コマツビル(建替え工事前) | |
| 種類 | 株式会社 |
|---|---|
| 機関設計 | 監査役会設置会社[1] |
| 市場情報 | |
| 略称 | コマツ、KOMATSU |
| 本社所在地 | 〒105-8316 東京都港区海岸一丁目2番20号 (汐留ビルディング) |
| 設立 | 1921年5月13日 |
| 業種 | 機械 |
| 法人番号 | 1010401010455 |
| 事業内容 | 建設機械・車両、産業機械他などの事業を中心に、リテールファイナンス・物流などの事業を展開 |
| 代表者 | 代表取締役社長兼CEO今吉琢也 |
| 資本金 | 693億9300万円 (2022年3月31日現在) |
| 発行済株式総数 | 9億7314万5800株 (2022年3月期) |
| 売上高 | 連結:2兆8,023億23百万円 (2022年3月期) |
| 営業利益 | 連結:3,170億15百万円 (2022年3月期) |
| 純利益 | 連結:2,249億27百万円 (2022年3月期) |
| 純資産 | 連結:2兆3,562億77百万円 (2022年3月31日現在) |
| 総資産 | 連結:4兆3,475億22百万円 (2022年3月31日現在) |
| 従業員数 | 連結:62,774人 単独:11,927人 (2022年3月31日現在) |
| 決算期 | 3月31日 |
| 会計監査人 | 有限責任あずさ監査法人 |
| 主要株主 | 日本マスタートラスト信託銀行(信託口)17.67% 日本カストディ銀行(信託口)6.47% 太陽生命保険 2.87% (2022年3月31日現在) |
| 主要子会社 | コマツカスタマーサポート 100% コマツ物流 100% コマツ産機 100% コマツNTC 100% コマツアメリカ 100% |
| 関係する人物 | 竹内明太郎 河合良成 坂根正弘 野路國夫 片田哲也 安崎暁 藤塚主夫(元代表取締役副社長) |
| 外部リンク | 小松製作所公式サイト |
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株式会社小松製作所(こまつせいさくしょ)は、東京都港区海岸に本社を置く、日本の建設機械・鉱山機械の大手メーカー。呼称としてカタカナ表記のコマツを用いている。英表記はKOMATSUである。
現在の石川県小松市発祥で、創業者は竹内明太郎。日経平均株価およびTOPIX Large70、JPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ[2][3][4]。アメリカにおいてニューヨーク証券取引所やNASDAQには上場していないが、米国預託証券(ADR)を発行している(証券コード:KMTUY)。
建設機械の日本でのシェアは1位、世界でアメリカ・キャタピラー社に次いで2位。日本以外にも南北アメリカ、ヨーロッパ、CIS、中近東、アフリカ、東南アジア、オセアニア、中国にグループ企業を展開する。

堅実な経営で比較的財務体質が良く、世界戦略も好調な会社として知られ、投資家やエコノミストからの評価は高い。好悪含めて新聞雑誌の経済欄を飾ることも多い。斜陽産業などと言われた時期もあったが、建機業界が活況を帯びていることもあって、最近では成長企業として見られている。日本のものづくりを代表する企業の一つでもある。建設機械にとって最も重要なエンジン、トランスミッション、油圧機器、アクスル、コントローラー等の電子制御部品を全て自社開発・生産している。2008年5月には、市販ベースの建設機械で世界初となるハイブリッド油圧ショベル「PC200-8ハイブリッド」を発表した。IR活動や企業統治にも比較的力を入れている。
