| 石原 伸晃 いしはら のぶてる | |
|---|---|
| 生年月日 | (1957-04-19)1957年4月19日(68歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 慶應義塾大学文学部人文社会学科社会学専攻 |
| 前職 | 日本テレビ報道局記者 |
| 所属政党 | (無所属→) 自由民主党(三塚派→加藤派→石原派) |
| 称号 | 文学士(慶應義塾大学・1981年) |
| 配偶者 | 石原里紗 |
| 子女 | 3人 |
| 親族 | 石原慎太郎(父) 石原典子(母) 石原裕次郎(叔父) 石原良純(長弟) 石原宏高(次弟) 石原延啓(三弟) |
| サイン | |
| 公式サイト | 自民党衆議院議員 | 石原のぶてる(伸晃)公式サイト |
| 内閣 | 第3次安倍第1次改造内閣 第3次安倍第2次改造内閣 |
| 在任期間 | 2016年1月28日 -2017年8月3日 |
| 内閣 | 第2次安倍内閣 |
| 在任期間 | 2012年12月26日 -2014年9月3日 |
| 内閣 | 第1次小泉第2次改造内閣 第2次小泉内閣 |
| 在任期間 | 2003年9月22日 -2004年9月27日 |
| 内閣 | 第1次小泉内閣 第1次小泉第1次改造内閣 |
| 在任期間 | 2001年4月26日 -2003年9月22日 |
| 選挙区 | (旧東京4区→) 東京8区 |
| 当選回数 | 10回 |
| 在任期間 | 1990年2月18日 -2021年10月14日 |
その他の職歴 | |
(総裁:谷垣禎一) (2010年9月9日 -2012年9月28日) | |
(総裁:安倍晋三) (2007年8月27日 -2007年9月24日) | |
(総裁:安倍晋三・麻生太郎) (2006年9月20日 -2007年8月27日 2008年9月 -2009年9月) | |
| テンプレートを表示 | |
| 石原 伸晃 | |
|---|---|
| YouTube | |
| チャンネル | |
| 活動期間 | 2020年9月8日 - |
| ジャンル | 政治 |
| 登録者数 | 1.94万人 |
| 総再生回数 | 10,879,511 回 |
| チャンネル登録者数・総再生回数は 000000002025-10-24-00002025年10月24日時点。 | |
| テンプレートを表示 | |
石原 伸晃(いしはら のぶてる、1957年〈昭和32年〉4月19日 - )は、日本の政治家。自由民主党東京都支部連合会最高顧問[1]。
衆議院議員(10期)、近未来政治研究会(石原派)会長、自民党外交調査会長代行、規制改革担当大臣(第1次小泉内閣・第1次小泉第1次改造内閣)、国土交通大臣(第3・4代)、自民党金融調査会長、衆議院法務委員長、自民党政務調査会長(第49代)、自民党幹事長(第45代)、環境大臣(第19代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災・経済財政政策)、自民党たばこ議員連盟副会長、自民党外交再生戦略会議議長、内閣官房参与(観光立国その他特命担当)等を歴任。日本の印章制度・文化を守る議員連盟(はんこ議連)会員。
父は参議院議員(1期)、環境庁長官(第8代)、運輸大臣(第59代)、東京都知事(第14代・第15代・第16代・第17代)、衆議院議員(9期)、日本維新の会代表、共同代表、次世代の党最高顧問等を歴任した石原慎太郎。叔父は俳優の石原裕次郎。
神奈川県逗子市生まれで鎌倉市立御成小学校、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校を経て、慶應義塾大学文学部社会学科(都市社会学専攻)を卒業した[2]。大学時代の部活は日本正統少林寺拳法部の主将を務めていた。大学在学中、エルマイラ大学(英語版)(アメリカ合衆国ニューヨーク州エルマイラ)に9か月間短期留学した。2005年にはエルマイラ大学から、ブッシュ政権の労働長官を務めたイレーン・チャオとともに名誉博士号を授与された。大学卒業後、1981年、日本テレビ放送網に入社[3]して報道局に入局し、政治記者として大蔵省や外務省、首相官邸等を担当した。1989年に日本テレビを退社した[4]。
