アムステルダム (オランダ語 :Amsterdam ,発音: [ˌʔɑmstərˈdɑm] (音声ファイル ) )は、オランダ の首都 。北ホラント州 の基礎自治体 (ヘメーンテ )であり、オランダ最大の都市である。人口921,402人(2022年)、都市圏人口は2,480,394人にのぼる。商業 や観光 が盛んなヨーロッパ 屈指の世界都市 である[ 6] 。地名は「アムステル川のダム(堤防)」の意(「ダム広場 」の項を参照)。
憲法 に規定されたオランダの首都だが、国会、中央官庁、王宮、各国の大使館など首都機能 のほとんどはデン・ハーグ にある[ 注釈 1] 。
元々は小さな漁村だったが、13世紀 にアムステル川 の河口にダムを築き、町が築かれた。16世紀 には海運貿易の港町として、ヨーロッパ 屈指の都市へと発展した。現在のアムステルダムは、アムステルダム中央駅 を中心に市内に網の目状に広がる運河 や、その運河に沿って並ぶ無総督時代 の豪商の邸宅、自転車、飾り窓 の女性たち、アンネ・フランク の家などで広く知られる。
アムステルダムは昔、海だった所を干拓 によって陸地化した土地に建設されたため、内陸部の都市より歴史が浅い。干拓が始まったのは11世紀頃と推定されているが、当初は農業や泥炭 採掘が目的で居住者は少なかった。13世紀後半になると交易の拠点となり、地名が文献に現れ始め、街は急速に発展した。
1306年献堂の旧教会 (Oude Kerk) アムステルダムは13世紀に漁村として築かれた。伝説によれば、犬を連れて小さな船に乗った二人の猟師が、アムステル川 の川岸に上陸して築いたということになっている。アムステル川をせき止めた(アムステルのダム :Dam in de Amstel)というのが街の名前の由来。1287年 12月14日 、北海 からの高波がゾイデル海 に流れ込み、聖ルチア祭の洪水と呼ばれる大水害を引き起こした。これによってゾイデル海は大きく拡大するとともに、北海へと開口することになり、ゾイデル海の一番奥にあるアムステルダムが海陸の接点として注目されることとなった。1300年 (または1301年 )に自由都市 となり、14世紀 にはハンザ同盟 との貿易により発展した。やがて15世紀にはハンザ同盟をしのいでバルト海 交易の中心地となっていった。
1538年当時のアムステルダム 16世紀 には当時ネーデルラント17州 を支配していたスペイン 王フェリペ2世 やその後継者に対する反乱が起こり、八十年戦争 へ発展した。この間、アムステルダムは独立派に組していた。1585年 8月に南ネーデルラント のアントウェルペン がスペインのパルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼ に降伏すると、アントウェルペンの新教徒商人がアムステルダムへと続々と移住し、アムステルダムはそれまでのバルト海交易のみならず、それまでアントウェルペンが支配していた地中海 交易や新大陸 、アジア からの交易をも手に入れ、これによってアムステルダムは世界商業・金融の中心地となっていった。独立を獲得したオランダ共和国 はその宗教的に寛容であった。スペインやポルトガル からはユダヤ人 がレコンキスタ から逃れてきたし、アントウェルペン からは豪商が進出してきた。ユダヤ人はこのアムステルダムとアントウェルペンでダイヤモンド の加工を営んだ。フランス からはユグノー が安住の地を求めてやって来た。フランドル からの豊かで洗練された移住者はオランダ語 の基礎を作り、オランダの商業的発展の礎を築いた。1609年にヴェネツィア 流のアムステルダム銀行 ができた。
17世紀 はアムステルダムの黄金の時代と考えられている。17世紀初頭、アムステルダムは世界で最も裕福な都市であった。アムステルダムの港は浅かったものの広く、交易の結節点ならびに商業の中心地としての魅力はその欠点を補って余りあった[ 7] 。1595年 、アムステルダムの商人はコルネリス・ハウトマンの船団をアジアへと派遣し、船団はジャワ島 から東方の物産を積んで帰国した。これによって東方貿易ブームが起きるが、あまりにも過当競争となったために、1602年 に東方貿易の独占権を持ったオランダ東インド会社が設立された[ 8] 。アムステルダムの港を発する商船 は、北アメリカ大陸 やアフリカ大陸 を始め、現在のインドネシア やブラジル まで含めた広大なネットワークを築いていた。アムステルダムの貿易商はオランダ東インド会社 (VOC)やオランダ西インド会社 (WIC)の主要な地位を占めていた。これらの特許会社は後世のオランダ植民地 を形成する海外権益の基礎となった。具体的には中南米のプランテーションで生産された砂糖 が送られてきた。