石川県では地元に縁のある企業としては別格の存在で、特に小松市はコマツの企業城下町となっている。また、一般の人や子供たちが建設機械に対して親しみを持ってもらえるよう、2010年に閉鎖した小松工場跡地の「こまつの杜」内に「わくわくコマツ館」を開設。旧本社社屋を復元した建物の1階は、建設機械や産業機械の展示・体験コーナー、建設機械のジオラマや3Dシアターなどとなっており、2階では、理科教室などのイベントが行われている[5]。同じく小松市内にある粟津工場の開放日は家族連れに人気のイベントとなっている。また、静岡県にあるテクノセンタで年に2回見学会を開催したり、子供向けウェブサイト「ケンケンキッキ」を公開するなどのコミュニケーション活動も展開している。
1917年1月、石川県能美郡国府村(現・小松市)で銅山を経営していた竹内鉱業(竹内明太郎により創業)が自家用機械生産のため、同郡小松町の小松駅近傍に小松鉄工所を開設したのが始まりである(初代所長は、竹内の求めに応じた快進社の橋本増治郎が兼務)。竹内明太郎は高知県出身の実業家で吉田茂の長兄にあたる[6]。竹内は1902年に遊泉寺銅山の開発に着手すると、1917年に遊泉寺銅山の附属施設として小松鉄工所を設立した[6]。小松鉄工所では自家用工作機械や鉱山掘削機械を製造していた[6]。1921年5月13日に小松鉄工所が竹内鉱業から分離独立し、株式会社小松製作所が設立された。当初は不況の煽りを受け細々と経営していたが、満州事変を境に業績が好転した。1932年に農林省から国産トラクターの開発を要請され、日本初の国産トラクタ―「T25トラクタ」を開発した[6]。また、太平洋戦争中には日本海軍が米軍のブルドーザーを鹵獲、日本でも同じものを生産可能にする為、同社に送られて実用化の研究が始まったが、これが同社とブルドーザーの関わりの始まりである(詳細は「ブルドーザー」を参照)。
第二次大戦後、食糧増産のための開墾や国土復興などの需要からブルドーザーを量産し、1950年には総売上の53%がブルドーザーが占めるようになった[6]。1951年8月には本社を小松から東京に移転、屋上に巨大ブルドーザーがあった通称・コマツビル(1991年春に、このブルドーザーを撤去)に移転して営業を始め、油圧ショベルやフォークリフト、重ダンプトラックなどの建機製品を次々と手掛けていった。油圧ショベルは「パワーショベル」の商品名で発売されたが、この言葉は今日では油圧ショベルの一般的な呼び名として定着している。
グローバル化にいち早く手を付けた企業としても知られ、自動車メーカーより早い1950年代頃から海外への輸出や海外工場の展開を進めていた。1960年頃、キャタピラー社の日本進出に伴いマルA対策と呼ばれる品質向上活動が行われた。この結果、飛躍的に製品の品質が向上した。これを一つの契機として世界進出が本格的に開始される。現在ではアメリカ、ヨーロッパ、アジア、中国、ブラジルなどに50近い生産拠点がある。
1983年、石川県で全国植樹祭が開催された際には、昭和天皇の行幸先の一つとして粟津工場が選ばれている[7]。
1988年、アメリカのドレッサー・インダストリーズ(英語版)とのジョイントベンチャーでコマツ・ドレッサーを設立し、ホウルトラック市場に参入。1994年にはドレッサー社の持ち分を買収して子会社化した。1996年、ドイツの老舗建機メーカーであるデマッグ(英語版)社とのジョイントベンチャーでドイツ国内にデマッグ・コマツ有限会社を設立し露天掘り鉱山用の超大型油圧ショベル市場に参入。1999年にはデマッグの油圧ショベル部門を買収しドイツの現地法人として完全子会社化した。ちなみにデマッグはその後もクレーン専業メーカーとして存続したが2002年にゼネラルモーターズ系列のテレックスの子会社になり、2019年にはタダノが買収して子会社化しデマッグは名実ともに日本企業に買収された形になる。
2004年にスウェーデンのウメオ市内に本社を置くパーテック・フォレスト(旧ウメオ・メカニスカ)ABを買収してコマツ・フォレスト(スウェーデン語版)ABとして傘下に収め、林業用ハーベスター市場に参入した。
2017年4月6日、米国大手鉱山機械メーカー、ジョイ・グローバル(英語版)社の買収手続きが完了したことを公表、ジョイ社を連結子会社のKomatsu Mining Corporationと名称変更し、旧ジョイ社が製造していた地下鉱山用重機と旧P&H(英語版)社が製造していた露天掘り鉱山用重機がラインナップに加わった。
