エストニア共和国 Eesti Vabariik 国の標語:なし 国歌 :Mu isamaa, mu õnn ja rõõm (エストニア語) 我が故国、我が誇りと喜び National Anthem of Estonia - Official Instrumental Version エストニア共和国 (エストニアきょうわこく、エストニア語 :Eesti Vabariik )、通称エストニア (エストニア語 :Eesti )は、北ヨーロッパ の共和制 国家 [ 3] 。首都 はタリン 、面積約4万5000平方キロメートル、人口約136万人[ 4] 。
ソビエト連邦の崩壊 に伴い、1991年 に独立を回復 、2004年 に欧州連合 (EU)加盟、通貨ユーロ 導入、そして北大西洋条約機構 (NATO)にも加盟した。
フィンランド 、ラトビア 、リトアニア とともにバルト海 東岸に位置する。バルト三国 の中で最も北に位置し、東はロシア連邦 と、南はラトビアと国境を接し、北はフィンランド湾 を挟みフィンランド と[ 注釈 1] 、西はバルト海を挟みスウェーデン と相対する。地形は平坦で国土の最高標高 は318メートル[ 注釈 2] 。
首都タリンは中世ハンザ都市 として栄えた港湾都市 であり、その旧市街は世界文化遺産 「タリン歴史地区」に指定されている。またタリンは、フィンランドの首都ヘルシンキ 、ロシアのサンクトペテルブルク とともに、フィンランド湾 に面する主要都市の一つである。特に85キロメートル北に位置する対岸のヘルシンキとの往来が活発である[ 6] [ 注釈 3] 。
報道の自由度ランキング の上位国であり[ 注釈 4] 、公用語 はエストニア語 。複数の言語を話せる国民が多い[ 5] [ 7] 。国民の半数以上が無宗教 とされる。一方で、ロシア系住民にはロシア正教 を信仰する者もいる[ 8] 。また、Skype(スカイプ) を産んだ国であり、外国のIT 企業の進出も多く、ソフトウェア 開発が盛んである[ 9] 。早期のIT教育[ 10] や国際学力調査 でヨーロッパ上位国としても知られる[ 注釈 5] 。
13世紀 以降、デンマーク 、ドイツ騎士団 、スウェーデン 、モスクワ大公国 、ロシア帝国 などの支配を経て、第一次世界大戦 末期の1918年 にロシア帝国より独立。同年2月24日が独立記念日 とされている[ 12] 。第二次世界大戦 中の1940年 にソビエト連邦 により占領され(バルト諸国占領 )、翌1941年 に独ソ戦 でナチス・ドイツ が占領。1944年 、ドイツ軍を押し返したソ連により再占領・併合されエストニア・ソビエト社会主義共和国 となった。その後、ソビエト連邦の崩壊により1991年 に独立を回復 。2004年 にEUとNATOに加盟し、2008年 にはNATOのサイバーテロ 防衛機関の本部所在国となる[ 13] 。「先進国クラブ」とも言われる経済協力開発機構 (OECD)にも加盟している。
なお、エストニア政府では建国年を1918年としており、1991年にソ連の占領から独立を「回復」したと見做しており、自国は「旧ソ連構成国 」ではなかったとしている[ 14] [ 15] 。
エストニアはITを行政 に活用する「電子政府 」を構築しており、婚姻届と離婚届など倫理的な要因であえて除外されているものを除くほぼ全ての行政手続きがオンライン申請に対応している[ 16] 。エストニアの省庁や企業、個人は「X-Road」という基盤情報システム で個人情報 を登録・利用している。個人情報の所有権は各個人にあると定めており、自分の情報へのアクセス履歴を閲覧できる[ 17] 。
国外の外国人 にもインターネット 経由で行政サービスを提供する「電子居住権」(E-Residency) 制度に5万人以上が登録している[ 18] 。この制度は投資 を呼び込むとともに、エストニアに好意的な人を世界で増やし、ロシアに対する抑止力を高める狙いもある[ 19] 。戦争や災害に備えて、国民のデータを保管しておく「データ大使館」を2018年 にルクセンブルク に設置した[ 20] 。
正式名称はエストニア語 で、Eesti Vabariik ([ˈeːsti ˈʋɑbɑriːk] 、エースティ・ヴァバリーク)。略称は、Eesti ([ˈeːsʲti] (音声ファイル ) 、エースティ)。
