ウクライナ (ウクライナ語 :Україна 、[ʊkrɐˈjinɐ] (音声ファイル ) 、英語 :Ukraine [ 4] )は、東ヨーロッパ に位置する共和制国家 。首都 はキーウ(キエフ) 。東はロシア連邦 、北はベラルーシ 、西はポーランド 、スロバキア 、ハンガリー 、西南はルーマニア 、モルドバ と国境 を接しており、南は黒海 に面し、トルコ などと向かい合う。
人口は、2025年 時点で約3286万人(ロシア支配地域を除く)[ 4] で、ヨーロッパ で8番目に人口の多い国である。なお2022年 以降、ロシアによる侵攻 を受けて多くのウクライナ国民が難民として国外に脱出している[ 7] 。
現在、ウクライナが位置している地域には紀元前3万2千年から人が住んでいたとされる。中世 にはキーウ大公国 (キーウ・ルーシ )によって統治され、東スラブ 文化の中心地としてウクライナおよびロシアのアイデンティティの基礎が形成された。
12世紀以降、モンゴルのルーシ侵攻 により領土が破壊され、ポーランド・リトアニア共和国 、オーストリア゠ハンガリー帝国 、オスマン帝国 、モスクワ大公国 などに分離した(キエフ大公国の分裂 )。キエフ大公国の故地のうち、現在のウクライナにあたる地域の一部は14世紀以後、小ロシア と呼ばれるようになる。
1649年、現在のウクライナにヘーチマン国家 が成立し、1654年以後はモスクワ大公国(ロシア帝国 )の保護を受ける。1667年 、ロシア・ポーランド戦争 の結果ポーランドに割譲されたドニプロ川 右岸地域では1699年にコサック 隊は廃止される。ドニプロ川左岸地域のヘーチマン国家はロシアの防衛に貢献するコサック国家として繁栄したが、1764年 にロシアのエカチェリーナ2世 がヘーチマン制を廃止、翌1765年 に国土はロシアの小ロシア県 に編成され、1786年 にコサック連隊制 が廃止となった。
第一次世界大戦 では中央同盟国 (ドイツ帝国 、オーストリア=ハンガリー帝国など)とロシア帝国の戦場になった(東部戦線 (第一次世界大戦) )。大戦中のロシア革命 でロシア帝国が崩壊すると、ウクライナの民族自決 運動が起こった。1917年6月23日、国際的に認められたウクライナ人民共和国 が宣言されたが、ソビエト・ウクライナ戦争 によって、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 はソビエト連邦 の一部となった。また、西ウクライナ人民共和国 の独立も宣言されていたのだが、ウクライナ・ポーランド戦争 の結果としてポーランド第二共和国 に占領された。その後、第二次世界大戦の独ソ戦 においてウクライナ全土は激戦地となった。第二次世界大戦後、ソ連は占領したポーランド東部を併合する代わりにポーランドとドイツの国境をオーデル・ナイセ線 へ移動させた。旧ポーランド東部はソ連へ併合され、ウクライナ人が多く住むガリツィア 地方はウクライナ西部となった。
その後、ソビエト連邦の崩壊 に伴い、1991年にウクライナは独立 国となった[ 8] 。
独立後、ウクライナは中立国 を宣言し[ 9] 、旧ソ連のロシアや他の独立国家共同体 (CIS)諸国と限定的な軍事提携を結びつつ、1994年には北大西洋条約機構 (NATO)とも平和のためのパートナーシップ を結んだ。
2013年、ヤヌコビッチ 政権がウクライナ・EU 連合協定の停止とロシアとの経済関係の緊密化を決定した後、ユーロマイダン と呼ばれる数か月にわたるデモや抗議運動が始まり、後に尊厳革命 に発展し、ヤヌコビッチの打倒と新政府の樹立につながった。これらの出来事を受け、旧ソ連圏への影響力回復を目指すロシアのウラジーミル・プーチン 政権はウクライナ国内の親ロシア派を通じた内政干渉 や領土蚕食を進め、2014年3月のロシアによるクリミアの併合 、2014年4月からのドンバス戦争 の背景となった。
2016年1月1日、ウクライナは欧州連合(EU)との深層・包括的自由貿易圏の経済コンポーネントを申請した。
2021年3月からロシアとの間で緊張 が高まり、2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻 が開始された[ 10] 。
ウクライナは、人間開発指数 で74位の発展途上国 である。加えて、ヨーロッパで2番目に貧しい国であり、非常に高い貧困 率と深刻な汚職 に悩まされている[ 11] [ 12] 。一方、肥沃な農地が広がっているため、ウクライナは世界有数の穀物 輸出国である[ 13] [ 14] 。
また、ロシア、フランス に次いで兵員数ではヨーロッパで3番目に大きな軍隊 を保有している[ 15] 。国連 、欧州評議会 、欧州安全保障協力機構 、GUAM 、ルブリントライアングル に加盟しており、独立国家共同体 の創設国の一つであるが、独立国家共同体に加盟することはなかった。
国際指標である「腐敗認識指数 」の国別ランキングでは、2021年度の時点において122位と、政治、軍事組織による長年の汚職と腐敗 問題が続いていた[ 16] [ 17] が、2022年は116位[ 18] 、2023年は104位となっており[ 19] 、近年は腐敗の改善がみられる。(腐敗認識指数は順位が低いほど腐敗認識される)
ウクライナの最高法規であるウクライナ憲法 によると、当国の正式国号 は「Україна 」である[ 20] 。公式の英語 表記は「Ukraine 」(ユークレイン)であり、非公式には「the Ukraine」も使用される。ドイツ語 では「Ukraine 」(ウクライーネ)とよばれている。
日本語 の表記は「ウクライナ」となっている[ 4] [ 注釈 2] [ 注釈 3] が、2019年7月に在日ウクライナ大使館 はウクライナ語 を基にした「ウクライーナ」と表記すべきであるという意見を表明した[ 21] 。しかし、その後の2019年9月、同大使館や日本国外務省 の代表者や国会議員、ウクライナ語専門家の参加を得て開催されたウクライナ研究会 主催の「ウクライナの地名のカタカナ表記に関する有識者会議」において「国号について、ウクライナの変更はしない」という結論が出され、同大使館案は採用されなかった[ 22] 。漢字表記 は現在の日本では滅多にされないが、「宇克蘭」 、または「烏克蘭」[ 23] と表記される[ 注釈 4] 。
「ウクライナ」というスラヴ語 の地名の初出は、『原初年代記 』イパチー写本 の「キエフ年代記 」にある1187年 の条である[ 24] 。この地名は、キエフ公国 ・チェルニーヒウ公国 と並んでルーシ大公国 の歴史的中枢地に含まれるペレヤースラウ公国 の範囲を示している。また、この地名は他のルーシ年代記の1189年 の条[ 25] 、1213年 の条[ 26] 、1280年 の条[ 27] にも「ウクライナ」あるいは「ヴクライナ」という形で登場し、ガリツィア 地方、ヴォルィーニ 地方、ポリーシャ 地方を指す用語として用いられている。
13世紀にルーシ大公国が滅び、その中部・南部の地域がリトアニア大公国 とポーランド王国 に併合されると、「ウクライナ」は併合地の領域を表す地名としてリトアニア・ポーランドの年代記や公式文書などに使用されるようになる。14世紀 から17世紀 にかけて広義の「ウクライナ」はルーシ人 が居住するガリツィア地方、ヴォルィーニ 地方、ポジーリャ 地方、ブラーツラウ 地方とキエフ地方の範囲を示し、狭義の「ウクライナ」はキエフを中心としたドニプロ川 の中流域を示している[ 28] 。
「ウクライナ」の地名の両義性は、ウクライナ・コサック のヘーチマン国家 が誕生する17世紀半ば以後にも東欧の古文書にみられる。狭義の「ウクライナ」は当国家の支配圏を指しているが、広義の「ウクライナ」は当国家の支配圏外のルーシ人の居住地を意味している[ 注釈 5] 。しかし、ヘーチマン国家がロシアの保護国 になることにより、「ウクライナ」はドニプロ川の中流域だけを意味するようになり、17世紀以降はルーシの本土を意味する小ロシア (小ルーシ)という地名の同義語 となった。
19世紀 後半から20世紀 初頭にかけて、ルーシ系の知識人による民族運動が発展していくにつれて、「ウクライナ」はルーシ人が居住する民族領域を意味する名称となり、「ルーシ人 」は「ウクライナ人 」という民族名に取って代わられた[ 28] 。1917年 に成立したウクライナ人民共和国 において初めて、「ウクライナ」という名称が正式な国号の中で用いられることとなった。
V・コロネリ (英語版 ) による東欧地図(1690年 )。キーウを中心とした地域は「VKRAINE ou PAYS DES COSAQUES (ウクライナあるいはコサック の国)」と記されている。隣の「OKRAINA (辺境)」はロシア南部の国境地帯を指す。「ウクライナ」の語源については、「国」といった意味であるという説と、「辺境」といった意味であるという説がある。前者は「内地」を意味する中世ルーシ語 の「ウクライナ (ѹкраина )」・「ヴクライナ (вкраина )」という単語に基づいており、後者は「僻地」を意味する近世のポーランド語 の「オクライナ (okrajna )」や、ロシア語 の「オクライーナ (окраина )」という単語に基づいている[ 30] 。
「ウクライナ」/「ヴクライナ」に関連する単語の中で、最も基本的で、現在でも使用されている一音節 の「クライ (край )」という単語には「地域」「隅」「境」「端」などの複数の意味がある[ 31] 。これから派生したウクライナ語 の「クライーナ (країна )」という名詞 は「国」を意味する[ 32] 。ウクライナ語では「ウ〜 (у- )」[ 33] と「ヴ〜 (в- )」[ 34] は「内〜」「〜の中で」を意味する前置格 を支配する前置詞 であることから、「ウクライナ」や「ヴクライナ」は「境界の内側」「内地」を意味する。一方、ロシア語では「クラーイ」から派生した「オクライナ (окраина )」という単語が「場末」「辺境」「はずれ」という意味をもっている。ロシア語では「オ〜 (о- )」[ 35] と「ウ〜 (у- )」[ 36] は「〜の側に」「〜の端に」を意味する前置詞なので、ロシア語話者は「ウクライナ」を「辺境地」と解釈する傾向にある。
紀元前10世紀 頃より現在のウクライナの地には様々な遊牧民族 が到来した。紀元前8世紀 頃、黒海北岸に至った騎馬民族 のスキタイ 人は、紀元前6世紀 頃にキンメル人 を追い払って自らの国家を立て、紀元前4世紀 にかけて繁栄した。黒海沿岸には古代ギリシア の植民都市 が建設され、地中海世界 やメソポタミア 方面との交易を通じてペルシャ 、古代ギリシア、ローマ帝国 の文化的影響を受けた。紀元前3世紀 頃、中央アジア より来たサルマティア人 の圧力を受けてスキタイは衰退した。
2世紀 頃に東ゴート族 が王国を建て、3世紀 中頃にクリミア半島に存続していたスキタイ人の国家を滅ぼした。これらの民族は交易や植民を盛んに行い、彼らが建設した多くの交易拠点はのちに都市国家 へと発展した。4世紀 から5世紀 にかけて民族大移動 の発端となるフン族 がこの地を通り抜けた。6世紀 にはアヴァール族 が侵入し、同じ頃に移住してきたと考えられている東スラヴ人 を支配した。スラヴ民族はウクライナ中央部と東部に居住し、キエフ の建設と発展に重要な役割を担った。7世紀 から8世紀 にかけてはハザール可汗国 の支配下にあったとされる。
ヴォロディーミル聖公の洗礼 8世紀頃、ウクライナではルーシ という国が誕生し、東スラヴ人のポリャーネ族 の町キエフはその首都となった[ 37] 。882年 にオレグ 公(882年 -912年 )が率いる北欧 のヴァイキング がキエフを陥落させると、ルーシはヴァイキング系のリューリク 大公 朝のものとなった[ 37] 。研究史上では、朝廷の中心がキエフに置かれていたことから、当時のルーシをキエフ・ルーシ 、あるいはキエフ大公国 と呼ぶ[ 37] 。オリハ大公女 (945年 -965年 )、その子息スヴャトスラウ大公 (965年 -972年 )、孫ヴォロディーミル大公 (980年 -1015年 )、および曽孫ヤロスラウ大公 (1019年 - 1054年)の治世はルーシの全盛期となった[ 37] 。キエフの大公朝は、周辺の東スラヴ人をはじめ、北西のバルト人 と、北東のフィン・ウゴル人 を征服し、支配領域を拡大させた。その結果、11世紀 におけるルーシは約150万平方キロメートルの面積を誇る、欧州の最大の国家となった[ 37] 。ルーシは、北方のバルト海 とフィンランド湾 から南方のウクライナ草原まで、そして西方のカルパティア山脈から東方のヴォルガ川 まで広がっていた[ 37] 。周辺の諸政権が滅ぼされ、全ての国土はリューリク朝の諸侯の間に分けられた。988年 にヴォロディーミル大公のころ、ルーシ人 は東ローマ帝国 からキリスト教 (のちの正教会 )を受けて国教 とした[ 37] 。この出来事はウクライナの運命を決し、ウクライナはキリスト教文化圏 に属することとなった。12世紀 にルーシは領土をめぐる諸侯の争いによりいくつかのリューリク系の諸公国に分裂し、キエフ大公の権威が衰退した。名目上でキエフはルーシの首都の役割を果たしていたが、諸公国は事実上の独立国となった。13世紀にルーシの国体は完全に退勢し、1240年代 にモンゴル帝国 の軍による侵攻(モンゴルのルーシ侵攻 )で滅ぼされた[ 37] 。
