マームズベリのウィリアムは自身の著作の中で、アルフレッド大王が彼の幼い孫を儀式で称え、彼に深紅のマント、宝石の埋め込まれたベルト、そして金メッキが施された鞘を備えた刀を与えたと記している[14]。中世ラテン歴史家マイケル・ラピッジ(en:Michael Lapidge )とマイケル・ウッズ(Michael Wood)は、当時アルフレッドの甥のエゼルウォルドが王位継承を主張しアルフレッドの直系子孫にとって大きな脅威となっていたのに対し、アゼルスタンを潜在的な王位継承者であることを内外に示すためにこの儀式を行ったのではないかとしているが[15]、ジャネット・ネルソン(英語版)はこの式典は890年代のアルフレッド大王とエドワード王子との対立の末におこった出来事の一つとして見ており、大王の死後には息子のエドワード王子と孫のアゼルスタンとで王国を分割継承させようとする試みを反映した出来事ではないかと主張している[16]。マーティン・ライアン(Martin Ryan)はネルソンの考えを発展させ、アルフレッド大王は亡くなる間際、自身の後継者として息子エドワードよりも孫アゼルスタンを支持していたのではないかという自説を主張している[17]。当時の折句詩には「アダルスタン王子」を称賛し彼の偉大な未来を予言する内容のものが存在するが、ラピッジによればこの「アダルスタン王子」はアゼルスタン王子を指すものであるとされ、古英語での彼の名の意味:「高貴な石」にかけているのではないかと指摘する[18]。ラピッジとウッズはこの詩がザクセン人修道士ジョン(en:John the Old Saxon、アルフレッド大王によってイングランドに招かれた。)によって編纂されたアルフレッド大王主催の儀式に対する記念詩であると考えられている[19]。マイケル・ウッズによれば、ジョンの詩はマームズベリのウィリアムの記述の強い裏付けとなっているといい、またウッズはアゼルスタンはイングランドではじめて幼少期から知識人としての教育を受けた王子であり、ジョンはその教育を担当する家庭教師的な立場にあった可能性があると指摘している[20]。しかし、サラン・フットはこの折句詩の編纂時期がアゼルスタンの治世初期頃であったならばより理にかなっているだろうと主張している[21]。
エドワード長兄王は在位中、妹のエセルフリーダと義弟エゼルレッド太守の支援のもとでマーシア東部・イーストアングリア地方に割拠するデーン人勢力を征服した。しかしエドワード王が亡くなったあともデーン人ヴァイキングのシトリック王(Sihtric)はヨールヴィーク王国を統治し続けノーサンブリア南部(かつてのデイラ王国領)の支配を続けていた。926年1月、アゼルスタンは妹をシトリック王に嫁がせ、アゼルスタン・シトリック両王は不可侵条約・相互共同防衛条約を締結した。しかしその後まもなくシトリック王は亡くなり、アゼルスタンはこの気を逃すことなくシトリックの遺領に侵攻した[注釈 4]。しかしシトリック亡き後のヨールヴィーク王位を獲得するため、シトリックの従兄弟のグスフリス(Guthfrith)がダブリンから艦隊を率いて来襲したが、アゼルスタンはその艦隊を容易く返り討ちした。アゼルスタンはヨークを制圧し、当地のデーン人を臣従させた。イングランド南部の年代記編者によれば、『アゼルスタンはノーサンブリア人の王国を継承した』というが、彼がGuthfrithと戦う必要があったのかどうかについては明らかになっていない[41]。ウェセックスをはじめとするイングランド南部の諸王はこれまで北方を支配することはなく、ノーサンブリア人はこれまで通りウェセックス王国の支配に反発した。しかし、929年7月12日、ペンリス(英語版)近郊のエアモント(Eamont)でアゼルスタン王はアルバ王コンスタンティン2世、デハイバース王ハウエル善王(英語版)、バンバラ領主エドレッド1世、ストラクスライド王オウェイン1世(英語版)(またはモーガン王(en:Morgan ap Owain of Gwentとも。)[注釈 5]らがアゼルスタン王の権威を認め忠誠を誓った。その後7年にわたり北部は平和が保たれた[43]。
上述のような流れを経て、アゼルスタンは全てのアングロサクソン人の最初の王となり、ブリタンニア諸島の事実上の大君主の座を確立した[48][注釈 7]。歴史家ジョン・マッディコット(en:John Maddicott)が彼の著作『英国議会の起源の歴史』で述べているように、アゼルスタンはブリテン諸島の諸勢力を従えることに成功したことが、925年から975年にかけて続いたイングランド王政における「帝政時代」の幕開けに繋がり、この時代にはウェールズ諸侯やスコットランド諸侯が宮廷に出仕し、勅許状に名を連ねた[50]。アゼルスタンは新たに獲得したノーサンブリア地方の支配に腐心した。彼はビバリー大聖堂(英語版)、聖マリア・聖カスバート教会(en:St Mary and St Cuthbert, Chester-le-Street)、ヨーク大聖堂に贈り物を寄贈し、自身の信心深さを内外に示した。またランカシャー地方のアマンダーネス地区(en:Amounderness)を購入したうえで、当地域の重要な統治者であったヨーク大司教に授与した[注釈 8]。しかし大司教は地元民からはよそ者として忌み嫌われ続け、ブリテン諸島北部の諸王国はイングランドよりもダブリンのノース人勢力との同盟を支持した。南部地域では強力な支配体制を維持できたアゼルスタンではあったが、北部では以前不安定な状況が続いたのであった[52]。
