かじくり げんたろう 梶栗 玄太郎 | |
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| 生誕 | 1937年 |
| 死没 | 2012年12月26日[1] |
| 死因 | 腎臓癌 |
| 出身校 | 芝浦工業大学[1] |
| 著名な実績 | 全国大学連合原理研究会初代副会長[1] 世界基督教統一神霊協会第12代会長[1] 国際ハイウェイ建設事業団(現・一般財団法人国際ハイウェイ財団)理事長[1] 世界日報社社長[1] 国際勝共連合会長[1] |
| 宗教 | 世界基督教統一神霊協会(統一教会、現世界平和統一家庭連合)[1] |
| 子供 | 梶栗正義 |
| 栄誉 | 文鮮明・韓鶴子夫妻より「忠臣奉天」の称号を授与[1] |
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梶栗 玄太郎[2](かじくり げんたろう、1937年〈昭和12年〉 -2012年〈平成24年〉12月26日)は、日本の宗教家、政治活動家。世界平和統一家庭連合の日本統一教会第12代会長、世界日報社社長、国際勝共連合会長、世界平和連合会長、国際ハイウェイ財団理事長などを歴任した。
福岡県宗像郡東郷町(現・宗像市東郷町)生まれ。玄太郎の名前は漢字は異なるが、日露戦争時の参謀の陸軍大将児玉源太郎にあやかったという[1]。1960年、芝浦工業大学土木工学科卒業[1]。
1963年11月、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に入信[3]。1964年、全国大学連合原理研究会初代副会長に就任[1]。
1969年4月18日、統一教会の創始者の文鮮明が来日。同年5月1日、渋谷区松濤の統一教会本部で22組の男女が文鮮明夫妻から祝福を受けて合同結婚した[4][5]。このとき、梶栗は熱海惠李子と結ばれた[6]。梶栗、神山威(第2代会長)、小山田秀生(第4代・9代会長)[7]、櫻井設雄(第5代会長)、石井光治(第6代会長)、阿部正寿ら12組の夫婦は「12双」と呼ばれ、教団内で別格の存在とみなされている[8][9]。
惠李子の母の熱海房子は日本統一教会の初代婦人部長を務めた[10]。義父の熱海景二は旧制一高、東京帝国大学経済学部の卒業生で、野球部では福田赳夫がチームメイトであった。梶栗は熱海の紹介で、1970年から福田と関係を築いた[6][11]。
1971年-1975年、国際勝共連合事務総長兼理事長[1]。1974年-1982年、救国連盟理事長[1]。1982年-1993年、国際ハイウェイ建設事業団理事長[1]。1983年-1989年、世界日報社社長[1]。
1996年-1999年、ブラジル・ジャルディン (マットグロッソ・ド・スル州)(ポルトガル語版、英語版)に赴任[1]。1999年-2002年、パラグアイ・アルト・パラグアイ県プエルト・レダ(Puerto Leda)に赴任[1]。
2009年1月8日、国際ハイウェイ建設事業団の事業を継承し、新たに、一般財団法人国際ハイウェイ財団が設立[12][13]。会長には徳野英治、理事長には梶栗が就任した[14]。
同年6月11日、統一教会の信者らが特定商取引法違反の疑いで逮捕された(新世事件)[15]。7月13日、徳野英治は事件の責任をとり、日本統一教会会長を辞任[16]。7月14日、梶栗は日本統一教会12代会長に就任した[17]。2010年、国際勝共連合会長、世界平和連合会長に就任[1]。
2012年12月26日、会長在任中に腎臓癌のため死去。75歳没[3][18]。
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