キエフの衰退後、ルーシの政治・経済・文化の中心は、西ウクライナにあったハーリチ・ヴォルィーニ大公国 へ移された。当国には、ヴォルィーニ 地方、ハーリチ 地方、ホールム 地方、ベルズ 地方、ザカルパッチャ 地方、ポリーシャ 地方、キエフ地方からなっていた[ 38] 。大公国の基礎は、1199年 にリューリク朝の嫡流の血を引くロマン 大公によって築かれた[ 39] 。1245年 にロマンの子息ダヌィーロ 大公は、モンゴル帝国のジョチ・ウルス に朝貢 して従属したが、カトリック のヨーロッパの支援を期待してポーランド、マゾヴィア 、ハンガリー、ドイツ騎士団 と密約を交わし、独立戦争を計画した。1253年 にローマ教皇 インノケンティウス4世 から王冠 を受けてルーシの初王(ルーシ王 )となり、ジョチ・ウルスとの戦いに挑んだ[ 40] 。1256年 頃、モンゴルのクレムサ 軍に勝利したダヌィーロ王は、20年後にルーシの首都となるリヴィウ を創建した。しかし、1259年 に欧州が約束した援軍がなかったため、ダヌィーロは再びジョチ・ウルスに服属せざるを得なかった。その後、ダヌィーロの息子レーヴ1世 はモンゴル軍に従ってポーランドとリトアニア への遠征に参加した。1308年 にダヌィーロの曽孫アンドリー とレーヴ2世 はマゾヴィアとドイツ騎士団と手を組んで独立戦争を再開したが、彼らの後継者ユーリー2世 は無益な戦争をやめてジョチ・ウルスに従属した。
1340年にユーリー2世の暗殺 により王朝が断絶すると、隣国のポーランド王国とリトアニア大公国が王国の相続権を主張し、ハールィチ・ヴォルィーニの領土継承をめぐる戦争 を開始した。1392年 にポーランドはハーリチ地方、ホールム地方、ベルズ地方を併合し、そのほかの領土はリトアニア大公国のものとなった[ 41] 。リトアニアはルーシ語 を公用語とし、正教を国教にするなど、ルーシ人 に対して宥和政策をとって次第にルーシ化したが、ポーランドは新たな領土のポーランド化 を進めた。
その結果、14世紀末におけるウクライナの地域は他国の支配を受け独立国としての地位を失った。リトアニアはキエフ地方、チェルニーヒウ地方、ヴォルィーニ地方を中心とする北部・中部を確保した。ポーランドはハーリチ地方とポジーリャ地方からなる西部を統治した。南部は、1447年 にジョチ・ウルスから独立したクリミア汗国 が支配するようになった。無人だった東部は次第にモスクワ大公国 (のちのロシア)の領域に入った。1569年 にポーランドとリトアニアがポーランド・リトアニア共和国 という連合国家を形成したことにより、ウクライナの北部と中部はポーランド領となった。ウクライナではルーシ県 、ポジーリャ県 、ヴォルィーニ県 、ブラーツラウ県 、ベールズ県 、キエフ県 というポーランドの行政単位に設置され、1598年にブレスト合同 により正教会は禁じられた。
コサックのウクライナを背景にしたフメリニツキー将軍(18世紀初頭)。右上の隅にコサック国家の国章「銃士」と、足元にコサック国家の簡単な地図が描かれている。 15世紀 後半、リトアニア ・ロシア ・クリミア が接する地域、「荒野 」と呼ばれるウクライナの草原 において、コサック という武人の共同体が成立した。16世紀 にコサックは、ザポロージャ のシーチ という要塞 を築き、それを根拠地とし、共同体を「サポロージャ・コサック軍」と称した[ 42] 。16世紀から17世紀前半にかけてのコサックは、ポーランド・リトアニア の国王の臣下 であったが、国王の支配が及ばない地域に住み、軍人の特権と自治制を有した。コサックは、ポーランド・リトアニアの援軍として働き、リヴォニア戦争 (1558年 -1583年 )、ロシア・ポーランド戦争 (1605年 -1618年 )、ポーランド・オスマン戦争 (英語版 ) (1620年 -1621年 )、スモレンスク戦争 (1632年 -1634年 )などに参加した。それと同時に、彼らは独断で隣国のモルドヴァ 、クリミア 、ロシアなどへ遠征したり、水軍 としてオスマン帝国が支配する黒海沿岸部を攻撃したりした。さらに、コサックの一部は傭兵 として全ヨーロッパで活躍したこともあり、三十年戦争 にカトリック 側のために戦った。軍人でありながら、貴族 権を持たないコサックは、貴族の国家であるポーランド・リトアニアにおいて社会・宗教・民族的迫害 を受け、しばしば反乱 を起こした。その反乱の中で特に大きかったのは、コスィーンシキーの乱 (1591年 -1593年 )、ナルィヴァーイコの乱 (1594年 -1596年 )、ジュマイロの乱 (1625年 )、フェドロヴィチの乱 (1630年 )、スリーマの乱 (1635年 )、パウリュークの乱 (1637年 )とオストリャニンの乱 (1638年 )であった[ 43] [ 44] 。
1648年 、ボフダン・フメリニツキー 将軍 が率いるコサック軍は、ポーランド・リトアニアにおいてフメリニツキーの乱 を起こした。反乱は次第にポーランドからウクライナの独立戦争 に変容し、ウクライナの中部にコサック国家 が誕生した[ 43] [ 45] 。1654年 に、ポーランドと戦い続けるために、コサックのウクライナはペラヤースラウ会議 (1654年) でロシアのツァーリ の保護を受けたが、1656年 にロシア人がポーランド人とヴィリニュス条約 を結び単独和議したため、スウェーデン、トランシルヴァニア と同盟を締結した[ 46] 。1657年 、コサックの将軍にイヴァン・ヴィホウシキー が選ばれると、ウクライナ国内で反頭領の反乱 が勃発してウクライナ・ロシア戦争 へ展開した。ヴィホウシキーは、1659年 にコノトプの戦い で勝利を収めたが、ポーランドとの連合条約(ハヂャチ条約 )を結んだためにコサック長老の支持を失った[ 43] 。荒廃時代 と呼ばれるウクライナ内戦が始まり、その結果、コサック国家がドニプロ川 を軸にして右岸ウクライナ 、左岸ウクライナ 、ザポロージャ という地域に分かれた。右岸ウクライナのコサックはポーランド・リトアニアの支配下に置かれ、左岸ウクライナとザポロージャはロシアの保護下に置かれた。1667年 にこのような分割はアンドルソヴォ条約 によって公認された。1672年 に新たな将軍ペトロ・ドロシェンコ は、オスマン帝国の援助を受けてウクライナの統一を実行しようとした(トルコ・ポーランド戦争(1672-1676) 、露土戦争 (1676年-1681年) )が失敗し、バフチサライ条約 (1681年) がロシアとオスマン帝国の間で結ばれた[ 47] 。1689年 にロシアとポーランド・リトアニアは永遠和平条約 により最終的にウクライナを分割した。17世紀後半にポーランド人は右岸ウクライナにおいてコサックの自治制を廃止したが、ロシア人は左岸ウクライナにおいてコサック国家を保護国として存続させた。1709年 に、大北方戦争 の際、イヴァン・マゼーパ 将軍が引率したコサックはスウェーデン と同盟を結び、ロシアの支配から離脱しようと図ったが、ポルタヴァの戦い に惨敗した[ 48] 。マゼーパの蜂起はロシアに口実を与え、ロシア政府はウクライナにおけるコサックの自治制を廃止する政策 に乗り出した。1754年 にロシアはロシア・ウクライナの関税 国境を廃止し、1764年 にコサック将軍の位(ヘーチマン )を廃止した。廃位させられた最後の将軍キリロ・ロズモウシキー はロシアの元帥 に任じられた。1775年 にロシア軍はザポロージャのシーチを破壊 し、1781年 にウクライナにおけるコサック自治制は廃止された。ウクライナのコサックのアーカイブ文書は、聖エリザベスの要 塞に長期間保管されていました 。タタール人とトルコ人との戦争におけるロシア帝国の勝利に決定的な役割を果たしたのはこの要塞でした。1783年 、ロシア国内にならってウクライナで農奴 制が敷かれた[ 43] [ 49] 。また、1783年 には、ロシアは15世紀から続いていたクリミア・タタール人を中心とするイスラム国家 クリミア汗国 を滅ぼし、クリミア半島を併合した。
コサック軍を率いるエネーイ棟梁を描いた『エネイーダ』の表紙 18世紀 から19世紀にかけて、ロシア帝国とオーストリア帝国によるウクライナの抑圧政策と全ヨーロッパで流行したロマン主義 ・民族主義 の高まりにより、ウクライナ人の民族運動も盛んになった。1798年 に、イヴァン・コトリャレーウシキー によるコサック国家の再建を謳う叙事詩 『エネイーダ 』が出版された。この作品は、現代ウクライナ語の口語 で書かれた初めての作品であった一方、ウクライナの民族的ルネサンスの序幕でもあった[ 50] 。1806年 にハルキウ大学 が設立されると、ウクライナの知識人 によるウクライナの歴史・文化・民俗に関する研究が活発的に行われるようになった[ 51] 。1825年 頃、近世のコサック軍記の編集物として『ルーシ人の歴史』が著され、ウクライナの文化人、歴史学者、作家などに大きな影響を与えた[ 51] 。ウクライナ語 の完成が急がれたのもこの時期で、ロシア語正書法 、ポーランド語正書法、そして独自の正書法など様々なものが生み出されたが、最終的にはタラス・シェウチェンコ のまとめたウクライナ語文法が現代ウクライナ語の基礎となった[ 52] 。
露土戦争におけるキュチュク・カイナルジ条約 でロシア帝国のウクライナ統治が行われるようになる。ロシア帝国は常にウクライナにおけるロシア化 政策を実行しており、ウクライナ語は当時はロシア語の一方言 「小ロシア語」として扱われ、独自の言語としては公認されていなかった。1863年 に文学作品を除きウクライナ語の書物の出版・流通を禁止するヴァルーエフ指令 が出され、1873年 にウクライナ語の書物の出版・流通・輸入を禁止するエムス法 (ウクライナ語版 ) が定められた[ 53] 。
ウクライナの反露ポスター。「他国のものは要らないが、自国のものは渡さぬ!」。ロシアの双頭の鷲から子供を守っているウクライナ人の婦人。 第一次世界大戦 が勃発すると、ウクライナ西部を巻き込んで東部戦線 が形成された。
1917年 に2月革命 によりロシア帝政 が崩壊し、ペトログラード でロシア臨時政府 が成立した。それに伴い、同年3月14日 にキーウでウクライナ政府としてフルシェーウシキー 教授が指導するウクライナ中央議会 が成立した。十月革命 によってロシアの臨時政府が倒され、ロシア共産党 のソビエト 政権が誕生すると、11月7日 に中央議会はキエフを首都とするウクライナ人民共和国 の樹立を宣言したが、ウクライナ・ソビエト戦争 が勃発したあと、1918年 1月9日 にウクライナ人民共和国(赤軍政権) の独立を宣言した[ 54] 。同年2月8日にロシアの赤軍 はキエフを占領したが、2月9日にブレスト でウクライナとドイツ、オーストリアの同盟が完結し、中央議会は同盟国の軍事力を借りてウクライナを解放し、3月に首都を奪い返した[ 55] 。4月29日 にウクライナの保守 階級によるクーデター の結果、中央議会に代わってスコロパードシキー 大将の政権が成立した。
国号はウクライナ国に改められ、元首はヘーチマン となった。当国は安定した発展を見せたが、ドイツの連合国 への降伏により事態は一転し、1918年12月19日 にスコロパードシキー政権が倒され、新たな執政内閣 の政権が成立した[ 56] 。国号は再びウクライナ人民共和国となった。しかし、ドイツ軍の撤退によりウクライナ・ソビエト戦争が再開した。1919年 1月6日 、ソビエトのロシアは傀儡政権 として首都をハルキウ とするウクライナ・ソビエト社会主義共和国 を樹立した。同年2月5日 にソビエト軍はキエフを占領し、ウクライナ人民共和国の政府を亡命させた。1919年から1920年 にかけてロシア内戦 及びポーランド・ソヴィエト戦争 が発生し、ウクライナの支配をめぐりウクライナ人民共和国軍、ソビエトの赤軍、ロシア帝政派の白軍 、白軍を支援するフランス軍 ・イギリス軍 ・ポーランド軍 、ネストル・マフノ 率いる無政府主義者 の黒軍 、ウクライナのゲリラ を中心とする緑軍 などが争った。1920年冬に戦争がソビエトの赤軍の勝利で終結し、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国は西ウクライナを除きウクライナ全域を確保した[ 57] [ 注釈 6] 。
