浅井 亨(あさい とおる、1902年(明治35年)9月25日[1][2] -1986年(昭和61年)4月16日[1][2][3])[4]は、昭和期の歯科医師、政治家。参議院議員。
福井県[3]福井市で生まれる[1][2]。1928年(昭和3年)東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)を卒業し[3]、さらに1946年(昭和21年)東京慈恵会医科大学を卒業[1][2][3]。歯科医を開業した[3]。
堺市議会議員に選出され2期在任した[3]。1962年(昭和37年)7月の第6回参議院議員通常選挙に全国区から立候補して初当選[1][3][5]。1968年(昭和43年)7月の第8回通常選挙に兵庫県地方区から公明党公認で立候補して再選され[1][6]、参議院議員に連続2期在任した[1][2][3]。この間、参議院法務委員長、同懲罰委員長などを務めた[1][2][3]。
1974年(昭和49年)11月の秋の叙勲で勲二等に叙され、瑞宝章を受章する[7][8]。
1986年(昭和61年)4月16日、死去した。83歳没。同月22日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって従四位に叙された[9]。
| 議会 | ||
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| 先代 和泉覚 | 1967年 | 次代 北条雋八 |
| 先代 中尾辰義 | 1971年 - 1972年 | 次代 山田徹一 |
| 第1回 (定数6) |
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| ↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||