はまゆりは、東日本旅客鉄道が盛岡駅 -釜石駅間を東北本線・釜石線経由で運転する快速列車である。
雑多な系統が存在した東北地方の急行列車が国鉄末期に「陸中」に整理され、それが快速列車に格下げされたものである。その名残として東日本大震災以前は上り1本のみ宮古発だった。
急行時代のアコモ改善策として回転リクライニングシートのキハ110形・111形・112形0番台が導入され、快速格下げ後もそのまま使用されている。ただし快速化後、のちにセミクロスシートの車両との混結となった。
朝から夕方にかけて1日3往復、盛岡 - 釜石間で運転されている。
かつて3・4号であった1往復は、2023年3月18日のダイヤ改正で53・54号となり、東北本線内が各駅停車に変更された。
東北本線盛岡駅側より記載。釜石行きが奇数号(1・53・5号)、盛岡行きが偶数号(2・54・6号)となる。
盛岡駅 - (※) -矢幅駅 - (※) -花巻駅 -新花巻駅 -土沢駅 -宮守駅 -(鱒沢駅)-遠野駅 -(岩手上郷駅)-松倉駅 -小佐野駅 -釜石駅
- 53・54号は東北本線内(※:盛岡 - 花巻間)各駅停車。詳細は「東北本線#駅一覧」を参照。
- 鱒沢駅には5・6号のみ停車。
- 岩手上郷駅には53・6号のみ停車。
盛岡車両センター所属のキハ110系気動車を使用している。
自由席は1・2号車、指定席は3号車。
- 基本的に3号車と2号車は0番台(リクライニングシート車)。1号車にも0番台が入ることもある。まれに2号車が0番台、3号車が100番台ということがあるが、この場合は全車自由席として運転される(指定券の発売も中止される)。
- 繁忙期は4両(自由席1・2号車、指定席3・4号車)で運転。この場合、1号車は100番台、3・4号車は0番台となる(2号車は0番台・100番台のどちらかが使用される)。
- 1959年(昭和34年)7月1日:盛岡駅 - 釜石駅間を運転する準急列車「はやちね」が3両で運転開始[1]。
- 1961年(昭和36年):12月26日上野駅 - 宮古駅間を運転する急行列車「陸中」が運転開始(常磐線)経由。1等車連結。ただし、花巻駅より準急列車に格下げ。
- 1965年(昭和40年):盛岡駅発着で東北本線・釜石線・山田線経由で運転する循環準急列車「五葉」・「そとやま」と仙台駅 -弘前駅間を東北本線・釜石線・山田線・花輪線経由で運転する準急列車「さんりく」が運転開始。
- なお、「五葉」・「そとやま」については、通り順でいわゆる外回り・内回りで運転された。
- 盛岡駅→宮古駅→釜石駅→遠野駅→花巻駅→盛岡駅(外回り)「そとやま」
- 盛岡駅→花巻駅→遠野駅→釜石駅→宮古駅→盛岡駅(内回り)「五葉」
- 1966年(昭和41年)
- 3月:準急列車廃止に伴い、「はやちね」・「五葉」・「そとやま」・「さんりく」が急行列車に昇格。
- 10月:「さんりく」の系統を宮古駅で分割し、仙台駅 - 宮古駅間を「陸中」、宮古駅 - 弘前駅を「よねしろ」とする。また、「陸中」の上野駅発着を終了。
1968年10月改正時の急行陸中と関連列車の路線図 実線は陸中と併結の区間、破線は併結ではない区間
- 1968年(昭和43年)10月1日:この日にダイヤ改正(ヨンサントオ)が行われた際、急行「陸中」は仙台駅 -秋田駅間を釜石線・山田線・花輪線を経由し、13時間半かけて走るという遠回り列車(最短経路の北上線経由で同区間を結んだ急行「きたかみ」だと、仙台駅 - 秋田駅間の所要時間は3分の1の4時間半だった)であったが、当時の東北地区の多層建て列車の分割・併結の複雑怪奇さを象徴するような列車ともなった。