1990年、第39回衆議院議員総選挙に旧東京4区(定数5)から無所属で立候補し、自由民主党の粕谷茂に次ぐ得票数2位で初当選した。当選後は自民党に入党して安倍派に入会[要出典]した。1993年の第40回衆議院議員総選挙で、新党ブームに押されるも得票数5位で再選される。1994年に自民党財政部会長として、保険業の規制緩和、自由化、健全性の維持を目的とする保険業法の56年ぶりの大改正をまとめる。1996年の第41回衆議院議員総選挙で、東京8区から自民党公認で立候補し、後に杉並区長に転出する新進党の山田宏を約7000票差で下して3選される。1996年に第2次橋本内閣で通商産業政務次官に任命され、愛知万博の誘致を成功させる。1998年の金融国会で金融再生関連法案の成立に尽力した。官僚に依存せずに民間の知恵を活用して独自の政策を立案する若手議員として「政策新人類」に名を連ねる[5]。1996年に三塚派(安倍派の後身)を退会して加藤派に入会する[要出典]。2000年の加藤の乱で、首相の森喜朗らに対する政権批判の急先鋒として内閣不信任決議案の採決を欠席した[要出典]。加藤の乱の後に分裂した加藤派を退会し、2007年まで無派閥であった[要出典]。
2001年、第1次小泉内閣で規制改革担当大臣に任命されて初入閣し、「行政改革を推進するため行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣も兼任して第1次小泉第1次改造内閣まで務める。内閣の注目人事の一人として注目を浴び、天下りや無駄遣いの温床となっていると批判が強かった特殊法人等の改革を断行した。2003年に発足した第1次小泉第2次改造内閣で国土交通大臣、「首都機能移転の具体化に向けた検討を推進するため行政各部の所管する事務の調整」や「観光立国を実現するための施策を円滑に推進するため行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣を兼任する。国交相在任中は主に道路公団問題等に取り組み、民営化に強く反対していた道路公団総裁の藤井治芳を更迭した。民間活力の導入によるサービスの向上を目指してETCの普及を拡大し、ETCを活用したスマートインターチェンジを導入した。2004年、第2次小泉改造内閣発足に伴い国交相を退任し、党金融調査会長に就任した。2005年には長らく古賀誠ら道路族がそのポストを占めていた党道路調査会長に就任した。
2006年、総裁・安倍晋三の下で幹事長代理に就任した。2007年の党役員人事では自民党政務調査会長に起用され、初めて党三役入りし、12月に山崎派へ入会[要出典]した。2008年、福田康夫の辞任に伴う自由民主党総裁選挙に史上最年少で立候補するが、得票数4位で落選した。新たに総裁となった麻生太郎の下で再び幹事長代理に就任した。2009年7月、自民党は東京都議会議員選挙で大敗し、東京都連会長の伸晃は、敗北の責任を取り都連会長を辞任する意向を表明したが、第45回衆議院議員総選挙の期日が近く辞任は了承されなかった。8月の第45回衆議院議員総選挙で、東京8区で社会民主党前職の保坂展人を破り、7選される。選挙後の自由民主党総裁選挙では谷垣禎一の推薦人に名を連ねた。

谷垣執行部で国民運動本部長に起用された[要出典]、東京都連会長に再任される。2010年4月、政権力委員会発足に伴い、本部長代理に就任する。9月の党役員人事で東京選出議員として初の自民党幹事長に起用された。2011年の党役員人事で幹事長に再任される。2012年9月、自由民主党総裁選挙に二度目の立候補をする。9月26日の総裁選で、1回目の投票で96票を獲得したものの得票数は5人中3位であった[6]。

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では、東京8区で無所属で俳優の山本太郎や民主党公認で前参院議員円より子らを破り、8選される。選挙後に発足した第2次安倍内閣で環境大臣、内閣府特命担当大臣(原子力防災)に任命された。福島第一原発事故によって拡散した放射性物質の除染作業を進めるとともに、除染廃棄物を保管する国の中間貯蔵施設建設に道を拓いた。近未来政治研究会を山崎拓から継承し、同会第2代会長に就任した。2014年9月の内閣改造で閣僚を退任し、自民党中小企業・小規模事業者政策調査会会長に就任した。12月の第47回衆議院議員総選挙で9選される。