日本語表記は、エストニア共和国 。通称エストニア 。
ロシア帝国領エストラント とリーフラント エストニア南西部のパルヌ での独立宣言(1918年2月23日) 1925年のエストニア地図 現在のエストニアの地に元々居住していたエストニア族(ウラル語族 )と、外から来た東スラヴ人 、ノース人 などとの混血の過程を経て、10世紀 までには現在のエストニア民族が形成されていった。13世紀 以降、デンマーク とドイツ騎士団 がこの地に進出して以降、エストニアはその影響力を得て、タリン がハンザ同盟 に加盟し海上交易で栄えた。ただしその後もスウェーデン 、ロシア帝国と外国勢力に支配されてきた。
1917年 のロシア革命 でロシア帝国 が崩壊すると自治獲得の動きが高まり、まもなく独立運動へと転じた。1918年 2月24日 にエストニア共和国 の独立を宣言。その後はソビエト・ロシア やドイツ帝国 の軍事介入を撃退して独立を確定させた。1920年 のタルトゥ条約 でソビエト・ロシアから独立を承認 され、1921年 には国際連盟 にも参加した。
1939年 9月1日未明、ナチス・ドイツ が、次いで同年9月17日にソ連がポーランドへ侵攻を行う中、エストニアは同年9月28日にソ連との間で相互援助条約、通商条約 を締結した。相互援助条約では、国境や基地に直接的侵略が加えられたときなどは相互に軍事的援助を行うこと、ソ連がバルト海 のサーレマー島 、ヒーウマー島 を租借 して海軍基地、航空基地を建設することなどが取り決められた[ 21] 。しかし、1940年 6月16日 、ソ連は相互援助条約の履行を確保するという名目でソ連軍の進駐を強要[ 22] 。事実上、ソ連に占領されることとなったが、独ソ戦 が進行する中で1941年 から1944年 まではナチス・ドイツに占領された。1940年のソ連、翌1941年のドイツ占領に伴い3万人を超えるエストニア人がスウェーデンに亡命したとされる[ 23] 。第二次世界大戦 末期の1944年にはソ連に再占領され、併合された。
1980年代後半、ソ連支配への抵抗の意思を示す手段として、人々が民謡や民族愛的な歌を広場等に集まって歌う運動を行い、独立への機運を高めた。これは「歌う革命」とも呼ばれた。ソビエト連邦の崩壊 直前の1991年 に独立回復 を宣言し、同年に国際連合 へ加盟した。この時自動的に国籍 が与えられたのは、ソ連に併合された1940年以前にエストニア市民だった者とその子孫とそのいずれかの家族。このほか1992年3月末までに2年以上エストニアに在住しエストニア語 を話し、以前持っていた他国の国籍を放棄する者。また外国の軍隊に所属していない、旧ソ連の情報機関 に所属したことがないなどが条件となった[ 24] 。
退役軍人の扱いなどを巡り、他のバルト諸国と比べロシア軍の撤退が遅れていたが、1994年 8月31日 にロシア軍 が完全撤退した。首都タリンでは記念式典が開かれたが、両首脳が出席したドイツとは違い、ロシア側からの出席は一切なく、両国の冷えた関係が際立った[ 25] 。独立後は西欧諸国との経済的、政治的な結びつきを強固にしていった。2004年 3月29日 、北大西洋条約機構 (NATO)に加盟した。さらに、同年5月1日 には欧州連合 (EU) に加盟している。ロシア連邦 との間に国境問題が存在する(後述 )。
2007年 4月27日 、タリン解放者の記念碑 (英語版 ) 撤去事件を機に「青銅の夜 」と呼ばれるロシア系住民による暴動がタリン で起こり、ロシアとの関係が悪化した。同時にロシアから、世界初の大規模なサイバー攻撃(DDoS攻撃 )が行われ[ 26] 、国全体で通常時の数百倍のトラフィックが発生し、エストニアのネット機能が麻痺した。
これを機に2008年 、NATOサイバー防衛協力センターが首都のタリンに創設された[ 13] 。エストニアの電子政府は、改竄などがされにくいブロックチェーン 技術を採用している。さらに、将来の大規模サイバー攻撃や国土への武力侵攻に備えて、2018年、国民の情報のバックアップ ・データを保管する「データ大使館」をNATO加盟国であるルクセンブルク に設置した[ 27] 。
エストニア独立宣言書(1918年) ソ連とナチス・ドイツによる占領と抑圧を受けた経緯から、それぞれの象徴であった「鎌と槌 」および「鉤十字 」の使用と掲揚は、2007年施行の法律で禁止されている。
