩御 に伴い、1927年 (昭和 2年)3月4日に当時の休日法「休日ニ関スル件 」が改正され、昭和時代の先帝祭にあたる大正天皇祭 (12月25日)が設定された。日本でクリスマスの習慣が広く普及したのは12月25日が休日となっていたこの時代からとされている。1928年 (昭和3年)の朝日新聞 には「クリスマスは今や日本の年中行事 となり、サンタクロースは立派に日本の子供のものに」と書かれるまでに普及していた[ 98] 。
昭和初期の頃、銀座 、渋谷 道玄坂 から浅草 にいたるまでの多くのカフェや喫茶店 においては、クリスマス料理の献立を用意し、その店員はクリスマスの仮装をして客を迎えた。この様子を1931年 (昭和6年)12月12日 の都新聞 は、「七千四百余のカフェと二千五百余の喫茶店に華やかにクリスマスが訪れサンタ爺さん大多忙を来たす」と報じた。
第二次世界大戦 の最中、1944年に撮影された『加藤隼戦闘隊 』では、前線部隊の食堂でクリスマスツリー が飾られているシーンが映っている。
東京・丸の内ビルディング (2006年) 京都タワー (2022年)東京・新橋のケンタッキーフライドチキン でクリスマス・メニューを購入する客の列 (2010年) 1948年 (昭和23年)7月20日に「国民の祝日に関する法律 」が施行され、大正天皇祭は休日から外されたが[ 注 22] 、以降もクリスマスは年中行事として定着し、行事も盛大に行われるようになった。また、12月23日 生まれである明仁 が皇位にあった平成 年間には、クリスマス・イヴが天皇誕生日 の振替休日 となる年もあった(1990年 ・2001年 ・2007年 ・2012年 ・2018年 )。
ショッピングセンター では、早いところは11月上旬からクリスマスツリーが飾られ、クリスマスセールが行われる。店内にはクリスマスソングが流れ、洋菓子店ではクリスマスケーキ が販売される。街中ではイルミネーション として街路樹に豆電球 (2000年代 後半~2010年代 以降は主にLED )が飾り付けられる。庭のある家庭では、庭木や家屋に電飾を施すこともある。商業施設などの場合、12月24日のクリスマス・イヴに、イベントを開くことがある。
日本では12月26日 になると、クリスマスの飾りが一転して門松 などの正月 飾りに付け替えられたり、小売店などでも正月準備用や大掃除用商品の陳列・販売が中心となる、神社仏閣への初詣 の宣伝が流れる、BGMも『お正月 』が流れるのが特徴である。これは「クリスマス」を神聖な宗教行事としてではなく、商業行事としてみなすために起こる状況である[ 注 23] 。1月1日 の「カウントダウンイベント」が盛んになる12月31日 深夜まで、イルミネーションがそのままにされている場合もある。
日本でもクリスマスは大きなイベントとして定着したが、やはり本場のキリスト教 圏と比べるとその規模は小さいという指摘もある。2014年に旅行サイトのスカイスキャナー が発表した「宗教的あるいは個人的、思想的な理由などでクリスマスを祝う習慣がなく、クリスマスの大騒ぎを避けたいと思っている」人に勧める「クリスマスを避けるために行く国トップ10」のランキングでは、イスラム国家 のサウジアラビア 、アルジェリア 、イラン や、上座部仏教 国のタイ 、社会主義 国家の中国 や北朝鮮 などを押さえ、日本 が1位となっている[ 99] 。「サンタクロースをたまに見かけるかもしれないが、日本はクリスマスが祝日でなく、12月25日も人々は普段通り仕事をする」ためである[ 99] 。
フライドチキン でクリスマスを祝う風潮は、日本ケンタッキー・フライド・チキン によるマーケティングで定着した、日本独自のものであり、世界 では「キリストの降誕祭を安価なファーストフード で祝うのは如何なものか」という見方が主流である[ 100] [ 101] 。
日本のキリスト教教会(日本基督教団 甲南教会)のクリスマス讃美礼拝、2010年 キリスト教 の教会 は多くの場合、キリスト教徒 ・またその教派 の信徒であるか否かを問わず門戸を開いており、信徒でない人もクリスマスの礼拝に出席することが可能である。日本各地の、正教会 の晩祷 ・聖体礼儀 や、カトリック教会 の(ミサ )、聖公会 の前夕礼拝 ・降誕日聖餐式 (サービス)に、信徒でなくても参祷することができる[ 注 24] 。またプロテスタント の諸教会でも、非信徒の参祷を歓迎しているところが多い(各教会堂の掲示板に「クリスチャン でない方もお気軽にどうぞ」と掲示が出る)[ 注 25] 。
神社 仏閣 でも「クリスマス御朱印 」などの企画が開催されることがある[ 102] 。マリア観音 を祀る岐阜県の専養寺はクリスマスを祝っている[ 103] 。
日本のクリスマスケーキ 日本人男女を対象とした2006年 (平成 18年)の統計調査によると、クリスマスは誰と過ごすか、との質問に対し「家族」との答えが約6割と圧倒的多数を占め、またクリスマスの過ごし方は「家でのんびりする」が群を抜いて1位(66%)となるなど、日本人がクリスマスを家庭で過ごす傾向が明らかになった[ 104] 。
家族と過ごす人、恋人と過ごす人、友人と過ごす人、家で独りで過ごす人など、クリスマスの過ごし方は様々である[ 105] 。2011年ごろクリぼっち という言葉が流行したが現在使用されることはない。
