| この項目では、踊りについて説明しています。魚の一種については「カッポレ」をご覧ください。 |

かっぽれは、俗謡、俗曲にあわせておどる滑稽な踊り。漢字表記は「活惚れ」。
江戸時代、住吉大社の住吉踊りから変じたものであるとされる[1](諸説ある)。白木綿の衣に丸ぐけの帯、墨染めの腰衣という姿の複数人が、長柄の二蓋笠(にがいがさ)を取り巻いて踊り、その間に掛け合い噺を行う芸能である[1]。
明治時代に入ると、願人坊主の豊年斎梅坊主がかっぽれの名人として好評を博す[1]。豊年斎の人気は、黒田清隆や西園寺公望の屋敷に呼ばれるほどだった[1]。歌舞伎では、豊年斎から指導を受けた9代目市川団十郎が「春霞空住吉」(1882年初演)でかっぽれを披露した[1]。
カッポレという踊りは、もともと卑しき手振にて他の振事と違い、三味線の間に合わせて規則正しき物ならねば、檜(ひのき)舞台で、かの岸沢(きしざわ)の家元などが一番腕を振って踊りよいように弾こうという念があって弾かれた日には、役者は難渋にて踊るのに骨が折れてならぬがこれは何故(なぜ)というに、正しき規則に合わして三味線を弾けばなり。踊りは法外(はずれ)なるを規則に束縛すれば自然踊りにくい訳なり。(9世市川團十郎)歌舞伎新報、1886年7月4日[2]
やがて、かっぽれは大道芸から座敷芸へと変化を見せ、芸妓や幇間なども踊るようになった[1]。
日本でのレコードの創成期には芸妓、幇間、梅坊主、軍楽隊により盛んに吹込みがされたが、のち寄席芸としては廃れ、落語家が時折余興として披露するのみになる。昭和中期にカルチャーセンターで講座を開講すると、主婦層に人気となった。その結果、「江戸かっぽれ」と銘打つ家元制度が確立され、伝統的な芸能として全国的に普及した[1]。落語では、古今亭志ん朝が寄席で江戸住吉踊り(かっぽれ)を踊るなど、余興として定着している。
なお、住吉踊り#大道芸の住吉踊りも参照のこと。
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