一方、オーストリア゠ハンガリー帝国 の解体に伴い、1918年 10月19日 に西ウクライナのガリツィア ・ブコビナ 地方に住んでいたウクライナ人はリヴィウ を首都とする西ウクライナ人民共和国 の独立を宣言した。しかし、11月1日にポーランド が当共和国へ侵入し、ウクライナ・ポーランド戦争 が始まった。ポーランド側はフランス 、イギリス 、ルーマニア、ハンガリーなどによって後援されたが、西ウクライナ側は国際的に孤立していき、西ウクライナはウクライナ人民共和国に援助を求めた。1919年1月22日 、キエフでウクライナ人民共和国と西ウクライナ人民共和国は統一法に署名し、両国は統一された[ 58] 。しかし、ウクライナ人民共和国の政府はソビエトの赤軍と戦ったため、援軍を派遣することができなかった。こうした中で、右岸ウクライナ の併合を目論むポーランドが7月18日 に西ウクライナ全地域を占領し、西ウクライナ人民共和国は滅亡した。その後、1920年 4月に西ウクライナをめぐってポーランド・ソビエト戦争 が勃発したが、1921年 3月18日 のリガ条約 によって西ウクライナのポーランド支配が確定した[ 59] 。
またクリミアにおいては、1917年、クリミア・タタール人を中心とし、ノーマン・チェレビジハン を初代大統領とする多民族・世俗国家クリミア人民共和国 の建国が宣言されたが、1918年にモスクワ のソビエト政府により占領され、滅亡した。
1922年 12月30日 にウクライナ社会主義共和国 は、ロシア 、ベラルーシ 、ザカフカース とともに同盟条約によってソビエト連邦 を結成した[ 60] 。諸共和国は平等の立場で新しい国家連合 を形成したが、その国家連合はソ連憲法 制定によってロシアを中心とする中央集権 的なシステムに変遷し、その他の独立共和国はロシアの自治共和国となった[ 61] 。
1923年 から1933年 にかけて、ウクライナでのソビエト政権を磐石なものにするために、ソ連政府・共産党はウクライナ化 政策を実行した。ウクライナ語 教育の普及や政府諸機関へのウクライナ人の採用などにより、政権とウクライナ人の間に存在した敵意をなくそうという試みであった[ 62] 。しかし、1930年 以降、党内からこの政策を厳しく批判する声が上がり、1933年 にウクライナ化は「ウクライナ民族主義的偏向」として中止された。ウクライナ化を指導した政治家 、知識人 、文化人 は逮捕・粛清 され、ロシア化の時代が再開した[ 63] 。
ソビエト連邦下のウクライナは拙速な農業の集団化政策などにより2度の大飢饉 (1921年 -1922年 、1932年 -1933年 、後者はホロドモール と呼ばれ2006年 にウクライナ政府によってウクライナ人 に対するジェノサイド と認定された。アメリカ 、カナダ 、イタリア などの欧米諸国では正式にジェノサイドであると認定されている[ 64] が、国際連合 や欧州議会 では人道に対する罪 として認定している)に見舞われ、推定で400万から1000万人が命を落とした。この「拙速な集団化政策」は意図してなされたものであるという説も有力である。
この背景には、レーニン やスターリン らによる農民への敵視政策があった。共産党政府のとった土地の共有化を農民は拒むため、多くの住民が農民であったウクライナの統治は共産党政府にとって大きな障壁となっていた。そのため、一説によるとレーニン、スターリンらにとってはウクライナの農民の根絶が理想であったともされている。スターリンは、農民問題の解決は至急の課題であると明言している。また、この時期に前後し、ウクライナでは農民、すなわちウクライナ人への懐柔政策と弾圧 政策が交互にとられた結果、ウクライナ共産党幹部全員をはじめ多くの人間が粛清された。最終的には、ウクライナ語使用の制限など弾圧政策が長くとられることになった[ 65] 。
大粛清 はウクライナから始められ、1937年 には首相のパナース・リューブチェンコ が自殺した。この年、ウクライナ社会主義ソビエト共和国は国号を「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国」へと変更した。
一方、西ウクライナはポーランド 、ルーマニア 、チェコスロバキア によって分割された。1921年 から1939年 にかけてポーランドはヴォルィーニ ・ハルィチナー 地方、ルーマニアはブコビナ 地方、チェコスロバキアはザカルパッチャ を支配した。
1939年 8月23日 にソ連とナチス・ドイツ は不可侵条約 を締結し、東欧における独ソの勢力範囲を定めた。同年9月1日 に始まったドイツのポーランド侵攻 で第二次世界大戦 が勃発。続いて9月17日 にソビエト連邦のポーランド侵攻 が行われた。その結果ポーランドは分割され、ウクライナ人が多数派だった西ヴォルィーニ 地方とガリツィア 地方はウクライナ・ソビエト社会主義共和国(SSR)に併合された[ 66] 。ドイツがフランスを占領 したあと、1940年 6月28日 にソ連はルーマニアにベッサラビア と北ブゴヴィナ の割譲を要求した。ルーマニアはこの要求を呑み、北ブゴヴィナとベッサラビアはウクライナSSRに併合された。その後、北ブゴヴィナと南ベッサラビアを除く地域にはモルドバSSRが設置された。1940年 7月14日 にソ連軍はバルト三国を占領 し、1941年 6月1日 までにドイツ軍はバルカン半島 を支配下に置いた(バルカン戦線 (第二次世界大戦) )。独ソ両国は共通の国境と、征服された地域を「解放」するために互いに攻め入る口実を得た。
1940年12月18日 、ナチス・ドイツ はバルバロッサ作戦 を秘密裏に決定し、1941年6月22日 にソ連へ侵略した。それに呼応してイタリア、ルーマニア、ハンガリー などはドイツ側に与して派兵など軍事的支援を行った。独ソ戦 は約4年間続き、ウクライナを中心とした地域に行われた。当初、ウクライナ人はソビエト連邦共産党 の支配からウクライナを解放してくれたドイツを支援したが、ドイツはウクライナの独立を承認せず、ソ連と同様の支配体制を敷いたため、ウクライナ人の反感を買った。1941年9月19日 にドイツ軍 はキエフ と右岸ウクライナ を占領し、10月24日 にハルキウ と左岸ウクライナ を奪い取り、1942年 7月までにクリミア半島とクバーニ 地方を支配下に置いた。1943年 2月、ソ連軍はスターリングラード攻防戦 においてドイツ軍の侵攻を食い止め、同年8月にクルスクの戦い でドイツ軍から独ソ戦の主導権を奪った。1943年 11月6日 にソ連はキエフを奪還 し、1944年 5月にかけて右岸ウクライナ とクリミアを奪還した。同年8月にソ連軍は西ウクライナを完全に支配下 に置き、ドイツが占領するか、枢軸国 に参加していた東欧・中欧 諸国への侵攻を開始した。1945年 5月2日 にソ連はドイツの首都ベルリンを陥落 させ、5月8日 にドイツ側の無条件降伏 により独ソ戦が終結した。ソ連側の勝利によってウクライナにおける共産党の支配が強化され、国際社会におけるソ連の役割が大きくなった。ソ連軍が占領した東中欧諸国ではソ連の衛星国 が樹立された。
第二次世界大戦 においてウクライナはハリコフ攻防戦 など激戦地となり、莫大な損害を蒙った。戦争の犠牲者は800万人から1,400万人とされている[ 67] 。人口4千万人の時代にウクライナ人の間では5人に1人が戦死した[ 67] 。バビ・ヤール 大虐殺などナチス・ドイツ によるホロコースト も行われ、ウクライナ系のユダヤ人 やロマ人 などの共同体は完全に破壊された[ 67] 。ソ連政府はウクライナ在住のドイツ人 やクリミア・タタール人 などの追放を行った。独ソ両軍の進退によってウクライナの地は荒れ果てた。700の市町と、約2万800の村が全滅した[ 67] 。独ソ戦中にウクライナ人はソ連側の赤軍 にも、ドイツ側の武装親衛隊 (第14SS武装擲弾兵師団 )にも加わった。また、ウクライナ人の一部は反ソ反独のウクライナ蜂起軍 に入隊し、独立したウクライナのために戦った[ 68] 。
エドガー・スノー は、ロシアの栄光として語られがちな独ソ戦を何よりもウクライナの戦争だったと語っている[ 69] 。
白ロシア共和国 (現・ベラルーシ )とともに、ソ連とは別に国際連合加盟国 として国連総会 に議席を持った。1948年 から2年間と1984年 から2年間は非常任理事国 も務めている。しかし現実は、ウクライナは相変わらず「ソ連の一部」止まりであり、「ロシア化」が進められた。1956年 のハンガリー動乱 や1968年 のプラハの春 の際は、ウクライナで威嚇のための大軍事演習が行われたり、ウクライナを経由して東欧の衛星国へ戦車が出撃したりしている。1953年 のスターリンの死 後、大粛清の犠牲になった多くのウクライナ人の名誉回復がなされ、また徐々にウクライナ文化の再興が水面下で活発化した。
1954年 、ニキータ・フルシチョフ 政権により、クリミア半島(クリム半島)がロシアからウクライナに移管された。これは、ポーランド・リトアニア共和国 に対抗するためにロシアとウクライナ・コサックの間で結ばれたペレヤスラフ条約 締結300周年記念を祝うためであった。
1960年代には体制に批判的な、または「ウクライナ的な」文学も登場した。フルシチョフの非スターリン化 の時代には、ウクライナ・ソビエト政府もこのような動きを少なからず容認した。しかしレオニード・ブレジネフ 政権の「停滞の時代」になると、1972年 にウクライナ人知識階級が大量に逮捕されるという事件が起こる。冷戦 で対立していた東西ヨーロッパ諸国が人権尊重などを謳ったヘルシンキ宣言 (1975年 )を受けて、1976年 には人権擁護団体「ウクライナ・ヘルシンキ・グループ」が結成されるが、それも弾圧された。
ソ連支配下のウクライナにおいて大部分のウクライナ農民は、1970年代まで国家の社会保障 を受けることもできないでいた。収穫の大部分は相変わらず国家によって搾取され、スターリンの大粛清 の恐怖がなくなった今、共産党の幹部たちは自らの特権階級(ノーメンクラトゥーラ )としての地位を不動のものとする。非効率な計画経済 、冷戦 下における膨大な軍事費・科学技術費は、ウクライナの近代化を進めたとはいえ、人々の生活は一向に改善する気配がなかった。政治の腐敗、経済的矛盾は深刻化していったにもかかわらず、隠蔽され続けた。
1986年 4月26日 、チェルノブイリ原子力発電所事故 が発生し、国内外に大きな被害が及んだ。ウクライナ国内にあたる地域には220万人ほどが住んでいた[ 70] 。事故後、汚染地域の外にスラブチッチ という街が作られ、かつて原発で働いていた者たちなどを住まわせた。国際原子力機関 (IAEA)と世界保健機関 (WHO)によって行われた調査によって明らかにされたことによると、この事故により直接的に56名が亡くなり、それ以外にもこの事故を原因とする癌 によって4,000名ほどが亡くなったといわれる[ 71] 。
1990年 に一度原発を全廃したが、1993年 より原発を再び稼働させた[ 72] 。
ソ連はミハイル・ゴルバチョフ 政権下で「ペレストロイカ 」の時代を迎えており、ウクライナでは「ペレブドーヴァ」と呼ばれる改革・開放を求める運動が起きた。1960年代頃から民族文化運動を続けてきたウクライナ人文学者たちは、ウクライナ語の解放・普及を訴えた。ソビエト政府によってその存在を否定され、弾圧され続けてきたウクライナ・カトリックは水面下で根強く活動を続け、ローマ教皇 ヨハネ・パウロ2世 の強い励ましを受けた。そしてついに1989年 、ウクライナ語の公用化(10月[ 73] )、ユニエイト の公認化が実現した。東欧における民主革命 の成功も受けて、ウクライナ民族運動は最高潮に達していく。
1989年9月、作家連盟などを中心に民族主義大衆組織「ペレストロイカのための人民運動」(通称「ルフ」)が結成される。1990年 1月22日(1918年 の中央議会によるウクライナ独立宣言の日)にルフの呼びかけで、大勢のウクライナ人は手と手をつないで長い「人間の鎖」を作り上げた。3月にはウクライナにおいて民主的な最高会議(国会)議員選挙が実現し、ルフを中心とする民主勢力が大きな勢力を占めた。7月、最高会議は「主権 宣言」を採択。国家の様々な権利をソ連から取り戻すことを宣言し、非核三原則 も採択した。学生や炭鉱労働者によるストライキやデモは、民主勢力をさらに後押しする。ウクライナ共産党は分裂・衰退し、民主勢力へ走る者も出た。
崩れ行くソ連を完全に見限り、1991年 8月24日(後に独立記念日となる)に最高会議はウクライナの独立を宣言 、国名から「ソビエト社会主義共和国」を削除した。12月の国民投票 によっても、圧倒的に独立が支持され(ウクライナ国内の多くのロシア人も支持した)、レオニード・クラフチュク がウクライナ初代大統領に選ばれた。1917年の独立革命の挫折以来、幾多の試練を乗り越えて、ついにウクライナの独立は達成されたのである。
民族別等のウクライナ独立賛成者の割合[ 74] 賛成 棄権 反対 民族別 ウクライナ人 68% 26% 6% ロシア人 55% 28% 17% その他 46% 40% 14% 母語別 ウクライナ語 68% 26% 5% ロシア語 57% 28% 15% その他 40% 44% 16% ウクライナ語 使用能力別 あり 67% 26% 7% なし 48% 33% 19% 出生地別 ウクライナ 66% 27% 7% ロシア 52% 30% 18% その他 65% 27% 8%