アゼルスタンは934年5月に遠征を開始したとされ、この遠征にはデハイバース王ハウエル善王、グウィネズ王イドワル(en;Idwal Foel)、グウェント王モーガン(Morgan ap Owain)、ブリケイニオグ王テウドゥル(Tewdwr ap Griffri)の4人のウェールズ王が従軍した。また他にも18人の司教、13人の伯爵に加え、イングランド東部に領土を持つ6人のデーン人が付き従った。アゼルスタン軍は6月終わり~7月初頭頃にチェスター・リ・ストリート(英語版)に着陣し、もともとは義母エルフラドがアゼルスタンに対してウィンチェスター司教フリテスタンに渡すように依頼されていたストラなどの宗教祭服を、現地の聖カスバートの墳墓に供えた。この軍事遠征は陸上部隊と海上部隊を同時に運用したものであったとされ、ダラムのシメオン(en:Symeon of Durham)によればアゼルスタン軍の陸上部隊はスコットランド北東部のダノター城(en:Dunnottar Castle)まで進軍し周辺を蹂躙したといい、これは685年にノーサンブリア王(英語版)エグフリス(英語版)が敢行した破滅的な軍事遠征の際にイングランド軍が進軍した最北端地域を超えるほど北進したという。一方の海上部隊はケイスネス地域を襲撃し、恐らくその後はオークニー伯国(英語版)の一部地域の襲撃を行ったとされる[54]。
970年代、アゼルスタンの甥御エドガーが行った貨幣改革によってイングランドはヨーロッパで最も卓越した貨幣技術を有する国となっていた[86]。しかしアゼルスタン王の頃はまだ発展したとは言えない状況であった。硬貨の鋳造はアゼルスタンがイングランド全土を統一したのちも、地域ごとに行われていた。グレートリー法典には、イングランド王国全体で一つの貨幣制度(英語版)を持つべきだとする条項が含まれていたが、これは父王の法典から引用された条項であるとされており、硬貨鋳造所を有する町のリストに記された都市名はロンドンやケントといった南方の都市に集中しており、ウェセックス北部やその他の地域の都市は一つも記されていなかった。アゼルスタンの時代初期頃のイングランドでは、各地域が独自の硬貨を鋳造していたが、ヨークを占領し他のブリテン諸侯を従属させたのち、circumscription crossと呼ばれる新たな形式の硬貨の鋳造を開始した。そしてアゼルスタンはこの硬貨を通じて自身の新たな称号である『全ブリテンの王(Rex Totius Britanniae)』を喧伝した。このタイプの硬貨はウェセックス・ヨーク・マーシア地方イングランド人居住区(マーシアでの硬貨には『サクソン人の王』と刻印されていた。)で鋳造されたものが発見されているが、イーストアングリア・デーンロウでは見つかっていない[87]。
アゼルスタンは自身の取り巻きをウェセックス領内の司教座に任命したが、これはおそらくウィンチェスター大司教フリテスタンに対抗するためであったのであろう。例えば、王室でミサをささげる役目を担っていた修道士(Mass Priest)の1人であったアルフィジ(英語版)はウェルズ司教(英語版)に就任し、ベオルンスタン(英語版)はフリテスタンを継承してウィンチェスター司教に任命された。そしてベオルンスタンの司教座は再びアゼルスタンの取り巻きの1人:Ælfheahに継承された[90]。また、エドガー平和王の頃に発生した修道院改革(英語版)で重要な役割を担うこととなる人物であるダンスタン(Dunstan)・エゼルウォルド(英語版)は若年期にアゼルスタンに仕えており、 王の要望の下で、Ælfheah司教の指名により修道士に任じられたという[91]。エゼルウォルドの伝記編者前唱者ウルフスタン(英語版)によれば、『エゼルウォルドは国王と切り離せない友好の下で長い時間を宮廷で過ごし、彼にとって有益でためになるような国王仕えの賢者たちから多くを学んだ。』という[92]。のちにカンタベリー大司教となる聖職者オダ(英語版)もまたアゼルスタンと親密な関係であったとされ、王はオダをラムスバーリ司教(Bishop of Ramsbury)に任命している[93]。オダ司教はブルナンブルの戦いに参加していた可能性も考えられている[94]。
