| この項目では、自動車製造会社について説明しています。その他の用法については「プロトン」をご覧ください。 |
| 種類 | 公開会社 |
|---|---|
| 略称 | Proton |
| 本社所在地 | スランゴール州シャー・アラム |
| 設立 | 1983年5月7日 |
| 事業内容 | 自動車製造 |
| 売上高 | 49億1000万リンギット(2007年) |
| 従業員数 | 12,000 |
| 主要株主 | DRB-ハイコム (50.1%) 吉利汽車 (49.9%) |
| 外部リンク | http://www.proton.com/ |
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プロトン・ホールディングス(Proton Holdings Berhad)は、マレーシアの自動車メーカーである。本社はスランゴール州シャー・アラム。名称はマレー語のPerusahaan Otomobil Nasional(国民自動車会社)の略。
2017年以降は、中華人民共和国の吉利汽車が株式の49.9%を保有して資本参加している。
1980年代に当時の首相マハティールの国産車構想の元、1983年に政府のバックアップによって設立された[1]。
当初は三菱自動車工業と資本/技術面で緊密に提携していたが、業績の向上に伴いシトロエン・AXなど三菱車以外をベースにした車種の生産も開始、次第に独自色を強めた。そして1990年代後期にイギリスのロータス・グループ・インターナショナル社を傘下に収めて商品開発力を強化、現在の生産車種の大半は自主開発車となっている。
また1980年代後半から輸出拡大に力を入れ、特に旧宗主国であるイギリス・隣国シンガポールでは早くから低価格を武器に成功を収めた。現在では北米等を除く世界の大半の国と地域で販売されている。1990年代から2000年代前半はマレーシア経済の急成長もあって繁栄を謳歌し、ロータス・MVアグスタという英伊の名門スポーツカー・モーターサイクル企業を買収、英国サッカークラブのメインスポンサーになるほどであった。
しかしその後、マレーシア国内においてプロトン車のシェアは低下を続けた。2002年にはマレーシアの乗用車市場の60%を押さえていたが、2005年には30%に半減、さらにAFTAにより輸入車の関税は今後5%に引き下げられることが決まっており、更なる窮地に立たされる可能性が危惧されている。この不振はダイハツと提携し軽自動車ベースの大衆車を生産するプロドゥアの躍進、「Gen-2」などの自主開発車の不評が原因となっている。この苦境から脱するためフォルクスワーゲンなどとの提携話も進行していたが、結局決裂している。
2007年と2008年に相次いで投入した「ペルソナ」と2代目「サガ」の販売は好調で、プロトンの業績は持ち直している。2009年には「イグゾラ」[2]を投入し、MPV需要の取り込みを図る。
2010年3月、ロータス・エンジニアリング及びイタルデザイン・ジウジアーロと共同開発した小型プラグインハイブリッドカー「エマス」 (EMAS)コンセプトをジュネーヴモーターショーで公開した。発表にはプロトンのアドバイザーを務めるマハティール元首相も立ち会った。
2012年1月16日、筆頭株主であった政府系投資会社カザナ・ナショナルが、保有するプロトン株42.7%をDRB-ハイコムに売却すると発表した[3]。新たな筆頭株主となるDRB-ハイコムは輸出市場に注力する方針を表明している[4]。
2017年5月には中華人民共和国の吉利汽車が株の49.9%を保有してDRB-ハイコムに次ぐ株主となってロータス・カーズの株式も51%を取得した[5]。
パーツ販売やモータースポーツ活動を行っているキャロッセはモータースポーツのベース車両としてサトリアネオに注目し、日本への輸入を計画。2011年の東京オートサロンにサトリアネオのR3コンセプトとラリーコンセプトを参考出品し、同年夏頃から日本での販売を開始した。ただし、モータースポーツのベース車両ということもあり、日本仕様のトランスミッションはMTのみで、ABSは未装備である。
翌2012年の東京オートサロンではサトリアネオの他に、サトリアネオをベースに製作した「アルティガ」コンセプトと「サガ」R3コンセプトを参考出品した。
マレーシアではモータースポーツのベース車両としてアイリスR3MTCとサガR3MTCが発売されている。アイリスR3MTCはマレーシアチャンピオンシップとセパン1000kmで優勝している[6]。


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