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| 基礎情報 | ||||
| 四股名 | 深沢 → 欧深沢 → 欧勝海 | |||
| 本名 | 深沢 成矢 | |||
| 愛称 | フカ、ショーミ | |||
| 生年月日 | (2001-05-12)2001年5月12日(24歳) | |||
| 出身 | 石川県河北郡津幡町 | |||
| 身長 | 184cm | |||
| 体重 | 148kg | |||
| BMI | 43.71 | |||
| 所属部屋 | 鳴戸部屋 | |||
| 得意技 | 左四つ・寄り | |||
| 成績 | ||||
| 現在の番付 | 東前頭16枚目 | |||
| 最高位 | 東前頭16枚目 | |||
| 生涯戦歴 | 166勝104敗34休(32場所) | |||
| 優勝 | 三段目優勝1回 序二段優勝1回 | |||
| データ | ||||
| 初土俵 | 2020年3月場所 | |||
| 入幕 | 2025年11月場所 | |||
| 備考 | ||||
| 2025年10月27日現在 | ||||
欧勝海 成矢(おうしょううみ せいや、2001年5月12日 - )は、石川県河北郡津幡町出身で、鳴戸部屋所属の現役大相撲力士。本名は深沢 成矢(ふかさわ せいや) 。身長184cm、体重148kg、血液型はA型[1]。最高位は東前頭16枚目(2025年11月場所)。
3人兄弟の次男[2]で、実家は上矢田温泉「やたの湯」[1]。兄の影響で相撲を始めて[3]、小学校1年次から津幡町少年相撲教室に通った[1]。小学校6年次にわんぱく相撲ベスト16、津幡町立津幡南中学校3年次に全国都道府県中学生相撲選手権大会団体優勝、全国中学校相撲選手権大会団体準優勝の実績を残している[1]。中学校卒業後は、少年相撲教室の1年先輩の大の里の誘いで新潟県立海洋高等学校に進学し[3]、3年次に選抜高校相撲十和田大会で団体準優勝などの実績を残した[1]。当初「将来は地元で子供を指導できれば」程度の選手でしかしかないと自己評価していた[4]が、高校卒業後は大学進学も選択肢に入る中で、大相撲の15代鳴戸(元大関・琴欧洲)の勧誘を中学生時代から受けていたため、鳴戸部屋へ入門することになった[3]。
2020年3月場所で初土俵。同年11月場所では、同部屋の欧鈴木と優勝決定戦を戦い、寄り切りで勝って序二段優勝を決めた[5]。その後三段目も1場所で通過し、2021年3月場所で幕下に昇進した。幕下2場所目の同年5月場所は左足首の負傷で途中休場し、初土俵以来初の負け越しとなった[6]。休場明けの翌7月場所から四股名を「欧勝海」に改名した[7]。師匠の現役時代の四股名から「欧」と「勝」を入れ、出身高校の名前の1文字であり海が好きなことに因んで「海」を入れたものである[6]。改名場所からは2場所続けて勝ち越していたが、自己最高位の西幕下7枚目だった同年11月場所は1番目の相撲で左肩の靭帯を部分断裂して2番目から休場となり、5番目と6番目の相撲は再出場して取ったが7番目の相撲は再度休場となった[8]。翌2022年1月場所も2番相撲から途中休場となり、その後は完治を目指して手術を受けたため2場所連続で全休[9]。関節唇の手術から復帰した同年7月場所は西序二段6枚目で1番目の相撲から4連勝で勝ち越したが、鳴戸部屋関係者の新型コロナウイルス感染判明に伴って5番相撲から休場となった[10]。三段目に復帰した9月場所は東三段目78枚目で7戦全勝優勝を決めた[11]。幕下に復帰した同年11月場所以降も勝ち越しを続け、2023年11月場所では西幕下2枚目で4勝3敗の成績を残し、場所後に行われた番付編成会議で、2024年1月場所での新十両昇進が決定した[12]。
新十両昇進会見では初土俵からの3年半を「長いようで短かった」と振り返り「(大の里には)まだまだ負けているんで、早く追いつきたい」と意気込んだ[13]。11月場所の際に母が目の手術で入院すると聞くと「ここで(昇進を)決めなきゃいけない」と気合が入ったという[2]。1月場所は、14日目に関取として初めての勝ち越しを決めた。勝ち越しの際には「場所前には『勝ち越して、地元に元気を与えられるように』と言っていたので、それがかなえられてよかった。来場所にもつながる内容で良かった」と能登半島地震に遭った故郷を想うコメントを残した[14]。また、翌場所は自己最高位の東十両11枚目まで番付を上げ、10日目には当時193cm、167kgの巨漢である獅司を豪快に吊るなど力強い相撲もあったが、14日目に白熊に上手投げで破れ自身初の皆勤負け越しが決定、千秋楽も敗れ6勝9敗。