しかし、1930年代 から、パートナーのいる人にとっては着飾ってパートナーと一緒に過ごしたり、プレゼントを贈ったりする日となっている。1931年(昭和6年)には、パートナーのいない"不幸な青年たち〔ママ 〕"独身者には方々のレストランが「一円均一」のクリスマスディナーを売り出すなどして歓迎した、とも報じられた[ 106] (現在の相場に換算すると約3,000円。例えば、朝日新聞朝刊購読料が昭和6年で約1円の時代)。
2005年 (平成17年)11月 に行われた1都3県の20~39歳の独身男女計474名のインターネット利用者を対象とした調査では調査対象者の約7割が「クリスマスは恋人と過ごしたい」と考えていると回答した[ 105] 。
2006年(平成18年)、インターネットリサーチ会社、DIMSDRIVE『クリスマスの過ごし方』に関するアンケート では、30歳代女性の43.5%が「自宅でパーティーなどをする」と回答している[ 107] 。
これらの風潮について批判もあり、イタリア の「ベネルディ」誌は2010年12月24日、『クリスマスの東京 愛を祝う』と題した記事で、“人口の僅かしかキリスト教徒 が居ないのに、多くの人がプレゼントを交換しあうほか、男女の愛の祭りとなっている”と評した[ 108] [ 注 26] 。多くの日本人 は、宗教行事としてイベントを行ってはいない。
また、クリスマスイルミネーション、クリスマスアドベントといった独特の言葉があるがこれは日本独自の言葉で誤りである
クリスマス行事は幼稚園 ・保育所 ・小学校 などでも行われることがある(通常冬休み の直前に行うため、12月24・25日ではないことがほとんどである)。祈りを伴った正式の形で行われるのはいわゆる“ミッション系 ”に限られている。
クリスマスに大一番がある時には、どの大会でも聖夜決戦と呼ばれることがある。中央競馬 の有馬記念 (グランプリ)がクリスマスに行われる場合はクリスマス・グランプリといわれることがある。
米国 の長老派教会 での降誕劇 クリスマスを題材にした文学で著名なものとして、19世紀イギリス の小説家ディケンズ の中編小説『クリスマス・キャロル 』がある[ 109] 。守銭奴スクルージ (英語版 ) がクリスマスに悔い改める話で、1843年 に発表され大成功を収めた[ 110] 。この小説はハリウッド とイギリスの映画会社によるクリスマス映画の中で20世紀 において最も多く映画化された物語となった[ 111] 。
『人魚姫 』や『裸の王様 』など多くの童話で知られるデンマーク の作家アンデルセン は[ 112] クリスマス当日の話は書いていないが、1845年 作の大みそか の物語『マッチ売りの少女 』の主人公は寒さに凍えて売り物のマッチに火をつけ、ひとときの楽しいクリスマスの夢を見る[ 113] 。
ベルギー の劇作家メーテルリンク の『青い鳥 』はフランス語の童話劇で、1908年 にモスクワ芸術座 でスタニスラフスキー の演出によって上演され大成功を収めた[ 114] 。クリスマスの夜に見た夢の中で1年間にわたって幸せの青い鳥を探すが見つからず、目覚めてみると枕元の鳥かごの中に探していた青い鳥がいたという兄チルチルと妹ミチルの物語で[ 114] 、英語圏で評価が高い[ 115] 。
降誕劇(パジェント) 西方教会 系統の教会や小学校 ・幼稚園 などではしばしば、クリスマスの直前の日曜日(アドベント 第4主日 )などに、おもに教会の信徒の子供や児童・園児たちによって、「パジェント 」(ページェント)と呼ばれるキリスト降誕 の物語の演劇(降誕劇 )が、教会の礼拝中や学校・園の中、はたまた町中などで上演される。
楽曲 音楽チャート アメリカのビルボード チャートでは、クリスマスソングに限定したシングルチャート「Christmas Singles」が、1963年 ~1973年 、1983年 ~1985年 の12月前後に発表されていた(なお1963年~1972年 はクリスマスソングはレギュラーのBillboard Hot 100 のランキング対象外であった)。2011年 からは「Christmas Singles」チャートの事実上の復活といえる楽曲チャート「Holiday 100」が毎年12月前後に発表されている。
またビルボードチャートでは、クリスマスアルバムに限定したアルバムチャート「Christmas LP's」「Christmas Albums」「Hoilday Albums」も毎年12月前後に発表されている。
クリスマスを題材にしたアメリカ映画 は非常に多く、主に『素晴らしき哉、人生! 』『ホーム・アローン 』『ホーム・アローン2 』『ジングル・オール・ザ・ウェイ 』等が挙げられる。
ビュッシュ・ド・ノエル ジンジャーブレッドマン と家ローストチキン ケーキ 菓子類 飲みもの ごちそう ドイツ ・イェーナ のクリスマスマーケット スウェーデン の紙製立体型ユーレカレンダー 伝統的な商工業 経済 クリスマスに関する消費主義 や人々の馬鹿騒ぎに対する批判の淵源は、古代にまで遡ることができる。古代ローマ で行われていた12月の祭であるサトゥルナリア祭 について、4世紀 にはキリスト教徒 ではないギリシャ人 の思想家リバニオス によって「消費への衝動がすべての人を捕らえている。1年じゅう金を貯め(て)(中略)いた者が、突然、消費に走る」と批判されていると伝わっている[ 119] 。
