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山崎正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
曖昧さ回避その他の同名の人物については「山崎正 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
曖昧さ回避ピアニストの「山崎唯」とは別人です。
やまざき ただし
山崎 正
プロフィール
出身地日本の旗日本東京都荒川区日暮里[1]
生年月日 (1944-01-01)1944年1月1日
没年月日 (2023-06-25)2023年6月25日(79歳没)
身長164 cm[1]
最終学歴日本大学経済学部[1]
所属事務所圭三プロダクション
職歴仙台放送(1966年 - 1969年
中京テレビ(1969年 - 1973年)
テレビ朝日(1973年 - 2004年)
活動期間1966年 -2023年
ジャンルスポーツ中継
配偶者一般女性( - 2023年)
担当番組・活動
出演経歴本文参照

山崎 正(やまざき ただし、1944年1月1日 -2023年6月25日)は、日本フリーアナウンサー。元仙台放送中京テレビテレビ朝日アナウンサー。相撲評論家(東京相撲記者クラブ会友)。また、圭三プロダクションに「客員」として所属。

来歴・人物

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東京都荒川区日暮里出身[1]日本大学第二高等学校日本大学経済学部卒業。仙台放送(1966年 - 1969年)、中京テレビ(1969年 - 1973年)を経て、1973年6月15日、テレビ朝日(当時日本教育テレビ)に中途入社した[1]

テレビ朝日では主にニュースプロレス中継を務め、中でも『大相撲ダイジェスト』では長年司会を務めた。また、在籍期間中にアナウンス部長も経験した。

プロレス中継では、タイガー・ジェット・シンの控え部屋でインタビューを取ろうとしたら、シンにトレードマークであるサーベルで襲われて腕を痛めていたが、その際に受けた傷は死去まで癒えていなかったという。プロレスから降板した理由は、テレビ朝日が独占放送をしようとしていた(日本不参加で深夜放送に縮小)1980年モスクワオリンピックの実況に回るためだったという。

2004年1月、60歳を迎えたことで定年退職したが、テレビ朝日アスクでは引き続き講師として、アナウンサーの育成にあたっていた。

2005年、11代二子山(元大関・貴ノ花利彰)の死去後に表面化したいわゆる「若貴確執騒動」では『スーパーモーニング』や『ワイド!スクランブル』などにゲスト出演し、コメントを寄せた。

2006年7月29日には、高校野球岡山大会決勝(テレビ朝日系列局の瀬戸内海放送制作)で実況を務めている。

キャリア終盤期には両国国技館で本場所開催中に館内でのみ聴ける「どすこいFM」で実況を務めていた。

同年6月25日、肺炎による呼吸不全のため、死去した。79歳没。家族の話によれば、晩年は2019年1月に小脳出血を発症して以後は歩行困難な状態になり、介護施設で療養していたが、2023年1月に新型コロナウイルスに感染して以後は後遺症のため、ほぼ寝たきりの状態となっていたという[2]

アナウンサー時代の担当番組

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報道番組

期間番組名役職
同局中途入社直後ANNニュースシフト勤務キャスター
1975年4月
1984年4月
1985年10月
1982年3月
1985年3月
1987年9月
ANNニュースセブン
1975年10月
1982年4月
1980年9月
1987年9月
ANNニュースファイナル
1988年4月1991年3月ANNニュースフレッシュ週末担当キャスター
1992年3月ANNニュースライナー
1991年4月1993年3月ANN 530ステーションメインキャスター

その他

脚注

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  1. ^abcdeMale Announcer List”. テレビ朝日 (1997年5月25日). 2025年1月30日閲覧。
  2. ^大相撲ダイジェスト司会 山崎正さん死去 79歳 信頼厚い元テレ朝アナウンサー」『Sponichi Annex』(スポーツニッポン新聞社)2023年6月30日。2023年6月30日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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