小林 勝馬(こばやし かつま、1906年(明治39年)11月16日[1] -1987年(昭和62年)12月23日[1][2])は、日本の政治家、実業家、鍼灸師。参議院議員(1期)。
佐賀県佐賀郡鍋島村[3](現佐賀市[1])で小林鹿三郎の四男として生まれた[3]。1927年 (昭和2年)鍼灸術営業免許所得[要出典]。熊本逓信講習所を卒業し[1][2]、さらに1928年(昭和3年)無線電信講習所を卒業した[2][3]。
1922年(大正11年)通信事務員となり、以後、警視庁技手、国際汽船事務長、無線電信技士、山王工業社長、日本光学兵器社長、自家用自動車組合理事、官立無線同窓会会長などを務めた[2]。
1946年(昭和21年)東京都鍼灸按マッサージ師会理事長及び日本鍼灸按マッサージ師会副会長、全国鍼灸按マッサージ医法制定実行委員会書記長に就任[要出典]。
1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙で全国区から出馬して当選(補欠、任期3年)[2][4]。1950年(昭和25年)5月2日、任期(半期)満了[5]。
1987年、食道静脈瘤破裂により死去[要出典]。
| 第1回 (定数100) |
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| †:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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