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第10回有馬記念

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(2015年6月)
映像外部リンク
【貴重映像・昭和レトロ】最強の戦士 シンザン 1965年有馬記念 JRA公式
(JRA公式YouTubeチャンネルによる動画)

第10回有馬記念(だい10かいありまきねん、コース、外回り、2600メートル)は、1965年12月26日中山競馬場で施行された競馬重賞競走である。

馬齢は全て旧表記(数え年)にて表記

レース施行時の状況

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1965年の第10回、前年に戦後初の牡馬クラシック三冠を制し、その後も天皇賞・春は回避したものの、宝塚記念天皇賞・秋を制し四冠馬[1]となったシンザンは、ファン投票1位で有馬記念に駒を進めてきた。前週のオープン競走でクリデイの2着に敗れての連闘だった。有馬記念の前にシンザンをレースに出走させることを快く思っていなかった同馬の主戦騎手栗田勝は、武田文吾調教師と揉め、自棄酒によって騎乗依頼をすっぽかしたことにより騎乗停止処分を受け、有馬記念でシンザン騎乗が不可能となってしまう。陣営は中山競馬場ということもあり、3年連続リーディングジョッキーになっていた関東の闘将・加賀武見に依頼するが、加賀は「シンザンに乗るよりもシンザンを倒したい」という考えから依頼を断り、急遽有馬参戦が決まっていたミハルカスに騎乗することとなった。結局ほかの関東の有力騎手とも折り合いがつかず、自厩舎の松本善登がシンザンに騎乗することになった。そのことから「無敵シンザンに死角あり」とマスコミから騒がれたが、当日は単勝オッズ1.1倍の圧倒的1番人気だった。

こうした状況でシンザンに挑む馬たちも見劣りしない。前走秋の天皇賞でシンザンの2着に敗れるまで7連勝を果たしていた関東の雄・ハクズイコウ。同じく前走秋の天皇賞で大逃げを打って3着に粘っているミハルカス。前年春の天皇賞と宝塚記念を制し、本年はやや衰えをみせたものの前走の京都記念を勝っているヒカルポーラ。本年は精彩を欠く走りが目立っていたが、前年の有馬記念優勝馬であり、連覇がかかるヤマトキヨウダイ。レース自体は8頭立てと少頭数[2]ではあったが、このような見ごたえのあるメンバーが揃っていた。

出走馬と枠順

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天候:曇、芝:稍重
枠番馬番競走馬名斤量騎手オッズ調教師
11ヒカルポーラ牡755高橋成忠4番人気佐藤勇
22クリデイ牡454森安重勝7番人気尾形藤吉
33ブルタカチホ牡556大崎昭一6番人気柴田寛
44シンザン牡556松本善登1.1(1番人気)武田文吾
55ハクズイコウ牡556保田隆芳2番人気尾形藤吉
66ミハルカス牡655加賀武見3番人気小西喜蔵
77ウメノチカラ牡556森安弘明8番人気古賀嘉蔵
88ヤマトキヨウダイ牡655野平祐二5番人気稲葉幸夫

レース展開

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レースはシンザンがいつものように後方中団から進めてきたが、最後の第4コーナーでミハルカスが逸走気味に大外へ膨れた。これはシンザンを負かすために加賀が考えた秘策で、末脚の切れ味が武器のシンザンに馬場の荒れている内側を通らせてその切れを鈍らせようと取った作戦だった。

しかし、加賀の思惑とは裏腹に松本はシンザンをミハルカスのさらに外、馬場の外ラチ沿いへと導いた。そのためテレビ中継のカメラの視界から消えた。しかし次にテレビカメラがシンザンの姿を捉えたとき、シンザンは外ラチ沿いから中山の坂を力強く駆け上がり、先頭でゴール板を駆け抜けていた。

レース結果

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競走成績は以下のとおり[3]

着順枠番馬番競走馬名タイム着差
144シンザン2:47.2
266ミハルカス2:47.51 3/4馬身
333ブルタカチホ2:47.61/2馬身
455ハクズイコウ2:47.91 3/4馬身
588ヤマトキヨウダイ2:48.01/2馬身
611ヒカルポーラ2:48.74馬身
722クリデイ2:49.02馬身
877ウメノチカラ2:49.1クビ

レース結果の出典はJRA公式サイト「第10回有馬記念」競走成績

データ

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達成された記録

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  • シンザンは八大競走(当時)のうち、牝馬限定戦(桜花賞優駿牝馬)と春の天皇賞[4]を除くすべてのレースを制覇し、日本競馬史上初の五冠馬となった。
  • 当時オープン競走であった宝塚記念にも勝利しており、この有馬記念と併せて史上2頭目のグランプリ春秋連覇達成[5]、騎手が乗り代わっての達成は史上初[6]
  • グレード制導入以前に東京[7]京都[8]阪神[9]・中山の4競馬場でGI級競走を制したのは、シンザンが唯一である[10]
  • 武田調教師はこれで史上2人目[12]の八大競走完全制覇を達成。これは2025年現在も2人しか達成していない記録である