東十両13枚目となった5月場所、初日から3連敗し、中日から2度目の3連敗で10日目に負け越し決定、翌日も敗れ4連敗で9敗となった後、12日目から3連勝で盛り返したものの、千秋楽に幕下の木竜皇に敗れ5勝10敗、十両在位3場所で幕下へ陥落した。
西幕下3枚目となった7月場所、3勝2敗から對馬洋、栃大海との十両戦に連勝し5勝2敗で終え、場所後の同月31日の番付編成会議で再十両昇進が決定した[15]。9月場所は西十両14枚目の地位で土俵に上がり、13日目に負け越しが確定、千秋楽には幕下の若碇(後の藤ノ川)に敗れ6勝9敗に終わり、「来場所の幕下転落を余儀なくされる状況」と報じられた[16]。場所終了直後には同津幡町出身で、津幡町少年相撲教室で小学生のころからの1年先輩である幼馴染の大の里の幕内優勝パレード旗手を務めた[17]。しかし他力士の成績との兼ね合いで11月場所は同じ西十両14枚目に残留となる。11月場所は左肩にテーピングをして土俵に上がり[18]、10日目終了時点で9勝1敗と十両優勝争い首位タイであったが、11日目から途中休場[19]、14日目から再出場し10勝3敗2休に終わる。
2025年1月場所は前場所から番付を5枚上げ西十両9枚目となり、中日まで6勝2敗と好調の後、9日目から4連敗し6勝6敗となったものの、13日目から3連勝で9勝6敗とし、3月場所は番付最高位を西十両4枚目に更新。初日勝利から抜け抜けの2勝2敗で迎えた5日目、水戸龍との取組に勝利した際に足を痛め、左リスフラン関節捻挫で2週間の休場を要する見込みとの診断書を提出し6日目から休場[20]。休場明けの5月場所からは3場所連続で勝ち越し。西十両筆頭で臨んだ9月場所は9勝6敗と勝ち越し。西筆頭で9勝を挙げたことにより、翌11月場所は新入幕となる可能性がある[21]。2025年11月場所に新入幕を果たした。石川県出身の新入幕は2024年1月場所の大の里以来[22]。
基本的には四つに組み合うのが主体であり、立ち合いまわしを引いて一気に出るのが良いパターンであるが、途中がっぷりに組む合う展開も多い。 右四つ・寄りを得意としているが、立ち合い相手の流れとなり左四つとなるパターンも多いため実況などでは「なまくら四つ」と言われることも多い。 また、土俵際で逆転の投げを打つことや吊り身に攻めることもある。
2025年9月場所終了現在
| 一月場所 初場所(東京) | 三月場所 春場所(大阪) | 五月場所 夏場所(東京) | 七月場所 名古屋場所(愛知) | 九月場所 秋場所(東京) | 十一月場所 九州場所(福岡) | |
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| 2020年 (令和2年) | x | (前相撲) | 感染症拡大 により中止 | 西序ノ口15枚目 5–2 | 東序二段79枚目 6–1 | 西序二段6枚目 優勝 7–0 |
| 2021年 (令和3年) | 東三段目15枚目 5–2 | 東幕下53枚目 5–2 | 西幕下33枚目 2–2–3 | 東幕下52枚目 6–1 | 東幕下23枚目 6–1 | 西幕下7枚目 2–2–3 |
| 2022年 (令和4年) | 東幕下21枚目 0–2–5 | 西幕下56枚目 休場 0–0–7 | 東三段目36枚目 休場 0–0–7 | 西序二段6枚目 4–0–3[注 1] | 東三段目73枚目 優勝 7–0 | 東幕下54枚目 4–3 |
| 2023年 (令和5年) | 西幕下45枚目 5–2 | 西幕下29枚目 5–2 | 東幕下22枚目 4–3 | 西幕下16枚目 4–3 | 西幕下11枚目 5–2 | 西幕下2枚目 4–3 |
| 2024年 (令和6年) | 西十両13枚目 8–7 | 東十両11枚目 6–9 | 東十両13枚目 5–10 | 西幕下3枚目 5–2 | 西十両14枚目 6–9 | 西十両14枚目 10–3–2[注 2] |
| 2025年 (令和7年) | 西十両9枚目 9–6 | 西十両4枚目 4–7–4[注 3] | 東十両9枚目 10–5 | 東十両3枚目 8–7 | 西十両筆頭 9–6 | 東前頭16枚目 – |
| 各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 -十両 -幕下 -三段目 -序二段 -序ノ口 幕内序列:横綱 -大関 -関脇 -小結 -前頭(「#数字」は各位内の序列) | ||||||
この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。 |