ロシアとの国境は、ペイプシ湖 やナルヴァ川 など水面を含め約338キロメートルに及ぶ[ 12] 。2014年 2月18日 、エストニアとロシアの領有権問題 について両国外相は、ソ連時代の国境線を追認する(すなわち、エストニア側が領有権主張を放棄する)形での国境画定条約に署名した[ 28] 。これに従ってエストニア議会 は国境条約批准 プロセスを進めたが、その後はロシア側がエストニアの「反露 感情」について抗議を繰り返し[ 28] 、2019年 に至っても批准プロセスは停滞したままとなっている[ 29] 。
トームペア城 の国会議事堂政体 は共和制。議会(リーギコグ 、Riigikogu)は一院制で、任期は4年である。大統領は議会によって選ばれ、任期は5年である。2007年 2月26日 から28日に世界で初めて議会選挙に関してインターネット を利用した電子投票 を行った[ 30] 。
電子化が進んでおり、議会への出席時にノートパソコンなどの電子端末持ち込みが自由であり、かつ、インターネットでの議会出席も許可されているため、議論への参加や投票のとき以外は、議員が議会へ直接実際に出向く必要もない。政府が発行する個人IDカードは15歳以上のエストニア国民のほとんどが持っており、行政サービスのほとんどが個人端末から済ませることが可能である。また、このIDカードは運転免許証や、ショッピングの際のポイントカードとしても機能している。役所などでは人員や紙などのコストを4分の1、窓口の人員は10分の1ほどに減らすことが可能になった[ 31] 。
エストニアが外交使節を派遣している諸国の一覧図 2011年8月ヘルシンキで、フィンランド、スウェーデン 、ノルウェー 、デンマーク 、アイスランド 、エストニア、ラトビア、リトアニア の8カ国外相会談開催。会談後、バルト三国独立20周年を祝うセミナーが開催された。 ロシア帝国とソ連の支配に苦しんだ歴史から、ロシアを警戒し、欧米と協調する政策をとっている。2022年ロシアのウクライナ侵攻 では、エストニア議会 はラトビア議会 とともに、ロシアによる戦争犯罪 を非難した[ 32] 。
一方で国民の4人に1人がロシア系であり、国境の町ナルヴァ などでは8割を超す。こうした町ではエストニアでありながらロシア語 が使われ、意思疎通が出来ない場合がある。ロシアメディアから情報を仕入れる住民はロシアへの愛着も強く、ソ連時代の戦車や記念碑を撤去する度に、ロシア系住民の抗議活動とロシアからのサイバー攻撃に悩まされている[ 33] 。
エストニアはフランス と同じく、欧州連合 (EU)加盟国中で朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮)と国交を結んでいない国である。
NATO軍事演習のオープニングセレモニーで行進するエストニア陸軍(2013年) 陸海空の三軍のほか、郷土防衛部隊としてのエストニア防衛連盟(エストニア語 : Kaitseliit)を有する。NATOに加盟して欧米諸国と同盟関係にあり、サイバー防衛のほかNATO各国空軍による領空警備 を提供されている。国際貢献としてアフガニスタン 国際治安支援部隊 (ISAF)やイラク駐留軍 にも人員を派遣した。また徴兵制度 により18 - 28歳の男性は8 - 11か月の兵役を務める。
戦争になった場合には、最大4万3700人を動員できる体制を整え、志願制の国防組織「ディフェンスリーグ」には、傘下組織も合わせると約3万人が参加している[ 12] 。エストニアには米軍のほかにも、NATOの政策の一環として、英兵600人、フランス兵300人ほどが駐留している[ 34] 。
エストニア軍は第一次世界大戦後の独立に際して創設されたが、ナチス・ドイツによる占領時は反共義勇兵(第20SS武装擲弾兵師団 )の募兵、第二次世界大戦以降はソ連への併合に伴う赤軍 の駐留が行われていた。現在のエストニア軍は1991年の再独立に伴って再創設された。
