Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


コンテンツにスキップ
Wikipedia
検索

宮廷画家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。このテンプレートの使い方
出典検索?"宮廷画家" – ニュース ·書籍 ·スカラー ·CiNii ·J-STAGE ·NDL ·dlib.jp ·ジャパンサーチ ·TWL
(2024年5月)
ラス・メニーナス
スペイン王フェリペ4世の宮廷画家ディエゴ・ベラスケスが1656年に描いた絵画。スペイン王女マルガリータと、背後の鏡に映るフェリペ4世、王妃マリアの、国王一家が描かれている

宮廷画家(きゅうていがか)は、王侯貴族の依頼に応じて作品を制作する芸術家。雇い主たる王侯貴族から固定給を受けていることが多く、雇い主以外からの美術品制作依頼を受けることが制限されている場合もあった。また、とくに中世後期においては近侍 (en:valet de chambre) の地位が伴うことがあった。

一般的に、宮廷画家は固定給と宮廷内における正式な地位、さらには邸宅も与えられることもあったが、それぞれの宮廷画家が与えられた待遇にはさまざまな差異が見られる。宮廷に雇われた芸術家は、そのメンバーに様々な制約を課していたギルドからの束縛を受けることなく、宮廷からの依頼による美術作品を制作することができた。また、ヤン・ファン・エイクディエゴ・ベラスケスのように、外交官や行政官としての役割を兼務していた宮廷画家もいる。

イスラム文化圏、とくに14世紀から17世紀では、装飾写本の挿絵(ミニアチュール)作家が、キリスト教文化圏での宮廷画家と同じような位置づけだった。シャーを初めとする支配者階級の多くが宮廷内に工房アトリエを設置し、カリグラフィー、ミニアチュール、製本などの工芸品制作にあたらせた。キリスト教圏以上に宮廷からの後援が大規模な芸術活動に不可欠で、政権交代や君主の嗜好の変化が、芸術の発展に多大な影響を与えることもあった。リダー・アッバースィーや、アブド・アル=サマド (en:Abd al-Samad) といったペルシアのミニアチュール作家 (en:Persian miniature) は、宮廷からの依頼で多くの美術品を制作している。

あらゆる時代の君主は、自身の、あるいは自身が統制できる工房を所有していることが多く、高品質のタペストリ磁器陶器、絹織物などの工芸品を制作させていた。とくに中国とビザンツ帝国でこの傾向が強い。宮廷画家がこれらの工芸品のデザインに関係することもあり、たとえばペルシア帝国オスマン帝国ムガル帝国で制作された絨毯には、装飾写本のミニアチュールと酷似したものがある。このことから、ミニアチュールのデザインが、宮廷から絨毯職人へと送られていたのではないかと考えられている。17世紀のフランスでも、ルイ14世の宮廷画家だったシャルル・ル・ブランは国立ゴブラン織工房 (en:Gobelins Manufactory) の責任者も兼任しており、王族の依頼に応じてタペストリのデザインに携わっていたという記録が残っている。ル・ブランはルイ14世の宮廷で重要な地位を占め、その作風はフランスのみならず、ヨーロッパ諸国の芸術に大きな影響を与えた。