このサトゥルナリア祭に代わって真冬の祭りとなったクリスマスに対して、17世紀 のある文書は「クリスマスを祝う人々の大部分は、キリストの御名(みな)をひどく汚すような仕方でこの祭りを行なっている。(中略)この祝日は酒宴、(中略)馬鹿騒ぎ、(中略)狂気じみた歓楽などに費やされている。(中略)この祭りは(中略)サトゥルナスマスとか(中略)いっそのことデビルマスという名で呼ばれる方がふさわしいのである」と批判的である[ 120] 。現代の研究者は、クリスマスにおける世俗の酒宴的気分について、サトゥルナリア祭などのキリスト教以外の祭りの名残を指摘している[ 121] 。
第265代ローマ教皇 ・ベネディクト16世 は、「無原罪の聖マリア の祭日」(12月8日 )とクリスマスの間の「聖なる降誕祭を準備する期間」(アドベント )について、2005年 に以下のようなコメントを発した。
また2012年 12月19日 には、フィナンシャル・タイムズ へ寄稿し、その中で、以下のように述べた。ローマ教皇 が経済紙に寄稿するのは非常に異例だという[ 122] 。
2018年 のクリスマス・イヴ には教皇フランシスコ1世 が、説教の中で“キリストの誕生が「がつがつ飽食したり、たくさんのものを溜め込むのではなく、他者に分け与える」という新しい生き方を提示した”と述べ、「自分自身に問いかけよう。これほどたくさんのモノが、これほど複雑な暮らし方が、本当に自分に必要なのかと。不要で余計なものをすべて取り除いて、もっと素朴な暮らしはできないのか」「所有すること、有り余るほどのモノを持つことに、人生の意味を見出す人は多い。とどまるところを知らない強欲は、今日に至るまで人類史上いつも、豪勢な食事にありつく少数の人を生み出してきた。生き延びるのに必要な日々のパンさえ持たない人があまりに多いのとは逆説的だ」と語りかけた[ 123] 。
アメリカ合衆国 をはじめとする欧米諸国のリベラル派は、1990年代 後半頃以降、宗教的中立性 と政教分離 の観点から、クリスマスを祝わない立場の人に配慮して[ 注 28] 、公共の空間に飾られたクリスマスツリー を「ホリデーツリー」、「メリー・クリスマス 」(Merry Christmas )という挨拶の代わりに「ハッピー・ホリデーズ」(Happy Holidays :「楽しい休日・祝日を」)などと言い換える運動を推進してきたが、それにかかわらず、保守派・キリスト教右派 団体からは批判を受けている。
21世紀に入ると、欧米諸国などではクリスマスシーズンが近づくたびにテロ が発生するようになり、毎年のように各国政府や警察当局などから注意喚起が発信されるようになった[ 125] [ 126] 。
注釈 出典 ^a b 「クリスマス 」『小学館「精選版 日本国語大辞典」』。https://kotobank.jp/word/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9 。コトバンク より2022年5月29日閲覧 。 ^a b c 『日本聖公会祈祷書』《1990年版》日本聖公会管区事務所、1991年。 ^ 松村明 編『大辞林 4.0 』三省堂 、2019年。 ^a b 『キリスト教大事典 改訂新版』350~351頁、教文館 、1977年 改訂新版第四版 ^ “The Global Religious Landscape | Christians ”. Pew Research Center (2012年12月18日). 2015年3月10日時点のオリジナル よりアーカイブ。2014年5月23日閲覧。 ^ “Christmas Strongly Religious For Half in U.S. Who Celebrate It ”. Gallup, Inc. (2010年12月24日). 2012年12月7日時点のオリジナル よりアーカイブ。2012年12月16日閲覧。 ^ Canadian Heritage – Public holidays Archived November 24, 2009, at theWayback Machine . –Government of Canada .^ 2009 Federal Holidays Archived January 16, 2013, at theWayback Machine . –U.S. Office of Personnel Management .^ Bank holidays and British Summer time Archived May 15, 2011, at theWayback Machine . –HM Government .^ Ehorn, Lee Ellen; Hewlett, Shirely J.; Hewlett, Dale M. (September 1, 1995). December Holiday Customs . Lorenz Educational Press. p. 1. 