| 夕映少女 | |
|---|---|
| 作者 | 川端康成 |
| 国 | |
| 言語 | 日本語 |
| ジャンル | 短編小説 |
| 発表形態 | 雑誌掲載 |
| 初出情報 | |
| 初出 | 『333』1936年12月号 |
| 出版元 | スタア社 |
| 刊本情報 | |
| 刊行 | 円頂書房1946年4月25日 装幀:石井友太郎 |
| 収録 | 『雪國』 創元社1937年6月12日 装幀:芹沢銈介 |
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『夕映少女』(ゆうばえしょうじょ)は、川端康成の短編小説。海岸の保養地を舞台に、夕映えのように美しい少女と胸を患う少年の悲しい恋愛と、その2人の結末を眺めていた不思議な性格の窃視症の女と、少女の肖像画を描いた画家夫婦の絡まりを、1人の男の視点で描いた物語[1]。夕映えの海辺で振り向いた少女の画像が印象的な、哀しく美しい趣の作品となっている[1]。作中に登場する「夕映少女」は、川端作品に通じる主題である「純潔な少女」の象徴ともなっている[2]。
2008年(平成20年)1月26日に船曳真珠監督によりオムニバス映画『夕映え少女』の4話目として映画化された。
1936年(昭和11年)、スタア社発行の雑誌『333』12月号に掲載され[注釈 1]、翌年1937年(昭和12年)6月12日に創元社より刊行の『雪國』に収録された[3]。その後1946年(昭和21年)4月25日に単行本『夕映少女』が丹頂書房より刊行された[3]。なお、1977年(昭和52年)刊行の集英社文庫版などは『夕映え少女』と表記されているが、1980年(昭和55年)刊行の新版『川端康成全集第5巻』では原題通り『夕映少女』となっている。

海岸が近い松林の別荘保養地にやって来た瀬沼は、ある日曜日の夕方散歩中、海岸で美しい少女を見かけた。自転車を止めて弟と一緒に夕日を見ていた少女がこちらを振り向いた瞬間、瀬沼はこの前見た展覧会の絵の少女が彼女だとすぐに分かった。鷹のように光っている目の美しいその少女は、阪見という家の令嬢で、体の弱い弟の保養のため、別荘のあるこの地に住んでいた。瀬沼の昔の知り合いの春子は画家の夫・松本と共に、阪見家別荘の隣りに住み、松本が少女の肖像画を描いたのだった。
瀬沼が宿泊している割烹旅館「松葉館」の女中・お栄は、働き者の陽気な女で、犬と庭でごろ寝してしまうような野性と健康的な身体だったが、どこか冷たいような影があり、実家の肉親への愛着も薄いようだった。瀬沼はそんな野蛮な美のお栄や、海岸で出会った少女に興味を持ち、受持ちの女中から様々な話を耳にした。お栄には、お客の部屋の前で立ち聞きをしたり、覗き見をする秘密の趣味があり、その病的な癖は治らないらしかった。お栄の意外な秘密を知った瀬沼には、それがお栄の不思議さに似つかわしいようにも思われ、お栄という女の魅力がなまなましく触れてくるような気がした。
「松葉館」の離れには、肋膜炎の予後を静養している竹田少年が滞在していた。竹田少年は、阪見家の少女姉弟と親しく、少女は自転車の後ろに弟を乗せて訪ねて来るらしかった。竹田少年の部屋の壁には、あの少女の胸像の絵が飾ってあった。竹田少年が静かに横たわって、その絵の少女をじっと見上げているのを瀬沼は目撃した。
次の土曜日の夜更け、にわかに旅館が騒がしくなった。阪見家の少女と竹田少年が行方不明になっていた。竹田少年は胸の病気が腎臓に転移して手術をしなければならないのを恐がり、そのことを少女が同情して心中したと憶測された。人々が右往左往する中、瀬沼はお栄を見た。お栄は人々の陰に座ってポロポロ泣いていた。お栄は、少年と少女の恋愛をつぶさに知っていて、その後をつけて心中を見届けて帰ったのを、瀬沼は直感した。