2024年、F1チームのウィリアムズF1のプリンシパルパートナー就任。尚1990年代にはウィリアムズF1、チーム・ロータスにも、デジタル技術やギアボックス周辺の部品の供与などを行ってきた。
創立70周年にあたった1991年5月、社名表示と呼称がコマツになってからは新事業を続々展開、CIの導入と新たな経営戦略で立ち向かった。2003年1月、石川県出身と父・松井昌雄が以前勤めていたという縁から、プロ野球選手の松井秀喜とCMなどでライセンス契約した。ニッポン放送で日本のプロ野球シーズン中に放送されるラジオのMLBミニ情報番組「コマツ・メジャーショウアップ」を提供することとなった(それ以前にも1996年頃よりマイク・ピアッツァ選手と契約を結んで宣伝活動を行なっていたことがある)。また、70周年を記念して始められた女子柔道部の活動にも力を入れている。所属選手の谷本歩実が、2004年アテネ五輪、2008年北京五輪の2大会連続で金メダルを獲得した(谷本選手は、2大会連続のオール一本勝ちである)。
2011年3月11日に東北地方・太平洋沖にて発生した大震災では、北関東に所在する一部工場などの操業に影響が出た。復旧に関わる支出が見込まれるが、2011年3月期業績への影響は軽微の見通しである。また地震から1週間の3月18日時点で、建設機械の無償貸与やプレハブハウスの提供、義捐金等、合計8億円の支援を決定している[8]。さらに被災した高専学生を対象とする「コマツ奨学金」を創設し、震災後10年間にわたり、毎年2千万円(合計2億円)の支給支援を実施する[9]。
2018年7月23日、ICT(情報通信技術)建機による効率化で農林業分野の強化を表明[10][11][12]。2018年にha,カナダの林業機械部品メーカーから重機のアタッチメント部門を買収したほか、スウェーデンの林業機械のトレーニングシミュレーターの開発企業を買収した。さらに2019年2月には、アメリカ合衆国ウィスコンシン州の林業機械メーカーのティンバープロの買収を発表した[13]。





1983年度に配備された陸上自衛隊初の国産装輪装甲車を開発。2002年度に配備された軽装甲機動車では約2000両を生産し、国内のみならず自衛隊イラク派遣や国際連合平和維持活動などを支える企業となっていたが、2010年代に入ると受注量が減少。開発コストに見合う利益が見込めないなどの判断から、2019年、全ての自衛隊向け新型車両の開発から撤退する方針が固められたことが報道された[31]。なお、これに先立ち2018年には、コマツが進めていた新型装輪装甲車の開発計画が、防弾板の性能が要求水準に達しないなどの理由により中止されたことが報道されていた[32]。
車両の他、各種弾薬の製造・納入を行っている[33]。弾薬製造事業については、利益率は低いものの受注は安定が見込まれ、小松製作所は、国防への貢献という意味でも2022年以降も継続する考えを示している[34]。
※旧防衛庁向けも含む
※全て株式会社である。
1991年創部。日本国内外の大会で個人・団体ともに優勝や上位入賞の成績を残している[38]。専用道場は1993年、東京都江東区に建てたコマツ永代道場。海外からの選手も受け入れ、海外での「コマツ」ブランドの知名度向上にも活かしている。
日経平均株価35業種 | |
|---|---|
| 食品 | |
| 繊維 | |
| パルプ・紙 | |
| 化学工業 | |
| 医薬品 | |
| 石油 | |
| ゴム | |
| 窯業 | |
| 鉄鋼業 | |
| 非鉄金属・金属製品 | |
| 機械 | |
| 電気機器 | |
| 造船 | |
| 自動車・自動車部品 | |
| 精密機器 | |
| その他製造 | |
| 水産 | |
| 鉱業 | |
| 建設 | |
| 商社 | |
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