

豊楽院(ぶらくいん)は、平安京大内裏(平安宮)の院の1つ。朝廷の饗宴に用いられた施設である。
豊楽(ぶらく)とは和訓「とよのあかり」であり宴会を意味する。豊楽院はその名の通り、饗宴施設として平安京遷都直後、大内裏の正庁である朝堂院の西側に隣接して造営された。四方を築地で囲まれ、南に正門である豊楽門を構えていた。新嘗祭、大嘗祭の宴のほか、正月慶賀、節会(せちえ)、射礼(じゃらい)、饗応などが行われ、正殿である豊楽殿には天皇列席の際に高御座(たかみくら)が置かれた。朝廷の機能が徐々に内裏(天皇の私的住居)へ移行するに従って、朝廷の饗宴は紫宸殿で行われるようになり、その地位を低下させていった。993年(正暦4年)に平惟仲が子息である平道行の造豊楽院功により従三位に昇位している記録があるためこの頃までは健在であったと推測できるが、1000年(長保2年)に落雷による火災により大きな損傷を受けたことが権記に記録されており、再建の計画が議論されるものの10世紀末には廃墟同然のさまであったといわれ、1063年(康平6年)に全焼したのち、再建されることはなかった。
1987年から1988年にかけての発掘調査により、豊楽殿の遺構が確認され、緑釉瓦などの遺物が出土した。遺構は国の史跡に、出土品は重要文化財(考古資料)に、それぞれ指定されている。
跡地とされる京都市中京区聚楽廻西町には「史跡平安宮豊楽殿跡」碑が建てられている。2015年度(平成27年度)には発掘調査によって豊楽殿の規模が確定し、平城宮の第2次大極殿と一致することから同殿の移築と推測する説が生じている[1]。
座標:北緯35度1分4.1秒東経135度44分23.6秒 / 北緯35.017806度 東経135.739889度 /35.017806; 135.739889