独立以来、安全保障上の最大の脅威はロシアである。かつて侵略された歴史と、自由民主主義とは相容れない価値観を持つ国に対し、国民の多くが脅威を感じている。エストニアはロシアと、338キロメートルにわたって国境を接している[ 12] (川や湖を除けば135キロメートル)。ウクライナ侵攻後の2023年12月、エストニア政府は国境沿いに、新たに長さ40キロメートルのフェンスを完成させた。それまでの分と合わせ、陸地の国境の半分にあたる63キロメートルに物理的な「壁」が設けられたことになった。国防費は2024年、対国内総生産(GDP)比で3.25%に到達する見通しである[ 34] 。
2022年からロシアの侵略を受けているウクライナ に対して兵器を含む支援を行っている[ 12] 。
エストニアの地図 [地図上]バルト海 西岸にスウェーデン 、東岸に北から順にフィンランド 、ロシア 、エストニア、ラトビア 、リトアニア [地図下]フィンランド湾 。 北岸にフィンランド の首都ヘルシンキ 、南岸にエストニアの首都タリン 、最東端にロシア のサンクトペテルブルク 。 フィンランド湾 に面する北の海岸南のラトビア との国境線は267キロメートル、東のロシア との国境線は290キロメートルあり、フィンランド湾 に面する北の海岸は主に石灰岩 からなる。
国土の最高標高地点はスールムナマギ (大きな卵の丘)で標高318メートル、1812年に最初の展望台が建設された。現在、展望台は5つあり[ 注釈 6] 、東にロシア領、南にラトビア領が望める[ 35] (位置:左地図参照)。
首都タリンからフィンランド湾の北の対岸、フィンランド の首都ヘルシンキ までは85キロメートル、同じく湾の東奥、ロシアのサンクトペテルブルク までは350キロメートルである[ 5] 。
エストニア最大の湖は東部のペイプシ湖 で、面積は日本の琵琶湖 の5.22倍、湖の中央にはロシアとの国境線がある。国土の50.5%は森林となっている。
ペイプシ湖から、タルトゥ に次ぐエストニア第3の都市ナルヴァ (ロシアとの国境の街)を経て、フィンランド湾に流れ込むナルヴァ川 は、エストニアとロシアの国境線となっている。
2,000以上の島がある[ 36] 。
カルラ国立公園 エストニアの県 15の県 (maakond ) に分かれる。なお、括弧内はある程度流通していると思われる日本語の慣用読みである。
リヴォニア帯剣騎士団 、ドイツ騎士団 、スウェーデン 、ロシア の支配を経験したため、市町村に複数の名称がある[ 37] 。
首都タリン の旧市街地と港を望む タリンのビジネス街 国際通貨基金 (IMF)の統計によると、2018年 のエストニアのGDP は303億ドルである。1人あたりのGDPは2万2,990ドルで、EU平均の3万6,735ドル[ 38] の約62.6%ほどではあるが、バルト三国 の中では最も高い[ 2] 。
エストニアの経済状況はバルト三国中で最も良好である。フィンランド から高速船で1時間半という立地と、世界文化遺産 に登録されたタリン歴史地区 を背景に、近年は観光産業が発達している。1年間の観光客数は500万人を超えるともいわれる。そのほかにもIT産業が堅調で、最近ではeストニア と呼ばれている[ 39] 。ヨーロッパのIT市場においてオフショア 開発の拠点となっており[ 注釈 7] 、IT技術者が多い。ヨーロッパではハンガリー に次いでハッカー (単に高度なIT技術を有する人物を指す語であり、その技術を反社会的に利用するクラッカー との違いに注意)が多いとも言われる。そして、2018年には同盟国のルクセンブルクにデータ大使館を開設。領土外に専用サーバーを置いてバックアップをとっておくことで、国が扱うあらゆるデータ、情報システムの破壊や紛失、盗難に備えることを目的としている。
また、アメリカ合衆国 の大手シンクタンク であるヘリテージ財団 による経済自由度指標[ 40] では、世界第15位(2019年現在)にランク付けされており、政府による経済統制はほとんどないとされる。すなわち、エストニアの経済構造は、近隣の北欧諸国のような市場調整型ではなく、アングロ・サクソン 諸国(アメリカやイギリス )のような市場放任寄りである。このような構造で好調な経済成長を遂げている小国の例に、アイルランド がある。
通貨は、2010年までクローン を用いていたが、一度の延期(2007年 )を経て2011年 1月1日 にユーロ への移行が完了した。1999年のユーロ導入以来17か国目で、旧ソ連圏 から初めてユーロ圏 の一員となった。2010年には、イスラエル 、スロベニア とともにOECD 加盟国となった。