アゼルスタンは聖遺物の収集でもよく知られており、この時代聖遺物を集めることが珍しいことではなかったのにもかかわらず、彼の収集事業はその規模と収集品の洗練さで際立っている[95]。ドル修道院(en:Ancient Diocese of Dol)の修道院長聖Samsonはアゼルスタンに対して聖遺物を贈答しており、それに付した手紙には『我々は殿下が現世のどの宝物よりも聖遺物に価値を見出すお方であると存じております。』としたためている[96]。アゼルスタンは優れた収集家であると同時に寛大な寄贈者でもあり、写本や聖遺物を教会や修道院に寄贈していた。彼の名声は偉大でありすぎたために、後世の写本編者のなかには自身の修道院・教会がアゼルスタンの寄付・支援を受けたと偽りの主張を行う者もいたほどであった。アゼルスタンは特にチェスター・リ・ストリート地域の聖カスバート(英語版)信仰に没頭したといい、彼は同地域にベーダ・ヴェネラビリスが記した聖カスバートの伝記(英語版)の写本を含む贈答品を寄贈したという。アゼルスタンはこの地域に贈答するためにこの伝記を委託したが、彼が修道院や教会などに贈答してかつ現存している写本の中で、この伝記は彼の時代にイングランドで全編が編纂された唯一の写本であった[97]。この写本には、聖カスバートに本を贈るアゼルスタン王の肖像画が描かれているが、これは現存するものの中で最も古いイングランド王の写本中の肖像画である[98]。ジャネット・ネルソンの見方によれば、『(彼の)超自然的な場所に対する帰依と寛大な習慣が王家の権威を強め新たに統合された帝国の基盤を築き上げた』という[96]。
歴史家たちはしばしばアゼルスタン王の壮大で派手な称号について言及している。彼は硬貨や勅許状にて自身の称号を『全ブリテンの王(Rex totius Britanniae)』と記している。またカンタベリー大聖堂に福音書を贈呈した際、『アゼルスタン、信心深いイングランド人の王でありかつ全ブリテンの王である我が君は、カンタベリーの主な司教区に、キリストにささげられた教会にこの書物を寄進した』と刻まれている。また931年発布の勅許状には、『イングランド人の王で、全能の右手によってブリテンの全王国の王にならせ奉られた統治者』と記されており、またある写本の献辞には『バシレウス並びにクラグルス』(東ローマ皇帝の称号)と記されているのが確認されている[112]。歴史家の中には、このような称号に関して特に強い印象を受けないとの見解を示す者もいる。アレックス・ウォルフ(Alex Woolf)は『アゼルスタン王が野心家であったのは明らかだ』としており[113]、その一方でシモン・ケインズは『「アゼルスタンA」は彼の主を、彼自身の「願望的拡張」に基づいてブリテンの王と書き記したのであろう。』としている[114]。しかし、George Molyneauxによれば、『10世紀当時のイングランド王は緩やかではあるが実質的には島全体に対する覇権を握っており、もしこの覇権が11世紀のイングランド王国が有していたような強力なものであったと仮定するならば誇張されているように見えるだろう。つまりこの解釈は時代錯誤的な基準を適用しているから生まれるのである。』としている[115]。
その後、アゼルスタン王の名声は薄れていったが、自身の属する修道院に埋葬されることを選んだ唯一の王として彼にことさら興味を示していたマームズベリのウィリアムが彼を再評価した。ウィリアムの記述のおかげで彼の功績は後世にまで語り継がれ、他の中世の年代記編者たちも彼を称賛した。16世紀初頭、ウィリアム・ティンダルは、彼の持つ英語版聖書について、かつてアゼルスタン王も聖書を古英語に翻訳させて読んでいたとして、彼の聖書英訳運動を正当化した[155]。16世紀以降、アルフレッドの名声は圧倒的なものとなり、アゼルスタンの功績・名声は世間からの注目を集めなくなった。シャロン・ターナー(英語版)の著作『アングロサクソン人の歴史(英語版)』(初版は1799年から1805年にかけて最初に出版)は、アングロサクソン史の研究活動の普及に重要な役割を果たし、ブルナンブルの戦いをイギリスの歴史における重要な戦いとして確立するのに貢献したが、この本でも、アゼルスタンの取り扱いはアルフレッドに比べてわずかだった。チャールズ・ディケンズは彼の『子供のためのイングランドの歴史』(en:A Child's History of England)でアゼルスタンについてわずか1段落しか書いておらず、19世紀の芸術家たちがアングロサクソン史を人気のある題材として扱い、アルフレッド大王が1769年から1904年の間にロイヤルアカデミーの絵画の題材として頻繁に描かれたにもかかわらず、アゼルスタンの絵は一枚も制作されなかった[156]。
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