| 元プロ野球選手の「橋本健太郎」とは別人です。 |
橋本 堅太郎 | |
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橋本 堅太郎 | |
文化功労者顕彰に際して 公表された肖像写真 | |
| 生誕 | 1930年7月23日 |
| 死没 | (2021-01-31)2021年1月31日(90歳没) |
| 国籍 | |
| 出身校 | 東京芸術大学美術学部卒業 |
| 著名な実績 | 彫刻 |
| 代表作 | 『竹園生』(1996年) |
| 受賞 | 日本芸術院賞(1996年) |
| 選出 | 日本芸術院 |
| 民族 | 大和民族 |
| 影響を受けた 芸術家 | 橋本高昇 平櫛田中 |
橋本 堅太郎(はしもと けんたろう、1930年7月23日 -2021年1月31日)は、日本の彫刻家。位階は従四位。勲等は旭日中綬章。東京学芸大学名誉教授、日本芸術院会員、文化功労者。
宝仙学園短期大学助教授、東京学芸大学教育学部教授、社団法人日展理事長、社団法人日本彫刻会理事長などを歴任した。
1930年7月23日生まれ[1]。東京出身[1]。1953年、東京芸術大学彫刻科卒業(平櫛田中に師事)。
1954年、日展初入選[1]、1966年、日展特選[1]。宝仙学園短期大学助教授などをへて、1973年、東京学芸大学助教授、1974年、日展審査員、1982年、教授、1990年、日展評議員、1992年、日展文部大臣賞、1994年、日本彫刻会監事、東京学芸大学を退官、名誉教授。「竹園生」にて1996年、日本芸術院賞受賞[1]。日展理事・日本彫刻会理事、1996年、日本芸術院会員[1]、1997年、日展常務理事、1998年、日本彫刻会常務理事、1999年、日展事務局長、2000年、日展理事長[1]、日本彫刻会理事長[1]。2009年、旭日中綬章受章[2]。2011年、文化功労者[1]。
2021年1月31日、誤嚥性肺炎のため、東京都目黒区の病院で死去[3]。90歳没。死没日をもって従四位に叙される[4]。
仏像、宗教的雰囲気の人物像などを彫る。
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| 太字は恩賜賞受賞者。雅号、筆名、芸名等は受賞時のものによる。表記揺れによる混乱を避けるため、漢字は便宜上新字体に統一する。 | |||||||||