1991年 、ソビエト連邦の崩壊 に伴いソビエト最高会議 の元から独立(ソヴィエト憲法上は離脱 )して新たな国家ウクライナとなり、ベロヴェーシ合意 の後独立国家共同体 (ウクライナ語 СНД ;CIS)の創立メンバーの一員となった。独立ウクライナは旧ウクライナ人民共和国の中枢機関であったウクライナ中央議会 の正当な後継者であることを意識し、国旗や国章の「トルィズーブ 」(三叉の鉾 )などは同共和国時代のものが採用され、この独立により、ウクライナは近代史上、主権国家として最大の領域を有するに至った。
2004年 、大統領選挙の混乱からオレンジ革命 が起き、第3回投票で勝利したユシチェンコ が2005年 1月、大統領 に就任した。
2005年 3月、ロシア側より天然ガス の料金を国際的な市場価格に合わせてそれまでの優遇価格より倍以上に引き上げる要求があり両国が対立、2006年 にかけて欧州各国を巻き込んだ騒動となった(「ロシア・ウクライナガス紛争 」参照)。その後、野党 勢力により内閣不信任案が可決される。
2006年 6月22日 、ウクライナ最高議会選においてユシチェンコ大統領派の与党 「われらのウクライナ」が惨敗。これを受けてティモシェンコ 率いる「ティモシェンコ連合」と「われらのウクライナ」およびウクライナ社会党 の3政党は議会多数派を組む合意が成立した。しかし、その後は人事をめぐり議論は紛糾、3政党間の亀裂は深まっていた。議会 選挙で最大勢力となった地域党 が議場を封鎖する間に社会党は連合を離脱した。地域党、ウクライナ共産党の支持を受け、社会党党首モロス が最高会議議長に就任した。その後、この3党は議会多数派の合意書に調印し、大統領に対し、地域党党首ヤヌコーヴィチ の首相指名を提案。この結果、8月にヤヌコーヴィチ内閣が成立した。しかし、大統領との権限争いで議会も分裂し、両派の妥協の産物として最高会議は解散し、2007年 9月30日に臨時最高会議選挙が行われた。12月、ティモシェンコ連合とわれらのウクライナが連合する形でティモシェンコ内閣が発足した。
2010年 、大統領選挙にてヤヌコーヴィチとティモシェンコが激突。決選投票の結果、ヤヌコーヴィチが勝利し、ウクライナは再び親露派に率いられることとなった。
2014年ウクライナ騒乱とロシアによるクリミア自治共和国の併合 2013年 12月、キーウで反政府デモ隊の前で演説するアメリカ合衆国 のジョン・マケイン 上院議員 。2013年 11月にヤヌコーヴィチ政権が欧州連合 (EU)との政治・貿易協定の調印を見送ったことで、親欧米派や民族主義 政党全ウクライナ連合「自由」 などの野党勢力などによる反政府運動が勃発した。2014年 1月後半より、抗議者の中に右派セクター などの武力抵抗を辞さないとする立場のグループが現れ、これを制圧しようとする治安部隊との衝突が発生、双方に死者が発生した。2月22日にヤヌコーヴィチ大統領が行方をくらませたことを受け、ヴェルホーヴナ・ラーダ (最高議会)にて、親露 派政党の地域党と共産党を含む議会内全会派がヤヌコーヴィチの大統領解任(賛成328票中地域党36票、共産党30票)[ 75] と大統領選挙の繰り上げ実施を決議し、オレクサンドル・トゥルチノフ 大統領代行とアルセニー・ヤツェニュク首相がヴェルホーヴナ・ラーダにおいて承認され、新政権が発足した(2014年ウクライナ騒乱 )[ 76] [ 77] 。
親露派のヤヌコーヴィッチ政権が崩壊したことを理由とし、3月1日にロシア上院がクリミアへの軍事介入を承認。ロシアのウラジーミル・プーチン 大統領 は、ウクライナの極右 民族主義勢力からクリミア半島 内のロシア語話者およびロシア系住民を保護するとの名目で本格的に軍事介入を開始した。ロシアは当初否定していたが、2月後半の時点から「現地クリミア住民による自警団」に偽装させたロシア軍部隊をクリミア全土に進軍させており、西側メディアは国章をつけていない軍服を着てバラクラバ で覆面した兵士たちを「ロシア軍部隊とみられる謎の武装集団」として報道していた(ロシアのクリミア侵攻 )[ 注釈 7] 。このロシアの侵攻に対して、ウクライナ新政権と親欧米派の住民は侵略であるとして強く反発した一方、クリミア自治共和国 およびセヴァストポリ 特別市のロシア系住民の中にはこれを歓迎するものも少なくなく、ウクライナ国内法を無視する形で、クリミア自治共和国最高会議(議会)とセヴァストポリ市議会は3月11日にクリミア独立宣言 を採択し、3月16日にウクライナからの独立とロシアへの編入を問う住民投票 をウクライナ国内法に違反する形で実施した。そもそも他国軍が展開する中という状況下に加え、様々な違法行為、投票率と投票結果への改竄が指摘されるも[ 注釈 8] [ 注釈 9] 、同結果を根拠に、翌17日にウクライナからの「クリミア共和国 」の独立とロシアへの編入を求める決議を採択した。ロシアのプーチン大統領は同日中にクリミア共和国の主権を承認したうえで、翌18日中にクリミアのロシアへの編入要請受諾を表明し、クリミアのアクショーノフ 首相とともに編入に関する国家間条約に署名した(ロシアによるクリミアの併合 )。5月12日にはドネツィク州 、ルガンスク州 において、同地の独立を宣言する勢力が現れた。
欧米諸国や日本はこれらロシアの動きが国際法 違反の侵略で、ウクライナからのクリミアの独立とロシアへの編入は無効であるとして、ロシアへの制裁を実施した(2014年クリミア危機 )。
2014年3月以降、ウクライナ東部・南部、特にドネツィク州、ハリコフ州 、ルガンスク州 、オデッサ州 において、反政府派と政府側との間で衝突が発生し、親露的な分離独立派の武装勢力が州庁舎や警察機関などを占領した。その際、イーゴリ・ギルキン などロシアの特殊部隊 の兵の参加が複数確認されていることから、これらの衝突は一般のウクライナ国民 による自発的反乱とみなすのは難しく、実際に2014年4月以降、政府側がこのようなロシアの支援を受ける武装勢力をテロリストと見なし、軍事行動を伴う「反テロ作戦」を開始することとなった。以降、分離武装勢力もロシアから流入したと見なされている兵器を用いて、政府側軍用機を撃墜するなど事実上の戦争状態が続いている。なお、日本を含む[ 81] 欧米諸国およびウクライナは、衛星写真[ 82] や各報道などを根拠に武装勢力にロシアからの兵の投入、戦闘員と兵器等武器供与の支援があるとして非難を続けているが、一方でロシアは、自国民があくまで自発的に戦闘に参加しているだけであるとしてロシア連邦軍 の直接侵攻は否定し続け、両者間の意見の対立が続いていた。
ポロシェンコ政権・ミンスク合意 諮問機関の最高顧問に就任したミハエル・サーカシビリ (左) 右はマケイン 米上院議員。サーカシビリはのちに国外追放された。 2014年6月に大統領選挙によって選ばれたペトロ・ポロシェンコ が大統領に就任。以降も引き続き東ウクライナでは親欧米の政権側と親露の分離独立派(ノヴォロシア人民共和国連邦 )による戦闘[ 注釈 10] (ドンバス戦争 )が続いており、一時的にウクライナ政権側と分離独立派、ロシア、ドイツ、フランスによる一時停戦案が結ばれるも、すぐに政府軍による反テロ作戦が再開[ 84] され、各地で市街戦を含む戦闘が行われ、多数の民間人が犠牲となっている。9月5日にはベラルーシ のミンスク で、ロシア、ウクライナ、OSCE、分離独立派の代表者によって、停戦と政治解決を目指すミンスク・プロトコルに調印され(ミンスク議定書 )、追って9月19日には治安面解決の詳細を記したミンスク・メモランダムが調印された。以降、欧州安全保障協力機構 のウクライナ特別監視ミッションが、2014年9月のミンスク合意の執行を監督することとなった。2014年10月26日のウクライナ最高議会選挙では、事実上、親欧米派が勝利したが[ 85] 、ミンスク合意のあとも戦闘は続き、結果として一般市民を含む死者数が2014年7月17日に発生したマレーシア航空17便撃墜事件 (クラボボ村 )なども含めれば5,000人以上に上るなど[ 86] 、欧州では旧ユーゴスラビア内戦 以来の死者数を出した。
2015年 2月11日、ウクライナ、ロシア、フランス、ドイツは再びミンスクでサミットを開催し、ウクライナ東部の紛争終結に向けた体制の枠組みについて再度の合意が行われた(ミンスク合意2 )。
2019年にウクライナの大統領 に就任したウォロディミル・ゼレンスキー は2021年3月、クリミア半島の占領解除とウクライナへの再統合をめざす国家戦略を承認し、国際的な枠組み「クリミア・プラットフォーム 」を発足させてクリミア奪還をめざす計画を進めていた[ 87] 。
ロシアによる全面侵攻 ウクライナのNATO加盟をめぐってロシアとウクライナの緊張が高まり、アメリカのバイデン 大統領がプーチン大統領と無侵略を条件に会談をしたが、「親ロシア派が支配するところに軍を送る」と発言し、その会談は白紙となった。日本時間 2022年 2月24日 、ロシアのプーチン大統領が「特別な軍事作戦を実施する」とロシア国民へ向けテレビ演説を行った後、ウクライナ全土へ空襲 やミサイル 攻撃を仕掛けたことにより侵攻 が始まった[ 88] 。
ヴェルホーヴナ・ラーダ (ウクライナの国会)ウォロディミル・ゼレンスキー 第6代大統領 (2019年 5月20日 就任)シュミハリ 首相ウクライナの政体は、司法 ・立法 ・行政 の三権が分立する議会制民主主義 (共和制 )であり、大統領制 と議院内閣制 を並立した形の半大統領制 を採用している。国家元首である大統領 は、5年任期で国民投票 によって選出され、首相 や政府の閣僚 を任命する権限を持つが、議会の承認を要する。
2022年 2月のロシアのウクライナ侵攻 により同年5月に戒厳令 が敷かれて以降、ウクライナでは選挙が実施されていない。これは、ウクライナ憲法 が83条において戒厳下における議会の任期延長を定めているほか、国内法「戒厳下の法的体制について」 (英語版 ) で戒厳下における大統領選挙、議会選挙、地方選挙が禁止されていることによる[ 89] [ 90] 。また、ウクライナ憲法第108条では「大統領は新たに選出されたウクライナ大統領が就任するまでその権限を行使する[ 89] 」とされている。これらの理由から、大統領であるウォロディミル・ゼレンスキーの本来の任期は2024年までだが、2025年現在も大統領に在任し続けている[ 91] 。
ウクライナでは、政治、軍事組織による長年の汚職 と腐敗問題が続いてきた。国際指標である「腐敗認識指数 」の国別ランキングでは、2021年度の時点で180カ国中122位だったものが、2023年度には104位となっており、モルドバ 同様、改善傾向にはあるものの、ウクライナにおける腐敗は依然としてヨーロッパ統合 への障害となり続けている[ 16] [ 17] [ 92] 。
ワールド・ジャスティス・プロジェクト (英語版 ) による「法の支配指数」では、ウクライナは99カ国中66位に位置付けられている[ 93] 。また、ウクライナの検察は大半の欧州諸国より強い権限を持っており、「法による民主主義のための欧州委員会 (英語版 ) 」は「検察当局の役割と機能は欧州評議会 の基準に準拠していない」と指摘している[ 94] 。有罪判決率は99%を超え[ 95] 、ソビエト連邦 における有罪判決率を上回っており、被疑者は裁判前に長期に亘って投獄されることも多々ある[ 96] 。
クチマ とプーチン ユシチェンコ とブッシュ 2004年 、レオニード・クチマ 大統領の任期満了に伴い大統領選挙が行われた。
クチマ大統領の後継ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ 首相と、野党指導者ヴィクトル・ユシチェンコ 元首相の一騎討ち という形になった。10月31日 の第1回投票ではユシチェンコが首位に立つが、わずか15万票差であった。
11月21日 の決選投票の開票の結果、ヤヌコーヴィチ の当選が発表される。しかし、ユシチェンコ 陣営は11月22日夜、決選投票において全国で1万1000件の不正が行われ、第一回投票の5倍に膨らんだと、政権側の選挙違反を糾弾した。これにより首都キーウを中心に、ストライキなどの大規模な政治運動が起こった(オレンジ革命 )。
欧米諸国の圧力もあって再選挙が行われることとなり、12月26日 に実施された再決選投票の結果、ユシチェンコ が52.12%、ヤヌコーヴィチ が44.09%の得票となり、ユシチェンコ元首相の当選が確実になった。ヤヌコーヴィチ陣営はユシチェンコ陣営に不正があったとして最高裁に提訴したが野党による政府施設の封鎖が起こり、30日 には提訴が却下された。翌2005年 1月23日 にユシチェンコ元首相は正式に大統領に就任し、この争いは一応の決着を見た。