2016年1月28日、第3次安倍第1次改造内閣の甘利明経済財政担当相の辞任を受けて後任の内閣府特命担当大臣(経済財政政策)に就任し、「経済の再生を政府一体となって推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」や「社会保障及び税に関する改革を一体的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」を担当する国務大臣も兼任した。日本経済の基盤ともいえる自由貿易体制の維持・発展のために重要な環太平洋戦略的経済連携協定 (TPP) の承認と関連法案を成立させた。認証時に天皇がフィリピン訪問中のため、閣僚認証式は国事行為臨時代行中の皇太子徳仁親王が行った。閣僚の認証式が臨時代行されるのは平成年度で初であった[7]。同年8月3日、東京都知事選挙の党推薦候補の敗北を受けて都連会長を辞任。後任には下村博文が就いた。
2017年10月の第48回衆議院議員総選挙で10選。自民党中央政治大学院学院長、自民党外交再生戦略会議議長に就任する。
2019年1月11日、自民党金融調査会顧問に就任し、10月に自民党外交調査会長代行に就任した。自民党総務、自民党住宅土地・都市政策調査会会長、自民党税制調査会副会長、自民党外交戦略委員長に就任した。
2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙(東京8区)で立憲民主党公認候補で新人の吉田晴美に敗れた[8]。自民党は比例東京ブロックで6議席を獲得したが、76.729%で8番目の惜敗率であった為、比例復活出来ずに落選した[9]。比例東京ブロックで自民党の最後の議席を獲得したのは同じく小選挙区で落選した弟の宏高であった[10]。同選挙区は石原と吉田のほかに元自民党員で日本維新の会公認候補の笠谷圭司(元三田市議会議員)も立候補しており、石原陣営は投票前に「自民党への票を食い荒らし、勝敗を左右しかねない」と警戒していた[11]。石原が吉田に差をつけられた票数は、同じく笠谷が獲得した票数よりも小さかった[12]。12月3日、内閣官房参与(観光立国その他特命担当)に就任[13]。
内閣官房参与就任前年の11月17日に石原が代表を務める自民党東京都第8選挙区支部がコロナ禍における困窮事業者向けの雇用調整助成金を受領していたことが、東京都選挙管理委員会が公表した政治資金収支報告書で明らかとなり[14]、12月7日配信の『AERA dot.』が「専門家から疑問の声」と報道[15](後述)し、12月10日に就任から8日で辞任した[16]。4日間分の給与・10万余円も受領を辞退した[17]。
12月16日に約9年務めた近未来政治研究会会長を退任して、後任に森山裕が就任し、石原派は森山派へ衣替えした[18]。
2022年2月1日、父の石原慎太郎が東京都大田区の自宅で死去(満89歳)。同年3月8日、母の石原典子も死去(満84歳)。伸晃が葬儀で喪主を務めた。
2023年6月27日、自民党本部で記者会見し、次期衆院選への不出馬を表明した。「新しいリーダーをそろそろ作っていかなければならないと考え、今回の決断に至った」と説明した。政界引退は否定し、2年後の参院選で東京都選挙区での立候補を目指す考えを示した[19]。
2025年6月23日、『深層NEWS』(BS日テレ)に出演し、夏の参院選に出馬せず、政界を引退する考えを明らかにした[20]。

2012年9月14日、自由民主党総裁選挙の立候補者5人による共同記者会見で、河野談話について評価した上で「広義においてはそういうこと(強制連行)もあったんではないかとうかがえる文面になっている。そこに知恵があった」と述べた[33]。
2012年9月11日のテレビ朝日系『報道ステーション』で、中国による尖閣諸島侵攻の可能性を問われ、「攻めてこない。誰も住んでいないんだから」と断言[34]した。産経新聞は「国家主権に関わる領土問題について認識の甘さを露呈」と批判的に報じた[34]。
2011年9月10日の青森県弘前市の講演で、アメリカ同時多発テロ事件について「産業革命から続いた西欧文明、キリスト教支配に対するイスラム圏の反逆で、歴史の必然として起きた出来事ではないか」[39]と述べた[40]。
新宗教・崇教真光の信者である[63]。秋季大祭の来賓の中でも石原は少年の頃、岡田光玉と岡田恵珠が自宅に訪れたエピソードを42周年秋季大祭(2001年)の祝辞にて披露した[64]。45周年秋季大祭(2004年)では自身が組み手(信徒)であることを明らかにし、組み手としての立場をメインに祝辞を述べた[65]。46周年秋季大祭(2005年)では中級に昇格したことを祝辞にて紹介している[66]。
