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植山悦行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 植山悦行 七段
名前植山悦行
生年月日 (1957-04-28)1957年4月28日(68歳)
プロ入り年月日1981年4月2日(23歳)
引退年月日2013年6月28日(56歳)
棋士番号150
出身地三重県伊勢市
所属日本将棋連盟(関東)
師匠佐瀬勇次名誉九段
段位七段
棋士DB植山悦行
戦績
通算成績378勝476敗(.4426)
竜王戦最高クラス4組(5期)
順位戦最高クラスC級2組(21期)
2014年6月18日現在
テンプレートを表示

植山 悦行(うえやま よしゆき、1957年4月28日 - ) は、将棋棋士佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は150。三重県伊勢市出身。2013年6月28日付けで引退

棋歴

[編集]

入門当初は関西奨励会に所属し、地元の高校に進んだ[1]。初段の時に関東奨励会に移籍し、以降、22歳で三段に上がるまでの間、師匠の家で内弟子生活を送ったという[1]。関西所属時は、奨励会の対局以外で将棋をほとんど指さなかったにもかかわらず、順調に昇級を重ねた[1]

1981年4月に四段昇段(プロ入り)。

第2回(1986年度)天王戦の四段戦で森下卓富岡英作らを破って優勝し、本戦進出。さらに本戦1回戦で南芳一を破るが、2回戦で森雞二に敗れた。

第16期棋王戦(1990年度)で本戦出場。

1991年度、第59期棋聖戦で、一次予選・二次予選を抜けて本戦入り。一次予選決勝では佐藤康光を、二次予選決勝では大山康晴を破った。

第7期竜王戦(1994年度)5組で準優勝し、4組初昇級。また、第20期棋王戦(1994年度)で2度目の本戦出場。

2001年度、第20回朝日オープン将棋選手権で本戦出場。

順位戦の降級点規定により、2003年度よりフリークラスとなった。それから10年間、順位戦C級2組への復帰条件に相当する成績を収めることができず、2012年度の最終対局日をもって引退することが内定していた。植山は2012年度末(2013年3月31日)の時点で、第26期竜王戦6組昇級者決定戦への出場資格を残し、1回戦(2013年6月5日)では兄弟子の田丸昇に勝ったものの、2回戦(2013年6月28日)で石川陽生に敗れ、同日付けで引退した[2]

人物

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  • 1989年に女流棋士で妹弟子の中井広恵と結婚し、3人の娘がいる。出会った当時はアフロヘアーのような髪型をしていて、中井からの印象は最悪だったという。その後中井が奨励会に入り、女性ゆえ何かと孤立しがちであった(実際に、女性の奨励会員が中井だけの時期もあった)ところを植山が面倒を見たことで、後の結婚へとつながっていった[3]
  • 1991年度の早指し将棋選手権予選・対北村昌男戦で、自分の玉を相手の角の利きに晒す反則で負けてしまった。これは2005年1月にNHK衛星第2テレビで放映された「大逆転将棋」のプロ反則特集で取り上げられ、番組に出演していた妻の中井が解説をする羽目になってしまった。また、1983年の第14回新人王戦2回戦・対宮田利男戦では、「二手指し」の反則負けを喫した。
  • NHK杯戦では、プロデビュー翌年の第32回(1982年度)より現役最終年の第63回(2013年度)まで32回すべてで予選敗退し、NHK杯戦の本戦出場を経験しないまま現役を引退した[4]。NHK杯戦の予選制導入以降にプロデビューをして本戦出場経験が無いまま現役を引退した棋士は、第71回(2021年度)予選が終了した時点においては植山と野田敬三金沢孝史[5]の3人のみである。
  • 1996年から2005年まで研修会幹事を務め、引退後も地方でのイベントにも積極的に訪れるなど普及にも熱心に取り組んでいる。

昇段履歴

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→昇段規定については「将棋の段級」を参照
  • 1972年00月00日 : 5級 = 奨励会入会
  • 1975年00月00日 : 初段
  • 1981年04月02日 : 四段 = プロ入り
  • 1987年04月06日 : 五段(勝数規定 /公式戦100勝
  • 1994年7月29日 六段(勝数規定 /五段昇段後公式戦120勝
  • 2007年04月01日 : 七段(フリークラスの昇段規定)[6]
  • 2013年06月28日 : 引退(フリークラス編入後10年経過)