なお、この選挙期間中、欧米のマスメディアはロシア人とウクライナ人の間で民族的対立が激化してウクライナ国民に分裂が生じているように報じた。この選挙ではアメリカ合衆国 のウクライナ系政治団体の資金援助やオープン・ソサエティ財団 の公然の介入が行われており、ウクライナ自身の革命というよりは外国勢力の干渉の結果だったという分析もある。一方、干渉があったとはいえ、それだけでなし得たものではなく実際に国民の間に従来の政権に対する不満があったことは大きな要素の一つであった。また、アメリカが反露 派を支援した背景には、ロシア帝国時代やソ連時代にロシア勢力から弾圧を受けた非常に多くのウクライナ人がアメリカに亡命 を余儀なくされたという歴史上の経緯も関係しているという分析もある。
つまり、アメリカ に亡命したウクライナ人の作った組織がアメリカ政府 や関係者に働きかけ、反露的な勢力を支援させるということは不自然ではないというのである。しかし、このようなロビー活動 が表沙汰になることは少なく、こうしたもっともらしい分析もこれまでの経緯から類推した臆測の域を出ない。いずれにせよ「アメリカ側の都合だけで革命が推進された」「オレンジ革命は悪しき旧共産主義 的な独裁体制 からの民主化 を達成した」というように単純化できる問題ではない。その後、ウクライナではしばしば「革命」が叫ばれることが習慣化しており、2007年 にも反ユシチェンコ派の議員が「革命」を実行している。
ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ ユーリヤ・ティモシェンコ 大統領選挙が2010年1月から2月にかけて行われ、ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ が大統領に当選した。
ペトロ・ポロシェンコ 大統領選挙が2014年5月25日に行われ、ペトロ・ポロシェンコ が大統領に当選した。
ポロシェンコ-ヤツェニュク政権は総選挙後の内閣 組閣において、財務相に在ウクライナ米国大使館での勤務経験があり、未公開株 投資ファンドの代表を務めるアメリカ人 のナタリヤ・ヤレスコ 、経済発展・貿易相に投資銀行に勤務するリトアニア人 のアイバラス・アブロマビチュス 、保健相にグルジア人 のサーカシビリ政権の元閣僚で米ニューヨーク を拠点としているアレクサンドレ・クヴィタシヴィリ の3人の外国人も入閣した[ 97] 。いずれも、任命の数日前にウクライナ国籍を取得している。顧問にはジョージア の前大統領で強権的な独裁者 としての振る舞いからジョージアでの地位を失ったミハエル・サーカシビリ が就任した[ 98] 。その他、エカ・ズグラゼやアデイシヴィリ など、サーカシビリの盟友が多く要職についていた。しかし、その後ポロシェンコ大統領との確執から相次いで辞任し、サーカシビリ自身もウクライナ国籍を剥奪されて国外追放された。
ウォロディミル・ゼレンスキー 大統領選挙が2019年3月から4月にかけて行われて決選投票の末に、ウォロディミル・ゼレンスキー が現職のペトロ・ポロシェンコを破ってウクライナの第6代大統領 に当選した。
ウクライナの国会は、最高議会 であり、一院制 で450議席である。全議席は全国区の比例代表制 によって選出されるが、政党 もしくは選挙ブロックは全投票の3%以上を獲得しなければ議席を得ることができない。議員の任期は5年。議会は立法、国際協定の批准、予算の裁可および首相の承認・罷免、閣僚の承認・罷免を行う。
ウクライナは複数政党制 を採用・導入しているが、単独政権の樹立は容易ではなく、各政党が協力して連立政権を形成する必要がある。また、同国の政党の多くは党員数が少なく、政党そのものの存在も一般国民にはあまり知られていない現状がある[ 99] 。なお、政党の党員数は投票資格を持つ人口の1%未満である[ 注釈 11] [ 101] [ 102] 。
2012年の選挙 で議席を獲得した政党は5党。それは、親露派で東部・南部を地盤とする地域党 および社会主義 派のウクライナ共産党 、ならびに親欧米派で中部や西部を地盤とする全ウクライナ連合「祖国」 、ウダール 、さらに、西部のガリツィア地方 を地盤とする民族主義 派の全ウクライナ連合「自由」 である[ 103] 。
2020年1月1日時点では、349の政党が公式に登録されている[ 104] 。
ウクライナの司法制度は『広範囲で腐敗している』と広く見做されている[ 105] 。司法の独立 は原則として存在するものの、実際には司法権と政治権の分離はほぼ実現されていない。裁判官は現地の政界および経済界からの圧力に晒されている現状が続く問題を抱えている[ 106] 。
ウクライナの外務省 ウクライナの国際関係 ウクライナ(赤)と国交 を有する国(青) ウクライナとロシアは歴史上複雑な関係を持つが、ソ連崩壊後から現在に至るまで緊張が続いている。
ユシチェンコ大統領の就任当初は、ロシアよりもEU諸国との関係を強化することを目指していた。同様の立場を取るグルジア(現ジョージア )、アゼルバイジャン 、モルドバとともにGUAM (4か国の頭文字)と呼ばれる連合を結成。同国自身が将来のEU加盟を希望し、2017年時点でもそのための外交努力を続けている(後述 )。
一方で、ウクライナ経済はロシアとの関係を悪化させたことなどを理由に急速に悪化した。大統領はロシアとの関係に対する見解の相違などからティモシェンコ首相を解任。その後は頻繁にロシアを訪問し、ロシアとの政治的・経済的関係を強化させようとするなど、ロシアとの関係修復も模索してきた。2010年の大統領選挙で当選したヴィクトル・ヤヌコーヴィチ 大統領の誕生により、ロシアとの関係改善がより一層進展するものと見られていた。
ヤヌコーヴィチ政権時、ウクライナは北大西洋条約機構 (NATO)やロシア主導の集団安全保障条約 (CSTO)のような軍事同盟加盟を目指さない中立主義 を法律で制定した。
しかし、2013年末から生じたウクライナ騒乱 に続き、ロシアによるクリミア併合・東部不安定化以降、ロシアとの関係は再度悪化した。新政権は、一方でアメリカ合衆国やEUを中心とした欧米諸国との関係を重視している。ポロシェンコ-ヤツェニュク政権は、在ウクライナ米国大使館勤務経験のあるアメリカ人やグルジア(現ジョージア )のサーカシビリ 政権の側近らを要職に就かせるなど、親欧米・反露 路線を鮮明にしている。
なお、2015年末時点でウクライナはロシアに対し30億ドルの負債を負っており[ 107] 、今後、国際裁判所で争われることとなっている。
また、司法分野においては、ロシアに対し、2014年6月頃にルハーンシク州内の戦闘中に拘束され、ロシアに連れ出され勾留されたウクライナ人女性のナジーヤ・サウチェンコ (英語版 ) の即時釈放を訴えている。ロシア当局は、同女性がウクライナ西部においてロシア人ジャーナリスト2名を殺害した嫌疑があると主張していたが、ウクライナをはじめアメリカ、ドイツ、フランスなどの各国政府、欧州議会 などがロシアによるサウチェンコの拘束には根拠がないとして、ミンスク合意に従ってロシアはサウチェンコを解放すべきとした[ 108] 。
ウクライナとロシアの旅客流動は最大であったが、2015年10月以降、ウクライナとロシアを結ぶ航空旅客便は全便の運行が停止している[ 109] 。
また、2017年にはポロシェンコ大統領の大統領令を通じて、対露制裁の一環で、VKontakte 、Odnoklassniki などのロシア系SMSサービス、Yandex 、Mail.ru などのロシア系のウェブサイトへのアクセスを禁止した[ 110] 。
ウクライナ政府はロシアからの天然ガス輸入を2016年は打ち切り、2017年も再開しない見通しであると表明している[ 111] 。
さらに2018年9月、1997年にロシアと締結した友好協力条約を延長しないとロシア政府に通告した[ 112] 。
2021年秋からはロシア陸軍がウクライナ周辺でベラルーシ との共同軍事演習を行い、兵力を大幅に増強していた事から、[ 113] 2022年初頭にはロシアがウクライナに侵攻する可能性があると報じられた[ 114] 。
また、2022年2月には東部の親露派支配地域であるドネツク人民共和国 とルガンスク人民共和国 をロシアが承認 した(ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の独立承認に関するウラジーミル・プーチンの演説 )[ 115] 。両国関係は非常に緊迫し、ロシアのプーチン政権は同月24日、『特別軍事作戦の実施について 』演説に続いてウクライナへの侵攻を開始した為、ゼレンスキー大統領はロシアに対しての国交断絶を通告した[ 116] 。
ポロシェンコ政権はEU加盟を希望していた。具体的な加盟交渉に至ってはいないが、東欧諸国を対象とするEU安定化・連合プロセス の要となる連合協定について、EU加盟国で唯一未批准 だったオランダ の上院が2017年5月に批准した。同年6月11日からは、イギリス とアイルランド を除くEU加盟国へウクライナ国民が90日の査証 (ビザ)なし渡航が可能になった。
2021年 5月17日 のモルドバ、ジョージア との三国外相会談で、将来的なEU加盟の期待を明確にし、共同の覚書に署名した。この会談以降、三国をいわゆる'Associated Trio'(もしくは'Association Trio (英語版 ) 'とも。和訳で「共同三国」など)と呼称するようになった[ 117] 。
ロシアによるクリミア編入宣言や東部ウクライナ紛争への関与疑惑に対して、欧米諸国は対露制裁でウクライナを支援。アメリカ軍 はウクライナ軍へ兵器供給と訓練を実施し[ 111] 、こうした軍事支援はロシアによる侵攻後に本格化した。
ロシアによる侵攻が始まった直後の2022年2月28日、ウクライナはEUへの緊急加盟を要請した[ 118] 。2024年6月25日にEU加盟交渉が開始された[ 119] 。
トルコ 企業600社がウクライナに進出してインフラ建設や再生可能エネルギー事業を手掛けているほか、トルコは軍事用無人航空機 「バイラクタル TB2 」を輸出し、ウクライナ軍が東部紛争の偵察に投入している。ウクライナはトルコの無人攻撃機「アキンチ」にエンジンやプロペラ を供与している。ゼレンスキー大統領は2021年4月にトルコを訪問し、軍事産業での協力関係を強調した。こうした両国の接近は、クリミア・ウクライナ東部紛争でロシアと対立するウクライナと、シリア内戦 やリビア内戦でロシアと別の勢力を支援するトルコの利害が一致していることが背景と指摘されている[ 120] 。
在ウクライナ日本国大使館 日本はユシチェンコ 大統領期の2005年3月に同国とのODA円借款 契約を初めて締結しているが(190億9200万円、償還期間30年)、ヤヌコーヴィチ 大統領およびティモシェンコ 首相の時期は契約を行っておらず、2014年6月7日にポロシェンコ が大統領となり9年ぶりに契約の締結を再開した。2014年7月には100億円(償還期間20年間)、2015年6月に1081億9300万円(同40年間)、12月に369億6900万円(同20年間)と、巨額の資金貸付けが行われた[ 121] 。
2005年 8月1日より日本国民がウクライナに入国する際のビザ(査証 )を短期90日までの滞在(ただし、就労を伴わない活動に限る)に限って、その取得を必要としない制度が開始された。しかしながら、2014年 7月時点、ウクライナ国民の日本への入国には依然としてビザが必要である。
2022年3月1日、ウクライナ日本大使館がロシアと戦う日本人を「義勇兵 」としてTwitter上にて募集[ 122] [ 123] 。約70人の日本人が志願した[ 122] 。
2022年3月16日、ウクライナのゼレンスキー大統領がアメリカ合衆国連邦議会 で行った演説で、「真珠湾攻撃 を思い出して欲しい。あのおぞましい朝のことを」と訴え、ロシアのウクライナ侵攻 を、1941年の太平洋戦争 劈頭に日本がハワイ の真珠湾 を奇襲 したことになぞらえ、日本のネットユーザーから批判を受けた[ 124] 。
同年4月1日、ウクライナ政府公式Twitter にて『現代ロシアのイデオロギー』と題した動画を投稿[ 125] 。ユダヤ人 大量虐殺(ホロコースト )を行ったナチス・ドイツ の独裁者ヒトラー やイタリアのファシズム 指導者ムソリーニ と共に昭和天皇 の顔写真を並べ、「ファシズムとナチズム は1945年に敗北した」と記した[ 125] 。同年同月の24日、「昭和天皇をヒトラーと同一視した」となど批判が高まった事態を受け、動画から昭和天皇の顔写真を削除、Twitterで謝罪した[ 125] 。
同年4月12日、日本の公安調査庁 は「アゾフ大隊 はネオナチ 」と長年にわたり掲載していた記事を削除(404error-記事にアクセスできません)[ 126] 。公調は「8日にHPで示した以上の見解はない」とした[ 126] 。
同年10月7日、ウクライナ最高議会は「北方領土 をロシアに占領された日本固有の領土と確認する 」決議を採択した。ロシアの侵略に対する日本との協力関係を期待したものと見られる[ 127] 。
2024年10月、ウクライナ政府は兵庫県 神戸市 中央区 の神戸学院大学 ポートアイランドキャンパスに名誉領事館を開設した。日本とウクライナ間の交流促進を目的としており、旅券発給などの業務は行わない[ 128] 。
2013年 に、ヤヌコヴィッチ 政権は中国と「中国ウクライナ友好協力条約」を締結している[ 129] [ 130] [ 131] 。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮) とは関係が深く、長年にわたりICBM などの兵器技術提供も行っていた[ 132] [ 133] 。2022年7月13日、北朝鮮がドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の国家承認をした事を理由に、ウクライナは北朝鮮との国交を絶った[ 134] 。
ウクライナ大統領府が、ロシアへの抗戦中の2022年9月13日に公表した国家安全保障の基本計画は、「自衛のための軍事力」保有を国防の根幹と定めるとともに、欧米諸国やトルコに支援を求め、ロシアが要求した「非軍事化」を否定した[ 135] 。
ウクライナは欧州連合(EU)だけでなく欧米諸国の軍事同盟 である北大西洋条約機構 (NATO)への加盟を希望しており、NATOは、ロシアの侵略に対する防戦を支援する「NATOウクライナ理事会」を設置している。NATOは将来の加盟に向けて、ウクライナに汚職対策や人権尊重といった改革を求めている[ 136] 。
ウクライナ軍は、陸軍 、海軍 、空軍 、空中機動軍(空挺部隊 )、特殊作戦軍(特殊部隊 )、海兵隊の6軍種 からなる。2022年 1月時点の報道で、推定20万9000人。
ウクライナには、ウクライナ正規軍以外に、以下の準軍事組織 が存在する。
2022年ロシアのウクライナ侵攻 に抵抗するパルチザン活動も行なわれている[ 137] 。
このほか、ウクライナ国内の政治運動の過程で創設された武装組織が複数あり、一部は後にウクライナ政府の統制下に入った。
また親ロシア派も実効支配している地域で武装組織を有している。
大統領附属の合議制機関として国家安全保障・国防会議 が存在する。
また、国家保安庁 が、サイバー攻撃への防衛など防諜 ・情報機関 や治安組織としての活動を行っている[ 138] 。
ウクライナはユーラシア・ステップ 西部に位置し、国土のほとんどは、肥沃な平原、ステップ (草原 )、高原で占められている。ドニエプル川 、ドネツ川 、ドニエステル川 が横切っており、南のブーフ川 とともに、黒海 、アゾフ海 に注ぎ込んでいる。黒海北岸にはクリミア半島 が突き出しており、ペレコープ地峡 でウクライナ本土とつながっている。南西部にあるドナウ・デルタ はルーマニア との国境になっている。
山岳地帯は、ウクライナの最南端のクリミア山脈 と西部のカルパティア山脈 だけである。最高峰はカルパト山脈にあるホヴェールラ山 (Говерла , Hoverla)で、標高 2,061メートル。これ以外の地域も平坦というわけではなく、東ヨーロッパの中では比較的起伏の多い地形をしている。
気候は温暖な大陸性気候 であるが、クリミア半島の南岸は地中海性気候 により近い。降雨量は局所的に偏っており、北部や西部は多く、南部や東部は少ない。夏はほとんどの地域で暖かいが、当然南に行くほど暑い。冬は黒海沿岸は涼しいが、内陸に行くにしたがって寒くなる。
ウクライナは、24の州と、クリミアにある1つの自治共和国 、そして2つの特別市から構成される。ただし、クリミア自治共和国 とセヴァストポリ はロシア連邦の実効支配下にある。また、親ロシア分離独立派が支配するドネツィク州 (ドネツク人民共和国 )とルハンスク州 (ルガンスク人民共和国 )のドンバス 地域の一部、およそ推定人口300万人程度の地域に対する管轄も及んでいない(「クリミア危機・ウクライナ東部紛争 」参照)。ロシアは2022年に始めた侵攻でウクライナ東南部を自国に編入すると宣言したが(ロシアによるウクライナ4州の併合宣言 )、ウクライナと国際社会は承認しておらず、ウクライナは奪回作戦を進めている。
ウクライナの都市(2021年[ 139] ) 位 都市 行政区分 人口 位 都市 行政区分 人口 キーウ ハルキウ
1 キーウ (キエフ)キーウ 2,962,180人 11 ルハーンシク ルハーンシク州 399,559人 2 ハルキウ ハルキウ州 1,433,886人 12 ヴィーンヌィツャ ヴィーンヌィツャ州 370,601人 3 オデッサ オデッサ州 1,015,826人 13 マキイフカ ドネツィク州 340,337人 4 ドニプロ ドニプロペトロウシク州 980,948人 14 セヴァストポリ セヴァストポリ 340,297人 5 ドネツィク ドネツィク州 905,364人 15 シンフェロポリ クリミア自治共和国 336,330人 6 ザポリージャ ザポリージャ州 722,713人 16 チェルニーヒウ チェルニーヒウ州 285,234人 7 リヴィウ リヴィウ州 721,510人 17 ヘルソン ヘルソン州 283,649人 8 クルィヴィーイ・リーフ ドニプロペトロウシク州 668,980人 18 ポルタヴァ ポルタヴァ州 283,402人 9 ムィコラーイウ ムィコラーイウ州 476,101人 19 フメリニツキー フメリニツキー州 274,582人 10 マリウポリ ドネツィク州 431,859人 20 チェルカースィ チェルカースィ州 272,651人
ウクライナ鉄道 , キエフ中央駅ウクライナ西部の主要鉄道駅、リヴィウ駅 ウクライナ南部の主要鉄道駅、オデッサ駅 ハリコフ駅はウクライナ東部の主要鉄道駅である。 ズナメンカ市(キロヴォフラード州 )の鉄道駅。ウクライナ全土の路線を結ぶ、国土中央部で最も重要な交通駅。 ウクライナの交通は、鉄道 、バス 、船舶 、航空機 、自動車 などによっている。鉄道は、ウクライナ鉄道 によって一元化されている。一方、ウクライナの航空会社 はソ連時代のアエロフロート 一括管理型から多くの中小の航空会社 が競合する状態になっている。
ウクライナで一般的な高速道路の一種で、特に国土の約70%を占める小さな町や農村地帯で多く見られ、全体主義のソビエト時代の名残である。 ウクライナはヨーロッパで最も貧しい国の一つであり、インフラが未発達である。数百万人が暮らす大都市を除けば、ウクライナのインフラの大部分はソビエト時代の遺産であり、道路の劣悪な状態は数十年もの間変わっていない。2020年、ゼレンスキー大統領の「大建設」(ウクライナ語: Велике будівництво )プログラムの一環として、近代的な歩道が多くの都市に初めて登場した。
都市間輸送は国営鉄道のウクライナ鉄道 が運行されている。主要都市には地下鉄 及び市電 、またエレクトリーチカ が運行されている。
フラッグ・キャリア のウクライナ国際航空 が国内国際線ともに運行している。ハブ空港としてボルィースピリ国際空港 がキーウ近郊にある。
イーホル・コロモイスキー 2022年に始まったロシアによる侵攻に伴い、最初の1年間で経済的損害は3490億ドル(世界銀行 などの推計)にも達したが、ウクライナ経済研究所の調査では同国企業の85%が西部への疎開などにより操業を継続している[ 140] 。
国際通貨基金 (IMF)の統計によると、2013年 のウクライナの国内総生産 (GDP)は1783億ドルである。1人あたりGDPは3,930ドルであり、西隣にあるポーランド(1万3393ドル)の約30%、北隣にあるベラルーシ(7,577ドル)の約半分、世界平均の約40%程度の水準にとどまり、ジョージア(3,604ドル)、アルメニア (3,208ドル)、モルドバ(2,229ドル)と並ぶ欧州最貧国の一つである。2015年の推計によると、1人あたりGDPは2,001ドルまでに低下し[ 141] 、旧ソ連の最貧国レベルとなっている。タタール人 のリナト・アフメトフ 、イスラエル 国籍も持つユダヤ人 のイーホル・コロモイスキー などの一部のオリガルヒ による寡頭制 資本主義体制が続いている。
ソ連時代は連邦内の重要な農業および産業地帯であったが、現在は天然ガスを中心とするエネルギー供給のほとんどをロシアに依存しており、経済の構造改革の遅滞と相まって他国の影響を受けやすいものになっている。さらに国家腐敗が進行しているため、事態は深刻さを極めるものとなっている[ 142] 。
工業では、ソ連時代以来の有力な軍事産業 が存在する。中華人民共和国 が企業買収などによりウクライナの軍事技術取得を図り、アメリカ合衆国の意向もあってウクライナ政府が阻止する事例もある[ 143] 。
1991年 、政府はほとんどの物資の価格を自由化し、国有企業を民営化するための法制度を整備した。しかし、政府や議会内の強い抵抗により改革は停止され、多くの国有企業が民営化プロセスから除外された。1993年 の末頃には、通貨政策の失敗によりハイパーインフレーション にまで至った。
フリヴニャ 1994年 に大統領に就任したレオニード・クチマ は、国際通貨基金 (IMF)の支援を受けながら経済改革を推進し、1996年 8月には10万分の1のデノミ を実施し、新通貨フリヴニャ を導入した[ 144] 。現在の政府は、経済への介入を極力減らし、調整方法を合理化することに努めるとともに、企業家を支援する法環境を整備し、包括的な税制の改革を行った。ただし構造改革の政治的な問題に関わる分野や農地の民営化に関する改革は遅れている。1999年 の生産高は、1991年の40%にまで落ち込んだ[ 145] 。しかし、同年には貿易収支が初めて黒字を記録[ 146] 。その後もフリヴニャ安や鉄鋼業を中心とした重工業により、2000年 の国内総生産 は、輸出 の伸びに支えられて6%という経済成長率を見せ、工業生産高の成長率も12.9%だった。これは独立以来初めての上方成長であった。2001年 から2004年 までの間も、中国への鉄鋼輸出の急増などに起因して高度成長が続いた。
ところが2005年 、ユシチェンコ政権の成立後暗転し始める。それまでの好調なウクライナ経済は、ロシアからの安価なエネルギー資源および原料の供給、経済発展 を続けるロシアや中国への輸出などによって支えられていた。しかしユシチェンコ大統領は就任直後、ロシアとは距離を置き、EUやアメリカ合衆国などとの関係を強化する姿勢を示した。大統領はアメリカなど西欧諸国からの投資拡大を見込んでいたが、実際にはそれほど投資は増えず、逆にロシアからの安価なエネルギー資源供給が受けられなくなった(「ロシア・ウクライナガス紛争 」参照)。またロシアに並ぶ輸出相手国であった中国の需要が減少するなど経済環境が悪化。
2008年以降は世界金融危機 の影響を受けてウクライナ経済は再び落ち込み、債務不履行 (デフォルト)の瀬戸際まで追い込まれた。経済安定化のため2008年10月にはIMFより総額165億ドルに及ぶ緊急融資を受けた[ 147] 。2010年7月にはIMFより新たに152億ドルの融資を受けることで合意した[ 148] 。
2014年クリミア危機 とその後現在まで継続しているウクライナ東部での戦闘により、ロシアとの関係が極度に悪化した。それにより深刻な経済危機に陥り、2015年の経済成長 率は-11.6% となっている。1人あたり国内総生産 (GDP)も2,109ドルにまで落ち込むなど欧州最貧国となっている。
2015年12月31日、ロシアに対する30億ドルの債務を返済しなかったことを根拠に、ロシア財務省はウクライナはデフォルト状態であると指摘した[ 149] 。
通貨単位 はソ連ルーブリ =100コペイカが使われてきて、独立後1992年からはカルボーヴァネツィが使われたが、2003年から現在はフリヴニャ =100コピーカを使っている。
銀行 関係では、ウクライナ国立銀行 が中央銀行 で、商業銀行 のプリヴァトバンク (オリガルヒ 経営であったが、乱脈経営のため2016年に国有化 )、ウクライナ国立貯蓄銀行 などが全国に支店を持っている。
ウクライナは小麦 、ジャガイモ 、ヒマワリ などを産する農業大国であり[ 150] 、また農産物の輸出面でもMHP などが活躍している。
鉱工業 では、石油 ・天然ガス 面ではナフトガス・ウクライナ が全土をカバーし、豊富な石炭 ・鉄鉱石 も参して、ウクライナ中部および南東部で製鉄業 が盛んで、クリヴォリジュスタリ製鉄所 、アゾフスタリ製鉄所 、イリイチ製鉄所 、インターパイプ などがある。
天然ウラン の資源量は2019年時点で世界第10位であるが、開発は進んでおらず生産量は少ない[ 151] 。
主なサブセクター(下位部門)は繊維産業、衣料品産業、皮革および毛皮産業となっている[ 152] 。
1990年代以降、フォジーグループ などウクライナ資本の小売業 店の展開などが顕著である。
ウクライナ共和国・『ユージュマシュ』(Yuzhmash)製造 - 再使用型液体燃料ロケットエンジン『RD-120』 アメリカ合衆国エアロジェット・ロケットダイン社製再使用型液体燃料ロケットエンジン『RS-25』と同等水準かつ互換性を有し代替エンジンとして使用可能な再使用型液体燃料ロケットエンジン『RD-120』製造メーカー『ユージュマシュ』(Yuzhmash)を擁し、また同社はアメリカ合衆国のノースロップ・グラマン・イノベーション・システムズ社により開発・打ち上げられている中型ロケット『アンタレス』の実質的主要開発メーカーでもある[ 153] [ 154] 。
