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政府四演説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
施政方針演説を行う鳩山由紀夫内閣総理大臣(2010年1月29日、第174回国会にて)
外交演説を行う中曽根弘文外務大臣(2009年1月28日、第171回国会にて)
財政演説を行う中川昭一財務大臣(2009年1月28日、第171回国会にて)
経済演説を行う甘利明内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)(2015年2月12日、第189回国会にて)

政府四演説(せいふよんえんぜつ)とは、日本の国会において毎年1月(かつては12月)に召集される通常国会または通常国会に代わる特別国会において、内閣総理大臣国務大臣が行う4つの演説のこと。

概説

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政府四演説は以下の4つの大臣による演説である。

演説は衆議院参議院の両院本会議で行われ、それに対して各会派代表から代表質問が行われる。通例では、通常国会の召集日が決まった時点で議院運営委員会理事会による大まかな調整、召集日に理事会での調整内容を確定する作業を経て、演説実施の前日に内閣総理大臣から議長宛てに発言の通告が行われる。議運は発言の通告を受け取った時点で、国会中継を行う担当者(NHK局員・ドワンゴニコ生YouTube Live配信担当社員ら)を議場に入れる許可を出す。

→「議院運営委員会 § 所管事項」、および「国会中継 § 概要」も参照

演説が終わると遅くとも翌平日中、演説が金曜日に行われた場合衆議院では週明けの月曜日に代表質問を始めるため当日中[注釈 1]に議院規則に基づき各会派から質疑通告が提出される。質疑通告には質疑を行う案件、質疑者、質疑時間及び答弁要求閣僚が記されている[1]

→詳細は「代表質問 § 手続き」を参照

なお、内閣総理大臣が施政方針演説でも所信表明でもなく、憲法72条に基づき一般国務や外交関係等について国会に報告するため、本会議において発言を求める場合もあるが、これは狭義の政府四演説には含まない。

→「所信表明演説 § 所信表明に該当しない内閣総理大臣の演説」、および「日本国憲法第72条 § 条文」も参照

演説の開催について

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閣僚による国会演説自体は明治憲法時代に存在した帝国議会から行われることが慣例化しており、1890年(明治23年)に召集された第1回帝国議会に於いて、同年12月6日の衆議院本会議の席上、第3代内閣総理大臣山縣有朋が施政方針演説、大蔵大臣松方正義が財政演説をそれぞれ実施したのが最初の政府演説である[2]

政府四演説は理論上は国会が開会中であればいつでも行うことができ、必ずしも召集当日に行う必要はない。また、大東亜戦争太平洋戦争第二次世界大戦の国会では天皇陛下をお迎えして行われる開会式の前に四演説を行っても差し支えなくなった。召集2日目以降に行われる例や、冒頭解散により施政方針演説が総選挙後の特別国会に延期された例も多い。ただし、明治憲法およびその付随法たる議院法では、召集当日に開院式(かいいんしき)、会期末に閉院式(へいいんしき)を貴族院本会議場(現・参議院)で天皇御臨席の下行うと定められており、神聖不可侵たる天皇の口から発される開会・閉会についての御言葉勅語)を拝聴しなければ政府四演説は勿論のこと、帝国議会として一切の組織活動を行ってはならなかった。

→「会期 § 国会」、および「国会開会式 § 概要」も参照

1991年(平成3年)以前は通常国会の召集が12月だったため、召集直後の自然休会を経て、翌年1月に改めて演説を行うケースが多かった。1992年(平成4年)以降は1月の通常国会召集直後に、年1回行うのが慣例となった。ただし、臨時国会の冒頭に総理が所信表明演説を行った後、補正予算の趣旨説明を兼ねた財政演説も行ったケースなど、同一年に複数回の四演説、ないしは所信表明と他の3つのうちの1つないしは2つという形の政府演説を行うこともあり得る。

財政法第27条により翌年度の一般会計予算は1月中に国会に提出するのを常例と規定されており、なおかつ財政演説は予算案の趣旨説明を兼ねることから、通常国会が開会しても翌年度当初予算案が国会に上がる前に政府四演説を行うのは異例中の異例となる。第2次安倍内閣以降は、通常国会の冒頭に補正予算案を提出してその趣旨説明たる財政演説のみを行い、補正予算の成立後に翌年度当初予算を提出した上で改めて四演説を行う形態も採られていた。しかし、2017年(平成29年)の第189通常国会以降は、冒頭で当年度補正と翌年度当初の2つの一般会計予算案が同時に提出され、会期初日の開会式直後に四演説を行う形に変更されている。

→詳細は「第198回国会 § 1月」、および「第189回国会 § 1月」を参照
→「予算 § 予算の編成」、および「所信表明演説 § 日本の国会における所信表明演説」も参照

過去の政府四演説

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過去の政府四演説
年月国会内閣施政方針演説
所信表明演説
外交演説財政演説経済演説
1948年3月20日第2回国会芦田内閣芦田均--栗栖赳夫
1949年4月4日第5回国会第3次吉田内閣吉田茂-池田勇人青木孝義
1950年1月23日第7回国会-
1950年11月24日第9回国会第3次吉田第1次改造内閣--
1951年1月26日第10回国会-周東英雄池田勇人
1952年1月23日第13回国会第3次吉田第3次改造内閣-
1952年11月24日第15回国会第4次吉田内閣岡崎勝男向井忠晴-
1953年1月30日第15回国会小笠原三九郎
1953年6月16日第16回国会第5次吉田内閣小笠原三九郎岡野清豪
1954年1月27日第19回国会愛知揆一
1954年11月30日第20回国会--
1955年1月22日第21回国会第1次鳩山一郎内閣鳩山一郎重光葵一万田尚登一万田尚登
1955年4月25日第22回国会第2次鳩山一郎内閣石橋湛山
1956年1月30日第24回国会第3次鳩山一郎内閣高碕達之助
1957年2月4日第26回国会石橋内閣岸信介[注釈 2]岸信介池田勇人宇田耕一
1957年11月1日第27回国会第1次岸改造内閣-一万田尚登-
1958年1月29日第28回国会藤山愛一郎河野一郎
1958年9月30日第30回国会第2次岸内閣--
1959年1月27日第31回国会佐藤栄作世耕弘一
1960年2月1日第34回国会第2次岸改造内閣菅野和太郎
1960年10月21日第36回国会第1次池田内閣池田勇人小坂善太郎水田三喜男迫水久常
1961年1月30日第38回国会第2次池田内閣
1961年9月28日第39回国会第2次池田第1次改造内閣-
1962年1月19日第40回国会藤山愛一郎
1963年1月23日第43回国会第2次池田第2次改造内閣大平正芳田中角栄-
1963年10月18日第44回国会第2次池田第3次改造内閣-
1964年1月21日第46回国会第3次池田内閣-
1964年11月21日第47回国会第1次佐藤内閣佐藤栄作椎名悦三郎-
1965年1月25日第48回国会-
1965年7月30日第49回国会第1次佐藤第1次改造内閣福田赳夫-
1965年10月13日第50回国会-藤山愛一郎
1966年1月28日第51回国会福田赳夫
1967年3月14日第55回国会第2次佐藤内閣三木武夫水田三喜男宮澤喜一
1968年1月27日第58回国会第2次佐藤第1次改造内閣
1969年1月27日第61回国会第2次佐藤第2次改造内閣愛知揆一福田赳夫菅野和太郎
1970年2月14日第63回国会第3次佐藤内閣佐藤一郎
1971年1月22日第65回国会
1971年10月19日第67回国会第3次佐藤改造内閣福田赳夫水田三喜男-
1972年1月29日第68回国会木村俊夫
1972年10月28日第70回国会第1次田中角栄内閣田中角栄大平正芳植木庚子郎-
1973年1月27日第71回国会第2次田中角栄内閣愛知揆一小坂善太郎
1973年12月1日第72回国会第2次田中角栄内閣 (第1次改造)-福田赳夫-
1974年1月21日大平正芳内田常雄
1974年12月14日第74回国会三木内閣三木武夫-大平正芳-
1975年1月24日第75回国会宮澤喜一福田赳夫
1975年9月16日第76回国会三木改造内閣--
1976年1月23日第77回国会大平正芳福田赳夫
1977年1月31日第80回国会福田赳夫内閣福田赳夫鳩山威一郎坊秀男倉成正
1977年10月3日第82回国会-
1978年1月21日第84回国会福田赳夫改造内閣園田直村山達雄宮澤喜一
1978年9月20日第85回国会-
1979年1月25日第87回国会第1次大平内閣大平正芳金子一平小坂徳三郎
1980年1月25日第91回国会第2次大平内閣大来佐武郎竹下登正示啓次郎
1981年1月26日第94回国会鈴木善幸内閣鈴木善幸伊東正義渡辺美智雄河本敏夫
1982年1月25日第96回国会櫻内義雄
1982年12月3日第97回国会第1次中曽根内閣中曽根康弘-竹下登-
1983年1月24日第98回国会安倍晋太郎塩崎潤
1984年2月6日第101回国会第2次中曽根内閣河本敏夫