レースにまつわるエピソード

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シンザンは有馬記念の1週間前にもオープン戦に出走して2着に敗れている。これには調教師の武田文吾がレースを調教代わりに使う[13]という考えがあってのことだったが、主戦騎手であった栗田勝がこれに反発し、このオープン戦への騎乗をボイコット。その結果、オープン戦はそれまでオープン戦に3回騎乗していた弟弟子・武田博が、有馬記念は栗田の兄弟子・松本善登が騎乗することとなった。

脚注

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[脚注の使い方]
  1. ^宝塚記念は当時の八大競走に含まれていなかったため、カウントされていない。
  2. ^ほかに第22回(1977年)の有馬記念も8頭立て。なお有馬記念出走馬最少記録は第16回(1971年)の6頭立て(有馬記念の歴史参照)。
  3. ^競走成績 第10回 有馬記念”. データファイル. 日本中央競馬会. 2012年1月23日閲覧。
  4. ^当時の天皇賞は勝ち抜け制だったため、春秋両方を勝つことは不可能だった。
  5. ^シンザン以前にはリユウフオーレルが達成
  6. ^後にイナリワンも達成、2023年現在まで乗り替わりでの達成はこの2頭のみ
  7. ^皐月賞東京優駿天皇賞(秋)
  8. ^菊花賞
  9. ^宝塚記念
  10. ^グレード制導入後は、2024年までにテイエムオペラオーオルフェーヴルジェンティルドンナキタサンブラックの4頭が達成している
  11. ^シンザン以外でGⅠ級競走に3度以上出走して全勝している日本馬には、クリフジトキノミノル等が挙げられる
  12. ^尾形藤吉に次ぐ
  13. ^シンザンがクラシック参戦した年(1964年)は、皐月賞が東京競馬場で開催されたため、シンザンは中山競馬場を走った経験がなかった。

外部リンク

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日本の旗有馬記念勝ち馬
   

国際競走指定前:
01回(1956年)メイヂヒカリ
02回(1957年)ハクチカラ
03回(1958年)オンワードゼア
04回(1959年)ガーネツト
05回(1960年)スターロツチ
06回(1961年)ホマレボシ
07回(1962年)オンスロート
08回(1963年)リユウフオーレル
09回(1964年)ヤマトキヨウダイ
第10回(1965年)シンザン
第11回(1966年)コレヒデ
第12回(1967年)カブトシロー
第13回(1968年)リュウズキ
第14回(1969年)スピードシンボリ
第15回(1970年)スピードシンボリ
第16回(1971年)トウメイ
第17回(1972年)イシノヒカル
第18回(1973年)ストロングエイト
第19回(1974年)タニノチカラ
第20回(1975年)イシノアラシ
第21回(1976年)トウショウボーイ
第22回(1977年)テンポイント
第23回(1978年)カネミノブ

第24回(1979年)グリーングラス
第25回(1980年)ホウヨウボーイ
第26回(1981年)アンバーシャダイ
第27回(1982年)ヒカリデユール
第28回(1983年)リードホーユー
第29回(1984年)シンボリルドルフ
第30回(1985年)シンボリルドルフ
第31回(1986年)ダイナガリバー
第32回(1987年)メジロデュレン
第33回(1988年)オグリキャップ
第34回(1989年)イナリワン
第35回(1990年)オグリキャップ
第36回(1991年)ダイユウサク
第37回(1992年)メジロパーマー
第38回(1993年)トウカイテイオー
第39回(1994年)ナリタブライアン
第40回(1995年)マヤノトップガン
第41回(1996年)サクラローレル
第42回(1997年)シルクジャスティス
第43回(1998年)グラスワンダー
第44回(1999年)グラスワンダー
第45回(2000年)テイエムオペラオー
第46回(2001年)マンハッタンカフェ
第47回(2002年)シンボリクリスエス

第48回(2003年)シンボリクリスエス
第49回(2004年)ゼンノロブロイ
第50回(2005年)ハーツクライ
第51回(2006年)ディープインパクト

国際競走(G1)指定後:
第52回(2007年)日本の旗マツリダゴッホ
第53回(2008年)日本の旗ダイワスカーレット
第54回(2009年)日本の旗ドリームジャーニー
第55回(2010年)日本の旗ヴィクトワールピサ
第56回(2011年)日本の旗オルフェーヴル
第57回(2012年)日本の旗ゴールドシップ
第58回(2013年)日本の旗オルフェーヴル
第59回(2014年)日本の旗ジェンティルドンナ
第60回(2015年)日本の旗ゴールドアクター
第61回(2016年)日本の旗サトノダイヤモンド
第62回(2017年)日本の旗キタサンブラック
第63回(2018年)日本の旗ブラストワンピース
第64回(2019年)日本の旗リスグラシュー
第65回(2020年)日本の旗クロノジェネシス
第66回(2021年)日本の旗エフフォーリア
第67回(2022年)日本の旗イクイノックス
第68回(2023年)日本の旗ドウデュース
第69回(2024年)日本の旗レガレイラ

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