エストニアの造船風景(サーレマー島 、1913年) エストニアとフィンランドやスウェーデンとを結ぶクルーズ船(タリン、2022年) タリン港湾公社は旅客・貨物の双方を取り扱うバルト海地域最大の海運企業体のひとつで、タリン近くの不凍港 であるムウガに大容量の穀物倉庫やチルド・冷凍倉庫、高性能なタンカー用積み出し設備などを保有している[ 41] 。また、船会社のタリンク は、バルト海を航行するクルーズ船やRoPaxを所有しており、同じくバルト海地域最大手の旅客・貨物輸送事業者としてエストニアとフィンランドやスウェーデンを結んでいる。エストニアの島嶼部とを連絡するフェリーは、TS Laevad や Kihnu Veeteedc が運航している[ 42] 。
エストニアの鉄道網は主にエストニア国鉄 が運行しており、その総延長は2,000キロメートル以上におよぶ。このうち209.6キロメートルのタリン─ナルヴァ 線は、ロシア のサンクトペテルブルク に接続している[ 43] 。エストニアではもともと狭軌が主流であったが、ソビエト連邦 時代に撤去された。しかし、タリン市内のトラムは狭軌のまま存続した。今日では主に1520ミリメートルの軌間が採用されているが、2017年以降、バルト三国を欧州の標準軌 鉄道システムに組み込むためのレール・バルティカ計画が進行している[ 44] 。
国内の道路網は、国が管理する路線だけで総延長16,982キロメートルに達する。そのうち12,716キロメートルが舗装されており、交通の定時性向上に貢献している[ 45] 。主要道路の国道1号(E20号線 )、国道2号(E263号線 )、国道4号(E67号線 )はいずれも欧州自動車道路 の一部区間に指定されている。エストニアは国民あたりの自動車所有台数が多く、ほとんどの家庭が一台、そのうちの半数は二台の自動車を所有している[ 46] 。
エストニア最大の空港であるタリン空港 は、エア・バルティック [ 47] およびLOTポーランド航空 [ 48] の第二次ハブ空港になっている。そのほか、タルトゥ 、パルヌ 、クレッサーレ 、カルドラ に定期便の発着する空港がある。
地域別エストニア人の割合 住民は、フィン・ウゴル系のエストニア人 が69.7%、ロシア人 が25.2%、ウクライナ人 が1.7%、ベラルーシ人 が1.0%、フィンランド人 が0.6%、その他3.8%である(2011年)。1989年のソ連時代はエストニア人61.5%、ロシア人30.3%であった。
その他にはセトマーの先住民セト人 がいる[ 49] 。
国語 ・公用語 であるエストニア語 は国民の68.54%の母語 であり、フィンランド語 と同じく、ウラル語族 の言語 である。
ロシア語 を母語とする人は29.60%を占める。隣国の言語であるフィンランド語は同じウラル系言語として近接関係にあることと交流の活発化により理解度が高まっている。そのほか、ドイツ語 、英語、スウェーデン語 が比較的よく通じる[ 5] 。
婚姻の際は、婚前姓を保持する(夫婦別姓 )も、共通の姓として夫婦いずれかの姓に統一する(同姓)ことも、配偶者の姓を後置する(複合姓)こともできる[ 50] 。
2024年1月1日より、同性婚 が可能となった[ 51] 。
エストニアはキリスト教 圏であり、主に正教会 と福音ルター派 が信仰されているが、歴史的な経緯から無宗教 も多い。
伝統的にはドイツ系 移民 が多くルーテル教会 信者が多かったが、ソ連による併合下でロシア系移民が多くなり、正教会信仰への素地ができた。2015年の調査では、国民全体の51%がクリスチャン、49%は無宗教であり、クリスチャンは25%が正教会(ほぼエストニア正教会 (英語版 ) )、20%がルーテル教会(ほぼエストニア福音ルーテル教会 (英語版 ) )であった。
非国籍者問題とロシア語話者の立場 ソ連からの独立後、国内に残った残留ロシア人 の問題を抱えている。2022年時点で64,297人の非市民[ 52] (大多数は民族ロシア人)がいる[ 53] 。エストニア国籍を持たないものは地方行政区への投票権を持つが、リーギコグ や欧州議会 への投票権は持っていない。
