Movatterモバイル変換


[0]ホーム

URL:


コンテンツにスキップ
Wikipedia
検索

伊藤郁男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事には参考文献外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注によって参照されておらず、情報源が不明瞭です 脚注を導入して、記事の信頼性向上にご協力ください。2020年5月
この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています ご存知の方は加筆をお願いします。2020年5月

伊藤 郁男(いとう いくお、1930年9月11日 -2020年10月26日)は、日本政治家俳人。元民社党参議院議員(1期)。長男は作家ミュージシャンタレントいとうせいこう

来歴

[編集]

長野県諏訪市出身。長野県岡谷南高等学校を卒業後、1953年日本社会新聞記者を経て、1960年に民社党本部書記局に入り、機関誌局事務長、1977年に組織局次長などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に民社党公認で全国区から立候補し初当選を果たす[1]。1986年、第14回、1989年、第15回の各参院通常選挙に比例区から立候補するもいずれも落選した[2]

2000年11月の秋の叙勲で勲三等に叙され、旭日中綬章を受章する[3][4]

2020年10月26日、老衰のため、東京都八王子市老人ホームで死去した[5][6][7]。90歳没。

俳人としての活動

[編集]

伊藤は政治家としての顔のほか、俳号「無限子」を持つ俳人としても知られる。「鶴」(1973年入会)、「初蝶」(1987年入会)、「魚座」(1997年入会)の同人を務める傍ら、句集「地蜂」「信濃路」「風やはらかき」などを残している。長男のいとうせいこうも俳句趣味を引き継いでおり、金子兜太との共著などを発表している。

著書

[編集]
  • 『リーダーシップ : 人の心をつかむリーダーシップ』富士選書No.2、富士社会教育センター出版部、1973年。
  • 『日本に明日はあるか : 伊藤郁男対談集』サンケイ出版、1980年。
  • 『鷹の目 : 伊藤郁男の視点』郁友政治経済研究会、1984年。

脚注

[編集]
[脚注の使い方]
  1. ^『国政選挙総覧:1947-2016』555頁。
  2. ^『国政選挙総覧:1947-2016』559、562頁。
  3. ^『官報』号外第226号103・104頁 平成12年11月6日
  4. ^「2000年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』2000年11月3日朝刊。
  5. ^伊藤郁男さん死去”. 朝日新聞デジタル (2020年11月3日). 2024年10月26日閲覧。
  6. ^伊藤郁男氏死去 元民社党参院議員”. web.archive.org. 時事ドットコム (2020年11月14日). 2024年10月26日閲覧。
  7. ^伊藤郁男氏が死去 元参院議員”. 日本経済新聞 (2020年11月2日). 2024年10月26日閲覧。

参考文献

[編集]


第1回
(定数100)
3年議員
偶数回
第2回
(定数50)
3年議員
第4回
(定数50)
3年議員
第6回
(定数50)
3年議員
第8回
(定数50)
3年議員
第10回
(定数50)
3年議員
第12回
(定数50)
奇数回
第3回
(定数50)
3年議員
第5回
(定数50)
3年議員
第7回
(定数50)
3年議員
第9回
(定数50)
第11回
(定数50)
†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。
全般
国立図書館
学術データベース
https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=伊藤郁男&oldid=105887765」から取得
カテゴリ:
隠しカテゴリ:

[8]ページ先頭

©2009-2025 Movatter.jp