1985年1月25日第102回国会第2次中曽根第1次改造内閣金子一平
1986年1月27日第104回国会第2次中曽根第2次改造内閣平泉渉
1987年1月26日第108回国会第3次中曽根内閣倉成正宮澤喜一近藤鉄雄
1987年7月6日第109回国会--
1988年1月25日第112回国会竹下内閣竹下登宇野宗佑中尾栄一
1989年2月10日第114回国会竹下改造内閣村山達雄愛野興一郎
1990年3月2日第118回国会第2次海部内閣海部俊樹中山太郎橋本龍太郎相沢英之
1991年1月25日第120回国会第2次海部改造内閣越智通雄
1992年1月24日第123回国会宮澤内閣宮澤喜一渡辺美智雄羽田孜野田毅
1992年10月30日第125回国会--
1993年1月22日第126回国会宮澤改造内閣渡辺美智雄林義郎船田元
1994年3月4日第129回国会細川内閣細川護熙羽田孜藤井裕久久保田真苗
1995年1月20日第132回国会村山内閣村山富市河野洋平武村正義高村正彦
1996年1月22日第136回国会第1次橋本内閣橋本龍太郎池田行彦久保亘田中秀征
1997年1月20日第140回国会第2次橋本内閣三塚博麻生太郎
1998年2月16日第142回国会第2次橋本改造内閣小渕恵三松永光尾身幸次
1999年1月19日第145回国会小渕第1次改造内閣小渕恵三高村正彦宮澤喜一堺屋太一
2000年1月28日第147回国会小渕第2次改造内閣河野洋平
2001年1月31日第151回国会第2次森改造内閣森喜朗麻生太郎
2002年2月4日第154回国会第1次小泉内閣小泉純一郎川口順子塩川正十郎竹中平蔵
2003年1月31日第156回国会第1次小泉第1次改造内閣
2004年1月19日第159回国会第2次小泉内閣谷垣禎一
2005年1月21日第162回国会第2次小泉改造内閣町村信孝
2006年1月20日第164回国会第3次小泉改造内閣麻生太郎与謝野馨
2007年1月26日第166回国会第1次安倍内閣安倍晋三尾身幸次大田弘子
2008年1月18日第169回国会福田康夫内閣福田康夫高村正彦額賀福志郎
2009年1月28日第171回国会麻生内閣麻生太郎中曽根弘文中川昭一与謝野馨
2010年1月29日第174回国会鳩山由紀夫内閣鳩山由紀夫岡田克也菅直人菅直人
2011年1月24日第177回国会菅直人第2次改造内閣菅直人前原誠司野田佳彦与謝野馨
2012年1月24日第180回国会野田第1次改造内閣野田佳彦玄葉光一郎安住淳古川元久
2013年2月28日第183回国会第2次安倍内閣安倍晋三岸田文雄麻生太郎甘利明
2014年1月24日第186回国会
2015年2月12日第189回国会第3次安倍内閣
2016年1月22日第190回国会第3次安倍第1次改造内閣
2017年1月20日第193回国会第3次安倍第2次改造内閣石原伸晃
2018年1月22日第196回国会第4次安倍内閣河野太郎茂木敏充
2019年1月28日第198回国会第4次安倍第1次改造内閣
2020年1月20日第201回国会第4次安倍第2次改造内閣茂木敏充西村康稔
2021年1月18日第204回国会菅義偉内閣菅義偉
2022年1月17日第208回国会第2次岸田内閣岸田文雄林芳正鈴木俊一山際大志郎
2023年1月23日第211回国会第2次岸田第1次改造内閣後藤茂之
2024年1月30日第213回国会第2次岸田第2次改造内閣上川陽子新藤義孝
2025年1月24日第217回国会第2次石破内閣石破茂岩屋毅加藤勝信赤沢亮正

脚注

[編集]
[脚注の使い方]

注釈

[編集]
  1. ^余程の緊急事態または参議院の緊急集会でない限り土曜日日曜日国民の祝日には本会議・委員会を開催しないため。
    →詳細は「国会中継 § 放送時間」を参照
  2. ^1957年2月4日の第26回国会では、内閣総理大臣:石橋湛山が病に倒れ療養中であったため、外務大臣の岸信介が登壇・演説した。

出典

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  1. ^国会キーワード:政府四演説と代表質問 - 参議院ホームページ。
  2. ^官報號外 『衆議院第一回通常會議事速記録第四號』” (PDF). 内閣官報局 (1890年12月7日). 2018年4月6日閲覧。
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