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We remember that because the Jesus of history was born, the Resurrection of the Christ of faith could happen." ^ “The Christmas Season ”. CRI / Voice, Institute. 2009年4月7日時点のオリジナル よりアーカイブ。2009年4月2日閲覧。 “The origins of the celebrations of Christmas and Epiphany, as well as the dates on which they are observed, are rooted deeply in the history of the early church. There has been much scholarly debate concerning the exact time of the year when Jesus was born, and even in what year he was born. Actually, we do not know either. The best estimate is that Jesus was probably born in the springtime, somewhere between the years of 6 and 4 BC, as December is in the middle of the cold rainy season inBethlehem , when the sheep are kept inside and not on pasture as told in the Bible. The lack of a consistent system of timekeeping in the first century, mistakes in later calendars and calculations, and lack of historical details to cross-reference events have led to this imprecision in fixing Jesus' birth. This suggests that the Christmas celebration is not an observance of a historical date, but a commemoration of the event in terms of worship.” ^ The School Journal, Volume 49 . Harvard University . (1894). https://books.google.com/books?id=x_kBAAAAYAAJ&q=date+of+christmas+unimportant&pg=PA469 2009年4月2日閲覧 . "Throughout the Christian world the 25th of December is celebrated as the birthday of Jesus Christ. There was a time when the churches were not united regarding the date of the joyous event. Many Christians kept their Christmas in April, others in May, and still others at the close of September, till finally December 25 was agreed upon as the most appropriate date. The choice of that day was, of course, wholly arbitrary, for neither the exact date not the period of the year at which the birth of Christ occurred is known. For purposes of commemoration, however, it is unimportant whether the celebration shall fall or not at the precise anniversary of the joyous event." ^ West's Federal Supplement . West Publishing Company . (1990). "While the Washington and King birthdays are exclusively secular holidays, Christmas has both secular and religious aspects." ^ “Poll: In a changing nation, Santa endures” . Associated Press. (2006年12月22日). オリジナル の2018年12月26日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181226063645/http://www.nbcnews.com/id/16329025/ns/us_news-life/t/poll-changing-nation-santa-endures/ 2018年12月24日閲覧。 ^ Crump, William D. (September 15, 2001). The Christmas Encyclopedia (3 ed.). McFarland. p. 39 . ISBN 9780786468270 . https://archive.org/details/christmasencyclo00will . "Christians believe that a number of passages in the Bible are prophecies about future events in the life of the promised Messiah or Jesus Christ. Most, but not all, of those prophecies are found in the Old Testament ...Born in Bethlehem (Micah 5:2 ): "But thou, Bethlehem Ephratah,though thou be little among the thousands of Juda,yet out of thee shall he come forth unto methat is to be ruler in Israel; whose goings forthhave been from of old, from everlasting."" ^ Tucker, Ruth A. (2011). Parade of Faith: A Biographical History of the Christian Church . Zondervan. p. 23. ISBN 9780310206385 . "According to gospel accounts, Jesus was born during the reign of Herod the Great, thus sometime before 4 BCE. The birth narrative in Luke's gospel is one of the most familiar passages in the Bible. Leaving their hometown of Nazareth, Mary and Joseph travel to Bethlehem to pay taxes. Arriving late, they find no vacancy at the inn. They are, however, offered a stable, most likely a second room attached to a family dwelling where animals were sheltered—a room that would offer some privacy from the main family room for cooking, eating, and sleeping. This "city of David" is thelittle town of Bethlehem of Christmas-carol fame, a starlit silhouette indelibly etched on Christmas cards. No sooner was the baby born than angels announced the news to shepherds who spread the word." ^ 八木谷涼子『キリスト教の歳時記 - 知っておきたい教会の文化』講談社、2016年12月9日、47頁。ISBN 978-4-06-292404-7 。「イエスがいつ生まれたかを正確に特定できる記録は一切残っておらず、したがって、ナザレのイエスが実際にこの日に生まれた、と主張するクリスチャンは(子供を除いては)存在しない。あくまで12月25日は、イエスの誕生を記念する日 なのである。」 ^ 正教会 の出典:正教会の復活祭 2003年復活祭フォトレポート (名古屋ハリストス正教会 (アーカイブ))^ カトリック教会 の出典:四旬節 断食(大斎・小斎) カーニバル (カトリック中央協議会 )^ 聖公会 の出典:復活祭を迎える (日本聖公会 東京教区主教 植田仁太郎)^ プロテスタント の出典:『キリスト教大事典 』910頁、教文館、1973年9月30日 改訂新版第二版^ クリスマスってどういう日? チコちゃんに叱られる!、木村正裕 による説明、NHK、2018年12月21日放送[信頼性要検証 ] ^ Michael Stevenson (2004年12月16日). “Expose'; Ten Facts About the Christmas Holiday ”. 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