アムステルダムは欧州で最も重要な交易市場であったが、世界を牽引する金融中心地でもあった。アムステルダム証券取引所 は世界初の常設取引所であった。チューリップ・バブル では先物取引 などが行われていた。ヘーレン運河、プリンセン運河、ケイザー運河といった運河が同心円状に建設され、アムステルダムの運河 網が形を整えていったのもこの時代である。
オランダはこの時代世界でもっとも出版の自由や言論の自由 、思想の自由が保障されている国であり、宗教的にも寛容であったため、ヨーロッパ各国から文化人が亡命し、オランダ、特に最大都市であるアムステルダムに居を構えた。アムステルダムにはこの当時400軒の出版業者が軒を連ね、ルネ・デカルト などもアムステルダムに落ち着いている[ 9] 。こうして、アムステルダムは文化の中心となっていった。
アムステルダムの人口 は1500年 には1万人を少し超えるくらいであったが、1570年 には3万人、1600年 には6万人、1622年 には10万5,000人、1700年 には約20万人と急増した。それから150年程度はほぼ横ばいであったが、第二次世界大戦 前の100年で4倍に急増して80万人となり、それ以降は安定している(2005年1月1日現在の人口は74万2,951人)。
1814年当時のダム広場 及び王宮 18世紀 から19世紀 前半にかけては、アムステルダムの繁栄にも陰りが見えた。イギリスやフランスとの相次ぐ戦争はアムステルダムの富を搾取した。ナポレオン戦争 の頃がどん底であった。しかし、1815年 にオランダ連合王国 が建国された頃から徐々に復興し始めた。
19世紀 終わり頃は、2度目の黄金時代と呼ばれることもある。アムステルダム国立美術館 、アムステルダム中央駅、コンセルトヘボウ が建てられた。同じ頃、産業革命 がこの地に到達した。アムステルダム・ライン運河 が開通し、アムステルダムからライン川 へ直行ルートが開かれた。北海運河 も開通し、北海 への最短ルートを提供した。この2つのプロジェクトの完成は、欧州内陸部と外部との通商を活発にした。
第一次世界大戦 の少し前には市域が拡大し、新市街が拡張された。第一次大戦ではオランダは中立国 であったが、アムステルダムは食糧不足と(暖房用の)燃料不足に苦しんだ。物不足から市民の暴動が起き、何人かが犠牲となった。
第二次世界大戦 では、1940年 5月10日 にナチス・ドイツ がオランダに電撃侵攻を開始。侵攻開始3日後の5月13日、政府は首都機能をロンドンへ移転[ 10] 、さらに翌5月14日には降伏してドイツに占領された[ 11] 。
ドイツは国家社会主義ドイツ労働者党 (ナチス)の友党的存在のオランダ国家社会主義運動 (オランダ・ナチス)による文民 政権をアムステルダムに発足させ、占領政策に協力させた。戦争の最後の1か月間は通信手段が全て奪われ、食料と燃料の供給も絶たれた。多くの住民が食料を得るため農村に向かった。犬や猫、砂糖大根 までもが生きるために食料とされた。アムステルダム市内のほとんどの樹木は切り倒され燃料とされた。また収容所送りになったユダヤ人が住んでいたアパートは取り壊され、木材は燃料とされた。
第二次世界大戦後、アムステルダムは復興し、再び欧州の主要都市となった。
アムステルダムの地勢図 アムステルダムは北ホラント州 に属し、フレヴォラント州 やユトレヒト州 と接している。市名の由来となったアムステル川 は市の中心部で多くの運河に分割されて、最終的にはその運河群が中心部北側にあるアイ湾に注ぎ込む。アムステルダムの平均海抜は2mである[ 4] 。周辺の土地のほとんどは大規模な干拓地で形成されており、そのため周囲は非常に平坦である。町の南西部には広大な人造林であるアムステルダムセ・ボス 公園がある。また、アムステルダムは長い北海運河によって北海と接続されている。
アムステルダムは都市化が進んでおり、周辺地域をあわせたアムステルダム都市圏を形成している。市の面積は219.4km2 であり、平均して1km2 あたり2275軒の家と4457人の住民が居住している[ 12] 。公園や自然保護区は、アムステルダム市の面積の12%を占めている[ 13] 。
市内に張り巡らされた運河 アムステルダムの中心部の町並みは、アイ湾 に面したアムステルダム中央駅 を基点として放射状に広がっている。町の中心はダム広場 であり、中央駅とはダム通りで結ばれている。ダム広場に面して、王宮が建っている。この王宮は1648年 にアムステルダム市庁舎として建設され、ナポレオン戦争でルイ・ナポレオン が王宮として用いるまでは市庁舎として使用されていた。現在ではオランダの王家はハーグ に住んでおり、この王宮は迎賓館として使用されることもあるが、普段は一般に公開されている。現在のアムステルダム市庁舎は中央駅から真南、ダム広場からは南東に位置するワーテルロー広場 に面している。レンブラントの家 もこの付近に位置する。
