| よさのちょう 与謝野町 | |||||
|---|---|---|---|---|---|
| |||||
| 国 | |||||
| 地方 | 近畿地方 | ||||
| 都道府県 | 京都府 | ||||
| 郡 | 与謝郡 | ||||
| 市町村コード | 26465-2 | ||||
| 法人番号 | 5000020264652 | ||||
| 面積 | 108.38km2 | ||||
| 総人口 | 18,021人[編集] (推計人口、2025年9月1日) | ||||
| 人口密度 | 166人/km2 | ||||
| 隣接自治体 | 福知山市、宮津市、京丹後市 兵庫県:豊岡市 | ||||
| 町の木 | ツバキ | ||||
| 町の花 | ヒマワリ | ||||
| 与謝野町役場 | |||||
| 町長 | 山添藤真 | ||||
| 所在地 | 〒629-2292 京都府与謝郡与謝野町字岩滝1798番地1 北緯35度33分55秒東経135度09分10秒 / 北緯35.56533度 東経135.15286度 /35.56533; 135.15286座標:北緯35度33分55秒東経135度09分10秒 / 北緯35.56533度 東経135.15286度 /35.56533; 135.15286 | ||||
| 外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
| ウィキプロジェクト | |||||
| テンプレートを表示 | |||||
与謝野町(よさのちょう)は、京都府の丹後半島の付け根にある町。与謝郡に属する。



加悦谷と呼ばれる野田川の扇状地に位置する。野田川の水源は町の南方に位置する大江山であり、その山麓にはかつてニッケル鉱山があった。野田川は町域を北流し、天橋立によって宮津湾から隔てられた内海(海跡湖)である阿蘇海に注ぐ。町の北部には成相寺で知られる鼓ヶ岳がそびえる。
2010年(平成22年)国勢調査より前回調査からの人口増減を見ると5.82%減の23,457人であり、増減率は府下26市町村中19位、36行政区域中29位。
2022年(令和4年)4月現在、20,438人。戦後、第2次ベビーブームが終わるまでは微増で推移していたが、その後、減少が始まっており、社会減によるもの、若年層の転出が多いことが人口減少の要因となっている。2025年(令和7年)には2万人を切り、2045年(令和27年)には12,200人程度になるとみられている[1]。
| 与謝野町と全国の年齢別人口分布(2005年) | 与謝野町の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 与謝野町 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
与謝野町(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 総務省統計局国勢調査より | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 初代 | 太田貴美 | 2006年4月16日 | 2014年4月15日 | 旧野田川町長 |
| 2代 | 山添藤真 | 2014年4月16日 | 現職 |
定数:16人[3]
町役場を岩滝地域に本庁舎を置き、加悦地域、野田川地域にも各部課を分散して配置する「分庁舎制」が取られている。

2020年現在、与謝野町との正式な姉妹都市・提携都市は存在しない。
| 都市名 | 国名 | 地域名 | 提携年月日 |
|---|---|---|---|
| アベリストウィス市 | ダイフェッド地方ケレディジョン州 | 1984年(昭和59年)都市交流開始 |
「アバリスツイス」とも呼ばれる。第二次世界大戦の最後の年に旧加悦町(与謝野町の南部)にあった大江山ニッケル鉱山と岩滝地区(現在の与謝野町岩滝と宮津市須津)の日本冶金工業の製錬所で強制労働に従事させられていたウェールズ出身のイギリス軍兵士フランク・エバンスが1984年に再訪し、そこで死亡した連合軍捕虜の慰霊碑を建立したことがきっかけで交流が始まった。このいきさつについてはエバンスが1985年に『"Roll Call at Oeyama P.O.W. Remembers" 大江山の点呼 捕虜は思い出す』という本にまとめて出版した。この本の日本語訳は2009年7月に東京の彩流社から『憎悪と和解の大江山 - あるイギリス兵捕虜の手記』として出版された。
農業、織物業(丹後ちりめん)が主な産業[4]。町域は海に接しているが、漁港はない[5]。過去には、大江山鉱山で鉱業も行われていた。
|
|
|
2016年4月、岩屋小(岩屋地区)が市場小に統合され、休校となった[10]。2020年4月、与謝小と桑飼小が加悦小に統合された[11]。
小学校はいずれも建設から30年以上経過しており、老朽化が進行しつつあるが、耐震補強工事が完了している[12]。

丹後地域と京都市・大阪市を結ぶ昼行路線が運行されており当町を経由する。いずれも丹後海陸交通が運行するが、大阪線は阪急観光バスとの共同運行である。
※太字は与謝野町内の停車地。与謝野町外の丹後地域の停車地は省略。
インターチェンジはないが山陰近畿自動車道の与謝天橋立IC -京丹後大宮IC間の一部が与謝野町を通過している[13]。与謝天橋立ICの所在地は宮津市である。
この節の加筆が望まれています。 (2020年7月) |
この項目は、日本の市区町村に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本の都道府県/PJ:日本の市町村)。 |