また、2009年 - 2010年の間に、自身が代表を務める自民党東京都第8選挙区支部の政治資金より、「会費」の名目で崇教真光に対し計36万円以上を支出している。石原はのちに「適正に処理し報告」したと述べ、政治資金からの支出ではなく本人のポケットマネーからの支出として再計上した[67][68]。
一方、同じく新宗教である新生佛教教団を信仰し、同教団の山口市の本部や、東京都墨田区にある東京支部によく顔を出している、とも報道されており[69]、石原の政治資金パーティーにおいて、同教団からの収入が計上されている[70]。
なお、神道政治連盟国会議員懇談会にも属している[71]。
| 当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 (%) | 得票順位 /候補者数 | 定数 | 票差 (と次点者) | 惜敗率 (%) | 比例区 順位 | 政党当選者数 /政党候補者数 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 当 | 第39回衆議院議員総選挙 | 1990年02月18日 | 旧東京4区 | 無所属 | 73,939 | 13.81 | 2/17 | 5 | 12,628 | - | - | - |
| 当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年07月18日 | 旧東京4区 | 自由民主党 | 61,261 | 12.26 | 5/12 | 5 | 3,213 | - | - | - |
| 当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 東京8区 | 自由民主党 | 74,856 | 32.67 | 1/5 | 1 | 7,186 | - | - | - |
| 当 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年06月25日 | 東京8区 | 自由民主党 | 105,779 | 43.66 | 1/4 | 1 | 28,647 | - | - | - |
| 当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月09日 | 東京8区 | 自由民主党 | 136,429 | 54.98 | 1/4 | 1 | 58,422 | - | - | - |
| 当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年09月11日 | 東京8区 | 自由民主党 | 161,966 | 57.26 | 1/3 | 1 | 67,892 | - | - | - |
| 当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年08月30日 | 東京8区 | 自由民主党 | 147,514 | 49.95 | 1/4 | 1 | 30,791 | - | - | - |
| 当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 東京8区 | 自由民主党 | 132,521 | 46.93 | 1/4 | 1 | 61,493 | - | - | - |
| 当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 東京8区 | 自由民主党 | 116,193 | 47.56 | 1/4 | 1 | 42,845 | - | - | - |
| 当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 東京8区 | 自由民主党 | 99,863 | 39.22 | 1/6 | 1 | 23,580 | - | - | - |
| 落 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 東京8区 | 自由民主党 | 105,381 | 37.17 | 2/3 | 1 | - | 76.73 | 8 | 6/28 |