中央駅を基点として、運河も放射状に張り巡らされている。このアムステルダムの運河 は世界遺産 にも登録されている。運河沿いの建物は流通に便利だったため、間口の広さに応じて税金がかけられた。このため、運河沿いに現在も残る家並みは間口がどこも狭く、その代わり奥に非常に長く伸ばして作られている[ 14] 。この運河沿いの建物は現在も保存され、運河には観光用ボートや水上バスが走り、アムステルダム観光の目玉の一つとなっている。王宮から真西に行った運河沿いにはアンネ・フランクの家 がある。
放射状の運河の最も外郭に位置するのがシンゲル運河である。この運河は、1480年 から1585年にかけてはアムステルダムの外堀にあたっていた。王宮の南西、シンゲル運河にほど近いライッツェ広場には市立劇場があり、交通の拠点ともなっている。またライッツェ広場周辺にはバーやレストランも集まっている。
シンゲル運河の南側にはアムステルダム国立美術館 があり、そこから南西に広がるムセーウム広場(英語読み: ミュージアム広場)にはファン・ゴッホ美術館 、アムステルダム市立近代美術館、そして世界有数のコンサートホール であるコンセルトヘボウ があり、多くの観光客が集まる。コンセルトヘボウにはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 が本拠を置いている。
市の南西部は高級住宅街となっており、フォンデル公園 などがある。ムセーウム広場から西へと伸びるP.C.ホーフト通りには高級ブランド店が立ち並ぶ。市の南部にはオランダ近代建築の父といわれるヘンドリク・ペトルス・ベルラーヘ がアムステルダム南部市域拡張計画においてプランニングし建設した地区が現在も残っている。
アイ湾に面したZeeburgやWestpoortは港湾地区であり、アムステルダム港の中心部をなしている。
アムステルダムの気候は北海 から吹き付ける西風に強く影響を受け、ケッペンの気候区分 では西岸海洋性気候 (Cfb)に属する。降霜は、おもに内陸のヨーロッパ大陸側から吹きつける東風や北東風の時に発生する。アムステルダムは三方を水に囲まれ、さらにヒートアイランド現象 のため、25km南東のヒルフェルスム で気温が-12℃をしばしば下回る時でも、冬の夜でもめったに気温が-5℃を下回ることはない。夏季は適度に温暖で、暑くなることはまれである。最も暑くなる7月の平均気温は18.1℃で、30度を越えることは1年に平均して2.5日しかない。アムステルダムの最高気温記録は36.4℃、最低気温記録は-19.7℃である。降雨日数は平均して年間187日であるが、年間平均降水量は814.3mmにすぎない。これは、降雨のほとんどが小雨や霧雨の形をとることによる。10月から4月までの冬季は、曇天で湿度の高い日々が続く。
北緯52度 に位置するにもかかわらず、北大西洋海流 の影響により、冬季の気温が高い。低緯度である北緯35度 に位置する東京 や名古屋 よりも冬季の平均最低気温が高く、降雪 量も少ない。
アムステルダム (1991年–2020年)の気候 月 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 年 最高気温記録°C (°F ) 14.0 (57.2) 18.6 (65.5) 24.1 (75.4) 28.0 (82.4) 31.5 (88.7) 33.2 (91.8) 36.4 (97.5) 34.5 (94.1) 32.8 (91) 25.6 (78.1) 18.9 (66) 15.5 (59.9) 36.4 (97.5) 平均最高気温°C (°F ) 6.2 (43.2) 6.9 (44.4) 10.3 (50.5) 14.3 (57.7) 17.9 (64.2) 20.6 (69.1) 22.6 (72.7) 22.5 (72.5) 19.2 (66.6) 14.7 (58.5) 10.1 (50.2) 6.9 (44.4) 14.4 (57.9) 日平均気温°C (°F ) 3.9 (39) 4.1 (39.4) 6.5 (43.7) 9.8 (49.6) 13.3 (55.9) 16.0 (60.8) 18.1 (64.6) 18.0 (64.4) 15.1 (59.2) 11.3 (52.3) 7.4 (45.3) 4.6 (40.3) 10.7 (51.3) 平均最低気温°C (°F ) 1.5 (34.7) 1.5 (34.7) 3.3 (37.9) 5.7 (42.3) 9.1 (48.4) 12.0 (53.6) 14.0 (57.2) 14.0 (57.2) 11.5 (52.7) 8.3 (46.9) 4.9 (40.8) 2.3 (36.1) 7.3 (45.1) 最低気温記録°C (°F ) −16.3 (2.7) −19.7 (−3.5) −16.7 (1.9) −4.7 (23.5) −1.1 (30) 1.7 (35.1) 5.0 (41) 2.0 (35.6) −3.4 (25.9) −3.4 (25.9) −8.1 (17.4) −14.8 (5.4) −19.7 (−3.5) 降水量 mm (inch)71.0 (2.795) 53.9 (2.122) 49.2 (1.937) 41.6 (1.638) 53.2 (2.094) 63.0 (2.48) 76.0 (2.992) 88.2 (3.472) 77.5 (3.051) 82.1 (3.232) 79.2 (3.118) 79.4 (3.126) 814.3 (32.057) [要出典 ]
アムステルダムの行政区(2010年以降) 市役所本庁は、中央区 (Centrum) のワーテルロー広場 に置かれている。本庁舎建物は歌劇場と一体となっており、Stopera (St adhuis+Opera ) と呼ばれている。
アムステルダム市は9の行政区 (Stadsdelen) に分割されており、西港区 (Westpoort) を除いて各区には区役所を置いている。
中央区 Centrum Binnenstad, Grachtengordel, Plantage, Westelijke Eilanden, Oostelijke Eilandenを含む 北区 Noord Tuindorp Oostzaan, Kadoelen, Oostzanerwerf, Buiksloot, Buikslotermeer, Nieuwendam, Landelijk Noordを含む 南東区 Zuidoost Venserpolder, Bijlmer, Gaasperdam, Bullewijk, Driemondを含む 西区 West Spaarndammerbuurt, Staatsliedenbuurt, Frederik Hendrikbuurt, Kinkerbuurt, Overtoom辺り, Admiralenbuurt, Hoofdweg辺り, Mercatorplein, Landlust, Bos en Lommer, Sloterdijkを含む 新西区 Nieuw-West Slotermeer, Geuzenveld, Slotervaart, Overtoomse Veld, Nieuw Sloten, Osdorp, De Aker, Sloten, Oud-Osdorpを含む 南区 Zuid De Pijp, Museumkwartier, Willemspark, Schinkelbuurt, Hoofddorppleinbuurt, Stadionbuurt, Apollobuurt, Rivierenbuurt, Prinses Irenebuurt, Zuidas, Buitenveldertを含む 東区 Oost Weesperzijde辺り, Oosterparkbuurt, Dapperbuurt, Transvaalbuurt, Watergraafsmeer, Indische Buurt, Oostelijk Havengebied, Zeeburgereiland, IJburgを含む ウェースプ区 Weesp Bloemendalerpolder, Oostelijke Vechtoever, Aetsveldsepolder, Aetsveld, Weesp Zuid, Weesp Binnenstad, Hogewey, Weesp Noordを含む 西港区 Westpoort Westelijk Havengebied, Bedrijvengebied Sloterdijkを含む アムステルダム港など管轄している西港区は、港湾・産業地区で住民が少ないため、区役所を置かず市役所本庁が直接業務を執行している。また、中央区役所 (Stadsdeel Centrum) は市役所本庁舎建物内にある。2022年3月に自治都市だったウェースプ がアムステルダムの一部になり、アムステルダムの第9地区となった。アムステルダムの人口はその影響で91万となった。
2010年まで15の行政区が存在し、次の通りであった:
Centrum(中央区), Amsterdam-Noord(北区), Oud-Zuid(旧市街南区), De Baarsjes, Bos en Lommer, Geuzenveld/Slotermeer, Oost/Watergraafsmeer, Osdorp, Oud-West(旧市街西区), Slotervaart, Westerpark(西公園), Westpoort(西港区), Zeeburg, Zuideramstel, Amsterdam Zuidoost(南東区)。