ロシア語 を母語とする人は、特に首都タリンでは46.7%と半数近く、ロシア国境に位置するナルヴァ では93.85%と大半がロシア語を母語とする住民で占められているなど、都市部では実質的なロシア語圏 の様相を持っていると言えるが、公用語には制定されていない。看板・広告などでのロシア語表記は制限されているが、テレビやラジオなどではロシア語系住民のためのロシア語放送がある。
しかしながら、反露感情の強い国民性のうえに若年層のエストニア人の間では独立後にロシア語教育が必須でなくなったことと、2004年のEU加盟によりイギリスやアイルランドでの留学、労働経験者が急増したことで英語 能力が急速に高まり、英語が話せてもロシア語を話すことができない若者が急増している。
一方、ソ連時代に教育を受けた40歳前後以上の世代ではロシア語はほぼ理解できるが英語は苦手である場合が多い。さらに、ロシア語系住民は若年層を除くとエストニア語が苦手であるなど、エストニア人とロシア語系住民の断絶が続いている。このように、ロシア語系住民との融和が大きな課題としてのしかかっている。
エストニアの治安は、同国法務省が発表した2017年の犯罪 統計によると同年の犯罪件数が26,929件で、2016年と比較すると全体で2,057件減少しており、治安状況は改善されて来ている。ただし、薬物犯罪 (英語版 ) の件数が年々増加している為に引き続き注意が必要とされている。
犯罪の主な内訳は、殺人 が45件、傷害 が4,710件、婦女暴行 が150件。窃盗 が7,633件、強盗 が201件、薬物犯罪が1,271件となっている[ 54] 。また、Obtshak と呼ばれるエストニア・マフィアとロシアンマフィア による同盟 の存在が問題となっている。
エストニアは2023年の報道の自由度ランキング で世界8位と、マスコミの活動が高いレベルで保障されている[ 55] 。
公共放送ERRは2015年からロシア語専門チャンネルを開設した。国民の29%がロシア語話者であり、2007年のソ連の戦争記念碑移転の際には、記念碑「破壊」というロシアメディアの偽情報に煽動されたロシア系住民による抗議活動と暴動が起こった。こうした反省と、クリミア併合以降のロシア政府によるプロパガンダに対抗するため、情報発信に力を入れている。またロシアのウクライナ侵攻後、エストニア政府の放送当局は、国内のロシア・ベラルーシ系計5チャンネルに放送禁止命令を出した。放送当局トップは当時の声明で、「非常時には決断が必要だ。社会の安全への危険を避け、公共の利益を守るために、ただちに行動を起こさなければならない」と説明した[ 56] 。
肉のゼリー寄せ 国際的に著名なクラシック音楽 、現代音楽 の作曲家にはエドゥアルド・トゥビン 、ヴェリヨ・トルミス 、アルヴォ・ペルト 、レポ・スメラ 、エリッキ=スヴェン・トゥール などがいる。指揮者 ではパーヴォ・ヤルヴィ が2015年 からNHK交響楽団 の首席指揮者を務めており、父のネーメ・ヤルヴィ も国際的に著名である。
エストニア国内には、ユネスコ の世界遺産 リストに登録された有形の文化遺産 が2件存在する。
このほか、ユネスコ の無形文化遺産 として、南部のヴォル地方の煙突のないサウナ室で煙を循環させる伝統的な「スモークサウナ文化」(2014年登録)[ 57] [ 58] 、ペルノ地方の沿岸の島々であるキヒヌ島と近くのマニヤ島で600年以上続く男らが漁に出たあと家を守る女性らの間で伝えられてきた独特な工芸技ムや音楽などの伝統を対象とする「キヒヌ島の文化空間」(2003年登録)[ 59] 、5年に一度、国内各地から数万人が首都タリンに集まって伝統的な歌と踊りを披露する「歌と踊りの祭典」がある[ 60] [ 61] 。
バスケットボール バスケットボール はエストニアで最も人気のスポーツ である。バスケットボールエストニア代表 は、過去に1936年の夏季オリンピック に参加している。ユーロバスケット には4回出場しており、1937年大会と1939年大会では最高の5位入賞を果たしている。
サッカー エストニアはサッカー も盛んであり、1992年 にサッカーリーグのメスタリリーガ (Meistriliiga)が創設された。2019年 まではセミプロ であったが、2020年 よりプロリーグへと変更された[ 62] 。リーグはFCフローラ・タリン が圧倒的な強さを誇っており、3連覇を含むリーグ最多13度の優勝に輝いている。