主な成績

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在籍クラス

[編集]
→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[7]
(出典)竜王戦
出典[8]
名人A級B級C級0竜王1組2組3組4組5組6組決勝
T
1組2組1組2組
198140四段昇段前第21期十段戦 予選敗退
198241C2365-5第22期十段戦 予選敗退
198342C2236-4第23期十段戦 予選敗退
198443C2186-4第24期十段戦 予選敗退
198544C2107-3第25期十段戦 予選敗退
198645C2043-7第26期十段戦 予選敗退
198746C2345-515組--3-2
198847C2254-625組--1-2
198948C233x2-835組--1-2
199049C246*4-645組--1-2
199150C236*4-655組--1-2
199251C238*7-365組--2-2
199352C211*6-475組--4-1
199453C218*4-684組--1-2
199554C228*5-594組--1-2
199655C224*5-5104組--3-2
199756C225*7-3114組--3-2
199857C207*x2-8124組--0-4
199958C238**+6-4135組--4-2
200059C221*5-5145組--1-2
200160C222*x3-7155組--3-2
200261C234**x1-9165組--
200362F編175組--2-2
200463F編185組--3-2
200564F編195組--1-2
200665F編205組--0-3
200766F編216組--0-2
200867F編226組--3-2
200968F編236組--3-2
201069F編246組--1-2
201170F編256組--2-2
201271F編266組--2-2
20132013年4月末でフリークラス期限経過2013年6月28日 引退
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 (x当期降級点 / *累積降級点 /+降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

年度別成績

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[icon]
この節の加筆が望まれています。 2024年9月
公式棋戦成績
年度対局数勝数負数勝率(出典)
19810.[9]
19820.[10]
19830.[11]
19840.[12]
19850.[13]
19860.[14]
19870.[15]
19880.[16]
19890.[17]
19900.[18]
1981-1990
(小計)
年度対局数勝数負数勝率(出典)
19910.[19]
19920.[20]
19930.[21]
19940.[22]
19950.[23]
19960.[24]
19970.[25]
19980.[26]
19990.[27]
20000.[28]
1991-2000
(小計)
年度対局数勝数負数勝率(出典)
20010.[29]
20020.[30]
20030.[31]
20040.[32]
20050.[33]
20060.[34]
20070.[35]
20080.[36]
20090.[37]
20100.[38]
2001-2010
(小計)
年度対局数勝数負数勝率(出典)
20110.[39]
20120.[40]
20130.[41]
2011-2013
(小計)
通算8543784760.4426
2013年6月28日引退

脚注

[編集]
  1. ^abc将棋世界」2000年1月号付録
  2. ^植山悦行七段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。
  3. ^204号 注目の人 女流棋士/中井 広恵さん”. Ms Wendy. 2013年4月23日閲覧。
  4. ^妻の中井は第53回(2003年度)及び第54回(2004年度)で女流枠予選を勝ち抜き、本戦に2回出場した。更に本戦でも第53回1回戦の畠山鎮戦・同2回戦の青野照市戦・第54回1回戦の佐藤秀司戦の3勝を記録した。
  5. ^野田は第39回(1989年度)から第63回(2013年度)まで25回連続、金沢は第50回(2000年度)から第56回(2006年度)の出場停止を挟んで第71回(2021年度)まで21回連続でNHK杯戦の予選を敗退した。
  6. ^2007年4月1日付昇段・昇級者|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。
  7. ^名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  8. ^竜王戦」『日本将棋連盟』。
  9. ^[1][名無しリンク]
  10. ^[2][名無しリンク]
  11. ^[3][名無しリンク]
  12. ^[4][名無しリンク]
  13. ^[5][名無しリンク]
  14. ^[6][名無しリンク]
  15. ^[7][名無しリンク]
  16. ^[8][名無しリンク]
  17. ^[9][名無しリンク]
  18. ^[10][名無しリンク]
  19. ^[11][名無しリンク]
  20. ^[12][名無しリンク]
  21. ^[13][名無しリンク]
  22. ^[14][名無しリンク]
  23. ^[15][名無しリンク]
  24. ^[16][名無しリンク]
  25. ^[17][名無しリンク]
  26. ^[18][名無しリンク]
  27. ^[19][名無しリンク]
  28. ^[20][名無しリンク]
  29. ^[21][名無しリンク]
  30. ^[22][名無しリンク]
  31. ^[23][名無しリンク]
  32. ^[24][名無しリンク]
  33. ^[25][名無しリンク]
  34. ^[26][名無しリンク]
  35. ^[27][名無しリンク]
  36. ^[28][名無しリンク]
  37. ^[29][名無しリンク]
  38. ^[30][名無しリンク]
  39. ^[31][名無しリンク]
  40. ^[32][名無しリンク]
  41. ^[33][名無しリンク]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
日本将棋連盟所属 引退棋士および退会者
引退年不詳
1930年代
引退者
1940年代
引退者
1950年代
引退者
1960年代
引退者
1970年代
引退者
1980年代
引退者
1990年代
引退者
2000年代
引退者
2010年代
引退者
2020年代
引退者
退会者
引退棋士 全173名(日本将棋連盟所属、棋士番号割当者〈※番号なし、人数に含めず〉、うち故人102〈下線表記〉)、退会者3名。
現役棋士については「Template:日本将棋連盟所属棋士」を参照 / 棋士全般についての詳細は「将棋棋士一覧」を参照
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