| 当選回数10回 (衆議院議員10) | ||||||||||||
{{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ){{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ){{cite news}}:不明な引数|1=が空白で指定されています。 (説明)⚠[リンク切れ]{{cite news}}: CS1メンテナンス: 先頭の0を省略したymd形式の日付 (カテゴリ){{cite news}}:|work=、|newspaper=引数が重複しています。 (説明)⚠| 公職 | ||
|---|---|---|
| 先代 設置 | 2021年 | 次代 廃止 |
| 先代 甘利明 | 第21代:2016年 - 2017年 | 次代 茂木敏充 |
| 先代 長浜博行 | 第19代:2012年 - 2014年 | 次代 望月義夫 |
| 先代 長浜博行 | 第3代:2012年 - 2014年 | 次代 望月義夫 |
| 先代 林寛子 | 第3・4代:2003年 - 2004年 | 次代 北側一雄 |
| 先代 橋本龍太郎 | 第2代:2001年 - 2003年 | 次代 金子一義 |
| 議会 | ||
| 先代 塩崎恭久 | 2005年 - 2006年 | 次代 七条明 |
| 党職 | ||
| 先代 大島理森 | 自由民主党幹事長 第45代:2010年 - 2012年 | 次代 石破茂 |
| 先代 中川昭一 | 自由民主党政務調査会長 第49代:2007年 | 次代 谷垣禎一 |
| 先代 太田誠一 | 自由民主党党改革実行本部長 2007年 | 次代 武部勤 |
| 先代 山崎拓 | 近未来政治研究会会長 第2代:2012年 - 2021年 | 次代 森山裕 |
| 経済安定本部総務長官 | |
|---|---|
| 経済審議庁長官 | |
| 経済企画庁長官 | |
| 経済財政政策担当大臣 | |
| 環境庁長官 | |||
|---|---|---|---|
| 環境大臣 | |||
| 国務大臣(行政改革担当) | |
|---|---|
| 行政刷新担当大臣 | |
| 国務大臣(行政改革担当) | |
| 第1区 | |
|---|---|
| 第2区 | |
| 第3区 | |
| 第4区 | |
| 第5区 | |
| 第6区 | |
| 第7区 | |
| 第8区 | |
| 第9区 | |
| 第10区 | |
| 第11区 | |
| 第12区 | |
| 第13区 | |
| 第14区 | |
| 第15区 | |
| 第16区 | |
| 第17区 | |
| 第18区 | |
| 第19区 | |
| 第20区 | |
| 第21区 | |
| 第22区 | |
| 第23区 | |
| 第24区 | |
| 第25区 | |
| 第26区 |
|
| 第27区 |
|
| 第28区 |
|
| 第29区 |
|
| 第30区 |
|
| 1950年代の著書 | |
|---|---|
| 1960年代の著書 | 青年の樹 - これが恋愛だ - 南米横断一万キロ - 挑戦 - 見知らぬ顔 - 青い糧 - 汚れた夜 - 死んでいく男の肖像 - 雲に向かって起つ - 禁断 - 断崖 - 狼生きろ豚は死ね・幻影の城 - 日本零年 - 密航 - てっぺん野郎青雲編 - 死の博物誌 - 石原慎太郎文庫 - 行為と死 - てっぺん野郎昇竜編 - 銀色の牙 - 傷のある羽根 - 終幕 - 青春とはなんだ - 命の森 - 星と舵 - おゝい、雲! - 砂の花 - 人魚と野郎 - 大いなる海へ - 還らぬ海 - 飛べ、狼 - 孤独なる戴冠 - 青い殺人者 - 野性の庭 - 黒い環 - 青春との対話 - 巷の神々 – 待伏せ - 怒りの像 - 祖国のための白書 - 野蛮人のネクタイ - プレイボーイ哲学 - 鎖のついた椅子 - スパルタ教育 |
| 1970年代の著書 | 慎太郎の政治調書 – 化石の森 - 慎太郎の第二政治調書 - 男の世界 - 野蛮人の大学 - 真実の性教育 - 信長記 - 酒盃と真剣 - 石原慎太郎短編全集 - 新和漢朗詠集 - 男の海 - 対極の河へ - 息子をサラリーマンにしない法 - 風の神との黙約 - 真の革新とはなにか - 伯爵夫人物語 - 大いなる手との黙約 - 情熱のための航海 - 光より速きわれら - 刃鋼 - 暗闇の声 - 嫌悪の狙撃者 - 型破りで勝つ! - 戦士の羽飾り - 一点鐘 |