2人の恋愛のなりゆきを誰にも言わずに密かに楽しみ、少年少女の血を啜ってきたようなお栄を瀬沼が見下ろしていると、お栄ははっとそれに気づいて、うつ向けに突っ伏して激しくむせび泣いた。その艶めいて残酷な姿を見ているうちに瀬沼は、自転車の少女の姿を思い出した。弟を後ろに乗せて、夕映えの空に昇天してゆく少女の絵を描くことを、松本(春子の夫)に勧める時もあろうと瀬沼は思った。
『夕映少女』は、少女と少年の悲しい恋愛と、画家夫婦と、不思議な性格を持つ宿の女中(窃視症の女)との絡まりを、瀬沼という男の視点で描いているが、この瀬沼は作者・川端康成の分身的な人物とされている[1][2]。巖谷大四は、この男の視線を「遠くの方から射るように眺めている」と表現し[1]、『夕映少女』を、「一幅の名画を見るような哀しく美しい作品」と評しながら、美しい少女の画像が、「物語の一つのかなめ」になっていると解説している[1]。
瀬沼(作者・川端)の観察者の視点を鑑みながら、『夕映少女』を、「『禽獣』の主題」の明確な発展だと考察している三島由紀夫は、『夕映少女』では、 官能的な女中・「お栄の体」に「作者の目」が喰い入っているようでいて、実はそれよりも、窃視症癖のある「お栄の目」に「作者の目」が喰い入っているとし[2]、しかしそれは、『禽獣』の主題が「客観性を得た」と簡単に言えるものではなく、「さらに錯綜して苦しみを増した」と説明している[2]。そしてその複雑さについて三島は、「お栄の性格の秘密」が、「お栄にとつて無意識なもの」(『母の初恋』の雪子や、その他の川端作品のヒロインの少女たちのように)である限りにおいては、作者(川端)の目」を逃れることは不可能であり[2]、「お栄の秘密」(窃視症)が「作者にとつて既知のものであり、意識されてゐる」限りにおいては、「お栄の目」には「作者の目」が憑いて来ると三島は解説している[2]。
そして三島はその理由について、作者・川端自身の目は、「未知で不可知である“いのちの核心” “いのちそれ自体”(少女や禽獣のようなもの)以外のもの」に対しては、多かれ少なかれ、「それらの持つ眼差に、苦く痛々しく混じって来る習わし」だからだと説明し[2]、この『夕映少女』では、「お栄を通じて、『禽獣』の苦痛が二重の苦痛になり、ある意味では救はれ、ある意味ではますます救ひがたくなつてゐる」と論考しつつ[2]、それは、お栄がそれ自身一匹の「禽獣」でもあるからだと、その二重性について解説している[2]。
『夕映少女』は、1936年(昭和11年)の初出作品であるが、1946年(昭和21年)4月25日に丹頂書房から刊行された単行本には、他に6編の短編が収録され、それ以降の文庫本には、これら同作品が収録されるようになった。それらには、様々な階層の女性や少女の「繊細な心の動き」が描かれており、その中に作者・川端の「生い立ちの翳」がうかがわれる作品群となっている[1]。以下におもな概要を記載する。
1936年(昭和11年)、雑誌『雄弁』8月号(第27巻第8号)に掲載[4]。1937年(昭和12年)7月20日に竹村書房より単行本刊行[4]。
1936年(昭和11年)、雑誌『改造』1月号(第18巻第1号)に掲載[5]。1937年(昭和12年)6月12日に創元社より刊行の『雪国』に初収録[5]。
1935年(昭和10年)、雑誌『改造』10月号(第17巻第10号)に掲載[6]。一部に伏字が行われた[6]。1936年(昭和11年)12月27日に改造社より刊行の『花のワルツ』に初収録[6]。
1938年(昭和13年)、雑誌『改造』4月号(第20巻第4号)に掲載[7]。1939年(昭和14年)12月19日に改造社より刊行の『川端康成選集第九巻』に初収録[7]。
1932年(昭和7年)、雑誌『サンデー毎日』臨時増刊新作大衆文学11月10日号(第11巻第52号)に掲載[9]。1934年(昭和9年)12月25日に竹村書房より刊行の『抒情歌』に初収録[9]。
1940年(昭和15年)、雑誌『中央公論』1月号(第55巻第1号)に掲載[10]。同年12月20日に新声閣より単行本刊行[10]。
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