エストニアサッカー協会 (EJL)によって構成されるサッカーエストニア代表 は、これまでFIFAワールドカップ およびUEFA欧州選手権 への出場経験はない。UEFAネーションズリーグ では、2022-23シーズン はグループDに属した。エストニア人 で最も成功したサッカー選手 としては、アウクスブルク やリヴァプール などで活躍したラグナル・クラヴァン が挙げられる。
^ フィンランド湾、北岸のフィンランドの首都ヘルシンキ と、南岸のエストニアの首都タリン との距離は85km[ 5] 。 ^ 国土の最高標高318mの地点は、タリンから南東に約250km、ロシアとラトビアとの国境近くの「スールムナマギ 」(大きな卵の丘)。 ^ ヘルシンキとは1日7便(85km 所要時間最短で90分)、バルト海西岸のストックホルム (スウェーデンの首都)とは1日1便(375km 所要時間15時間)など、2013年度[ 5] 。 ^ 国境なき記者団 が毎年発表する。政府による報道への規制などを国別に数値化し、自由度の高い順にランキング化したもの。エストニアは2007年と2012年が第3位、2019年第11位。日本は、2019年第67位で、2011年第11位が過去最高である。[要出典 ] ^ 2012年の調査結果では、ヨーロッパで「科学リテラシー」がフィンランドに次ぐ第2位(全体で6位)、「読解力」が第4位(全体で11位)、「数学的リテラシー」が第4位(全体で11位)[ 11] 。 ^ 「On the hill, there have been 5 towers. The first tower, built in 1812」en:Suur Munamägi#History ^ Skype が開発されたのもタリン。^a b “UNdata ”. 国連. 2021年11月4日閲覧。 ^a b c d e “World Economic Outlook Database, April 2019 ” (英語). 国際通貨基金 (IMF) (2019年4月). 2019--5-11閲覧。 エラー: 閲覧日が正しく記入されていません。(説明 ) ^ 国連 は北ヨーロッパ の国と分類しており「一覧表:UN,Geographic Regions,Northern Europe」 、「地図:国連の分類によるヨーロッパの区分け」 、日本国外務省 欧州局 では西欧 課が担当する。外務省欧州局 (2011年4月2日閲覧)^ エストニア共和国(Republic of Estonia)基礎データ 日本国外務省^a b c d e 駐日エストニア共和国大使館HP [リンク切れ ] ^ タリン市観光局公式HP 、フィンランド・スウエーデン等との定期航路図 ^ エストニアは「英語能力指数(EF EPI) 」において、2020年時点で世界第25位で「高い」カテゴリーに属する (2021年5月8日閲覧) ^ 日本 外務省サイト 「5 宗教」エストニア2011年国勢調査より、国民の半数以上が無宗教。ロシア正教、プロテスタント(ルター派)等。^ 海外労働情報・国別労働トピック 独立行政法人労働政策研究・研修機構 ^ 小学1年生からプログラミング授業 WIRED news 2012.9.7^ OECD加盟国の生徒の学習到達度調査(PISA)『~2012年調査国際結果の要約~』 P10表1より ^a b c d e [ロシアの隣国を歩く フィンランドとエストニアから](3) ウクライナに自国重ねて/侵攻に震えた独立記念日 『東京新聞 』朝刊2024年1月7日(国際・総合面) ^a b 機関名「NATO Cooperative Cyber Defence Centre of Excellence 」、日本の外務省による訳語「NATOサイバー防衛協力センター」、参照:外務省サイト エストニアの外交・国防⇒ 3.国防⇒ (3)その他、より[1] ^ estembassyjpの2022年2月24日のツイート 、2022年2月27日閲覧。^ “TBSにエストニア大使館が抗議「旧ソビエトの国と呼ぶのはやめてもらえます?」” . 東スポWeb . 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