住民構成(2022年) 国籍 人口 オランダ 378,002 モロッコ 77,345 スリナム 65,748 トルコ 44,351 インドネシア 22,850 ドイツ 19,275 イギリス 16,295 ガーナ 13,198 イタリア 12,737 アメリカ 12,323 オランダ領アンティル 12,259 フランス 10,692
2010年には、アムステルダムの人口中オランダ人が占める割合は50.1%にすぎず、アムステルダムの総人口の34.9%、18歳未満の人口の52.6%がヨーロッパ以外からの移民であった。ヨーロッパ以外からの移民の内訳としては、モロッコ からの移民が最も多く、次いで旧オランダ領であったスリナム からの移民がほぼ同数居り、ともに人口の9%を占める。次いでトルコ からの移民が5.3%、オランダ領アンティル およびアルバ からの移民が1.5%をしめ、残りが10.1%である[ 15] 。
宗教的にはキリスト教徒 が17%(2000年)で最も多いが、キリスト教徒はカトリック とプロテスタント でほぼ二分されている。ついで大きな宗教グループはイスラム教徒 であり、人口の14%(2000年)を占める。イスラム教徒のほとんどはスンニ派 が占めている[ 16] [ 17] 。
2019年、アメリカ のシンクタンク が発表したグローバル都市指標では世界20位の都市と評価された[ 18] 。特に報道自由性の項目では首位であった[ 18] 。
オランダの多国籍企業の多くが本社を置くZuidas ヨーロッパ有数の金融都市アムステルダムには、ユーロネクスト・アムステルダム (旧名称:アムステルダム証券取引所 )、オランダ銀行 などがおかれ、オランダの多くの大企業がここに本社を置く。2020年にイギリスのシンクタンクZ/Yenグループが発表した調査によると、世界27位の金融センター と評価されている[ 19] 。日系企業としてはルノー=日産アライアンス の拠点、みずほ銀行 、西日本鉄道 、ホテルオークラ 、[ 20] などがある。
アンネ・フランクの家 など観光資源が豊富であり、観光客を含む市内の宿泊数は2006年の年間800万泊から2016年の1400万泊へと拡大傾向にある。一方で、合法的なマリファナ を楽しめるカフェや興味本位で飾り窓 などを訪れるなど、地元が歓迎しない観光客も増えており問題となっている[ 21] 。アムステルダム市には、合法的な飾り窓が集中するワレン地区(いわゆる赤線 )があるが、飾り窓の労働者からは観光客が多すぎて商売にならないとの声もあがっていること[ 22] 、また、性産業従事者が観光の目玉として扱われているという懸念を受け、市側は旅行会社が実施している見物ツアーを2020年1月以降は中止することとしている[ 23] 。
アムステルダム大学 市内には、1632年に創立された公立のアムステルダム大学 と、1880年に創立されたキリスト教系のアムステルダム自由大学 がある。どちらも学生数2万人を超える大規模な大学である。
アムステルダム自由大学のキャンパスはアムステルダム南駅 近くにまとまっているが、アムステルダム大学のキャンパスはアムステルダム市内各所に分散して存在している。例えば経済学部はメトロWeesperplein駅近くにあり、法学部は中央区のスパイ近くの旧市街にある。
アムステルダム職業大学 、アムステルダム芸術職業大学 、ヘーリット・リートフェルトアカデミーなどの職業大学 (HBO)がある。
ファン・ゴッホ美術館 市内の運河 を巡る観光船 この町は自転車 に乗る人が多く、車道と歩道の間に自転車専用路が設けられている。中央駅付近には巨大な駐輪場があり、絵葉書などにも自転車をあしらったものがある。
アムステルダム・スキポール空港 市の南西に接する形でアムステルダム・スキポール空港 がある。アムステルダム中央駅 やアムステルダム南駅 などからは鉄道で10〜20分程度で結ばれている。アムステルダム南駅やアムステルフェーン ビネンホフからはバスが10分に1本程度運行されている。
市の外縁には環状高速道路 (Ring, A10 ) が一周し、そこから以下の放射状路線が分岐している。
旧市街中心部の道幅は狭く自動車の乗り入れも困難なため、トラム や自転車 が主要交通手段である。運河沿いや路地など細い道を除き自転車専用レーンが設けられ、信号は自動車や歩行者とは別に自転車専用信号が設置されていることが多い。なお、自転車も道路右側を走ることが義務付けられており、自転車専用レーンであっても逆行は許されない。
