近世になると、カリアティードを建物のファサードの装飾として取り入れたり、暖炉の装飾に取り入れたりする例が見られるようになった。内装に用いるという新たな使用法は古代にはなかったものである。内装に採用した初期の例として、1450年ごろに作られたヴェネツィアのドゥカーレ宮殿にある大きな暖炉の脇柱に、ヘーラクレースとイオレーの像を彫った柱を使った例がある[2]。16世紀には、建築家で彫刻家のヤーコポ・サンソヴィーノがパドヴァ近郊の Villa Garzoni で、大理石製暖炉の棚を支える女人像2体を製作した[3]。暖炉のカリアティードについての最初の文献は1615年、パッラーディオの弟子ヴィンチェンツォ・スカモッツィの著書Idea della archittura universale であり、暖炉についての章を設けてカリアティードについて記している。スカモッツィ自身も王族や重要人物の住宅を建設する際にカリアティード付きの暖炉をいくつか作っている[4]。
^James Parker によれば、前例としてロンドンの Chesterfield House の暖炉に白い大理石製のカリアティードがあったという。これは、現在はメトロポリタン美術館が所蔵している。 (Parker, "'Designed in the Most Elegant Manner, and Wrought in the Best Marbles': The Caryatid Chimney Piece from Chesterfield House",The Metropolitan Museum of Art Bulletin, New Series,21.6 [February 1963] pp. 202-213).