著名な宮廷画家

[編集]
画家生年国籍宮廷主催者
ヤン・ファン・エイク1395年頃フランドルブルゴーニュ公フィリップ3世
ジャン・フーケ1420年頃フランスフランス王ルイ11世
アンドレア・マンテーニャ1431年イタリアマントヴァ公家
フランチェスコ・フランチャ1450年頃イタリアマントヴァ公家
ヌーノ・ゴンサルヴェス1400年代半ばポルトガルポルトガル王アフォンソ5世
ポルトガル王女ジョアナ
ハンス・デューラー
(en:Hans Dürer)
1490年ドイツポーランド王ジグムント1世
ティツィアーノ1490年頃イタリア神聖ローマ皇帝カール5世
スペイン王フェリペ2世
ベルナール・ファン・オルレイ1490年頃フランドルネーデルラント総督マルグリット・ドートリッシュ
ネーデルラント総督マリア・フォン・エスターライヒ
ドッソ・ドッシ1490年頃イタリアフェラーラアルフォンソ1世
フェラーラ公エルコレ2世
ハンス・ホルバイン1497年頃ドイツイングランド王ヘンリー8世
ブロンズィーノ1503年イタリアメディチ家
ソフォニスバ・アングイッソラ1532年イタリアスペイン王フェリペ2世
呉彬
en:Wu Bin (painter)
1573年中国神宗
ピーテル・パウル・ルーベンス1577年フランドルマントヴァ公ヴィンチェンツォ1世
スペイン王フェリペ4世
クロード・ドゥルエ
(en:Claude Deruet)
1588年フランスロレーヌ公シャルル5世
ドメニコ・フェッティ1589年頃イタリアゴンザーガ家
ピーテル・スネイエルス1592年フランドルスペイン領ネーデルラント総督フェルナンド
スペイン領ネーデルラント総督レオポルト・ヴィルヘルム
アンソニー・ヴァン・ダイク1599年フランドルイングランド王チャールズ1世
ディエゴ・ベラスケス1599年スペインスペイン王フェリペ4世
アブドゥルセリ・レヴニ
(en:Abdulcelil Levni)
1600年代トルコオスマン帝国皇帝ムスタファ2世
オスマン帝国皇帝アフメト3世
ディルク・ストープ
(en:Dirk Stoop)
1610年頃オランダポルトガル王ジョアン4世
ポルトガル王女カタリナ
イングランド王チャールズ2世
ダーフィト・エーレンシュトラール
(David Klöcker Ehrenstrahl)
1628年スウェーデンスウェーデン王カール11世
ジャック・ダガー
(en:Jacques d'Agar)
1640年デンマークデンマーク王クリスチャン5世
ジヴァンニ・マリア・デッレ・ピアーネ
(en:Giovanni Maria delle Piane)
1660年イタリアスペイン王妃エリザベッタ・ファルネーゼ
ラッヘル・ライス1664年オランダプファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルム
ルイ・ド・シルヴェストル
(en:Louis de Silvestre)
1675年フランスポーランド王アウグスト2世
ポーランド王アウグスト3世
ヤコポ・アミゴーニ1682年イタリアスペイン王フェルナンド6世
ジュゼッペ・カスティリオーネ
(郎世寧)
1688年中国聖祖世宗高宗
ルイ=ミシェル・ヴァン・ロー1707年フランススペイン王フェリペ5世
ミゲル・アントニオ・ド・アマラル
(en:Miguel António do Amaral)
1710年ポルトガルポルトガル王ジョゼ1世
ポルトガル女王マリア1世
ポルトガル王太子ジョゼ
イエンス・ユール1745年デンマークデンマーク王クリスチャン7世
フランシスコ・デ・ゴヤ1746年スペインスペイン王カルロス3世
スペイン王カルロス4世
スペイン王フェルナンド7世
フランシス・ブルジョワ
(en:Francis Bourgeois)
1753年イングランドイングランド王ジョージ3世
ジャン=バティスト・デブレ1768年フランスポルトガル王ジョアン6世
ブラジル皇帝ペドロ1世
ドミンゴス・セケイラ1768年ポルトガルポルトガル王ジョアン6世
ジョージ・ヘイター
(en:George Hayter)
1792年イングランドイギリス女王ヴィクトリア
フリードリヒ・フォン・アマーリング1803年オーストリアオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世
カール・ハーグ1820年ドイツイギリス女王ヴィクトリア

出典

[編集]

関連項目

[編集]
  • 御用絵師 - 幕府や大名に仕えた絵師。将軍に仕えた絵師は、奥絵師。
  • 翰林図画院 - 中国の唐代から宋代まで置かれた宮廷芸術家の機関。宋代後は、宮廷で芸術家をまとめた機関は置かれず、仁智殿や武英殿などで芸術家の仕事をしていたが、武官の役職が与えられた。
スタブアイコン

この項目は、美術芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めていますP:美術/PJ:美術)。

https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=宮廷画家&oldid=106511403」から取得
カテゴリ:
隠しカテゴリ:

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp