学歴貴族(がくれききぞく)とは、近代日本において、特定の学歴で一目をおかれ、貴族称号のように機能していることを比喩した言葉である。戦前においては旧制高等学校出身者がその典型であった。
当時の学校体系は複線教育型に近く(該当項参照)、太平洋戦争開戦遥か前の旧制高校卒業者は、高くても該当年齢男子人口の1%にも満たない[1]といわれ、大学に進学した者自体が少なく門戸は男子にのみ開かれたものであった。旧制高校の生徒は白線入り学生帽にマント姿で、深窓のお嬢様から町娘までが恋焦がれる存在であったという[注 1]。
旧制高等学校生といえば、デカンショ節で有名なように、デカルト、カント、ショーペンハウアーなどを愛読する哲学青年や文学青年のイメージがある。「一高生はカントよりもカント的」という言葉もある[2]。第一高等学校の校長である新渡戸稲造は、一高生を文化活動や読書、精神的修養をするように導いた。新渡戸によって「教養に基づく人格形成」という新風に接した者も少なくなかった[3]。旧制高等学校の雰囲気の中で放たれる「芳香としての教養主義」は、学問や文化への尊敬の気持ちを残した。教養主義は、自ら作品をつくり、独創を誇るのではなく、傑作に接し、人類の文化の重みを知ることによる人格形成だった。そうした教養主義は、受動的といえば受動的、知の権威主義といえば権威主義ではあるが、生涯にわたる学問や文化への畏敬心を生んだ[4]。以下は、旧制高等学校生の読書の一例。
<文部省推薦図書>(出典:文部省『文部省推薦図書時報』、第六集、1937年)
<再刊希望図書調査>(昭和21年3月実施)
≪書籍別≫
≪著者別≫
<重版書籍世論調査>(昭和21年4月実施)