| かしやま ふみえ 樫山 文枝 | |||||
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『映画情報』1966年10月号より。 | |||||
| 本名 | 綿引 文枝(旧姓:樫山) | ||||
| 生年月日 | (1941-08-13)1941年8月13日(84歳) | ||||
| 出生地 | (現:東京都武蔵野市吉祥寺) | ||||
| 職業 | 女優 | ||||
| ジャンル | テレビドラマ | ||||
| 活動期間 | 1960年代 - | ||||
| 配偶者 | 綿引勝彦 | ||||
| 著名な家族 | 樫山欽四郎(父) | ||||
| 事務所 | 劇団民藝 | ||||
| 主な作品 | |||||
| テレビドラマ 『おはなはん』 『3年B組金八先生』(第3シリーズ) 映画 『男はつらいよ 葛飾立志篇』 『子どものころ戦争があった』 | |||||
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樫山 文枝(かしやま ふみえ、1941年〈昭和16年〉8月13日[1] - )は、日本の女優である。劇団民藝所属。本名は綿引 文枝(わたびき ふみえ、旧姓:樫山)。夫は俳優の綿引勝彦[1]。
1966年 NHK連続テレビ小説『おはなはん』の演技でゴールデン・アロー賞特別賞、ラジオ・テレビ゙記者会賞個人賞受賞。舞台では2008年に『海霧』の演技で第43回紀伊國屋演劇賞個人賞 受賞。テレビドラマ、映画、舞台などで活躍するほか、ナレーションや朗読の仕事でも知られる。

東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺(現:東京都武蔵野市吉祥寺)生まれ[1]。父親は早稲田大学教授・同野球部長を歴任し、ヘーゲルの研究者として著名な樫山欽四郎。両親とも長野県小諸市の出身[3]。大手アパレルメーカーのオンワード樫山(法人としては、現:オンワードホールディングス)創業者・樫山純三は伯父にあたる[3]。
1960年、東京文化高等学校卒業。俳優座養成所第12期、劇団民藝俳優教室入所の後、劇団民藝入団。
1966年4月から1年間放送された連続テレビ小説『おはなはん』の主役に抜擢、いわゆる女性の一代記モノで18歳から84歳までを1人で演じきったことで茶の間の人気を得た[4]。『朝日新聞』2010年9月25日付の「beランキング 心に残る朝ドラヒロイン」アンケート結果では第1位であった。
1967年4月に行われた東京都知事選挙では社会党・共産党推薦の美濃部亮吉を応援。ポスターのモデルを引き受け[5]、街頭演説も行った。
1971年4月に行われた東京都知事選挙でも美濃部を応援。選挙公報に記された支持者一覧に名を連ねた[6]。
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