文化勲章受章に際して 公表された肖像写真 | |
| 誕生 | (1924-07-07)1924年7月7日(101歳) 三重県一志郡美杉村 |
| 職業 | 歌人 |
| 言語 | 日本語 |
| 国籍 | |
| 最終学歴 | 國學院大學国文科卒業 |
| ジャンル | 短歌 |
| 主な受賞歴 | 現代歌人協会賞(1968年) 迢空賞(1973年) 芸術選奨文部科学大臣賞(1979年) 読売文学賞(1988年) 芸術院賞(1998年) 和辻哲郎文化賞(2001年) 現代短歌大賞(2011年) 詩歌文学館賞(2011年) 日本歌人クラブ大賞(2013年) |
影響を受けたもの | |
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岡野 弘彦(おかの ひろひこ、1924年〈大正13年〉7月7日 - )は、日本の歌人。國學院大學名誉教授、日本芸術院会員[1]、文化功労者。文化勲章受章者。
國學院大學文学部教授、國學院大學文学部学部長、國學院大學栃木短期大学学長などを歴任した。
三重県一志郡美杉村(現・津市)生まれ。代々神主の家に、父・弘賢の長男として生まれる。川上尋常小学校、神宮皇學館普通科を経て、1948年(昭和23年)國學院大學国文科卒。1957年國學院大學専任講師[2]、1961年に助教授[2]、1969年に教授[2]、1975年からは文学部長。1995年から2007年まで國學院大學栃木短期大学学長。
1946年(昭和21年)、学生時代から釈迢空(折口信夫)主宰の短歌結社「鳥船社」に入社、1947年(昭和22年)からは折口家に同居、その死を看取った。折口の最後の弟子とも評される[3]。1973年(昭和48年)「人」創刊。1995年から2008年まで読売文学賞選考委員。1999年(平成11年)「岡野弘彦個人雑誌、うたげの座」を編集。
宮中と関わりが深く、1983年から2007年まで宮内庁御用掛として昭和天皇の作歌指南役を務めた[2]ほか、皇太子徳仁親王、皇太子妃雅子にも和歌の進講をしており、1979年からは宮中歌会始選者も務めている(2008年まで)。2013年には歌会始の召人も務めた。
2007年(平成18年)に歌集「バグダッド燃ゆ」、第29回現代短歌大賞(現代歌人協会主催)および第22回詩歌文学館賞を受賞。この歌集は、師・釈迢空が第二次世界大戦で、養子の春洋や多くの若者たちを失ったことに対する自分の戦争責任を問い直し、鎮魂をライフワークとしたことに倣い、岡野自身の戦争体験を踏まえ、バグダッドでの止まらない戦禍に深い悲しみを寄せた作品である。
門下に松坂弘、藤井常世、秋山佐和子、海老沢泰久、大谷和子、一ノ関忠人、沢口芙美など。
近年、折口と同様の句読点、空き字等を使用、また長歌と短歌を組み合わせた組歌を発表するなど意欲的な取り組みをしている。伝統的な詠法に則り、定型を守り、調べが清らかで、確立している。
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| 太字は恩賜賞受賞者。雅号、筆名、芸名等は受賞時のものによる。表記揺れによる混乱を避けるため、漢字は便宜上新字体に統一する。 | |||||||||