低価格ステルス無人多用途単発ジェット攻撃機『ACE ONE』搭載エンジン - ウクライナ製アフターバーナー付ターボファンジェットエンジン『Ivchenko-AI-322F』(“Ivchenko-AI-222-25F”新規生産型エンジン) ウクライナの軍需企業『ウクロボロンプロム』傘下の航空機メーカー「ANTK アントーノウ」(旧称:アントノフ設計局)および同国内の航空機用ターボファンエンジン製造メーカー『イーフチェンコ』(Ivchenko)その他が開発を主導した低価格ステルス無人多用途単発ジェット攻撃機『ACE ONE』に結実された各種要素技術など注目に値する人材や技術が揃っている[ 155] [ 156] 。
※『宇宙産業』及び『航空産業』の記事作成に関しては『ユージュマシュ』(Yuzhmash)公式英語版サイト及び『ACE ONE』公式英語版サイトの公式情報を参照しました。
通信分野では、固定電話 を引き継いだウクルテレコム があり、ウクライナにおける携帯電話 では、キーウスター 、ボーダフォン・ウクライナ 、ライフセル などが活躍している[ 157] 。
1990年代には賃金の低さと開発能力の高さから西側諸国を相手にするITアウトソーシング 企業が誕生し、「東欧のシリコンバレー 」と呼ばれるほどIT産業が成長した[ 158] 。開発能力の高さはITの基礎となる数学教育に力を入れた結果であるとされる[ 159] 。
ITインフラの整備も進んでおり、公共サービスの多くはデジタル化されスマートフォンの操作で完結するという[ 159] 。
この節の
加筆 が望まれています。
(2024年8月 )
この節の
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(2021年8月 )
ウクライナの科学技術はヨーロッパにおける科学の歴史上、非常に重要な位置付けをされているものの一つに数えられる。同国は前身のソビエト・ウクライナ時代、ソビエト連邦の宇宙開発 に多大な貢献を果たしており、数多くの科学者を輩出している。
民族(ウクライナ) 2001
その他 (4.6%)
ウクライナにおけるウクライナ人の割合(2001年 度全ウクライナ国勢調査 より) ウクライナは多民族国家 である。主要民族はウクライナ人 で、全人口の約8割を占める。ロシア人 は約2割を占める。ほかに少数民族としてクリミア・タタール人 、モルドヴァ人 、ブルガリア人 、ハンガリー人 、ルーマニア人 、ユダヤ人 がいる。高麗人 も約1万人ほどいる[ 160] 。
国内最大の少数民族であるロシア人の割合が高い州は、ロシアが実効支配しているクリミア自治共和国 とセヴァストポリ を除くとルハーンシク州 (39.2%)、ドネツィク州 (38.2%)、ハルキウ州 (25.6%)、ザポリージャ州 (24.7%)、オデッサ州 (20.7%)、ドニプロペトロウシク州 (17.6%)の順となっており、東部以外ではキーウ市 (13.1%)が高くなっている。また、西部のザカルパッチャ州 ではハンガリー人 が12.1%を、チェルニウツィー州 ではルーマニア人 が12.5%を占めている。
ウクライナは2021年に「先住民法」を制定し、ゼレンスキー大統領 が7月21日に署名して成立した。先住民族 としてクリミア・タタール人 、クリミア・カライム人 、クリムチャク人 の3民族を認定した[ 161] 。これに対してロシア検察は翌日、欧州人権裁判所 への提訴を発表した[ 162] 。ロシア連邦大統領 ウラジーミル・プーチン は先立つ7月12日、『ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について 』という論文を発表していた[ 163] 。
人口が集中しているのはキーウ 、ドネツィク州 、ハルキウ州 、リヴィウ州 、ドニプロペトロウシク州 で、全人口の69%が都市部に住んでいる。
人口密度 の高い州はドネツィク州 、リヴィウ州 、チェルニウツィー州 、ドニプロペトロウシク州 である[ 164] 。
多数民族(2001年)肌色はウクライナ系、青色はロシア系
ウクライナの家庭で話される言語の使用率統計(2006年)[ 165] ウクライナ語
38.2% ロシア語
40.5% 上記言語の両方
16.2%
ウクライナ語話者(緑)とロシア語話者(黄)の分布(2001年)。棒グラフはウクライナ語は紫、ロシア語は水色、1989年は淡色、2001年は濃色 ロシア語の第二公用語化に賛成する割合(2005年)。西部のリヴィウ州 、ヴォルィーニ州 、テルノーピリ州 の3州は賛成の割合が低い(黄緑)。 ウクライナの国家語 は憲法第10条により定められたウクライナ語 のみであるが、憲法第10条にはロシア語 を含む多言語使用・発展も保証すると記載されている。実態としてはウクライナ社会はウクライナ語とロシア語の二言語社会と呼びうる。その他の言語として、クリミア・タタール語 (クリミア自治共和国 )、ハンガリー語 (ザカルパッチャ州 )、ルーマニア語 (チェルニウツィー州 )なども使われている。
2001年の国勢調査によれば、全体の67.5%がウクライナ語を母語とし、ロシア語は29.6%となっていた。東部、南部と首都キーウではロシア語の割合が比較的高い[ 166] 。他方、2006年に行われた民間調査統計によれば、ウクライナ語を母語 とする国民は5割強となっている[ 167] など、統計によるばらつきがみられる。同じ調査統計の結果で、母語ではなく日常的に使用する言語を問う設問では、家庭内でウクライナ語のみを使用するのは全国民の38.2%、ロシア語のみが40.5%、両言語が16.2%となっており[ 168] 、ウクライナはウクライナ語とロシア語の2言語国家であることがよく示されている。
1959年、1970年、1979年、1989年、2001年の国勢調査による、ウクライナ各地域におけるウクライナ語話者人口の割合。 ウクライナはロシア帝国およびソ連時代にロシア語化が進み、西ウクライナを除いて共通語 としてロシア語が広く普及し、圧倒的に優勢となった。また、当時はウクライナ語はロシア語の方言 や農村部の方言に過ぎないという認識さえあり、使用は衰退していった。特に都市部に住むインテリ層の間ではロシア語の使用が広まり、農村部ではウクライナ語、都市部ではロシア語という色分けができていた。しかしながら、ソ連からの独立時にウクライナ語を唯一の公用語として指定し、国民統一の象徴の言語として広く普及させ、復活させる国策を採った。一方、ロシア語は公用語に制定せず、ウクライナ語の復権を重要課題に掲げて重視した。これは、同じくロシア語が最も使われてきた隣国ベラルーシ が独立後もロシア語を引き続き最重要視する政策とは対照的な路線をとった。
ウクライナでは政府機関ではウクライナ語のみが使われ、憲法・法律をはじめ、公的文書は全てウクライナ語で記述され、学校教育は大半がウクライナ語で行われる。また、街中の広告もウクライナ語に限定され、地下鉄 のアナウンスや街中の案内表記もウクライナ語とされるが、ロシア語も言語法の手続きを通じた地方公用語として認定されている場合には地方レベルで使用可能である。この背景には、国家としてウクライナ語の普及を進める一方で、西ウクライナを除く地域の都市部住民の中には民族的にウクライナ人 であっても日常生活ではロシア語を主に使用している人が少なくなく、ウクライナ語を運用することはできるが、ビジネスや娯楽、家庭での言語はロシア語が優勢となっている。さらに、東部や南部では、ウクライナ語を不得手とする人も少なくない。このように、独立以降ウクライナ語のみを国家語にしてきたウクライナであるが、生活の現場でのロシア語の使用頻度は低下しておらず、西部を除いた地域においてはロシア語は引き続き重要な言語となっている。
特徴的な点として、ウクライナ西部にあるリヴィウ州、ヴォルィーニ州、テルノーピリ州、イヴァーノ=フランキーウシク州 のガリツィア地域はソ連時代を通じてもロシア語化が進まなかったことからウクライナ語が圧倒的に優勢で、日常的にロシア語が使われることは一般的でない。この3州ではロシア語の第2国家語化への反対者が多い。一方、東部の住民にはロシア語の公的地位向上を求める世論もあり、しばしば政治の場における敏感な論点となる。しかし、ウクライナ語が不得手な東部出身のウクライナ民族主義者も珍しくなく、使用母語と親露・反露感情は必ずしも一致しない点は留意を要する。
2014年にロシア・ウクライナ戦争 が勃発して以来、そして2022年にロシアによるウクライナ侵攻 が始まって以来、ウクライナ社会ではウクライナ語、文化、歴史への関心が著しく高まっている。同時に、ロシア語に対する大規模な拒否反応や、時には敵意もある[ 169] [ 170] [ 171] 。ウクライナ全体または一部の地域でロシア語を公用語とすることへの支持は、全監視期間を通じて最低水準に達している[ 172] [ 173] 。
同時にロシアは、占領しているウクライナ領土を強制的に ロシア化 する政策を進めている。学校は、完全にウクライナ語を話す集落でさえロシア語のみで教えられ、ウクライナ語の教科書は禁止されている[ 174] [ 175] [ 176] 。ヒューマン・ライツ・ウォッチ の報告書によると、ロシアは占領地の小学生に反ウクライナ・プロパガンダを教え込み、ロシア当局は多くの国際法規定に違反してウクライナ語を排除する措置を取り、今も取り続けるという[ 177] 。ロシアに強制送還されたウクライナの子供たち もまた、ロシア化の対象となっている[ 178] [ 179] [ 180] 。
婚姻時には改姓せず夫婦別姓 とすることも、いずれかの姓に統一し同姓とすることも、複合姓とすることも、いずれも選択可能である[ 181] 。
首都キーウ にある聖ソフィア大聖堂 (世界遺産 ) 宗教団体所属(ラズムコーウ・センターによる世論調査、2006年) 無宗教ないし宗教団体に属していない
ウクライナ正教会・キエフ総主教庁
ウクライナ正教会 (モスクワ総主教庁系)
ウクライナ東方カトリック教会
西方カトリック教会
現在ウクライナの国民は多くキリスト教徒のアイデンティティを持っているが、大半は特定の宗教団体に属していない[ 182] 。伝統的な宗教は、正教会 の一員であるウクライナ正教会である。ルーシの洗礼以来、ウクライナの正教会はコンスタンディヌーポリ総主教庁 に属していたが、1686年 にモスクワ総主教 庁に移され、20世紀末までモスクワ総主教庁に属していた。この移管は教会法 に違反していたと指摘されるが[ 183] 、モスクワ総主教庁側はこの移管を「教会法違反」とは捉えていない。1990年 には、ウクライナの独立運動の興隆に呼応して、モスクワ総主教庁から分離独立したキエフ総主教庁 が設立された。
キエフ総主教庁・ウクライナ正教会の教会法上の合法性を認めている他国の正教会は長らく存在していなかったが、キエフ総主教庁は教会法解釈・歴史認識につき主張をしつつ、自らの合法性の承認を得るべく様々な活動を行い、信徒数の上でもウクライナにおける最大の教会となった。なお、懸案だったロシア正教会からの独立問題については、2014年にロシアがクリミア半島を併合 したことによる反ロ感情の高まりを受け[ 184] 、2018年10月11日にコンスタンティノープル総主教庁 から独立の承認を得ることに成功した[ 184] 。
この承認に基づいて、2018年12月15日、首都キーウにある聖ソフィア大聖堂 で開かれた統一宗教会議で、ロシア正教会から独立したウクライナ正教会の創設が宣言された(「ウクライナ正教会 (2018年設立) 」参照)。オブザーバーとして出席したポロシェンコ大統領は「ロシアからの最終的な独立の日だ」と群衆に述べた[ 185] 。
これに次ぐ正教会として、モスクワ総主教庁の下に留まりつつ事実上の自治を行っているウクライナ正教会(「ウクライナ正教会 (モスクワ総主教庁系) 」参照)もあるが、ウクライナ国内での信者数は減少している。2022年ロシアのウクライナ侵攻 をキリル1世 (モスクワ総主教) が支持したことでこの傾向は加速し、キーウ国際社会学研究所が同年7月に実施した世論調査では、帰属意識を持つ教会としてウクライナ独自の正教会を挙げた人が54%と最多で、モスクワ系ウクライナ正教会は2021年の18%から4%に減った[ 186] 。したがって、2020年代における宗派別信者数は、右のグラフや下記のデータから大きく変化している。
他にもウクライナ独立正教会 と独立合法ウクライナ正教会 の教会組織が存在する。また、ロシア正教古儀式派教会 の教区やポモーリエ派 の会衆 など、正教古儀式派 の信徒も伝統的に存在している。
東方典礼カトリック教会 たるウクライナ東方カトリック教会 が正教に次いで勢力を有する。西方典礼のカトリック教会 およびプロテスタント 、さらにイスラム教徒 、ユダヤ教徒 、仏教徒 も少数存在する。
朝鮮 出身の開祖である文鮮明 による「愛天、愛人、愛国」の教えを説く統一教会 は2012年の時点で193の国家に支部を置いており[ 187] 、ウクライナを活動拠点の一つとしている[ 188] 。
