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エア・ベトナム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避ベトナム民主共和国(北ベトナム)のベトナム航空局を母体として創設された「ベトナム航空」とは異なります。
エア・ベトナム
Air Vietnam
Hãng Hàng Không Việt Nam
IATA
VN
ICAO
HVN
コールサイン
AIR VIETNAM
設立1951年
運航停止1975年4月30日
ハブ空港タンソンニャット国際空港
準ハブ空港ダナン国際空港
親会社ベトナム国政府(1951-1955)、ベトナム共和国政府(1955-1975)
保有機材数15
就航地20
本拠地南ベトナムの旗ベトナム共和国サイゴン市
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エア・ベトナムAir Vietnamベトナム語:Hãng Hàng không Việt Nam、行航空越南)とは、かつて存在した南ベトナム航空会社である。本拠地はサイゴンであった。第一次インドシナ戦争最中の1951年から、ベトナム戦争が終結する1975年まで運航されていた。

概略

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タンソンニャット国際空港に駐機中のエア・ベトナムのシュド・カラベル(1961年)

1951年にバオ・ダイ帝により同国のフラッグキャリアとして設立された。初期には、南ベトナム国内線を運航するため、セスナ 170のような小型機を使用していたが、ベトナム戦争の勃発に従い、増加する旅客需要をまかなうためにビッカース バイカウントダグラス DC-3DC-4といった機体から、エール・フランスパンアメリカン航空から購入したボーイング727を運航するようになった。

コードシェア運航を行う傍ら、運航支援を行っていたエールフランスのシュド・カラベルなどの中古機を多く導入したほか、カーチスC-46のように中華民国(台湾)中華航空からリースされ、中国人の運行乗組員によって運航されていた機体もあった。そのため、保有する航空機の塗装はハイブリッドなものとなるなどイレギュラーなものが多かった。また、シンボルマーク・デザインは黄金のドラゴンであった。

また、1960年代には日本航空とのコードシェア運航を行っていたほか、1970年代には日本にも東京羽田空港と、大阪伊丹空港(サイゴン発大阪経由東京便)へ乗り入れていたほか、東南アジア各国の都市にも定期航空便が運航されていた。

1973年パリ協定後には塗装を一新し、事業の拡大を目指したものの、その後の北ベトナム軍の停戦無視による南進により国内線の縮小を余儀なくされた。1975年にはダナン国際空港から脱出飛行を行ったほか、同年4月30日サイゴン陥落直前には、可能な限りサイゴン国際空港から市民を海外に脱出させる飛行を行ったが、南北ベトナム統一とともに消滅した。なお、エア・ベトナムが使用していたIATA航空会社コードのVNは、ベトナム航空が使用している。

運航機材

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  • DC-3
    DC-3
  • DC-4
    DC-4
  • シュド・カラベル
    シュド・カラベル
  • ボーイング727-100
    ボーイング727-100
  • 末期の塗装(ボーイング707)
    末期の塗装(ボーイング707)

関連項目

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外部リンク

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