アムステルダムは世界で最も自転車の走行しやすい都市のひとつとして知られており、わずかな料金で使用できる駐輪場や自転車スタンドが町のあちらこちらに設置され、自転車文化が発達している。2006年にはアムステルダムには465000台の自転車があった[ 24] 。一方で盗難も多く、2005年には54,000台の自転車がアムステルダムで盗まれた[ 25] 。平坦な地形や自動車の運転しにくさなどから、アムステルダムでは自転車はすべての社会階層の人々によって利用されており、小さなアムステルダムで自転車道の総延長は400kmにものぼる[ 26] 。
トラム 及びアムステルダム中央駅 市街地外周を環状にオランダ鉄道 の路線が設けられており、市街地北端のアムステルダム中央駅 からはオランダ全土への長距離列車だけでなく、ベルギー 、フランス 、ドイツ などへの高速鉄道 や、オーストリア 、ポーランド 、ロシア などへの国際列車 も発着している。なお、一部の列車は中央駅を経由せずアムステルダム南駅 などに停車するものもある。
市街地中心部の鉄道網は市営交通会社(GVB) により運行されているトラム や、市街地と郊外を結んでいるメトロ などがある。トラムはヨーロッパの中でも大きな路面電車網である。また、メトロ路線には地下駅が少ないため「アムステルダム地下鉄」という訳語はあまり使われないが、2018年7月22日に運行開始した北南線 (Noord/Zuidlijn) の開業によって地下駅の数が少し増えた。トラムやメトロの一部の路線は隣のアムステルフェーン やアウデル・アムステル 、ディーメン まで延伸している。
バス は主に郊外や近郊都市との間で運行されており、中央駅 、マルニクス通り、アムステル駅 の各バスターミナルからGVB , Connexxion, Arrivaなどが運行している。また、ユーロラインズ などの国際バス はアムステル駅バスターミナルから発着している。
アムステルダム港は外航船が通航できる北海運河 によって北海 と結ばれている。市街地中心部を網の目状に張り巡らされている運河は、各所の閘門を経由してアムステル運河や北海運河と接続されている。また、主要な運河を横切る道路や鉄道路線の橋は、跳ね橋のような可動橋となっている。運河は観光用のクルーズ船が運航されている他、市街地中心部と市北部の間のアイ湾を横断するフェリーのみは無料で運航されている。
アムステルダム市内には市街地中心にあるフォンデル公園 をはじめ、スローテル公園、レンブラント公園、ベアトリクス公園、アムステル公園など多くの公園がある。また、隣のアムステルフェーン 市との間には935haの広大なアムステルダムセ・ボス が存在している。
1928年 に第9回夏季オリンピック が開催された。
アムステルダムで最も人気のスポーツ はサッカー であり、プロサッカーリーグのエールディヴィジ に所属するAFCアヤックス (AFC Ajax )は、世界的にも非常に有名なクラブとして知られる。クラブは1900年 に創設されており、ホームスタジアムは収容人員55,865人(2022年 現在)のヨハン・クライフ・アレナ (Johan Cruijff ArenA )である。
AFCアヤックスはエールディヴィジ 史上最多の36回の優勝を飾っており、KNVBカップ でも史上最多の20回の優勝を果たしている。UEFAチャンピオンズリーグ においても、オランダのクラブ最多となる4度の優勝を成し遂げている。1965年 にリヌス・ミケルス 監督によって具現化された戦術、トータルフットボール は余りにも有名である。また、元オランダ代表 であるヨハン・クライフ も、アムステルダムの東部にあるベトンドルプ (オランダ語版 ) の出身である。
オランダは野球 ・ソフトボール においてイタリア と共にヨーロッパ における強豪国として知られている。アムステルダムを拠点とするアムステルダム・パイレーツ はオランダを代表する野球チームの1つである。
アムステルダムは以下の都市と姉妹都市関係を結んでいる[ 27] 。
オランダ植民地時代だった場所の影響でアムステルダムにちなんで名付けられた場所は数々ある[ 31] 。
^ アムステルダムにも王宮 (英語版 )はあるが、国王は常住していない。 ウィキメディア・コモンズには、
アムステルダム に関連する
メディア および
カテゴリ があります。
公式 その他 初期加盟国 第一次拡張 (1973) 第二次拡張 (1981) 第三次拡張 (1986) 第四次拡張 (1995) 第五次拡張 (2004) 第六次拡張 (2007) 第七次拡張 (2013)
座標 :北緯52度22分05秒 東経4度54分01秒 / 北緯52.367935度 東経4.900364度 /52.367935; 4.900364