- その概略を下り列車で示すと、仙台駅を発車した時の「陸中」は青森行きの「くりこま1号」、大船渡線の盛行きの「むろね」とまず併結して運転されるが、一ノ関駅で大船渡線への「むろね」を切り離し、その代わりに同じ路線からきた「さかり」を併結、続く花巻駅で「くりこま1号」・「さかり」と分かれ、釜石線・山田線を走って盛岡駅へ向かい、盛岡駅で今度は上野駅から弘前駅まで行く「みちのく」と併結、花輪線を走って大館駅で「みちのく」と別れ、代わりに青森駅から来た「むつ」と併結して終点秋田駅に到着するといった具合である。分割・併結をする相手の列車も、その他の場所[どこ?]でまた別の列車と分割・併結を行っていたため、全体像の把握は非常に難解なものとなった。
| 分割・併合駅 | 運行列車 | 分割される列車 | 併合される列車 |
|---|
| 仙台 | 陸中、くりこま1号、むろね | なし | くりこま1号(仙台発) むろね(仙台発) |
| 一ノ関 | むろね(盛行) | さかり(盛発) |
| 陸中、くりこま1号、さかり |
| 花巻 | くりこま1号(青森行) さかり(青森行) | なし |
| 陸中 |
| (釜石線・山田線経由) | | |
| 盛岡 | なし | みちのく(上野発) |
| 陸中、みちのく |
| 大館 | みちのく(弘前行) | むつ(青森発、秋田行) |
| 陸中、むつ |
| 秋田 | | |
釜石駅に停車するキハ110系の急行「陸中」(1999年撮影)- 1990年(平成2年):
- 1991年(平成3年):
- 「陸中」の運転終了後に花巻駅 - 釜石駅間で急行「銀河ドリーム号」運転開始。
- 3月16日:急行「陸中」全列車がキハ110系での運転になる。
- 1992年(平成4年):急行「銀河ドリーム号」の運転終了。
- 1995年(平成7年)12月1日:「陸中5号」の釜石駅 - 宮古駅間を普通列車に格下げ。
- 1998年(平成10年):土沢駅に「陸中」全列車が停車(JR東日本ホテルチェーン「フォルクローロいわて東和」が駅の近くにオープンしたため)。
- 2001年(平成13年)12月1日:急行「陸中5号」(釜石・宮古行き)を格下げし、快速「はまゆり」運転開始(鱒沢駅に停車)。同時に「陸中」「はまゆり」の3号車が指定席となり、全車禁煙となる(これまでは2号車が喫煙車であった)。
- 2002年(平成14年)12月1日:急行「陸中」を廃止し、すべて快速「はまゆり」とする[3]。
- 2004年(平成16年)11月:臨時急行「陸中」が運転され宮古駅 - 仙台駅間をリバイバル運転。
- 2005年(平成17年)12月10日:快速「はまゆり2号」が足ケ瀬駅・平倉駅・岩手上郷駅・青笹駅にも停車。
- 2009年(平成21年)3月14日:快速「はまゆり」全列車が矢幅駅に停車開始。また、快速「はまゆり2号」は時刻変更で再び足ケ瀬駅・平倉駅・岩手上郷駅・青笹駅が通過となる。
- 2011年(平成23年)3月11日:快速「はまゆり」が東日本大震災で運休。4月7日に盛岡駅 - 釜石駅で全車自由席で運転再開。
- 2021年(令和3年)3月13日:快速「はまゆり」全列車が松倉駅停車となる[4]。
- 2023年(令和3年)3月18日:快速「はまゆり」3号と4号を53号と54号に変更、東北本線内盛岡 - 花巻間全駅停車化。
- ^「盛大に「はやちね」発車式」『交通新聞』交通協力会、1959年7月4日、2面。
- ^『鉄道ジャーナル』第21巻第1号、鉄道ジャーナル社、1987年1月、49頁。
- ^外山勝彦「鉄道記録帳2002年11月」『RAIL FAN』第50巻第2号、鉄道友の会、2003年2月1日、20頁。
- ^『2021年3月ダイヤ改正』(PDF)(プレスリリース)東日本旅客鉄道盛岡支社、2020年12月18日。https://www.jreast.co.jp/press/2020/morioka/20201218_mr01.pdf。2020年12月18日閲覧。