| 1980年代の著書 | 亡国 - 大いなる海へ - 秘祭 - バカでスウェルな男たち - 暗殺の壁画 - 流砂の世紀に - 現代史の分水嶺 - 拝啓息子たちへ - 生還 |
| 1990年代の著書 | 不思議な不思議な航海 -わが人生の時の時 - 時の潮騒 - 光速の時代に - 十代のエスキース - 来世紀の余韻 - 三島由紀夫の日蝕 - 禁断の島へ - 遭難者 - かくあれ祖国 - 風についての記憶 - わが人生の時の会話 - 亡国の徒に問う - 肉体の天使 – 弟 - “父”なくして国立たず - 法華経を生きる - 国家なる幻影 - 聖餐 |
| 2000年代の著書 | この日本をどうする - いま魂の教育 - 生きるという航海 - 僕は結婚しない - 東京の窓から日本を - わが人生の時の人々 - 老いてこそ人生 - 日本よ - 惰眠を貪る国へ - 息子たちと私 - 日本よ、再び - 石原愼太郎の文学 - 東京の窓から世界を - オンリー・イエスタディ - 私の好きな日本人 - 火の島 - 生死刻々 |
| 2010年代の著書 | 声に出して詠もう和漢朗詠集 - 真の指導者とは - 再生 - 新・堕落論 我欲と天罰 - 平和の毒、日本よ - 石原愼太郎の思想と行為 |
| 共著 | 新旧の対決か調和か - 人間の原点 - いかに国を守るか - エベレスト - 闘論 -「NO」と言える日本 - それでも「NO」と言える日本 - 断固「NO」と言える日本 - 「No」と言えるアジア - 宣戦布告「NO」と言える日本経済 - 「アメリカ信仰」を捨てよ - 勝つ日本 - 永遠なれ、日本 - 人生への恋文 - 日本の力 - 生きる自信 |
| 映画 | 太陽の季節 -処刑の部屋 -狂った果実 - 日蝕の夏 - 婚約指輪 -月蝕 -危険な英雄 - 穴 -俺は待ってるぜ -錆びたナイフ - 霧の中の男 - 死の壁の脱出 -若い獣 -完全な遊戯 - 海は狂っている - 海の地図 -海底から来た女 - 夜を探がせ -青年の樹 - 接吻泥棒 - トップ屋を殺せ - 愛と炎と - 青い狩人 - 雲に向かって起つ -禁断 -二十歳の恋 - 素晴らしい悪女 - 狼の王子 - 小さな冒険旅行 -乾いた花 - 敗れざるもの - おゝい雲! - 青春とはなんだ -処刑の島 -これが青春だ! -男なら振りむくな -復讐の歌が聞える - 狂戀詩 Summer Heat - 野蛮人のネクタイ -スパルタ教育 くたばれ親父 - 化石の森 -青年の樹 -秘祭 -俺は、君のためにこそ死ににいく -宇宙戦艦ヤマト 復活篇 |
| テレビドラマ | |
| 政治 | |
| 活動・事件 | |
| 政治組織 | |
| 家族 | |
| カテゴリ | |
| 映画 | 太陽の季節 -狂った果実 -乳母車 -地底の歌 -月蝕 -お転婆三人姉妹 踊る太陽 -ジャズ娘誕生 -幕末太陽傳 -俺は待ってるぜ -嵐を呼ぶ男 -陽のあたる坂道 -赤い波止場 -紅の翼 -清水の暴れん坊 -男が命を賭ける時 -あした晴れるか (映画) -あじさいの歌 -青年の樹 -アラブの嵐 -堂堂たる人生 -闘牛に賭ける男 -鉄火場の風 -街から街へつむじ風 -あいつと私 -男と男の生きる街 -青年の椅子 -金門島にかける橋 -太平洋ひとりぼっち -赤いハンカチ -鉄火場破り -泣かせるぜ -城取り -素晴らしきヒコーキ野郎 -赤い谷間の決斗 -二人の世界 -夜のバラを消せ -帰らざる波止場 -夜霧よ今夜も有難う -栄光への挑戦 -波止場の鷹 -遊侠三国志 鉄火の花道 -黒部の太陽 -忘れるものか -風林火山 -栄光への5000キロ -人斬り -嵐の勇者たち -ある兵士の賭け -スパルタ教育くたばれ親父 -戦争と人間 -富士山頂 -男の世界 -甦える大地 -影狩り -影狩り ほえろ大砲 -反逆の報酬 -凍河 -わが青春のアルカディア | ||||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| テレビ |
| ||||||||||
| 歌手活動 | |||||||||||
| 親族 | |||||||||||
| 関連項目 | |||||||||||