キーウ大学 リヴィウシカ・ポリテフニカ大学 1995年から6歳から17歳までの11年間が義務教育である。小学校・中学校に相当する9年間は同じ学校に通い、10年目以降は普通学校と専門学校のいずれかを選択することになる。このため11年間同じ学校に通う生徒も存在する。
必須科目はウクライナ語のほか、情報学、経済学などで、英語は1年生からの必須科目である。2000年から2001年の調査によると全体の7割がウクライナ語で教育を受け、残りの3割弱がロシア語となっている。そのほか、クリミア・タタール語、ハンガリー語、ルーマニア語でも教育が行われている。
ウクライナの学校は、3月末に1週間の春休み、6 - 8月に3か月間の夏休み、12月末 - 1月に約2週間の冬休みがある。
幼少期から数学 教育が重視されており、IT産業の発達に寄与したとされる[ 159] 。
ウクライナ国立学士院 この節の
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(2021年8月 )
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(2021年8月 )
ウクライナ国民保健サービス ウクライナにおける医療は、ソビエト連邦 の医療制度を継承する形で整備された、ユニバーサルヘルスケア制度 の一環として位置づけられている。ウクライナ国内での医療および保健分野の国家政策は、ウクライナ保健省 (英語版 ) によって実施されている。
2015年3月時点において、ウクライナに存在する医療機関の内訳は以下のとおりである。
ウクライナ保健省が管轄する医療機関は約3,050施設であり、国内全体の約91%を占めている。 刑務所医療部門が管轄する医療機関は114施設で、全体の約3%に相当する。 医学アカデミーが管理する医療機関は41施設で、全体の約1%を構成している。 ウクライナで法律上は、医療が国民に無料で提供されるべきであるが、実際には患者が医療の多くの費用を負担している[ 190] 。
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(2022年4月 )
WAP(世界動物保護協会)の2020年の評価[ 191] によると、ウクライナの動物福祉評価は総合評価でE(AからGの7段階評価。Aが最も評価が高い)。分野ごとの評価では「動物の虐待行為への法規制」はC、「畜産動物の福祉(アニマルウェルフェア )」はE、「コンパニオンアニマル(ペット)の保護」はF、「実験動物の保護」はDなどとなっている。
強制給餌への批判があるフォアグラ については、2019年9月に最後の強制給餌農場を閉鎖。法律で明示的に禁止されていないが、強制給餌の慣行は国内で中止となった[ 192] 。ウクライナ最大の家禽企業であるMHPもフォアグラの生産を中止している[ 193] 。EUとウクライナ間の貿易においては、EU の動物福祉 産基準への段階的な適合を条件とする協定を交わしている[ 194] 。
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(2021年8月 )
ウクライナ検事総局発表による2017年時における犯罪 登録件数は約52万件と依然高い水準である。また、クレジットカード やキャッシュカード のスキミング 被害事例が散見されており、「財布落とし」と呼ばれる人間の親切さを逆手に取った犯罪の被害も依然として複数寄せられているなど金銭絡みの事件が多発している為、同国の滞在には常に注意が求められる[ 195] 。
米国務省 からテロ組織と指定されている極右ネオナチ 組織「C14 」が存在し、彼らはこれまで数々の治安犯罪を犯してきたが、国や地方行政と癒着し活動を行っている[ 196] [ 197] [ 198] [ 199] [ 200] 。
また、犯罪件数の多さから刑務所 自体も種類分けが多く、2000年時点では、32の仮刑務所、成人向けの刑務所が131か所、軽犯罪者向けの刑務所が8か所存在する[ 201] 。アムネスティ・インターナショナル からの報告によれば、同国内の刑務所では警察による拷問 や虐待 が蔓延しており[ 202] [ 203] 、数人の警官が被拘禁者を拷問した疑いで逮捕されている[ 204] 。
ウクライナは単一国家である為、法執行 は国家レベルで集中化されており、その実働も高レベルの国家機関によって執り行われている。
国内における法執行の殆どは内務省 によって行われているが、場所や内容によっては独立機関や他の省庁機関の下で執り行われる場合がある。
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(2021年11月 )
ウクライナの警察は、内務省 所属の国家警察 が担っている。
同国の警察は、ソ連時代から民警(ミリーツィヤ) と呼ばれており、ソ連崩壊以降も2015年に国家警察へ再編されるまでは「民警」と呼ばれていた。
米国務省 からテロ組織と指定されている極右ネオナチ組織「C14 」は、警察と協力してキーウの自警組織をつくっている[ 196] 。
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(2021年8月 )
主要メディアは以下が挙げられる。
ウクライナ発祥地のボルシチ は国内で最も一般的なスープである ウクライナ料理は、東欧を代表するウクライナ人 の伝統的な食文化 である。その歴史はキエフ大公国 時代に遡る。ウクライナ料理は、ポーランド料理 、リトアニア料理 、ルーマニア料理 、ロシア料理 、ユダヤ料理 などの食文化にも大きな影響を与えた。一方、他国の料理の影響が見られる[ 206] 。
主食 はパン であり、パンに類する食品も多い。その中で、ヴァレーヌィク (ウクライナ風餃子 )、ハムーシュカ 、フレチャーヌィク (団子 )、コールジュ 、コロヴァーイ (ケーキ の一種)、パスカ (復活祭 のパン)、クチャー (小麦 か米 の甘い粥 )などがある。魚 ・肉 の料理が比較的少なく、スープ や野菜 の煮物 などの料理が圧倒的に多い。世界的にも有名なウクライナ料理ボルシチ は、大まかに50種類以上のレシピ があるが、ウクライナでは豚肉、ロシアでは牛肉が主流である。肉料理は豚 肉料理、魚料理は鯉 類料理が一般的である。さらに、肉料理としてサーロ (豚 の脂身 の塩漬け )が頻繁に利用される。飲み物は甘い、もしくは甘辛いものが多い。メドウーハ (蜂蜜酒 )、ホリルカ (蒸留酒。唐辛子 や呼称を漬け込むこともある)、ナスチーイカ (果実酒 )、クヴァース (液体のパン)などがある[ 206] 。
おもな調理法 は軽く炒めて茹でること、また軽く炒めて煮ることである。揚げ物 などは少ない。調味料としては、サーロ、向日葵油 、スメターナ 、酢 、塩 、蜂蜜 などが用いられる[ 206] 。
ウクライナでは、ウクライナ料理のほかに、クリミア・タタール料理 が存在する。
ウクライナのプィーサンカ この節の
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(2022年1月 )
黄金の門 11世紀のキエフに存在した要塞の正門で、現存するのは1982年にソビエト当局によって再建ならび復元されたレプリカ である同国における建築はキエフ大公国が起源となるものが多く、12世紀のハールィチ・ヴォルィーニ大公国時代からリトアニア大公国ならびウクライナ・コサック が存在した15世紀後半の時代にポーランド・リトアニア共和国の影響下でウクライナ独自の建築技法が開発されて行った。その技法は形を変えつつも途絶えることなく以降の現代へ続いている。
有名な歴史的建造物には以下が挙げられる。
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(2022年1月 )
女性の民族衣装(ルハンシク郷土史博物館) ウクライナの民族衣装は、ソロチカ、ヴィシヴァンカ などがある。これらは刺繍 が施され、飾りだけではなく、魔よけの意味がある[ 207] [ 208] 。地方ごとに独自の刺繍法があり[ 209] 、約200種類の技法、数千種類のモチーフがあるといわれている[ 210] 。伝統の布として、美しい刺繍のされたルシュニキ(ルシェニク[ 211] 、ルシニーク[ 209] とも)があり、儀式にも使われる[ 210] 。伝統的な花の冠はヴィノク と呼ばれる[ 208] [ 212] 。
ウクライナ国内には、ユネスコ の世界遺産 リストに登録された文化遺産 が4件、自然遺産 が1件存在する。
ウクライナではその歴史やキリスト教に由来する祝祭日が多いが、2014年に始まったロシアによる侵略 以降、日取りや位置づけに変化が起きている。伝統的にロシアと同じ1月7日 (ユリウス暦 )に祝われていたクリスマス は他の欧州諸国と同じ12月25日 (修正ユリウス暦 )に変更する法律が2023年7月28日、ゼレンスキー大統領により署名された[ 213] 。クリスマスの非ロシア化は2022年ロシアのウクライナ侵攻 で加速し[ 214] 、ウクライナ正教会 は同年12月24日、ウクライナのカトリック 教会や他の正教会とのトップ会談で、 クリスマスや復活祭 を決める教会暦 の改革に向けた作業部会設置で合意していた[ 186] 。独ソ戦 の勝利記念日である5月9日 は2022年から祝日ではなくなった[ 215] 。他国におけるヨーロッパ戦勝記念日 である5月8日は、ウクライナでは「追悼と和解の日」に定められている[ 215] 。2024年以降5月8日は対独戦勝記念日 として祝日に定められ、5月9日はヨーロッパの日 になる。[ 216]
ウクライナの英雄であるアンドリー・シェフチェンコ (2010年) ウクライナでも他のヨーロッパ 諸国同様、サッカー が圧倒的に1番人気のスポーツ であり、2012年 にはポーランド との共催でUEFA EURO 2012 が開催されている。サッカー以外の球技 ではテニス やバスケットボール が、格闘技 ではボクシング 、柔道 、総合格闘技 が人気である。
サッカー 1991年 にサッカーリーグのウクライナ・プレミアリーグ が創設され、リーグ優勝はディナモ・キーウ (16回)とシャフタール・ドネツク (14回)の2クラブによって殆ど支配されている(他はタフリヤ・シンフェロポリ の1回のみ)。ウクライナサッカー連盟 によって構成されるサッカーウクライナ代表 は、FIFAワールドカップ には2006年大会 で初出場しベスト8の成績を収めた。UEFA欧州選手権 には3度出場しており、2021年大会 では過去最高位のベスト8に進出している。
ウクライナ人 のサッカー選手 の象徴的な存在として、現役時代は「ウクライナの矢 」と呼ばれたアンドリー・シェフチェンコ がおり、主にACミラン で活躍しセリエA・得点王 とUEFAチャンピオンズリーグ 得点王に2度輝いており、2004年にはバロンドール も受賞している。シェフチェンコは引退後は、ウクライナ代表の監督を務めた。他に有名な選手としては、マンチェスター・シティ で活躍したオレクサンドル・ジンチェンコ (現在はアーセナル 所属)、総額1億ユーロでチェルシー に加入したミハイロ・ムドリク 、レアル・マドリード の守護神アンドリー・ルニン 、2023-24シーズン、ラ・リーガ 得点王のアルテム・ドフビク らがいる。
2021-22シーズンはロシアのウクライナ侵攻により、国内リーグ戦の全試合が無期限中止となり、その後打ち切り「優勝チームなし」と決定した[ 217] 。さらにロシアとの戦争が継続中の2022年8月23日、シャフタール・ドネツクとメタリスト1925・ハルキウの試合を2022-23シーズン (英語版 ) の開幕戦として、255日ぶりに国内でのサッカーリーグが開催された[ 218] 。なお、ロシア軍の標的になるのを避けるため「全試合が無観客開催」となる。
ウクライナにおける国の象徴には様々な経緯から分断された同国民を国内で代表し、また国外においては国家と国民を代表する目的が込められたものが多い。
ウクライナではセイヨウカンボク とスミミザクラ の2種類が国花 に指定されている。
ウクライナの国果 はガマズミ である。
国樹 (英語版 ) にはセイヨウシロヤナギ (英語版 ) が指定されている。
公式には定められていないが、トパーズ が国石 に準ずるものと広く認識されている。また、非公式ではあるものの、ジャスピライト (英語版 ) が「ウクライナを象徴する宝石 」として認識される場合がある。
シュバシコウ とヨーロッパコマドリ の2種類が国鳥 に指定されている。
ユーラシアヒグマ (英語版 ) とヨーロッパバイソン の2種類が国獣 に指定されている。
ウクライナのナショナルカラー は国旗 の配色と同じく、青 と黄色 の2色となっている。
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