吉岡 吉典 (よしおか よしのり、1928年5月16日 -2009年3月1日)は、日本の政治家、歴史研究家。元参議院議員(日本共産党公認、3期)。日本共産党中央委員会名誉役員。「キッテンさん」の愛称でも親しまれた[1]。
島根県八束郡鹿島町(現・松江市)出身。旧制松江高等学校在籍中の1948年日本共産党へ入党するが、同校は程なくして中退。同級生には京都大学名誉教授の松尾尊兊がいる。松江地区委員長、島根県常任委員などを経て、1959年に赤旗編集局入り。編集局では中央機関紙編集委員や政治部長などを歴任する。
1986年の参院選に比例区から出馬し初当選、以後3期18年参議院議員を務めた後、2004年に引退を表明する。議員時代は労働・社会政策および懲罰の各委員長、党内では参議院議員団長を務めた。また1993年10月には、予算委員会で小沢一郎と建設業者との癒着問題を追及。その中で大手ゼネコン24社で構成される「裏選対」の存在を議員としては初めて暴露した[2][3]。
2009年3月1日、韓国・ソウル市内で行われた三・一独立運動90周年記念のシンポジウムで講演を行った後、夕食会で心筋梗塞により倒れ、客死[4]。
自民党衆議院議員石破茂が、回想として、『私が防衛庁長官のときに、参議院議員選挙がありました。その時、その選挙で引退されるっていう共産党の参議院議員が、防衛庁に訪ねてこられたのです。秘書官たちはびっくりして、共産党の議員がアポをとって防衛庁長官のところに来るっていうのは例がありませんから、どうしましょうかっていうから、「いいじゃないか」って言ってお会いしました。1人で来られました。吉岡さんという方です。その方がおっしゃったのは、「私は今回で引退するが、その前に一言だけあなたにお礼を言いたかった」と。「あなたと私の主義主張は全く違う。今でも違う。だけどあなたは私の質問に正面から答えてくれた。共産党だからって等閑視するんじゃなく、一生懸命答えてくれた。それが嬉しくて引退するにあたってお礼を言いにきた」と。これは私の一生の誇りです。』と、人柄についてのエピソードを述べている[5]。
| 議会 | ||
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| 先代 橋本敦 | 2001年 - 2004年 | 次代 山下八洲夫 |
| 先代 鹿熊安正 | 1998年 - 2000年 | 次代 廃止 |
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| ↓:途中辞職・在職中死去など、▼:除名、↑:繰上げ当選、x:繰上げなし | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||